彼を知る重み
「あ、あの……。 希海さんは……?」
応接間のソファーに座っている結城大輔は、緊張した面持ちで向かいに座る伊奈に聞いた。 伊奈は微笑みを浮かべながら大輔の顔を見つめている。
「残念だけど希海はまだ学校よ♡」
愛しの希海は不在であった。
大輔は残念な気持ちと同時に、安心したように胸を撫で下ろした。 伊奈は大輔の“複雑な思い”に気が付かず、大輔に何故力を与えたのかという理由と、その力を使って何をするべきか説明をし出した。
「大輔、よく聞きなさい。 何故、アタシがアナタに力を与えたという事を。 そして、アタシがアナタに何を期待しているのかという事を知るのよ」
伊奈は向かいに座る大輔にそう言って目配せをすると、可愛らしい鼻声のまま話しを続けた。
「嫉妬、恨み、怒り……。 こうした感情は誰もが抱く”負の感情”。 誰もが一度は持つココロの隙間なの。
“混沌の女王”はそんなココロの隙間に入り込み、負の感情を悪意に変える。 悪意が“虚無”と交われば憎悪を孕み、”鬼”を生むわ。
鬼という存在はこの世に混沌をもたらす存在よ。 つまり、混沌の女王を復活させる忌まわしい存在。
だからアタシ達は鬼を消滅さなければならないの。 混沌の女王の復活を阻止する為にね。
その為にはまず憎悪を消し去り、人間が鬼となる事を阻止しなければならないわ。
とはいえ、憎悪を抱く原因である負の感情を人間から消し去る事は不可能よ。 誰しも些細な事で負の感情は湧上がるものだから。
だた、”虚無”――孤独と絶望――は抑え込む事が出来る。 希望さえ持てればね。
たとえその身に悪意を抱いても、希望さえあれば鬼となる事は無いのよ」
伊奈は大輔が鬼になる前に彼を救った。 力を与え、身を焦がす憎悪を消し去るべく彼に復讐を命じた。
大輔が復讐する相手――それは言わずもがな宗教法人『神光人』そのもの。 そして、目の前で父と少女を殺害した細身の男と角刈りの小男。
さらに、父と自分を裏切って病院に火を放った大輔の母『結城沖菜』であった。
「復讐はボクの手で必ずやり遂げます。 ボクはその為に伊奈様に生かされたのだから」
大輔は包帯の間から決意に満ちた瞳を伊奈に向けた。
伊奈は大輔の頼りがいのある声に目を細めて頷いた。
「アナタなら、きっとやり遂げる事が出来るわ。 それに安心しなさい。
アナタが復讐を遂げた後、アナタの心に忍び寄る虚無は希海が防いでくれるから」
「の、希海さんが――!?」
伊奈の言葉から不意に出た希海の名。 大輔は希海の名を聞いた途端、麗しい彼女の姿を想像し、包帯越しからも分かるほど赤面した。
「あら? 恥ずかしがる事はないのよ。 希海が帰って来れば、アナタを希海に紹介するつもりなんだから。
でも、その時にいきなり“愛の告白”なんかしちゃダメよ。 ああ見えてもあの子は恥ずかしがり屋さんだから」
伊奈は平然とした様子で大輔に目配せをする。 大輔は「そんな事出来る訳無いじゃないですか!」と狼狽した声を上げると、急に自信なさげに顔を俯かせ両手を組んでモジモジ身を捩った。
「どうしたの? 希海と会うのがイヤ?」
伊奈は赤い瞳を窄めて大輔に聞くと、大輔は「そんな事ないです!」と首を振って強く否定した。
「その……希海さんに、こんな姿を見せたくなくって……」
「……姿?」
伊奈は困惑した様子で大輔の顔を見た。 すると、顔に巻かれていた包帯がたゆんでいる事に気が付いた。
包帯の隙間からは見るに忍びない火傷の跡が覗いている。 伊奈はその無残な傷跡を見ると大輔の気持ちが分かったのか、笑顔を見せて席を立った。
「ふふっ、成る程ね。 でも、アナタは希海の事を何も分かっていないのね。 まあ、一度も会った事が無いからそれも仕方の無い事だけど――」
伊奈はそう言うと大輔の顔に巻かれている包帯を丁寧に巻き直した。
「あっ……」
身を屈ませて包帯を巻き直している伊奈。 ちょうど彼女の大きな胸が大輔の視線に飛び込むと、大輔は恥ずかしさのあまり顔を背けた。
「はい、終わった♪」
包帯を巻き直した伊奈は、赤面する大輔の頭を撫でながら言葉を継いだ。
「アナタの身体は“人間”では修復出来ない程の傷を負った。
残念だけど、今のアタシの力ではすぐにアナタを元通りの身体にする事が出来なかった。
完全に元通りになる為には二年……いや、三年くらいかかるかしら。
その間、アナタは希海と会わないつもり?」
大輔は伊奈の柔らかい手の感触を頭に受けながら『プル、プル』と首を横に振った。
「ふふっ♪ 本当は希海に会いたくて仕方が無い事は分かっているわ。 だけど、アナタが躊躇するキモチも良く分かる」
そう言うと伊奈は可愛らしくウィンクをし、大輔の唇に人差し指を当てた。
「分かったわ。 アナタの事はまだ希海にはヒミツにしてあげる♡ 榊原達にもそう伝えておくから安心しなさい。
ただ、もしアナタが希海に会いたくなったら、その時は遠慮無くアタシに言いなさいね。 それまでの間は細木と行動を共にするといいわ」
伊奈は無理に大輔を希海に会わせようとはしなかった。 目を覆いたくなる痛ましい火傷の跡を“好きな子”に見せたくないという大輔の気持ちを慮った。
だが、一方では自分の容姿に萎縮する大輔に対し、一つ大切な事を教えた。
「いい? 何事も相手を良く知ることが大事なの。
アナタはまだ希海の事を知らないから『自分の容姿を希海が嫌うのではないか?』と勝手に判断して怖がっている。 希海が異性に対して何を期待しているのかも分からずに。
だから、アナタはしばらく希海の事を良く見ることよ。 そうすれば、希海が異性に求める要素が容姿では無いという事が分かるから」
大輔は伊奈の教えに力強く頷いた。 伊奈は大輔が自分の言いたいことを理解してくれたのだと思い、満足そうに目を細めた。
ところが、大輔は誤解をしていた。
『――希海の事を良く見ることよ――』
その伊奈の言葉を大輔は過剰に受け止め、あろうことか希海の行動を逐一監視するようになったのだ……。
伊奈は大輔の行動に困惑したが、自分が助言した言葉が原因であったので大輔を咎める事はしなかった。
その代わり細木に「大輔が希海に対して目に余る行動をするようならお前が叱りなさい」と大輔の監督を任せたのであった。




