弱者の傲慢
駅のホームで電車を待つ少年。 奥二重のキリッとした目で両手に持つ教科書を睨みながら、一生懸命テスト勉強をしているようだ。 学生服のボタンを上から下まで律儀に留めている様子からも、少年が真面目な中学生である事を窺わせた。
ところが真面目な外見に不釣り合いなツンツンした黒い逆毛のせいで、彼は“ヤンチャな少年”だと誤解される事もあった。 学校の先生からは「その髪型は真面目な君には似合わないから髪を下ろした方が良い」と注意されていたが、彼はこの髪型を止めるつもりは無かった。
少年は憧れの格闘家の髪型を真似ていた。
彼が憧れていた『大杉翔太』というキックボクサーはすでに他界していた。 少年は生前の大杉の試合を見て強烈な憧れを抱き、空手を始めたのである。
「いつか、大杉選手のようになりたい」
彼はそう夢見て髪型だけでも真似ていたのだ。
少年はその髪型のお陰で不良に絡まれる事が多かった。 だが、不良に絡まれる事は少年にとって大した問題ではなかった。 彼の空手の実力は全国大会へ出場する程であったので、高校生程度であれば彼に敵う者などいなかったからである。
とはいえ、その真面目そうな服装から察する通り、彼は一切暴力を振るわなかった。 不良たちに絡まれても類まれな反射神経で攻撃を避け、逃げるだけであった。
そんな少年の優しさに付け入る同級生は彼の事を『臆病者だ』と嘲った。
「お前のスマホ、ガイジンの女の子を待ち受けにしてるだろ?」
意地悪い同級生達は少年のスマホを盗み見して、彼を揶揄って楽しんだ。
「スケベ、エロガキ、ヘンタイ!」
いつもスマホの待ち受け画面のせいで同級生達から“イジられる”少年であったが、彼は待ち受け画面を頑なに変えようとしなかった。
――美しい銀色の瞳を称えた金髪の少女――
その可憐な姿に少年はココロを奪われ、少女に恋心を抱いていたからであった。
――
少年の名は『結城大輔』と言った。 大輔は学校の帰りに父親が入院している病院へ見舞いに行く事を日課にしており、今日も電車に乗って病院へ行く途中であった。
(電車、遅いな……)
教科書をカバンに捻じ込み、内ポケットから旧型のスマホを取り出して時間を気にする大輔。 後ろには人の気配がし、電車が遅れている事に対してブツブツ文句を言っている声が聞こえて来る。
『――カン、カン、カン――!』
ホームの横に設置されている踏切が鳴り出した。
奥から電車の顔が見えて来て汽笛を鳴らしながらホームへ侵入してくると、大輔の顔に生暖かい風が吹きつけた。
『プシュー!』
扉が開くと大輔は電車から出て来る人を先に通し、そそくさと車内へ入ろうとした。
『ドス、ドス!!』
すると突然、彼は棒のような物で背中を突っつかれた。
「――イテッ――!!」
突っつくというよりも思い切り刺したと言っても良いような激しい痛みが大輔の背中を襲う。
「なっ、何っ――!?」
泡を食って後ろを振り向いた大輔。
すると、車椅子に乗った肥満体のオヤジが大輔を睨み付けている姿があった。
「おい! “障害者様”が先だろ!」
気色ばんで怒鳴るオヤジは、持っている杖で再び大輔の身体を突っついた。
「――イタッ! ちょっ、ちょっと……!?」
困惑した大輔は杖を避けながらどうして良いか分からず周りの人を見るが、誰も声を掛けてくる者はいなかった。 皆、二人を無視して続々と電車内へ乗り込んで行く。
「オラ、早く中へ運ばんか! 電車に乗り遅れたらキサマのせいだぞ!」
近くには横暴なオヤジに呆れかえっている駅員が佇んでいた。 駅員はホームと電車の間の段差を埋めるプレートを手に持っていたが、オヤジは駅員を見向きもせずに大輔に向って杖を振り上げて怒鳴り散らしていた。
駅員の蔑みの目から察するに、恐らくこのオヤジは電車を待つ人に何度も同じような事をしている迷惑客なのだろう。
「君、私達が対応するから放っておいて良いよ」
駅員は大輔に声を掛けた。 ところが、大輔は「いえ、ボクがやります」とカバンを肩に掛けると車椅子のフレームを両手で握った。
「早くしろ、この野郎!」
電車のベルとオヤジの怒声が鳴り響く中、『フンッ!』と一声上げた大輔は車椅子を持ち上げた。
(うゎ、重っ!)
