白き暁光と黒き宵闇
陽夏を助けた男の名は『細木一翔』と言った。 彼はあの『森中伊奈』のマネージャーとの事であり、病院を慰問に訪れる予定であった伊奈に先んじて医院長に挨拶しようと来院していたとの事であった。
火災が発生した時、たまたま医院長は重症患者が収容されている別館にいた。 細木も医院長と一緒に別館にいた為、この惨劇を免れたそうだ。
「兵藤院長は無事だ。 君は別館でしばらく待機していろ!」
細木は抱きかかえていた陽夏を降ろすと、陽夏にそう指示した。
ところが、陽夏は細木の言葉に首を振った。
「イヤです! 私は患者さんを助けなきゃならないの!」
陽夏はそう言うと、激しく燃えさかる病院へ足を向ける。 すると、細木は陽夏の腕を掴み、再び陽夏を抱き寄せた。
「ダメだ! さっきも言っただろう! まだ、屋上で何者かが地上を狙って狙撃している。
君は――」
細木の言葉を待たずに、陽夏は激しく抵抗した。
「――放して! 大輔君が――大輔君を助けないと!」
激しく頭を振る陽夏の瞳から涙が飛び散り、細木の顔を濡らす。 陽夏の傍に寄り添うロボットは混乱したようにその場をクルクル回っている。
「ふぅ……しょうがねぇな。 それじゃ、五分だけ待ってくれ。
俺が病院へ行って屋上のヤツ等を片付ける。 その間、出来るだけ中にいる人も助けるつもりだ。 だがもし、助けられなかった人達がいても俺を恨まんでくれ」
細木は陽夏から手を離し、不可解な言葉を口走った。
「な……何言っているんですか?」
陽夏は細木の発言に目を丸くした。 すると、細木はロボットに視線を移し、さらに陽夏を驚かせる一言を放った。
「おい、ヨシオ! お前がしばらくこの娘を護れ!」
(えっ!? 何でこの人、ヨシオの事を……?)
困惑する陽夏を尻目にロボットは「承知シマシタ、ケンゾク様」と畏まった様子で細木に頭を下げた。
「ヨ、ヨシオ……君、何を言って……」
陽夏はロボットの様子に動揺し、細木から目を離す――その瞬間、陽夏の横顔に風が吹きつけた。
「あっ、あれ!?」
陽夏が慌てて視線を戻すと、そこにはもう細木の姿は無かった。
――
細木は約束通り、五分後に戻って来た。
彼はその間に数十人の患者と職員を猛火の中から助け出したそうだ。 にもかかわらず、彼の身体は傷一つ付いておらず、火傷の跡も見当たらない。
「服はもちろん脱いだ。 あんな猛火の中じゃ燃えるのは当たり前だからな」
平然と陽夏に言い放った細木。 細木は唖然とする陽夏に向って目配せをすると、ようやく火の勢いが弱まりつつある病院に視線を移した。
「君は隣町の病院へ行くと良い。 緊急でここの怪我人を受け入れる事になったそうだ」
細木の言葉に陽夏は我に返った。 そして、大輔の顔を思い出すと、矢庭に細木に抱きついた。
「――ま、待って! 大輔君、大輔君を助けないと――!」
「大輔……?」
細木は大輔とは会ったことが無かった。 だが、何となく大輔という者が屋上で伊奈に抱かれていた黒焦げになった少年の事だと感じた。
「その大輔君は無事だ。 さっき、隣町の病院へ移送されたところを見た」
細木は陽夏にウソを言った。 もし、屋上で見た黒焦げの少年が大輔だったとしても、彼は現在伊奈の胸に抱かれているはずだ。
「えっ、本当に――!?」
陽夏はそんな事など露知らず、細木の言葉に希望を持った。
「ああ、だから君もヨシオと一緒に早く隣町の病院へ急ぐと良い。
心配はいらない。 俺はここに残って怪我人の救助を続けるから」
陽夏は何から何まで面倒を見てくれる細木に感謝した。 すると、細木は「礼には及ばない」と陽夏の言葉を遮って彼女に詫びを言った。
「看護婦さん、緊急とは言え数々の不遜な言葉遣い、申し訳ありませんでした。
貴方が探していた大輔君は、きっと元気になりますよ。
貴方の人を救おうとする思いが必ず“その子”にも伝わるはずだから」
先ほどまでの粗野な言葉遣いとは打って変わって、柔らかい口調で陽夏を励ます細木。 呆気に取られる陽夏に頭を下げると、再び目の前から姿を消した。
(……もし、こんな酷い事が起こらずに私が細木さんと出会っていたら……)
陽夏はそんな思いを抱きながら細木と別れ、ロボットと共に隣町の病院へと向った。
――
陽夏はあの忌まわしい一日の事を思い出した後、大輔との別れの瞬間に記憶を戻した。
自分を助けてくれた細木に感謝の思いを抱きながらも、至らなかった自分に後悔し、怒りに顔を歪ませた。
それは結城沖菜に対する怒りでもあったが、自分に対する怒りでもあった。
「もし、私があの看護婦をアイツだとすぐ気が付いていたら…」
たとえ陽夏がその看護婦を『沖菜が変装した姿である』と気付いたとしても、彼女だけではどうにもならなかっただろう。 気が付いたとしても若い男に殺されていたかもしれない。
だが、陽夏は後悔していた。 出来るなら、あの時に戻って命懸けで放火を阻止したいと願った。
「後悔してもしきれない……」
