天使の忠告
「大輔、お前、好きな子はいないのか?」
父が元気だった頃、大輔は父にそう聞かれたことがあった。
「えっ? いないよ、そんな子は――」
空手道場から帰宅したばかりの大輔は、シャワーを浴びた身体をタオルで拭いながら顔を赤らめた。
父は居間でテレビを見ながらビールを飲んでいた。 少しほろ酔い気分であったのか、父はテレビに映った少女を指さして「こんな子が良いと思うんだがなぁ」と息子を揶揄った。
「全く、何言ってるんだよ! この酔っ払い!」
タオルで顔を拭いていた大輔は、父の言葉に呆れた顔を上げてテレビを見た。
「――!?」
その瞬間、全身がカミナリに打たれたかのような衝撃が走り、彼は茫然とテレビに映る少女を見つめた。
「……あっ……あ……」
肩にかかる美しい金髪を靡かせた銀色の瞳の少女。 人気アイドルの『森中伊奈』に手を取られ、病院から出て来る美しい姿に大輔は目を見張った。
「――おい、大輔? どうした? 何処か体調でも悪いのか?」
持っていたタオルを力なく落とし、うわの空で佇んでいる大輔。
父が大輔の様子に心配して声を掛けると、大輔は夢から覚めたように驚いて飛び上がった。
「そ、そうそう! ちょっと稽古で疲れちゃって……」
大輔は少女に見とれていた事を父に悟られまいと、何食わぬ顔で床に落としたタオルを拾い上げた。 そしてワザとらしく「ふぅ……」などと首を回し、疲れたフリをした。
「おい、おい……。 あまり頑張り過ぎるんじゃないぞ」
父は心配そうに大輔を諫めると、テーブルに置いてあるコップにビールを注いだ。
「うん……。 そ、それよりさっきテレビ映っていた女の子……って?」
大輔はなるべく平静を装ってテレビに映っていた少女が誰なのか父に聞いた。 だが、彼の『バク、バク』と昂ぶる心臓の鼓動は抑えることが出来なかった。
「お前、知らないのか!? あの子は“伊奈ちゃん”に引き取られた子じゃないか!」
父の話では、テレビに映っていた金髪の少女は『篠木希海』という名の少女だそうだ。
九州出身の彼女は男によって家族全員を惨殺されて心と体に深い傷を負い、しばらく地元の病院に入院していた。 ところがつい先日、アイドルの『森中伊奈』に養子として引き取られる事になり、東京の病院へ移送されて来たとの事であった。
森中伊奈はアイドルとして活動している傍ら、恵まれない子供や難病を抱えた子供、孤児になった子供への支援活動を行なっていた。 彼女は少女の哀れな境遇に心を痛め、少女を養子として引き取ろうと手を差し伸べたのである。
大輔が先ほど見たテレビの映像は、まさに森中伊奈が少女を引き取りに来た様子を報道していたニュース映像であったのだ。
(篠木……希海さん……)
「と、父さん! ボク、今日は疲れたから先に寝るね!」
大輔は何を思ったのか話しの腰を折り、自室へ戻ろうと後ろを向いた。
「お、おい! お前、晩ご飯は――!」
「今日は良いよ! 疲れたからもう寝る!」
唖然とする父を尻目に大輔は二階へ駆け上がり自室へ駆け込んだ。 そしてベッドに潜り込みスマホを手に取ると、すぐに少女について検索をし始めた。
『復讐に巻き込まれた“ハーフの美少女”――篠木希海ちゃんが森中伊奈の養子となる』
ニューストピックに躍り出た見出しをタップした大輔は、目に飛び込んだ動画を見て再び息を飲んだ。
動画は先ほどのテレビ映像と同じで、森中伊奈に手を引かれた少女が病院へ出て行く姿を写していた。
彼女は病院から出ると後ろを振り向いて見送りに出て来ていた医師や看護婦に会釈をしていた。 彼女が後ろを振り向くと、金色の髪が風に靡いて可憐な首筋を露わにした。
そして再び前を向くと隣で少女に微笑みかける森中伊奈を見上げ、遠慮がちに微笑を返した。
大輔は少女が微笑を漏らしたその瞬間、心臓が止まるほどの衝撃を受け、慌てて動画を停止した。
「なっ……なんて美しいんだ……」
大輔は少女に恋をしてしまった。 いや、先ほど初めて少女の姿を見た瞬間から、もう大輔は少女に恋をしてしまったのである。
それから大輔は動画を食い入るように見つめ、何度も再生を繰り返した。
すると、矢庭に父が二階へ上がってくる足音が聞こえて来た。 驚いた大輔は、スマホを枕の下に隠してタヌキ寝入りを始めた。
『――ガチャ――』
部屋のドアが開き、薄らと廊下の明りがドアから漏れる。
父は大輔が眠っている事を確認するとドアを閉め『パタ、パタ』とスリッパの音を立てながら、寝室へ向かって行った。
その間、大輔の頭の中では少女の微笑が頭の中を駆け巡っていた。
動画では彼女の声まで分からなかった。 だが、可憐な声を想像すると身体が火照り、気が変になりそうだった。
もう頭の中は少女の事しか考えられなかった。 希海という名の由来を考えてみたり、何故、彼女の瞳が美しい銀色なのかも想像したりした。
家族を惨殺された不幸な境遇をまるで自分の身に起きた事のように悲しんだ。 そして「ボクだったら彼女を幸せに出来る」と根拠の無い自信を漲らせた。
大輔は少女と会う事を夢見た。 少女に会いたいと強く願った。
