命の抵抗
背後から大輔の父『光』に首を締め上げられ暴れ狂う男。 光の腕をとって投げ飛ばそうと腰を跳ね上げるが、光は床に根を張るように微動だにしない。 信じられない力で男の首を両腕で締め上げている。
「ガァァ――!!」
光の凄まじい力に泡を吹いて苦しんだ。 持っていた拳銃を床に落とし、床に転がりながら必死に光から逃れようと藻掻いている。
「大輔、逃げるんだ! お父さんの事は構うな!」
先ほどまで窓から呆然と空を眺めていた老人はそこにはなかった。
はっきりと大輔の名を叫ぶその姿は、大輔が愛した強く優しい父の姿であった。
「で、でも――!」
大輔は言葉に窮したその時だった。 大輔に脇腹を蹴られ呻いていた小男が、懐から拳銃を抜いた!
「あっ――!?」
大輔は父の姿に目を見張っていた為、小男の動きに気付くのが遅れた。
慌てて小男の方へ顔を向け身を翻して距離を取ろうとしたが、床で眠る少女の血溜まりで足を滑らした。
『パン、パン――!!』
再び乾いた銃声が響き渡ると、大輔の絶叫が病室を穿った。
「ギャァァァ!!」
大輔の脇腹を凶弾が貫通すると、燃えるような痛みが大輔の全身を駆け巡る。 血溜まりに転がって痛みに悶えている大輔。
小男は苦痛に喘ぐ大輔を憤怒の形相で睨み付ける。 そして、背に抱いたボンベに繋がったノズルを拾い上げると、大輔に向ってノズルを向けた。
「このクソガキが! 黒焦げにしてやる!」
大輔はノズルから湧き出た恐ろしい火炎に息を飲んだ。
ガスバーナーのような黄色い火炎が『ゴォォ!』と雄叫びを上げると、大輔は痛みも忘れて恐怖で後ずさりした。
「――あれは“火炎放射器”!?」
息子に向けられた忌まわしい武器に父は目を疑った。
細身の男を抑え込んでいた父は慌てて男の拘束を解き、息子を護ろうと駆け出した。
「キィィィ――!! 早く、ガキを焼き殺すんです!」
まるで小動物のように喚く細身の男に応えるように、小男が向けたノズルから火炎が吹き上がる――大輔は恐るべき炎から逃れようと身を捩るが、銃で撃たれた激しい痛みで身体が言う事を利かない!
「父さん、助けて――!!」
『――父を助けたい――』
大輔はそう願っていたはずだった。 だが、自分の身に危険が迫った時、大輔は咄嗟に父へ助けを求めた。
子が親に助けを求める事は当然である。 親に助けを求める事は恥ずかしい事ではない。
親は子の助けを呼ぶ声に魂を燃やし、死を恐れずに子を助けようとするのである。
「――ウァァァ――!!」
恐ろしい火炎が身に迫り、思わず悲鳴を上げた大輔。 だがその瞬間、彼は目の前に立ちはだかる影を見た。
「…………と、父さん……?」
大輔の目の前に炎に包まれた父の背中が見える。
「あっ……と、父さん……? 何で……?」
言葉を失った大輔の胸を父の願いが揺さぶった。
「……だ、大輔……頼む……
……お父さんの為に、逃げてくれ」
人の身体が焦げた忌まわしい匂いが鼻をつく。 黒煙を出して燃えさかる炎は、父の姿を焼け爛れた肉塊へと変えて行く。
「大輔……。
……君の幸せこそ……お父さんの幸せなんだ……」
爛れた皮膚に赤い肉を露出させた痛ましい背中。
真っ黒になった両手足。
目を覆いたくなる程の酷たらしい父の姿。
だが、呆然と父を見つめる大輔には、在りし日の優しく微笑む父の姿しか見えなかった。
――
「――ウワァァァァ――!!」
大輔は病院中にこだまする程の絶叫を上げた。
大輔は父の愛を知った。 自分が父を愛するよりも遙かに大きく、逞しい愛を。
『お父さんの為に……逃げてくれ』
大輔は全力で逃げた。
父の愛に応える為――父の最後の願いを叶える為に、大輔は屋上まで走った。
「ゲホッ、ゴホッ――! は、早くガキを追うんです!」
細身の男は首を押さえながら苦しそうに叫んだ。 父の凄まじい力で首を締め付けられていた男は身体に相当なダメージを負っているようだ。
火炎放射器を持った小男も細身の男に返事をする余裕など無かった。 大輔によって“あばら”を折られた小男は、腰を屈めながらヨロヨロと大輔を追いかけた。
しかし、二人の男より大輔の方が重傷であった。
足を引きずり、脇腹から流れ出る鮮血を左手で押さえながら何とか防火扉に辿り着いた大輔。 先ほどまで片手で押し開けていたはずの防火扉がなかなか開ける事が出来ない。
「クッ、クソ!」
左手で抑えている脇腹から手を放すと、恐らく大量の血が流れ出るだろう。 しかし、肩が外れ、折れた右腕では扉は開かない。
すると、背後から忌まわしい炎の吹出す音が聞こえ、薄暗い廊下に赤い光が灯った。
「ハハハ! 死ね、死ね! 死ねぇ――!!」
病室から出て来た小男は大輔に向って高笑いを上げると、狂ったように火炎放射器を乱射した。
「――馬鹿! そんな所から火が届く訳無いでしょう! 横着しないで追うんですよ!」
頭の悪い小男が届かない火炎放射器を乱射していると、病室の中から甲高い怒鳴り声が聞こえた。 防火服に身を包んだ狂った野犬はもうすでに大輔が逃げられないとでも思っていたのか、天井、床、壁を燃やしながらゆっくりと近づいて来る。
大輔は小男の様子など確認する余裕はなかった。 思い切って脇腹を押さえていた手を放すと、両手で防火扉を押し始めた。
