修羅の炎
『……だ、大輔……頼む……
……お父さんの為に、逃げてくれ』
炎に包まれた父が遺した言葉。 父は大輔の幸せを願い、炎の中で朽ち果てていった。
大輔は一日たりとも忘れた事は無い。
――炎の中で大輔に向けた父の笑顔を――
父を殺した二人の男を処刑する方法はもう決まっていた。
『生きたまま焼き殺す』
父が殺されたあの時、青葉は火炎放射器を背負っていた。 その恐るべき兵器を用い、火災から逃げようとした多くの患者と職員を殺害したのである。
この人の皮を被った悪魔には、自分が行なった所業を知らしめる必要があった。 すなわち、殺された者達と同じ苦しみを与えなければならなかったのだ。
忌まわしい残酷な兵器はリビングの隣に位置する和室に鎮座していた。
何故か立派な“神棚”の手前に置かれてあり、神棚の中にはトグロを巻いた真っ黒い蛇の置物が供えられていた。 この異様な様子を見ると、いかに神光人が他宗教を都合良く切り貼りした支離滅裂な宗教である事が分かるだろう。
大輔は神棚に鋭い中段蹴りを浴びせて粉々に破壊すると、重そうな火炎放射器を片手で『ヒョイ』と持ち上げて、スタスタと玄関から外へ出た。
――
青葉が住むマンションは、レトロな佇まいが人気の高級マンションであった。 昔ながらの外廊下で造られたマンションでありながら、延焼を防ぐ建材で造られた防火壁は頑強であり耐震性にも優れていた。
そんなマンションのだたっ広い外廊下には大勢の住民が不安げな顔をして集まっていた。
マンション全体に響く揺れと爆発音、若い男の絶叫に住民達が度肝を抜いて玄関から飛び出して来たのである。
『ざわ……ざわ……』と住民達が見つめる先には、青葉久寿夫の住む部屋の玄関があった。
玄関扉は開け放たれており、男の呻き声が外廊下まで漏れて来ている。
「け、警察を呼びましょうか?」
「あっ、もう呼んでいるそうですよ!」
住民達は部屋の中に行く勇気がなく、警察が来るまで遠目から様子を見ていた。
「あっ――!?」
すると、住民達が矢庭に吃驚の声を上げた。
青葉の玄関前にいつの間にか全身包帯姿の“ミイラ男”が佇んでいたのである。
ミイラ男の突然の出現に住民達は目を白黒させた。 頭から足先まで包帯に巻かれたゾッとする姿の男は金属製のタンクを背負っていた。
そのタンクが一体何に使うか分からなかったが、タンクから伸びるホースが、男の手に持つノズルに繋がっている事から何か薬品でも散布する機械である事は把握できた。
「な、なんだ……? あの化物は……」
まるでテレポートでもして来たかのように突然現れた男に困惑する住民達。 その異様な雰囲気に誰も近寄って声を掛ける者などいない。
そんな目を疑う光景の中、突然意味不明な事を口走る男の叫声が玄関から響き渡り、さらに住民達を動揺させた。
「――光あれ――!」
血塗れの両手を必死に伸ばしながら外廊下へ這い出てきた男。 男は目を背けたくなる程の深い傷を負っていた。
頭皮がめくれて赤い地肌を露出している頭部。 両耳は無く、片目も潰れており、胸に夥しい血を垂れ流している。 必死な形相で廊下を這い、痛ましい喘鳴を漏らす様子に住民達は言葉を失った。
(彼は一体、誰なんだ? 何であんな傷を……?)
初め、住民達はこの酷たらしい姿の男が誰だか分からなかった。
ところが、隣に住む『松原菊永』という青年だけは、男が青葉久寿夫の変わり果てた姿だという事が分かった。
「ええっ、青葉さん!? 何であんな酷い姿に……」
あまりにも衝撃的な青葉の姿。 目を背けたくなる残酷な様子に近寄るどころか、一同慄然として声も上げる事が出来ない。
茫然と立ち尽くす住民が見守る中、青葉の様子を眺めていた包帯姿の男がゆっくりとノズルを持った手を上げて、ノズルを青葉に向けた。
「ヒィ! ヒィィ! ワタクシは救世主だ! ”月の子”なんだ!
