潜入計画
小百合は咲亜矢と会う前日、伊奈から『SOON』と呼ばれる国際組織へ潜入するよう指示された。
「小百合、お前に頼みがあるの。
SOONへ潜入してヤツ等の情報をアタシに報告しなさい」
SOONにはすでに榊原が複数回潜入していたが“女性”でなければ潜入できない場所が多く存在した。
「アム・セグラ人であるお前の友人なら、簡単にSOONへ潜入できるでしょう。 その友人に協力してもらって一ヶ月くらい調査をして欲しいの」
小百合は伊奈の命令に戸惑った。 自分が伊奈の命令に従う事は抵抗無かったが、咲亜矢を巻き込むとなると話しは別だ。
しかし、咲亜矢に危険が及ぶ事を小百合が懸念していると、伊奈は意外な言葉を口走った。
「なに、心配いらないわ。 お前の友人には“アタシの知り合い”が付いている。 一方的な知り合いがね。 その者なら、お前の友人を護ってくれるでしょう。 もちろん、友人だけでなくお前もね」
アム・セグラ人なのか日本人なのか分からない伊奈の知り合い。 小百合は咲亜矢の身近にいる者が“伊奈の知り合い”だと知って驚愕した。
「……い、一体その”知り合い”って誰なんですか?」
小百合は伊奈に遠慮がちに聞くと、伊奈は不可解な答えを返して小百合をさらに困惑させた。
「会った事は無いから、誰だかは分からないわ。 何となくそう感じるだけ」
「は、はぁ……。 (会った事も無い人を知り合いだなんて……)」
小百合は伊奈の言っている意味が殆ど理解出来なかったが、ただ一つ、咲亜矢の身近にいる人物で気になる者がいた事を思い出した。
(まさか……。 でも、その人しか思い当たる人は……)
伊奈は赤い瞳を穏やかに輝かせ、小百合の返事を待っている。 娘の『ゆかり』は小百合がいない間、伊奈が面倒を見ると言っている。
「……承知しました。 咲亜矢に頼んでみますが、もし咲亜矢が私の頼みを断ってきたら――?」
小百合の心配を伊奈が間髪入れずに言葉を返す。
「――心配いらないわ。 どうせお前の友人は“彼”に相談するでしょう。 恐らく“彼”も不承不承ながら了解するはず」
小百合は伊奈の“彼”という言葉を聞いて、伊奈の知り合いが咲亜矢の義父であると予想した。
「そんなに急いで行かなくても良いわ。 一、二週間くらい後で構わない。 その間、不在にする準備をしておきなさい。 準備が出来たらアタシに声を掛けるのよ」
伊奈はそう言うと小百合に向って艶然と微笑んだ。
――
「うーん……。まぁ、小百合には世話になってるし協力してあげても良いけど、パパとママが何て言うかなぁ……」
喫茶店で話し込んでいた小百合と咲亜矢。 小百合から「SOONへ一緒に潜入して欲しい」と頼まれた咲亜矢は腕を組んでしばし悩んだ。
彼女がひとしきり「うーん」と唸っていると、ウェイトレスがテーブルにアイスレモンティーを置いた。 すると、彼女はアイスレモンティーが好物なのか早速グラスを手に取りストローで飲み始めた。
「ズズッ……。 仕事休むのは別に良いんヨ。 子供もママに任せれば一ヶ月ぐらいなら。
ただ、パパがねぇ……。 この間の件でもカンカンに怒ってたから……」
咲亜矢の義父である警官は、彼女が拘置所でのアム・セグラ人達による抗議活動に参加していた事を知らなかった。 拘置所へ集まった多くのアム・セグラ人が日本の保守派に射殺された事を知っていた義父は、実は咲亜矢が仕事をサボって拘置所へ来ていた事を知ると烈火のごとく怒った。
咲亜矢は義父から『しばらくは外出禁止』とまで言われていたが、彼女の義母が仲を取り持って謹慎処分を免れた経緯があった。
「じゃあ、私が貴方のお父さんに会ってお願いしてみるわ」
