告白
「あれ? 私いつの間に……?」
希海は自分のベッドで目を覚ました。 薄い水色の壁紙にフカフカの白いラグが敷かれているいつもの部屋。 ベッドで仰向けに寝ているまま天井を見つめると、照明の豆電球が付いたままである事に気が付いた。
あの恐ろしい悪夢の後、気を失った彼女は伊奈の背中に抱かれて屋敷へ戻り、自分の部屋で一日ばかり眠っていたのであった。
「わ、私……見た事無い男の子に助けられて……」
伊奈が助けに来てくれた事は微かに覚えていた。 だが、それよりも全身に包帯を巻いた少年が、弟と母を騙る悪魔から自分を助けてくれた事を鮮明に覚えていた。
『コン、コン』
希海が呆然とベッドの上で天井を見つめていると、ドアをノックする音が響いてきた。
「だ、誰――!?」
希海はまだ怯えていた。 あの時の“首の無い女”が再び現れ、自分を連れ去ってしまうのではないかと恐れた。
ところが、ドアを開けて部屋に入ってきた者はバケモノではなく、赤い瞳に微笑みを称えた伊奈であった。
「い、伊奈様!」
希海は慌ててベッドから起き上がろうとした。 すると伊奈の姿が忽然と消えたかと思うと、いつの間にか彼女は伊奈に抱かれていた。
「無理をしちゃダメよ」
まるで風のようにフワリと希海を抱き上げ、ベッドに腰を降ろした伊奈。 希海は自分に何が起きたのか分からないまま、伊奈に「ゴメンなさい……」と謝ると伊奈の胸に顔を埋めた。
「……謝るのは私の方。 私はアナタを危険に晒してしまった。 もっと慎重に行動させるべきだったのに、私はアナタの好きなようにやらせてしまった。
それもこれも私のせい。 ゴメンなさいね、希海」
伊奈はそう言うと、愛おしそうに希海の頭に頬を擦り付けた。
「ううん、伊奈様……私が悪いの。 いつも勝手な事ばかりして。 今回だって『伊奈様はきっとこう思っているだろう』って思い込んで、小百合お姉ちゃんや皆に迷惑かけて……」
希海はそう言うと自分の至なさが悔しかったのか、伊奈の胸に顔を埋めたまま涙を流した。
伊奈は希海の話しを聞きながら、頭を優しく撫でていた。 そして「確かに反省する事は大切な事ね」と言いながらも「でも、焦らずにゆっくり変えて行けば良いの」と希海を励ました。
「前にも言ったけど、自分の判断や行動は常に『取り返しの付かない失敗』を招く可能性があるという事を意識しなければならないわ。 とはいえ、自分の行動全てに意識を向ける事はとても大変な事。 どんなに気を付けていても、一瞬の油断で失敗は起きてしまう。 些細な失敗でも、取り返しの付かない失敗でも平等にね。
だから、出来るだけ行動する前に一歩立ち止まることが大事。 そして、失敗を繰り返さないように反省することが大事。
でも、それよりも大切な事があるわ。
――万一、取り返しの付かない失敗をしても最後まであきらめないこと――
たとえ取り戻す事が不可能な失敗であっても、目を背けず、逃げ出さず、立ち向かい、向き合うことが大切」
伊奈はそう言うと、希海の髪に口づけをした。
希海は伊奈の言葉に黙って頷くと、顔を上げた。 銀色の瞳は涙で潤んでおり、伊奈が優しく手で涙を拭ってあげた。
「……はい」
希海が遠慮がちに伊奈の言葉に頷くと、伊奈は再び希海の頭を優しく撫でた。
伊奈は何処までも希海を信頼し、希海を愛する。 希海が自分の意に反した行動をしようが、自分の忠告を無視して失敗しようが、希海の全てを受け入れようとする。
そんな伊奈の愛情は、傍から見ると異常にも見える。
だが、それもこれも、彼女が過去に犯した過ち故……。 かつて自分が死なせてしまった“愛する者”の面影を希海に見ていたからである。
――
希海は伊奈に励まされて元気を取り戻した。 だが、どうしても疑問に思っている事が一つあった。
「伊奈様……私を助けてくれた男の子は?」
希海の問いに、伊奈は『すっかり忘れていた』と言わんばかりに目を丸くした。
「――そうだったわ。 希海に『大輔』の事を伝えていなかったわね」
小百合も確か、少年の事を『大輔』と呼んでいた。
(やっぱり! 皆であの男の子の存在を私に隠してたんだわ!)