ここ数日、食事も喉に通らなかった。 不摂生が祟ってふっくらしていた頬も、いまやゲッソリ痩けてしまっていた。
警察の話しでは実行犯の沖菜ともう一人の若い男は“神光人”によって匿われているようで、行方不明になっていると言う。 類を見ない凄惨な虐殺を行なっておきながら、未だにノウノウと生活しているのだ。
「……殺してやる……」
大輔や仲間達を失った喪失感が、陽夏の心を孤独と絶望へと誘おうとする。 瞳が灰色に濁り、憎しみの炎が身体から湧上がるのを感じた。
だが、この憎しみを沖菜にぶつける事が出来ない。 彼女は全国にある何処かの教団施設に隠れてしまっているのだから。
湧上がる憎しみを抑えながら、陽夏は再び眠りについた。
――
――陽夏はその夜、幻覚を見た――
満足に食事を取ることも出来ず、寝不足であった陽夏。 そんな限界の身体が影響したのであろうか、彼女は仏壇の前に包帯姿の少年が佇んでいる姿をベッドから見つめていた。
「大輔君……」
陽夏は不思議と驚かなかった。 もう、大輔の身体は荼毘に付され、彼の魂は天へ昇って行ったと知っていたから。 月明かりに薄ら見える大輔の姿が“幻”である事が分かっていたから、彼女は穏やかに大輔の姿を見つめる事が出来たのである。
「……お姉さん。 ボク、お姉さんにお別れを言いに来たんだ」
月光に浮かぶ包帯姿の少年から声が漏れた。 その声は在りし日の大輔の声。 残酷な火炎で喉が焼かれる前の美しい少年の声であった。
「大輔君、有り難う……。 私、君に何もしてあげる事が出来なかったのに……」
陽夏は仏壇に向って呟いた。 薄明かりに浮かぶ仏壇の前に立つ人影は涙で滲んで誰かも分からない。
しかし、少年の声が「確かに大輔君がそこにいる」と陽夏に思わせた。 その思いが、彼女の瞳に学生服姿の大輔が佇んでいる姿を映し出していた。
「いや、お姉さんはボクの父さんを懸命に介護してくれました。 ボクはお姉さんがこのまま看護婦さんを辞めてしまう事が悔しくてたまりません。
もっと、多くの患者さんを貴方が救ってくれると思っているから」
陽夏はその優しい言葉に嗚咽を漏らした。 「うっ、うぅ……」と言葉につまり、枕に顔を伏せて噎び泣いた。
「うわぁぁ――! 私はもう……誰も救えない!
だって……だって、私はアイツらが憎い!
アイツらを殺してやりたい!
そんな醜い心でどうやって患者さんを助けようと……」
すると、うつ伏せになって枕を抱いた陽夏の背中に優しい手の温もりが伝わってきた。
「――!?」
陽夏はその温もりに一瞬驚くが、背中を撫でられる心地よさに身を委ねた。
「お姉さんは誰も恨んじゃダメです。 憎しみを持ってはいけません。
それはボクがやるべきこと……」
「えっ――!?」
陽夏は大輔の言葉に思わず顔を上げた。
ところが、すでに背中を撫でていた気配はそこになかった。
陽夏は再び仏壇の方へ顔を向けた。 先ほどと変わらず月の明かりに照らされた仏壇の前に人影がユラユラと揺れていた。
「……大輔君……君、まさか……」
人影に向って瞠若する陽夏。 大輔はあの忌まわしい事実を知っていたのかと思い、心が締め付けられた。
――大輔の母『結城沖菜』があの惨劇を引き起こしたのだという忌まわしい事実を――
「大輔君……まさか、君はお母さんの事を……」
陽夏は大輔の影に懸念の声を投げかけた。 その声に影はユラユラと揺れながら言葉を返す。
「……お姉さん、どうか誰も憎まないで。 このまま消えていくボクの為にも。
貴方は亡くなった人の数より、もっと多くの人を助ける事が出来るんだ。
父さんの為に、亡くなった人の為にどうか貴方の力を多くの患者さん達に貸して欲しい」
大輔の幻影は陽夏の疑問に答えなかった。
(少し、安心した……)
陽夏は大輔が母の所業を知らずに死んでいったのだと確信した。 だが、考えてみれば大輔が母の真実を知ろうが知るまいが、もはやどうでも良い事だ。
そこにいる大輔は自分が創り出した幻影であるから。
『今、佇んでいる影は大輔の幻。 自分の後悔の念が生み出した、儚い夢の欠片に過ぎない』
ところが、その幻影から放たれる言葉はまるで生きているかのように温かい。 紡ぎ出される穏やかな声は陽夏の心を優しく包み、醜い憎悪の炎を消し去ってくれる。
「……うん。 亡くなった患者の為にも、君の為にも……もう一度頑張ってみるよ」
陽夏は感謝した。 そして、死して尚自分を思いやってくれる大輔に弟の姿を見た。
『弟も両親もきっと大輔と同じように思っているに違いない』
そう思うと、自分の心に光が差した。
「……大輔君……?」
いつの間にか仏壇を照らしていた月光は、白銀の暁光へ変わっていた。
「ありがとう……。 私、頑張れる気がするよ。
この心に残る恨み、憎しみ……。
すぐに消す事は出来ないけど、もっと患者さんを助けてあげる事が出来ればいずれ消えるかもしれない」
ベッドから立ち、仏壇を見つめる陽夏。 少年の幻影はもう居ない。 だが、影が佇んでいた場所には、確かに少年がそこに居た温もりを感じられた。




