10 彩色の会
昨夜の歓迎会は夜遅くまで続いたので、ルペラはまだその疲れが抜けないままに翌朝を迎えた。
だがまあ、今日は二度寝するわけにはいかない。
3日前に途中で中止になった臨時会議と、彩色達との顔合わせがある。
実のところ、ルペラはまだ彩色と話をしていない。
挨拶をする前に彼らが帰ってしまったのだ。
どうせ明日も顔を合わせるから、とルシアーナが挨拶を後に回したせいもある。
まずは顔合わせだ。場所は紫苑の間、原色と彩色が合同で会議を開くときに使う広い部屋。
紫苑の名に相応しく、紫苑の間は全体的に明るい雰囲気だ。
窓が大きかったり、飾られている花が淡い色なおかげだろうか。
まだ部屋に来ているのは半分程度。原色はエシュリとネオフォルだけだ。
今いる彼ら彼女らと楽しむ話題も無いので、ルペラは魔石に施された付与魔術の観察をすることにした。
この付与魔術は、魔力を纏った目で見ると発動するようになっている。そうなると魔法文字が見えなくなってしまうので、魔力の流れは見づらいが裸眼で観察する。
誰かの咳払いで集中が切れる。
いつの間にか皆が揃っていたらしい。空席は二席。ペンタルアと、今はいない白の彩色のものだろう。
「えー、では、新たな仲間の歓迎と顔合わせを兼ねた、談話会と洒落込もうかの、原色は挨拶くらいはしたと聞いたから、我々の紹介から始めるとするか、それとも、新しい緑の原色から始めてくれるかの?」
白い髭を撫でつけながら話し始めた老人。髭だけじゃなく眉も髪も白いので、蒼い瞳がよく目立つ。
こういう時に仕切るのは一番在籍期間が長い人という暗黙の了解があるらしく、確かにこの老人は在籍期間も年齢も一番上だろうという見た目をしている。
「私から。新しい緑の原色のルペラよ」
うんうんと満足げにうなずいた老人は、隣に座った彩色の肩をぽんと叩く。
「わしは黄の彩色ベンタイという。ほれ、次はお前さんだ」
赤みを帯びた茶色の髪を短く刈り上げたその彩色の、赤い瞳がルペラの目と合う。
「ボルボス、赤の彩色だ。まあ、よろしくな」
良く鍛えられ日に焼けた手が、傷痕の残る頬を掻く。
ボルボスが顎で隣の彩色へ合図を出す。
眼鏡をかけた、金髪翠眼の彩色がにこりと笑う。
胡散臭そうな笑みだ。
「緑の彩色フィロスカスです。同じ緑同士、仲良くしましょう」
「青の彩色ディートリヒ」
フィロスカスの次に言ったのは、空色の髪を目のあたりで切りそろえ、その隙間から紫檀の瞳が覗く、フィロスカスの向かいに座ったディートリヒ。
不機嫌そうな声色に、ルペラは思わず眉を寄せる。
すると、フィロスカスがディートリヒの方を見てふっと笑う。
青の彩色の右隣に座った、白髪の混じる髪を後ろへ撫でつけてぴしりと固めた、黒色の瞳が力強い彩色が口を開く。
「黒の彩色ルドルヴィーだ。この二人はもう少し仲が良いはずなんだが、昨日もいろいろあったからな……」
最後に残るのは、くるりと巻いた栗毛の、糸目の彩色。消去法で紫だろう。
「紫の彩色、エルキュール。どうぞよろしく」
「その、なんだ、ペンタルアは今回も欠席か」
言いづらそうに皆の顔を見ながら、ボルボスがそう言う。
「えぇ、残念ですが、仕方のないことです」
エシュリがちっとも残念そうに聞こえない声色で返す。
ボルボスは心底残念そうにため息を吐いた。
「ルペラ、一つ聞きたいことがあります」
聞きかじっていた彩色たちの名前と顔を一致させて、早々に談話会へ興味を失ったルペラがつまらなそうに窓の外の景色を眺めていると、フィロスカスから声をかけられた。
「あなたはどうやってノーヒントで結晶病の特効薬を発見したのですか? 私はあの日、あのレシピを見た瞬間に雷に打たれたように思いました、あまりに美しいレシピです。あの分量の配分も、理論も実に美しい、あの論文が私の初恋です。しかもそれを考えたのが私より遥かに小さな幼子だと聞いて、私は正直耳を疑いましたよ、アナシアが手助けしたのではと。いやしかし、どうであれあのレシピは本当に美しい。私の美学そのままです。あなたの他のレシピもすべて確認しましたが、結晶病の特効薬は格別です。あなたとは話が合うだろうとずっと考えていました、しかしアナシアはあなたを紹介してくれませんでした。ですが運命の巡り合わせというものはやはりあるのでしょう、あなたと薬学の話をすることが本当に楽しみで、昨夜はなかなか寝付けなかったほどです」
フィロスカスは瞳を輝かせながらそこまでを早口に言い切ると、ふんすと鼻息荒くルペラの返事を待っている。
よく舌を噛まずに言い切れるものだ。