希海は自分だけ仲間はずれにされたようで内心ムッとした。 伊奈はそんな希海の感情に気付いていたようで「アナタに意地悪しようとしていた訳じゃないのよ」と弁解すると、ベッドの上で座っている希海を抱き上げた。
「あの子がアナタに会うことを恥ずかしがっていたから。 何処かのタイミングでアナタに紹介しようと思っていたのだけど、アム・セグラ人の事があってすっかり忘れてしまっていたわ」
伊奈に抱き上げられた希海は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「あら、恥ずかしがる事は無いのよ。 お洋服を着替えて、応接間で待っていなさい。 彼はああ見えても優しい男の子よ。
もっとも、アナタ達と同じ“修羅”になってはいるけどね」
伊奈は希海が少年と会うことを恥ずかしがっているのかと思っていたが、希海は伊奈に抱き上げられたことが恥ずかしかった。 彼女ももう中学一年生である。
伊奈はそんな子供の成長に気付かず「修羅となった経緯はあの子から直接聞きなさい」と言いながら希海をフカフカのラグに降ろすと、部屋を出ようとした。
「あっ、待って! 伊奈様!」
希海は伊奈に何か聞こうとしていたのか、思い出したように伊奈を呼び止めた。
「どうしたの?」と伊奈が振り向いた時、彼女のその美しく輝く赤い瞳に希海は不思議な力を感じた。
「あ、あの時……伊奈様が助けに来てくれた時、伊奈様が天使に見えたんです……。
伊奈様って本当は天使なんじゃないんですか?」
希海は薄れ行く意識の中、壁から無数に生える悍ましい赤い手を鎌で切り裂く伊奈の姿を見た。 その時、彼女の目には伊奈の頭上に薄らと天使のような姿をした女性が見えた気がしたのだ。
伊奈は希海の言葉に驚いた様子を見せたが、すぐに愛おしそうに微笑みを返し、希海の言葉を否定した。
「フフッ、違うわ……。 私は天使でも何でも無い。 天使や神は人間の心の中にいるもの。 祈りを捧げる事で“事象”として存在しうる者達。
もし、アナタが私を天使だと勘違いしたのであれば、アナタの思いがそうさせたのかも知れないわね♪」
伊奈はそう言うと希海にウィンクをし、ドアを開けた。 そして、部屋を出る直前、希海に聞こえないようにいつもの鼻声でこう呟いた。
「人間からすればアタシは悪魔……。 でも、悪魔だろうが天使だろうが構わない」
アナタを“ヤツ”から護る為には何にでもなるわ……」
――
「小百合お姉ちゃん、助けてくれてありがとう――!」
着替えを終えた希海が一階の応接間へ行くと、小百合がソファーに座りながら希海の目覚めを待っていた。
希海は応接間で小百合の姿を見るや否や駆け寄って小百合に抱きついた。
「希海ちゃん、無事で良かった! でも、私が助けた訳じゃなくて、伊奈様が助けてくれたのよ」
「そんな事、分かってるわ! でも、伊奈様が来る前に小百合お姉ちゃんが来てくれた事は覚えてるんだから!」
希海はそう言って小百合をギュッと抱きしめた。 小百合は万力のように身体を締め上げる希海の腕力に苦しそうにしながらも「ま、まあ落ち着いて」と希海を宥め、彼女をソファーへ座らせた。
「私だけじゃなくて『大輔君』と『リルヒト』もね」
「えっ、リルヒトが――!?」
希海は大輔という者のことなどそっちのけで、リルヒトが来ていた事に目を丸くした。
『リルヒト』とは伊奈が飼っている燃えるような赤毛をしたキツネである。 リルヒトは誰に対しても温厚で、希海には特に懐いていた。
「そう、リルヒト……のはずだったんだけど、あの時は蒼い毛になっていてビックリしたわ。 もしかしたらリルヒトじゃなくて別のキツネなのかと思ったけど、伊奈様が言うにはリルヒトは興奮すると蒼い毛に変わる不思議なキツネなんだってね」
「へぇ! リルヒトったらそんな姿、私に一度も見せたことないわ!」
希海はその時のリルヒトの様子をもっと聞きたかったのか、目を輝かせて小百合の次の言葉を待った。 しかし小百合は言葉をはぐらかし、話題を包帯姿の少年『大輔』に戻した。
というのも、あの時の伊奈の姿を希海に伝える訳にはいかなかったからだ……。
小百合と大輔が希海を抱いて工場から脱出した後、伊奈は広大な工場を一瞬で焼き払い、蒼い毛のキツネを連れて業火の中から平然と姿を現した。 小百合と大輔はその時初めて伊奈がリルヒトを連れて来ていた事を知った。
リルヒトの赤い毛が蒼い毛に変わっていた事は確かに驚いた。 しかし、二人はそれよりもリルヒトと一緒に工場から出て来た伊奈の姿に驚愕したのである。
なんと、この時の伊奈は一糸纏わぬ姿をしていたのだ。
唖然とする二人を尻目に伊奈は気を失った希海を大切そうに抱きかかえると、全裸のまま急いで屋敷へ帰ろうとした。 ところが、さすがに小百合と少年が全力で伊奈を阻止し、島田に洋服を持って来て貰って事なきを得たという経緯があったのだ……。
「あっ、そういえば、あの男の子にもお礼を言わなくちゃ!」
落ち着きの無い希海に対して話題を変える事はそんなに難しい事ではなかった。 彼女は少年の存在を思い出すと、頬を膨らませて小百合に文句を言い出した。
「それはそうと、なんで仲間がもう一人いるって事を私に黙ってたのよ!」
「そ、それは――」
小百合が迫る希海を両手で押さえながら弁解しようとすると、突然、希海の背後にある応接間のドアが開いた。
「そりゃ、海よりも深い理由があるからよ」
希海が後ろを振り返ると、開いたドアの前に笑みを浮かべた細木の姿があった。
「一翔兄ちゃん!
――ん!?」
細木を見て目を細める希海。 ところが、彼の隣に例の全身包帯を巻いている少年の姿があること気が付くと、細めた銀色の瞳をすかさず大きく見開いた。
「――あっ、アータは――!?」
少年は俯き加減にモジモジしながら希海を見ると、いきなり何を思ったのか突拍子の無い事を口走った。
「す、好きです……希海さん」
「……」
「……はっ?」
希海は少年の突然の告白に呆然とし、しばし言葉を失った。