お、お前なんかに!
お前なんかに――!」
もはや人間とも分からないような血塗れの姿であるにもかかわらず、ここまで喚き散らす余力が何処にあると言うのか?
包帯姿の男は青葉の必死の叫びにまるで耳を貸す様子もなく、ノズルから『ボォォ』と火炎を小さく吹出した。
その血のような赤い炎を見た住民達は戦慄した。 ミイラ男が背負っている機械が火炎放射器である事に気づき腰を抜かした。
「こ、殺すつもりだ……」
隣の住民であった松原が呟いた。 彼には「青葉さんが誰かから恨まれているかも知れない」という心当たりがあったのだ。
だが、松原は包帯姿の男を止めようとする勇気が無かった。 周りの住民達もただミイラ男の所業を見つめるだけで誰も止めようとする者はいない。
耳を塞ぎたくなる怨念の声に立ち竦むしかなかったのだ。
『殺ス……殺シテ……。 私達ヲ解放スル為……早ク……コノ男ヲ。
――焼キ殺セ――!』
その時、外廊下にいる全ての住民は耳にしていた。 少女達の悲痛な怨念を。
――
「――ギャァァァァ――!!」
青葉の絶叫は町中に響き渡るかのような凄まじい断末魔――誰もが耳を塞ぎたくなる悲惨な叫びであった。
だが、住民達が体験した恐怖はこれで終わりでは無かった。
「――アァァ……アハハハ!
ハハァハハ……救世……ワタクシ……月の……」
その声は地から湧上がる悪魔の笑い声であった。 その身を炎に焼かれながらも高笑いを響かせる狂気の歓喜であった。
青葉は復讐の炎に包まれながら悦びに満ちていた。
(これで私は肉体から離れ“月の子”へ回帰し、真の“救世主”となるのです……)
……狂信者は死んでも狂信者であった。
炎の中で蠢く人影。 猛火の中から響く戦慄する笑い声に、その場にいた住民達は悪魔を見た。
警報器が鳴り響き、スプリンクラーから散布された水が頭上に降り注ぐ。 しかし、誰もその場から逃げようとする者はいなかった。
やがて火が収まり『プス、プス』と黒煙を立ち上らせながら、炭化した人間の遺体が現れた。 火炎放射器を背負っていたミイラ男は忽然と姿を消していた。
「あ、悪魔だ……」
全身を震わせる住民の一人が呟いた。
――全身包帯姿の“悪魔”が、青葉久寿夫を惨殺した――
住民達は青い顔をして互いに顔を見合わせた。
『見てはいけないものを見てしまった……』
彼等の記憶にはこの凄惨な光景が一生脳裏に焼き付いて離れないだろう。 不幸にも生涯消える事の無いトラウマとなってしまった。
包帯姿の男が『この世の者ではない』事は明白であった。 ミイラ男のような不気味な姿。突然現れて重傷の青葉へ無慈悲に火を放ち、また忽然と姿を消すという異常な男が人間であるはずも無い。
それにしても、何故青葉はそんなバケモノに殺害されたのか?
警察と消防が駆けつけた後、住民達は青葉が自宅で何をしていたのかを知り絶句した。 いつも笑顔を浮かべていた好青年であった青葉が凶悪な殺人鬼であった事実に。
この時、彼が何故バケモノに殺害されたのか理由が分かったような気がした。
『悪魔だったのはミイラ男では無かった。 殺された青葉久寿夫だったのだ』
住民達は皆一様に考えを改めた。
事件の後、住民達は青葉が住んでいた部屋の玄関に溢れんばかりの花束をお供えした。
もちろん、青葉久寿夫の冥福を祈る為では無い。
殺人鬼に殺害された少女達の冥福を祈る為であった。




