お節介な願い
「そんなに落ち込まなくても、明日は間違いなく来るから元気出しなさい」
病院の廊下で項垂れる大輔を看護婦が慰めている。
今日は伊奈が病院へ来る予定であった。 ところが『急な仕事が出来た』との事で来院は明日に延期された。
伊奈が来られなくなった事を知った大輔は看護婦の前で落胆した。 看護婦は大輔が『アイドルを一目見たかったと期待していた』のだと勘違いして大輔は慰めていたのであった。
「伊奈さんの養子の女の子も来るんですか?」
そんな事看護婦に分かるはずもないのだが、大輔は思わず看護婦にそう聞いた。 案の定、看護婦は答える事が出来ずに「さぁ……。 そもそも伊奈ちゃんに養子なんていたかしら?」と首を傾げた。
大輔が会いたがっていた伊奈の養子はあれだけテレビで騒がれたにもかかわらず、誰もその存在を覚えている者がいなかった。
初めは大輔も不思議だと思っていたが、以外と都合良く物事を考える性格の大輔は「皆が『希海さん』の事を忘れてしまった方が、ボクにチャンスがある」と前向きに考えた。
……そう、大輔は少女に会うことが出来れば、いきなり“告白”しようと考えていたのであった。
別に自分の顔に自信がある訳でもなければ、成功する手段がある訳でも無い。 だが、テレビで少女を見たその日から、少女の笑顔が頭から離れず胸が切なくなる思いを解き放ちたくて仕方が無かったのである。
ソワソワして落ち着かない様子の大輔を見ていた看護婦は「クスッ♡」と笑い、大輔の頭を『ポフッ』と叩いた。
「君はアイドルの事なんて心配しないで、お父さんの心配をしなさい。 今日は大分落ち着いているみたいだけど、何かあったらお姉さんを呼ぶのよ。 わかった?」
看護婦はそう言って目配せをすると、後ろを振り向いた。 彼女は病院内を忙しく動き回っている“人型ロボット”に『受付ヲ手伝ッテクダサイ』と言われ、人手不足であった一階の受付に行く途中であったのだ。
「――!?」 (な、何だ……? この空気……)
ところが看護婦が後ろを振り向いた瞬間、大輔は得体の知れない不安に襲われた。
看護婦が奥の階段へ向って歩き出すと、大輔は彼女を呼び止めた。
「――お姉さん――!」
大輔は何故か彼女と二度と会えないかもしれないという恐怖に襲われた。
大輔が慌てて看護婦を呼び止めると、看護婦は大輔の大声で思わず「キャッ!」と飛び上がった。
「もう、何よ! 驚かせないで頂戴!」
ふくれっ面で後ろを振り向いた看護婦は大輔を叱りつける。
ポニーテールを靡かせながら少しふっくらした顔にプックリ頬を膨らませた愛らしい彼女の姿は、怒っているにも拘わらず大輔を安心させた。
「あ……いえ、すいません。
……く、くれぐれも気を付けて」
大輔は驚かせてしまった事を謝ったが、それでも一抹の不安は払拭できず彼女に注意を促した。
一階の受付に行くのに何故気を付けなければならないのか? 看護婦は首を傾げながらも大輔が『自分と別れるのが寂しいのだろう』と母性本能を働かせて、再び顔をほころばせ「アリガト♡」と返事をした。
「心配しなくても、何かあったらすぐ飛んでくるから。 君は早くお父さんの所へ行ってあげなさい♪」
不安そうな大輔をよそに看護婦は前を向いて歩き出し、奥の階段へと姿を消した。 大輔は看護婦の姿が見えなくなると、後ろ髪を引かれる思いで父の病室へ向って行った。
――
大輔が父の病室へ入ると、父はベッドの上で半身を起こして鉄柵の付いた窓から青空を眺めていた。
「父さん、起きてたんだね!」
大輔は父の傍へ駆け寄ると、優しく父の背中を摩った。 昨日から落ち着きを取り戻した父は拘束具を外されていたが、ベッドから身動き一つせずにずっと窓を見続けていたようだ。
「今日は天気が良いから外へ出て散歩しようか?」
大輔は笑みを浮かべて父にベッドから降りるように促した。 すると、いつもなら大輔の声に反応しない父が彼の提案に首を振った。
「えっ!? と、父さん! 散歩したくないの!?」
大輔は父の反応に胸を躍らせた。 自分の提案を拒絶されたにしても、いままで全く自分の声に反応しなかった父が返事をした事に対して喜んだ。
「……火……」
窓越しの空を見つめながら父が呟いた。 日はまだ西へ傾いておらず、窓から射し込む日差しはさほど眩しく無い。 雲が流れる青空の向こうから『パラ、パラ』と音を立ててヘリコプターが近づいて来ている。
二日前も父は同じ言葉を呟いていた……。 大輔は『日の光が眩しい』と訴えたかったのだと勘違いしていたのだが、どうやら違うらしい。
「日……? 太陽が眩しい訳じゃ無いの?」
大輔が問うと父は『コクリ』と頷いた。 そして、横を向いて大輔の顔を『ジッ』と見つめると、大輔の腕を掴んだ。
「父さん? どうしたの? ここに居て欲しいの?」
父の様子を見て、大輔は父がしばらく傍にいて欲しいのだと思った。
ところが、父は首を横に振った。 それでもなお大輔の腕を掴んでいる父……。
(……何だろう?)