ルペラはフィロスカスに抱いていた、冷静そうで胡散臭そうという印象を早々に塗り替えることにした。饒舌な変態へだ。
「本当に残念だわ、あなたとはどうあっても話が合わなそうだし、もしも運命があるのなら、私とあなたの運命は決して交わらない平行線ね」
ルペラに冷ややかな目を向けられ、隣に座ったボルボスからもうやめておけとでもいうように肩を叩かれたフィロスカスは、不服そうに口を閉ざした。
ふと、そこでルペラはフェフィリアーナがやけにおとなしいことに思い至る。
嫌味の一つや二つはあるだろうと思っていたが、彼女は今日一度も口を開いていない。
ネオフォルの隣に座ったフェフィリアーナは、腕を組み不機嫌そうな顔を隠しもしていない。
だが、先日のように突っかかってくるのではなくだんまりを決め込むことにしたようで、瞼も口も引き結ばれている。
彼女が不満を抱いていようが、ルペラに直接被害が及ばないのならそれはルペラが気にすることではない。
静かならば好都合だと、ルペラはふっと微笑んだ。
「ところで、今日は何か飲み物はないの? ワインとか出しましょうよ、皆で飲めば大した量でもないし構わないわよね? エシー?」
エシュリはルシアーナに笑いかける。
「私たちはこの後に臨時会議があるんですよ、皆に酒を入れるのは得策ではないかと。ですが何もないというのも寂しいですね、紅茶やコーヒーを用意させましょうか。ルシアーナ、あなたにはブランデーを垂らした紅茶を用意させましょう、それで満足してください。」
ルシアーナが満足げにうなずき、エシュリは襟の留め具に使われている魔石に触れる。
深みのある紫の魔石が数度瞬いて、ほどなくして使用人がひとり入ってきた。
色持ちならだれもが持っているこの魔石だが、虹の館では使用人を呼び出す合図にも使われている。
魔法族は、自分の魔力を材料にした魔石ならば遠隔で光らせるなどお手の物だ。
さすがに、魔術発動の媒体として使うなら魔石の大きさと距離によって難易度が段違いだが、光らせるくらいならこの屋敷の端から端の距離でも簡単だろう。
使用人たちは手早く飲み物と小さなクッキーを並べて出ていった。
小さなクッキーだけなのは、会話の邪魔をしないようにという配慮だろうか。
「なぁ、なにを話せばいいんだ、こういう時って。好きな食いもんとか、得意なことでも言っておけばいいのか?」
コーヒーに角砂糖を二つほど溶かしながら小声でフィロスカスに問いかけるボルボス。
誰もしゃべらずにしんとした紫苑の間には、その声はやけに大きく聞こえた。
「子供の茶会のつもりですか? あなたのセンスには時々呆れて物も言えませんよ」
「いやそうだがよぉ、原色どもが一言もしゃべらねぇってのはつまり俺らに何か言えってことだろ? 女って怒ったら怖いんだよ。俺は若い女とどう話せばいいとかわかんねぇし、お前が一番歳近いだろ」
一番年齢が近いからと言って、論文に恋するような変人では参考にならないように見受けられるが。
決して口には出さないがそう考えつつ、ルペラは紅茶を一口。
ふわりと香る芳醇な香りと、爽やかな渋みが頭をすっきりさせる。
見かけに合わず周りの顔色を伺っておろおろとしているボルボスと、それを軽くあしらうフィロスカスは仲が良いようだ。
その様子をベンタイが微笑ましいものを見守るように眺めている。
ボルボスは高度な魔力操作の腕と、大魔術の連続使用に耐えうる稀有な精神力を買われて彩色の席に着いたと聞いていたが。
おろおろとまわりを気遣う様子からは、武勇伝に語られるあの敵兵を大魔術で一掃していくところなど想像もできない。
「偉大な瞳を曇らせたあれらは、燃ゆる炎までをも隠してしまったよう」
ふいに、小川のせせらぎのような透き通った声が部屋に染み渡る。
決して大きい声ではない。けれども、彼女の声には皆の視線を集める何かがある。
凪いだ表情のまま、ネオフォルが歌うように続ける。
「偉大な瞳よ、炎を失った赤はどうなるの? 私にはもう見えない。すべては深い霧に飲まれた。でも、霧では音を奪えない」
懐から白いハンカチを取り出して、それを机の上に広げる。
小さな、蜘蛛の骸がひとつ。
息を呑む音が聞こえる。
「私は霧を蠢くそれを聞いている。霧を晴らすのはもはや炎では足りない。あなたは消えゆく炎となるか、霧を晴らす光となるか」
フェフィリアーナの頬にその指を滑らせて、ネオフォルは紫苑の間を後にした。
フェフィリアーナは青い顔でその蜘蛛を見つめている。
舌打ちをした人がいる。ディートリヒだ。
絞り出すようにして、言葉を紡ぐ。
「僕たちには、その音すら聞こえないというのに」
ぱん、とルシアーナが手のひらを打ち合わせる。