すっかりアイスレモンティーを飲み干した咲亜矢は、ストローでコップの中の氷を突いて遊んでいる。
「別にそこまでしてくんなくても良いヨ。 ママに頼めば多分大丈夫だから。 それにパパはこの間勝手な事したせいで、しばらく地方へ飛ばされてるし……」
「勝手な事?」
咲亜矢の話しに小百合は目を丸くした。
咲亜矢の話では、先日イグニスの家族を殺害した犯人達が拘置所で自殺を図ったとの事であった。 恐らく、アム・セグラ人達に親族を皆殺しにされて絶望したのだろう。
ところが、犯人達の自殺を彼女の義父が阻止したというのだ。
「何でパパがそんな事したのか知らんけど、何の指示もされてないのに拘置所へ押しかけて行ってヤツ等が死ぬのを止めたって言うんだから、訳分からんよね」
三人の犯人は申し合わせたようにそれぞれの独房で同時に自殺を実行しようとした。 ところが、咲亜矢の義父はまるで事前に三人の行動を知っていたかのように、瞬く間に三人の自殺を止めたというのだ。
本来なら犯人達の自殺を止めた功績は認められるべきである。 だが、所轄になんの相談もなく勝手な行動を取ったという事を重く見られ、義父は人手不足の地方の交番へしばらく飛ばされる事となったのだ。
「ふーん。 ところで、咲亜矢のパパってどんな人なの?」
もともと小百合は咲亜矢の義父に興味を持っていた。 彼が伊奈の知り合いだと思っていたからだ。
「別に。 フツウのオッチャンだヨ」
普通のオッサンが鉄格子をこじ開けて、犯人達の自殺を阻止できるはずがない。 小百合は咲亜矢の話を聞いて、ますます彼女の義父が伊奈の知り合いであるという疑惑を深めた。
「じゃ、今度その“普通のオッサン”に会わせてよ。 別に飛ばされた先の交番へ行ってもいいからさ。 挨拶もまだ一度もしてないし」
すると、小百合の頼みに咲亜矢は「ウチは別に良いけど、ママがたぶんダメって言うと思うヨ」と後ろ向きな返事をした。
咲亜矢の話では義母はヤキモチ焼きであり、義父が若い女と会うなんて事が分かると激怒して何するか分からないという危険人物なのだそうだ。
「ふうん……。 じゃ、まず貴方のママに会わせてよ」
小百合は咲亜矢の義母も伊奈の知り合いではないかと訝しんだ。 咲亜矢は小百合を義父に会わせる事は後ろ向きであったが、義母に会わせる事は抵抗ないと思ったようだ。
「オーケー♪ じゃあ、もう一杯お茶飲んだら早速ママに会いに行こう!」
彼女の言葉に頷いて快諾すると、再びウェイトレスを呼びつけた。
「アイスレモンティー! オニ早で!」
――
「――そういう事で、SOONの潜入調査を小百合にやってもらおうと思うんだけど、良いわね?」
伊奈はイスに座って茶を嗜みながら、目の前で畏まっている榊原に言った。
「はい、承知しました。 それでは希海君は私が――」
榊原は希海の護衛は自分に任せて欲しいと言わんばかりに青い目を滾らせた。
ところが、伊奈は首を横に振った。
「――ダメよ。 希海を護るのは私の役目。 お前は小百合のフォローをしなさい。 小百合に危険が及ばないよう常に連絡を取り合うのよ。 お前が忙しければ島田にも協力してもらって構わないわ」
伊奈はそう言うと、直立したままの榊原に向かいのイスへ座るように促した。
「お気遣いありがとうございます。 ……それでSOONには何時攻撃をしかけるおつもりでしょうか?」
榊原はイスに座ると、伊奈の目の前に置いてあるティーカップに紅茶を注いだ。 伊奈は榊原に注いで貰った紅茶を口に運ぶと「小百合の調査が終わってからに決まっているでしょう……」と憮然とした様子で榊原の早合点を諫めた。
