ぬくもり
「お別れはちゃんと言えた?」
小日向陽夏の住むマンションの屋上で朝日を見つめる一人の女性。 先端が燃えるように赤い黒髪が暁光に煌めく姿が美しい。
彼女の背後には、全身を包帯で巻かれた痛々しい姿をした大輔が畏まっていた。
「はい、伊奈様……」
顔に巻かれた包帯の隙間から緊張気味な瞳を向けている大輔。
伊奈は大輔の透き通った声を聞いて安心したように「それは良かったわ」と鼻声で答えると、後ろを振り向いた。
「あと数日で小日向陽夏からアナタの存在は消えてしまう。 今の内にお別れを伝える事が出来てなによりだわ。
もちろん、小日向陽夏だけじゃない。 アナタの存在は世界中の人間から消えてしまうわ。
アナタの母親からも……ね」
伊奈は呪術を用い、大輔の存在をこの世界から消そうとしていた。
先日、中学生の結城大輔はテロの犠牲となって死んだ。
伊奈が用意した大輔にそっくりな人形が、陽夏達が見守る中でモクモクと煙を上げて灰となった。 したがって、もう大輔はこの世に存在していない。
しかし、大輔が生きていた証は人々の記憶に焼き付いていた。
『甲斐甲斐しく父の介護をしていた健気な少年が、酷たらしいテロの犠牲となった』
その事実に人々は涙し、悲しい少年の存在を胸に刻み込んだ。
伊奈はそんな人々の記憶に強く残っていた結城大輔の存在を全て消去しようとしていたのである。
伊奈の呪術が発動すれば、世界中の人間から結城大輔に関する記憶が失われる。 小日向陽夏、病院の職員達、そして大輔の母親『結城沖菜』からも……。
伊奈は母からも忘れ去られてしまう大輔を気遣い、悲しげな表情を浮かべていた。
ところが、大輔は伊奈の表情から彼女が自分に対してどんな答えを期待しているのか分かっていた。
「いえ、母さんの記憶はそのまま残っているはずです」
「――? どういう意味?」
大輔はあえて伊奈の期待通りに答えなかった。 予想に反する大輔の言葉に伊奈は首を傾げた。
大輔は伊奈の問いに顔を上げた。 そして、栗色の瞳に真っ黒い炎を燻らせると、伊奈に向かってこう吐き捨てた。
「ボクが愛する母さんは、父さんが病気になった瞬間に死にました。
病院に火を放ち、ボクの父さんだけでなく多くの人達を殺した神光人……。
ソイツはたまたま母さんに似ているだけの悪魔だった。
……決して……ボクの母さんではありません」
大輔の目から涙がこぼれ落ちた。 その涙は母を失った悲しみの涙ではない。
『――あの“鬼”をこの手で殺す――』
それは狂信者となった母を自分の手で殺し、復讐を果たさんとする残酷な覚悟であった。
拳を握りしめ全身を震わせる大輔。 その震えは父を殺された怒り。 そして、母をこの手で殺さなければならない悲愴な決意。
瞳から流れる涙で身体を隠す包帯が濡れている。 包帯の上から透けて見える痛ましい火傷の跡が大輔に訴えた。
『この痛み、この苦しみに復讐をしろ!』
火傷の跡から滲み出る憎しみの炎が復讐を渇望する。 その声は悪魔の声……いや、復讐の為に生きる“修羅”の叫びであった。
「大輔……」
伊奈はそう呟くと、痛ましい姿の大輔に手を差し伸べた。 大輔は震えたまま顔を下に向けたままだ。
すると、伊奈は膝を折り大輔に目線を合わせた。 彼女の白く美しい腕が大輔を優しく包み込む。
「……あ」
柔らかい温もりが大輔の身体を包むと、全身から放たれた黒い炎がたちまち消え去った。
「――ウ、ウワァァン――!」
大輔はその温もりに身を委ね、伊奈のふくよかな胸に顔を埋め噎び泣いた。
――
「ここがアナタの新しいお家よ♪」
伊奈はそう言って扉の前で目を細めると、大輔を屋敷の中へ案内した。 大輔は廃墟と化した不気味な佇まいの洋館に息を飲み、恐る恐る伊奈の背中へ付いて行く。
(うえぇ……)
伊奈に手を引かれ、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く大輔。 両壁に沿って等間隔に配置されている薄気味悪い西洋風の騎士の銅像に思わず身を竦ませ、伊奈の柔らかい手を握りしめた。
「ふふっ♪ 初めは慣れないかも知れないけど、徐々に慣れていくわ。
希海だって初めはアナタと同じ様子だったの。 まあ、あの時はあの時で、初々しくて可愛かったけどね♡」
あの愛しい篠木希海が伊奈と一緒にこの不気味な屋敷に住んでいる。 その事実が大輔には不思議でならなかった。
(本当に希海さんは毎日こんな所から学校へ通っているの?)