「ウゥゥ!!」
せき止められていた水が一気に流れ出るように、脇腹から鮮血が迸る。 一瞬、意識が遠のいた大輔であったが、父の言葉を思い出して奮い立つ。
『――大輔、頑張れ――!』
「ウォォォ!」
幻影の父に力を借りた大輔は、唸り声を上げながら渾身の力で防火扉を押し開けた。
「ガァァァ――!!」
口から血を吐きながら非常階段へ転がり込む大輔。
『――ガチャ――』
すると、防火扉から何かが閉まる音がした……。
大輔は音に気が付かず、階段を這いつくばりながら屋上へ目指した。
(お、屋上へ行っても助かる可能性なんて……。 でも、もう屋上へ行くしか……)
間もなく防火扉を開けて男達が追いかけて来るに違いない。 ヤツ等が追って来たら、もう大輔には逃げ切れるだけの体力は無かった。
先を急ごうとする大輔だったが、サイレンの大音量が『グワン、グワン』と身体を揺らし足元が覚束ない。
「ウウッ……ゴホッ!」
口から血を吐く度に目の前の階段がグルグルと回る。 階段を登っているつもりが、まるで降りているかのような感覚に大輔は戸惑った。
大輔は大量出血のせいで気を失いかけていた。
それでも父の言葉を思い出し、父の願いに応える為に歯を食いしばった。
屋上へ上がる途中、壊れたロボットや焼け爛れた患者、銃で撃ち殺された職員の遺体が転がっていた。
もはや犠牲者達の冥福を祈る余裕すらない大輔。 彼等の屍を踏み越えながら、血塗れになりながらもようやく屋上へ出る階段の踊り場まで辿り着いた。
屋上への扉は開け放たれ、外から漏れる光を照らしていた。
「ハァ、ハァ……」
満身創痍の大輔には、その光が希望の光に見えた。
「――!?
……や、やっぱり……もう……」
しかし、大輔はその光から後ずさりした。
薄暗い階段の踊り場を照らす光は、悪魔が照らす絶望の光であったのだ。
開け放たれた扉の奥――屋上の入口の前には怪しい三角頭巾を被った三人の男が、火炎放射器のノズルを両手に抱え立ちはだかっていた。
――
「――ええい! 何で防火扉に鍵が掛ってるんです! このクソ病院は頭おかしいんじゃないですか!?」
六階の廊下では、防火扉を必死に開けようとしている小男と細身の男がいた。
鍵をかけるべきでない防火扉に何故鍵がかかるのか? もしかしたら“火炎放射器”などという予期しない武器で天井の火災報知器を破壊したせいで、火災報知器と連動している防火扉が誤作動を起こしたのかもしれない。
それとも、大輔の父が息子を逃すために防火扉に鍵をかけたのかも知れない。 いずれにせよ、二人の男は防火扉に阻まれて大輔を追うことが出来なくなった。
しかし、父の願いも空しく、もはや大輔はこれ以上逃げ切れる事は出来なかった。
屋上にいた三角頭巾の男達は、声がした六階の様子を見に行った細身の男と小男が戻って来るのを待っていた。 他の仲間達は病院内にいる『不要な人間達を処分した』と鼻を高くし、意気揚々とヘリに乗って帰って行った。
すでに地上では警察や消防が大挙して病院の周りを取り囲んでいた。 屋上で待機していた男達は六階にいる仲間が早く戻って来るのを今か今かと待っていたのである。
「――何だ!? まだ、生きてるヤツがいるぞ!」
そんな中、全身血まみれになった痛ましい姿をした大輔が姿を現し、三角頭巾の男達を驚愕させた。
「ははっ、どうせ逃げ遅れた“社会のゴミ”だろう!」
三角頭巾の男達は顔を見合わせて高笑いをすると、大輔に向って火炎放射器を向けた。
「障害者なんて生きてる価値ねぇんだよ! 死ねっ――!」
無慈悲な炎が火炎放射器のノズルから一斉に発射される。
『――ゴォォォォ――!』
その轟音はまるで悪魔の咆吼であった。 命を捨てて息子を護ろうとした父の思いも、生きようとする息子の思いも全て焼き尽くす地獄の烈火であった。
「……暗い……」
屋上の向こうに見える空はまだ夕方にもなっていないにもかかわらず、まるで夜の帳が落ちて来たかのように薄暗い。
肺が焼けるように熱くなったかと思うと、激しい耳鳴りが頭の中に響き、目の前が真っ暗になった。
炎に包まれた大輔は力なく膝を折り、うつ伏せに倒れた。
(と、父さん……。 ボクは……)
身体中が凍えるように寒い。
男達の笑い声が背中から微かに聞こえて来る。
『大輔……』
父の声が囁きかける。 身を焦がす炎は何故か熱く感じない。
『大輔…………生きてくれ………』
(ボ……ボクは……)
(……生きたい……)
(父さんの為に……)
(……いや……)
――コイツ等に復讐する為に――!
目の前はもう何も見えなかった。 身体に痛みは感じ無い。 炎に包まれているはずの身体は凍えるように寒く『――キィィィン――』という金属音が耳元で鳴り続けているだけであった。
「――ギャァァァ――!!」
遠くから誰かの叫び声が聞こえて来る……。
すると、真っ暗な世界に灰色の人影が見えた。
「生きなさい、坊や」
暗闇の中で聞こえる小さな声。 その声は女性の声であった。
遠くから聞こえて来た声は次第に大きくなった。 そして、はっきりと耳元で聞こえてきた瞬間、大輔の意識は完全に途絶えた。
「――お前の手で復讐を遂げる為――」