「まあ、お前の言いたい事は分からないでもないわ。 ただ壊滅させるだけなら別に調査なんかしなくても良い。 あんな組織はお前一人でも一日かからずに壊滅出来るでしょうから。
つまり、アタシはSOONを破壊する為に小百合に調査をしてもらう訳じゃないのよ。 彼等が何処まで“混沌の女王”について知っているのか調査したいの」
榊原が伊奈の説明に「成る程」と頷くと、今度は伊奈が榊原に紅茶を注いであげた。 すると、榊原は伊奈が注いでくれた紅茶に手を付けず、姿勢を糺して彼女の赤い瞳をジッと見据えた。
「お嬢様、希海君と混沌の女王は一体どういう関係が有るのでしょうか?」
榊原は伊奈にかなり踏み込んだ疑問をぶつけていると自覚していた。 伊奈は榊原の緊張した様子に「ふぅ……」と一つ息を吐くと「その説明は長くなるから、今度してあげるわ」と返答を保留し話題を変えた。
「――そんな事より、今回の件では結局何一つ解決しなかったわ。 この国の憎悪は広がり続けている」
イグニスの家族が殺害された事に端を発した日本人とアム・セグラ人との争いは、一旦収束した。 だが、日本人とアム・セグラ人との溝を埋めるまでには至らず、お互い不信感を持つ状況には変わりなかった。
伊奈の言葉に姿勢を崩した榊原は「そうですね」と一礼をして紅茶を口に運んだ。
「イグニスというアム・セグラ人の妻と子を殺した犯人達は、忖度無く有罪となるようです」
イグニスの家族を殺した三人の犯人は、無事起訴されて有罪判決が下った。 彼等は“義憤”に駆られてアム・セグラ人の家族を殺害した事を「取り返しの付かない事をしてしまった」と後悔していたそうだ。
しかし、彼等が泣こうが喚こうが、彼等が殺したイグニスの家族は蘇らない。
そして、彼等がいくら祈ろうが、復讐によって殺された彼等の親族にも二度と会う事は叶わない。
彼等はたった一度の失敗で“全て”を失ってしまった。 取り返しの付かない失敗とは、文字通り二度と取り返すことが出来ないのだ。
「取り返しの付かない失敗に目を背けてはならない。 彼等はこれから刑務所の中で過ちに向き合っていかなければならないの」
伊奈が呟くと、榊原が伊奈の言葉を継いだ。
「しかし、それはアム・セグラ人にも言える事ですね。 彼等も取り返しの付かない過ちを犯しています。 この国に憎悪を撒き散らしているという過ちを……」
「そうね。 でも、彼等の失敗はまだ取り返せるわ。
その為には、まずSOONを壊滅させなければならない。
そして、混沌の女王を消滅させなければならないの」
伊奈はそう言うと、榊原を見据えた。 伊奈の覚悟を持った赤い瞳が榊原の青い瞳を穿つ。
「……はい、お嬢様。 私は常にお嬢様と共に在ります。 お嬢様の悲願は私の悲願。 必ず願いを成就させて見せましょう。
私の魂を救っていただいた貴方の為に」
第四章はこれにて終了です。 最後までお読みいただいて有り難うございました。
次章は全身包帯姿の少年『結城大輔』の過去を明かします。
時系列でいえば、小百合が父親に拉致されている頃のお話です。
大輔は宗教法人『神光人』が引き起こした凄惨な事件に巻き込まれました。 彼は神光人に復讐する為に伊奈の力を求めます。
神光人によって引き起こされた事件とは何だったのか?
大輔が何故、事件に巻き込まれたのか?
そして、彼は何故希海に恋心を抱いたのか?
次回も引き続き重いテーマですが、お読みいただけると幸甚です。
第五章は7月に入ってからになります。 面白いと思った方は評価入れていただけると有り難く存じます。 今後とも宜しくお願い致します。