訝しげに伊奈の横顔を見る大輔を尻目に、伊奈はニコニコしながら大輔の手を優しく握り返していた。
ところが、廊下を抜けると大輔の表情は一変した。
「うわぁ、凄い!」
大輔は包帯の隙間から覗く瞳を輝かせ、驚きの声を上げた。
長い廊下を抜けた先には荘厳な空間が広がっていた。
吹き抜けの空間から射し込む穏やかな日の光。 真っ白い大理石の床を反射して輝き放つ様子はまるで天上の雲の上にいるかのようである。
奥には二階へ上がる階段が見える。 美しい赤い絨毯が敷かれた階段の踊り場には大きな絵画が飾られていた。
大輔は美しい屋敷の内部に圧倒されて『キョロ、キョロ』と周囲を見回している。 すると、メイド服を着たロボットが階段の下から『ピコ、ピコ』と音を立ててこちらへ近づいて来た。
「オ嬢サマ、オ帰リナサイマシ」
伊奈を出迎えるツルツル頭のロボットは病院で見たロボットにそっくりだった。
「あれ? このロボット、病院にもいたような?」
伊奈の隣で目を丸くする大輔に、伊奈は「クスッ」と愛らしい顔を大輔に向けた。
「アナタのお父さんが入院していた『兵藤記念病院』。 あの病院はアタシが出資していたの。 “この子達”を貸したのもアタシよ」
「ええっ! 伊奈様が――!?」
大輔は伊奈の話しを聞いて仰天した。 まさか、伊奈が病院にロボットを寄贈し、運営費まで提供していたとは!
「……だから、今回の事件はアナタだけでなく、アタシにとっても憎らしい。
アタシを怒らせた罪は彼等の魂をもって償ってもらうわ」
伊奈が漏らした言葉で大輔はギョッとした。
伊奈の横顔は美しかった。 だが、その身体は大輔の身を竦ませる恐ろしい殺気を放っていた。
「さぁ、応接室へ行きましょう」
伊奈は一転して大輔に麗しい微笑みを贈った。 先ほどの慄然たる殺気はあっという間に消え去った。
大輔は全身に冷や汗を掻きながら「は、はいっ!」と慌てて伊奈に返事をし、彼女が差し出した手を握った。
ご覧頂きありがとうございました。 「面白い」と思った方は評価していただけると嬉しいです。
さて、今回から一話のボリュームを少なくしています。
そもそも、二千~三千字で一話を纏めようと考えていたのですが、大体二十話程度で完結させようとすると四千字を超えてしまう事が多くなってしまいました。
他の先生の小説を拝見すると、大体二千字程度で纏めている事から「ちょっと長いかな」という事で、二千~三千字程度で収めるよう修正しました。
したがって、一話ごとのボリュームが短くなるので、本章は三十~三十五話程度で完結する予定となります。
引き続き応援よろしくお願いします。