少女が悪人共に襲われそうになっている所を偶然目撃する都合の良い妄想を展開した。 颯爽と悪人共の前に立ちはだかり、少女の前でカッコ良く悪者をやっつける夢を見た。
『――ありがとう――』
そう微笑みかけた少女と口づけを交わす寸前で大輔は夢から覚めた。 彼はいつの間にか動画を見ながら眠っていたことに気が付いたのであった。
――
心の病気を抱えた者を支える家族は心身共に疲弊するだけでは無い。 経済的な負担でも苦しめられる。
大輔は中学生であったが、父の代わりに学校に内緒でアルバイトを始めた。 母は新興宗教に傾倒し、仕事もしないで布教活動ばかりしている。 父が認知症を患ってからというもの、結城家の生活費は大輔が稼がなければならなくなり、家計はたちまち火の車となった。
父は記憶障害だけでなく、徘徊や妄想、自傷行為といった症状が顕著であった。 父の介護もしなければならなくなった大輔の負担は日に日に増すばかりであった。
学校から帰ってくれば近所を徘徊して警察に保護されている父を迎えに行った。 アルバイトから帰ってくれば部屋中で粗相をした父の為に部屋を掃除した。 夜中に発作を起こして暴れ狂う父を徹夜で宥めた。
そんな毎日に大輔はさすがに限界を感じた。
そこで大輔は思い切って学校の先生に相談した。 先生は親身になって大輔の相談を聞いてくれ、大輔の為に精神病院を紹介した。
学校の先生が紹介してくれた病院は、中学生以下の子供を持つ者が入院すると医療費を全額免除してくれるという有り難い病院であった。
大輔の父は症状が酷く、すぐに病院へ入院する事が出来た。 お陰で大輔は過酷な介護から解放されたのであったが、一方では父が家に居ない現実に少し寂しさを感じた。
病院に入院している患者は父と同じく重度の精神疾患を抱えた者が殆どであった。
一日中壁に向って話しをしている若者。 過去に戻って子供のように母を呼ぶ老人。 自分が亡国の姫だと信じて疑わず、いつまで経っても迎えに来ない白馬の王子様を待ち続ける女の子等々――老若男女問わず、自分を見失った多くの患者が入院していた。
患者の中には家族に見捨てられた者も多かった。 介護疲れもあったのだろう。 中には“姥捨て山”のように病院の前に家族を置き去りにし『よろしく頼みます』などと置き手紙を残して消えるような輩も存在した。
病院はそんな身寄りの無い患者も無償で受け入れた。 一方では増え続ける患者に対応する為 “謎の人型ロボット”を導入し、医療スタッフの負担を減らした。
その為、病院で働く職員達は精神的な余裕が生まれ、一人一人の患者に対して献身的に介護する事が出来た。
お陰で病院は常に患者達で溢れていた。 全国から介護に疲れた家族が救いを求め、続々と病院へ集まって来たのであった。
だが、そんな病院を良く思わない人間も一定数存在した。 “優性思想”に傾倒する者達である。
彼等は「精神病患者は何の役にも立たないので、社会に必要ない」と叫ぶ差別主義者達であった。
『障害者達は押し並べて劣勢遺伝子を持つ者達である。 彼等はもはや人間では無い。
優性遺伝子を持つ健常者に淘汰されるべきなのだ!』
多様性を排除し、荒唐無稽な主張で混乱を孕ませ、憎悪を生み出す邪悪な思想。 そんな忌むべき思想を盲信する彼等は、精神を病んだ者達を無償で受け入れるこの病院が許せなかった。 不退転で破壊するべき憎しみの対象であった。
――
父の見舞いから帰ってきた大輔は、明日病院へ行くことを楽しみにしながら床へついた。 今日も母は家に帰って来なかった。 恐らく、父の為に”神光人”の施設でまだ“祈祷”とやらをしているのだろう。
森中伊奈は明日病院へ慰労に訪れる事になっていた。 大輔は伊奈があの愛しい少女を一緒に連れて来てくれる事を願っていた。
不思議な事に大輔が初めて少女をテレビで見た後、世間では少女の話題が忽然と出なくなった。
学校で少女の事を「可愛い」と騒いでいた同級生でさえ、少女の顔や名前すら忘れてしまっていた。 ネット上でも少女に関する記事が全て消えてしまい、誰も少女について話題にする者も居なくなった。
しかし、大輔だけは少女の事を忘れなかった。 幸運な事にスマホに保存した写真もしっかりと残っていた。
『伊奈さんの養子であれば、伊奈さんの手伝いに病院へ来る事だってあるだろう』
そう考えた大輔は明日が来ることが待ち遠しくて、なかなか眠る事が出来なかった。
――明け方になってようやく眠りについた大輔は奇妙な夢を見た――
『大輔さん、どうか病院に来ないで!』
あの麗しい少女が銀色の瞳に悲痛な涙を滲ませて大輔に訴える。
『貴方のお父さんは……もう……。
だから、貴方だけは……
……生きて……!』
少女の幻影がカーテン越しに漏れる朝日と共に消えて行く――。
『――ジリリリリ――!!』
けたたましく鳴っている目覚まし時計を目にすると、大輔は慌てて飛び起きた。
「うえっ!? 遅刻するっ――!」
大急ぎで学生服に着替える大輔。 夢の事などすっかり忘れ、朝ご飯も食べずに家を飛び出すと、学校へ向って走って行った。