力を振り絞り車椅子ごと電車へ乗り込む大輔。 宙に浮いた肥満体のオヤジは見た目に依らない大輔の怪力に一瞬驚いた様子を見せたが、丁寧に車椅子を床に降ろした大輔に礼もせず、すぐに仏頂面へ戻った。
――
「はぁ、はぁ……。 (くっそ重い……)」
100キロはありそうな巨漢を車椅子ごと運んだ大輔は、両手で膝を支えてへばっていた。 だが、そんな大輔に見向きもせずにオヤジは車椅子を動かすと、車内の隅に設置されている優先席へ近づいて行った。
優先席には一人の若いサラリーマンが足を組んでスマホをいじっていた。 サラリーマン以外には誰も座っておらず、彼はオヤジが近づいても平然とスマホに目を向けていた。
オヤジはそんなサラリーマンの態度が許せなかったのか、スマホをいじっているサラリーマンの手を杖で『ペチン!』と叩いた。
「――痛って! 何すんだ、コラ!」
手を叩かれスマホを床に落としたサラリーマンは当然ながら激怒した。 だが、巨漢のオヤジは白髪交じりの短髪を逆立てんばかりにサラリーマンに対して怒鳴り返す。
「ここは“障害者様”専用の席だ! 退け、この若造!」
サラリーマンはオヤジの迫力に一瞬面食らったが、すぐに憤然と眉間に寄せて立ち上がった。
「何だ、テメェ! 車椅子乗ってんだから座る必要ねぇだろ!」
サラリーマンはオヤジを見下ろすと、車椅子の車輪を足蹴りした。 すると、バランスを崩したオヤジは車椅子ごと床へ『ガシャン!』と倒れてしまった……。
二人の様子を呆然と後ろから見ていた大輔は、オヤジが車椅子ごと倒れると我に返り「だ、大丈夫ですか!?」とオヤジに声を掛けた。
「コイツ、障害者に暴力を振るったぞ! 誰か助けてくれぇ!」
床に転がったオヤジはそのブヨブヨの身体を持て余して身を捩りながら、サラリーマンの狼藉を批難した。
ひっくり返った車椅子を元に戻し、オヤジの巨漢を持ち上げようとする大輔。 彼はオヤジの訴えに『自分から叩いたくせに……』とココロの中で呆れていた。
車内の乗客は皆、オヤジの喚き声を無視していた。
サラリーマンは「優先席が空いていたから座っただけだろ!」と反論し、乗客達も概ねサラリーマンの主張を無言で支持しているようだった。
「こ、このクズ共がっ! お前らみんな偽善者だ! ”弱者”が虐待されている姿を見て喜んでいる差別主義者達だ!」
大輔が必死になってオヤジを抱えて車椅子に乗せると、オヤジは口角泡飛ばして周りの乗客を批難し始めた。 猛然と口から『ペッ、ペッ』と唾を跳ね散らかして吠えるオヤジ。
大輔は思わず顔を顰めオヤジから離れると、呆れた様子で腕を組んでいるサラリーマンに声を掛けた。
「あ、あの……。 すいませんでした」
大輔は申し訳なさそうにサラリーマンに謝罪をする。 するとサラリーマンは驚いたように目を丸くし「何もボウズが謝る事じゃないだろ」と言葉を返した。
オヤジはその間もしつこく「差別だ! 差別だ!」と連呼している。 すると、サラリーマンは堪忍袋の緒が切れたのか「いい加減にしろ、馬鹿野郎!」とオヤジの頭を『ペチン!』と引っ叩いた。
「ギャァァ! また暴力だ! け、警察を呼んでくれ!」
助けを求めるオヤジに対して誰も手を差し伸べる者などいない。 余程、このオヤジは皆に嫌われているのだろう……。
サラリーマンは喚き散らすオヤジを無視すると、大輔に向かってあくまでも『自分は悪くない』と主張した。
「優先席は“指定席”じゃない。 空いていれば座る事も出来るし、誰もいなければスマホを使っても差し支えないはずだろ?」
「は、はぁ……。 まあ、そうですが……」
サラリーマンの主張に困惑しながらも同意する大輔。
確かにサラリーマンの主張は尤もであった。 しかし、だからと言ってオヤジの頭を引っ叩いて良い訳では無い……。
「でも、暴力を振るうのは良くないと思うんですが……」
大輔の指摘にサラリーマンは何も弁明しなかった。 わざとらしく助けを求めるオヤジを憤懣の瞳で睨み付けると、サラリーマンは次の駅で降りて行った。
――
「……ほう。 それでお前さんは父ちゃんの見舞いに行く途中だったという訳か……」
先ほどまで横暴を極めていたオヤジは、丸く突き出た腹を摩りながら落ちついた様子で大輔に声を掛けている。
「は、はい……」
大輔は何故か優先席に座らされていた。
オヤジはサラリーマンに引っ叩かれた後、ひとしきり他の乗客の無関心さを嘆いていた。 大輔はその隙にそそくさと隣の車両へ移ろうとしたが、オヤジに呼び止められて不幸な事にオヤジの話し相手にされてしまったのである。
大輔は自分の生い立ちを聞かれた挙げ句、オヤジに行く先を尋ねられ「父親が入院している病院に行く」と正直に答えた。 当然、オヤジは大輔の父親が何の病気なのか気になり大輔に聞いたのだが、彼の口から出た父親の病状が思いの外悪かった事に言葉を失った。
大輔の父親は重度の認知症を患っており、殆どベッドに拘束されている日々を送っていたのである。
大輔の話を聞いて先ほどまでイキリ立っていたオヤジも急にしおらしくなった。 「なに、お前の父ちゃんはきっと元気になるさ!」などと根拠の無い言葉を口走り、大輔を元気づけようとした。
「ありがとうございます。 おじさん、優しいんですね」
大輔が顔を上げてオヤジに向ってニッコリと微笑んだ。 すると、オヤジは気恥ずかしそうに顔を赤くして「そんなこたぁ、ねえよ……」とはにかんだ笑顔を返した。
オヤジは久しぶりに人に感謝されて気を良くしたようだ。 大輔が聞いてもいないのに自分の過去を赤裸々に語り出した。