「辛気臭い空気はもうおしまいよ、今日はカビでも生えそうな空気を作るために集まったんじゃないもの、その蜘蛛には見覚えがあるから、私が預かるわね」
ルシアーナの明るさにつられるようにしてだんだんと談話会は楽しい空気を取り戻して、昼食の前に解散となった。
「では臨時会議を始めます。……フェフィリアーナとネオフォルは欠席なのですね」
ため息交じりにそういったエシュリに、ネロが上を指さしながら答える。
「フェフィリアーナは部屋から出てこない。よほど蜘蛛が嫌いだったのか、それとも……ネオフォルはなんか、何か聞こえるみたいでそっちに夢中になってるよ」
「それならばネオフォルは仕方ありません。フェフィリアーナは何とか引きずり出したいものですが。……まあいいでしょう」
手元の紙に目線を落として、エシュリが続ける。
「今しがた伝令があった情報です。彩色も彩色で情報が共有されています。次の白樹の子がお隠れになりました。幸い、代わりの子がいますから、その子を白樹の子に立てて6年後の儀式は滞りなく行われます。また、」
「白樹の子?」
聞き覚えのない単語にルペラは思わず話を遮る。
エシュリの眉間にしわが寄る。
「あなたはまだ知りませんでしたか。ネロ、ルシアーナ、どちらかが教えてあげてください。私はすべきことがありますので」
ネロとルシアーナの表情は変わりがない。
ならばそこまで重要でもないか、とルペラは納得することにした。
「他に共有することもありましたが、3人も欠席しているならば、そこまで危急のものでもないので来年の定例会議にて共有します。ルシアーナ、ネロ」
2人がエシュリのほうへ顔を向ける。
「たびたび申し訳ありません。どちらかがルペラを特級禁書庫へ案内してください。今日はこれで終了とします」
エシュリがすっと立ち上がる。
「フェフィリアーナの元へ行ってきます。ここ最近の彼女の言動は少々目に余りますので。いつまでも子供の気分ではいられないことを教えてきます」
案内はネロが買って出てくれた。
「ルペラ、ここに魔力を流して。」
特級禁書庫は、虹の館の地下にあった。
特級禁書庫の扉のすぐ内側にある何の変哲もない金属板に、ネロが魔力を流すように言う。
疑問を抱きながら、ルペラはその金属板に魔力を流し込む。
刹那、金属板に緑の波紋のような、しかしそれより複雑な模様が浮かび上がり消える。
「魔力をこれに登録すると、その魔力の持ち主だけがこの扉を開けられるようになる。魔力には一人一人違う模様があるんだって」
魔力が一人一人違うというのはルペラも聞いたことがある。しかし、それを識別して記憶するとは……
「ネロ様、これって」
「そう、失われた技術。それからいい加減に敬称を取ってほしいな」
「分かった」
ネロはうんうんと満足げに頷いている。
しかしこのような技術は、ルペラは聞いたことがないし、知る限りの文献にも載っていない。
「この世界には思いのほか、伝えられずに潰えてしまったものがたくさんある。この部屋に蔵書されているのも、その一部」
ネロが禁書庫の奥のほうを指さす。
特級禁書庫は第一級禁書庫までとは打って変わり、書庫というよりまるで資料室だ。
ばらばらの紙が重ねてまとめられていたり、何かの雑誌の切れ端のような、一ページすら残っていない紙切れも見える。
本の形を保っているものでも背表紙が焦げていたり、剥げているものも見える。
「すべて超古代文明の遺産だよ。ここの紙切れ1枚1枚が万金に値する。原色と彩色だけはここを自由に見られるから、好きなだけ見ていくと良い。知りたいことがあるんでしょ?」
問いかけるように見上げたネロ。
ルペラは、久しぶりに期待でわくわくするのを感じていた。
「ありがとう、ネロ」
「ルペラ、白樹の子のことは、いずれ知ることになるから」
申し訳なさそうなネロの言葉に、ルペラは首を傾げる。
「構わないわよ?」
ネロはそっか、と微笑む。
「ありがとう、それから、お願いがあるんだ――」
ネオフォルが言いたかったこと
誰か暗躍しているみたいだけど、私は見てるからね。全知の目が黙ったままでも、私は他にも情報を得る手段を持っているよ。
それからフェフィリアーナ、最近好き勝手やっているけれど、長生きしたいなら改心した方がいいよ。
フィロスカスとディートリヒは仲が悪いです。というよりも、ディートリヒが一方的にフィロスカスを嫌っているような感じです。
それからフィロスカスは、薬学が関わらなければまともな人です。
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