大輔は父の仕草に困惑しつつも傍にある丸椅子に座って、父に語りかけた。
――
「父さんはボクにあまり『こうしろ、ああしろ』とは言わなかったね。 何か、ボクに対して期待している事はあったと思うんだけど、何も言われた事がなかった。
でも、ただ一つ、父さんは覚えていないかもしれないけど『中学生になったら彼女を作れ』って、余計なお世話を言っていたね」
和やかに父に語りかける大輔。
しかし、父は虚空を見つめているだけで反応は無い。 大輔はそれでも父に話し続けた。
「……父さんには黙っていたけど、ボクは好きな人が出来たんだ。 まだ、会った事も無い子だけど、ボクはその子の事を一目見て好きになった。
父さんが前にテレビを見ていた時にテレビに出ていた子――『篠木希海』さん。
父さんがボクにテレビを見せてくれなければ、ボクは彼女の存在を知らなかった。 父さんには感謝しなきゃいけないね」
大輔はそう言うと椅子から立ち上がり、ベッドの上で身を起こす父をそっと抱きしめた。
「父さん、ボクは父さんの言う通り、いつか希海さんと会ってこの思いを伝えたいんだ。 そして、お父さんの願いを叶えたい。
父さんの言う“鬼”から母さんを救い出して、また家族三人で楽しく暮らしたい。
ボクは父さんの願いを何でも叶えてあげたい」
大輔の頬に涙が零れ落ちた。 すると、父は大輔の背中に両手を回し、大輔をしっかりと抱きしめた。
「と、父さん!」
大輔が父の反応に驚くと、父は大輔に不可解な事を言った。
「大輔……逃げろ……」
「……えっ?」
父がそう呟いた瞬間、廊下からけたたましい警報音が聞こえてきた。
――
「――火事だ――!」
矢庭に誰かが叫ぶ声が聞こえて来た。 同時に病院内に火災の発生を知らせる放送がこだまして来る。
廊下の至る所では警報器が鳴り出した。 部屋の中でも耳を塞ぎたく程の大音量だ。
「と、父さん! 逃げよう――!」
廊下側の曇りガラスには、数体の人型ロボットが廊下を駆け抜けていく影が見えた。
「火災ハッセイ! 速ヤカニ消火シマス!」
「カク職員、患者達ハ、速ヤカニ“屋上”へ避難シテクダサイ!」
ロボット達はそう叫びながら、警報を鳴らして通り過ぎて行く。
「――助けて――!」
誰かの助けを呼ぶ声を皮切りに「ゴホッ、ゴホッ!」と酷く咳き込む声や「ウゥゥゥ……」という呻き声、そして「ギャァァー」という断末魔のような悲鳴がそこかしこから聞こえてきた。
病院内は騒然となり、大混乱に陥った。
「父さん、何やってるの!? 早く、ボクに掴まって!」
ベッドの上で座っている父を背中におぶり、焦眉の急で屋上へと向かおうとする大輔。 人型ロボットの警告では『一階から火の手が上がり、すでに下の階まで火の手が迫っている』との事で、避難階段を使って上階へ逃げるしか選択肢が無かった。
「屋上へ逃げるんだ! 早く――!」
大輔がドアを開けると、車椅子を引きながら避難階段がある奥へ逃げようとしている男性と鉢合わせた。 廊下の至る所では看護婦、医師、その場に居合わせた者達が部屋から次々と患者達を運び出し、人型ロボット達が支える担架に乗せていた。
「――何者かが一階でガソリンを撒いて火を付けたんだ! 無差別テロだ!
早く屋上へ逃げるんだ――!!」
口々に叫びながら職員達が駆け抜ける。
下へ向かう階段からは真っ赤な火炎がまるで蛇のように上って来ている。 階段の踊り場では数体の人型ロボットが体中から水を放射し、下から迫ってくる炎を防ごうと頑張っていた。
廊下は凄まじい熱気が充満し、霧のような靄が立ちこめている。 恐らく、人型ロボットが放出している水が蒸発しているのだろう。 そのお陰で、廊下に出た大輔は煙の影響を受ける事が無かった。
煙の影響が少ない今なら、屋上まで問題なく避難出来そうだ。
「でも、一階は……」
先ほど別れた看護婦の笑顔が目に浮かぶ。 大輔は看護婦の無事を祈りながら、屋上へ続く避難階段へ向かっていた。
――
防火扉を開けて階段室へ侵入した大輔。 ヒンヤリとした空気が身体を包み、先ほどまで耐え難い熱気に晒されていた大輔は少し気が楽になった。
コンクリートの階段を駆け上がる幾多の足音が響き渡る。 『ガチャ、ガチャ』とロボットが動く音も聞こえて来た。
上のフロアにいる人達も屋上へ向かって階段を駆け上がっているようだ。
「父さん、ボク達も屋上へ急ごう!」
父を背に抱いた大輔が階段を駆け上がろうとした。
――ところがその瞬間、上階からけたたましい絶叫が響き渡った――
「ギャァァ!!」
断末魔のような叫びはすぐに『パン、パン――!!』という銃声に掻き消される。 その戦慄する音に大輔は駭然と階段の途中で立ち止まった。
すると、男性の声で屋上へ避難する人達を呼び止める大声が聞こえてきた。
「屋上へ行くな! テロリストに待ち伏せされてるぞ!!」
「――待ち伏せ!?」
大輔が喫驚すると、今度は『――ボンッ――!!』という爆発音が響き渡り建物全体が大きく揺らいだ。
「うわあぁぁ!」
激しい揺れに大輔は必死で階段にしがみ付く! ところがその拍子に背中に抱いていた父の手が離れ、父は階段の下に転げ落ちて行った。
「父さん――!!」




