絶望の色
木佐貫蒼汰と白髭の老紳士『榊原』はコンビニを後にした。 二人は住宅街を歩きながら、話をしていた。
「お嬢様によって授かった力は何も物理的な力だけではありません。 訓練によっては気配を消すことすら出来るのです」
成る程、蒼汰がチンピラに絡まれた……いや、絡んだ時、チンピラ共は蒼汰の背後にいた榊原に全く気付いている様子がなかった。 まるで、誰もいないかのように榊原の言葉を蒼汰の言葉と勘違いし、蒼汰に敵意を向けていた。
「蒼汰君にはまだ難しいと思います。 だが、私達と一緒に訓練をすれば、貴方もきっと出来るようになるでしょう」
榊原はそう言って蒼汰を励ました。 しかし、蒼汰にしてみればそんな訓練などどうでもよかった。 それより、これほどの力を得れば今日にでも“奴ら”に復讐をする事が出来る……。 悲願の復讐を遂げることが出来れば、彼は自分の命を絶つつもりでいた。
「ところで榊原さん、伊奈ちゃん……いや、伊奈様は関係する者を全て殺すようにと僕に命令しましたが、関係する者を判別する為にはどうすれば? 単純に親族だけと言う訳ではないと思いますし……」
蒼汰が疑問に思うのも無理はなかった。 「復讐相手を愛する者を、全員抹殺する」と言っても単純に相手の親族だけが対象となる訳ではない。 その恋人や友人、もしかしたらペットでさえも対象となる可能性もある。 そして、復讐したい相手を愛しているかどうかなんて、その者に「この人を愛してますか?」などと聞くしかなく、客観的に判別出来る術がない。
しかし、その疑問は榊原の答えによって解決された。
蒼汰と榊原が歩いていると、遠くから二人の主婦が井戸端会議をしている姿が見えて来た。
「ちょうど良かった……。 あの二人に意識を集中させてみてください」
仲の良さそうな主婦二人は、恐らくどちらかの自宅であろう薄汚い古家の前で楽しそうにお喋りをしている。
「はぁ……?」
蒼汰は首を傾げて立ち止まり、二人の主婦に意識を集中させた。
「――! これは――!?」
すると、二人の主婦の身体にいくつかの光が湧き上がってきた!
赤、黄、緑、青……それ以外にもいくつかの色が見えたが、玄関前に立つ主婦からは赤色の光が帯となって相手の主婦を照らしており、道路側の主婦からは緑色の光が照らされていた。
「どうですか、光が見えますでしょう? あの光は人間の感情そのものです。 黄色であれば喜びを表現しており、紫色であれば愛情を表現しています。 その他の色は気にする必要ないでしょう……今の貴方にとっては」
そうは言っても、玄関先にいる主婦が放つ赤色の光が蒼汰には気になった。
「赤い光は一体どんな感情なんですか?」
「怒りです」
なんと、玄関先で楽しそうに相手と話す主婦の心には、相手に対する怒りが渦巻いていたのだ……。
「うぇ……。 あれだけ楽しそうに話しているのに、心の中では相手に対して怒っているなんて……」
蒼汰はもはや人間不信ではあったが、ここへ来てさらに人間という業の深い生物について深く考えさせられた。
「怒りと言っても、その感情に至った原因は千差万別です。 ほんの些細な嫉妬心であったり、肉体的な苦痛を与えられた時の一時的なものであったり……。 しかし、残念ながら光の色だけでは原因まで知る事が出来ません。
とはいえ、予想は出来ます。 ……まあ大方、あの主婦が放つ赤い光は相手の主婦に対する妬みでしょう。
それを証拠に相手の主婦は緑色の光を放っており、赤い光を向ける主婦の事を信頼しているようです。 妬みや嫉みは相手に気付かれないようにぶつける怒りの典型です。 その感情が“呪い”に変化すると赤い光が闇に取り込まれ“憎悪”となります」
「――憎悪!?」
蒼汰は榊原の言葉に驚いて主婦たちから視線を外した。 そして、こちらを向いている榊原の瞳を見つめた。
彼の瞳も蒼汰と同じ灰色の瞳であった。 瞳の奥には黒い影が宿っている。 それは蒼汰が望んでいた絶望の影……。 だが、よく見るとそれは単なる黒い影ではなかった。
榊原の瞳には水底のような深くて蒼い闇が揺らめいていた。 その闇は憎しみの黒い炎ではない。 それこそが、絶望の果てに辿り着いた”空虚”そのものであった。
榊原は落ち着き払った様子で蒼汰に微笑みを返すと、言葉を継いだ。
「怒りや嫉妬を取り込む憎悪は消し去る事が出来ます。 それこそ、復讐などせずとも再び幸福を得れば、希望も生まれる事でしょう。
しかし、私や貴方のように『愛する者を奪われた絶望』は異質な憎悪。 その烈火のごとく燃え上がる憎しみの炎は、黒より暗い漆黒の闇。 復讐せずにその炎を消すことは、まかり成りません。 そして、たとえ復讐を遂げて憎悪の炎を消したとしても、絶望は二度と消える事はないのです。
残された道は、その絶望に身を滅ぼして“鬼”となるか、それとも自らの手で命を絶つかしかありません」
「そっ、それでは……。 復讐を遂げたとしても自殺するしかない……」
(やはり、自分の選択が正しかった……) 蒼汰はそう思って拳を握ったが、榊原は蒼汰の言葉を否定した。
「いえ、自殺したところで絶望はこの世に留まります。 そして、再び誰かの感情を憎悪に変えるのです」
「じゃ、じゃあ、どうすれば?」
「お嬢様のお力をお借りするのです。 お嬢様はそのお力で絶望の闇を封じる事が出来るのです」
榊原はそう言うと蒼汰の背中をポンと叩くと、再び歩み出した。
「お嬢様が救う者は、愛する者を殺され復讐を渇望している鬼のみです。 復讐を遂げても絶望に身を滅ぼす哀れな鬼を、その慈愛で優しく包み、絶望を封じてくださる。
そして我々はそんな慈悲深いお嬢様の為に、憎しみの炎をこの世から消滅させる活動をしているのです」
榊原はそう言いながら、蒼汰の横顔をチラリと見た。 蒼汰は榊原の視線に気付かずに複雑な表情を浮かべながら、目前に近づく二人の主婦を見つめていた。
二人が主婦達の横を通り過ぎる時、彼女達の会話が蒼汰の耳に入ってきた。
「私の娘なんて三流大学で、お宅の息子さんは一流でしょう? まったく、娘を嫁に貰ってほしいくらい。 アハハハハ……まったく、ホントに……」
三流大学の娘を持つ玄関前に立つ主婦は、一流大学の息子を持つ相手の主婦に娘を遣る気などサラサラ無いようだ。 そんな事も気づかずに満足げな顔をして微笑む相手の主婦が、蒼汰には“間抜け面”にしか見えなかった。
――
屋敷に戻った二人は、まず二階の中央に位置する伊奈の部屋へと向かって行った。 ところが、伊奈は不在であり、代わりに腰の曲がった老婆が部屋の中にいた。
「おや? 榊原さん、お嬢様は番組の収録の為にテレビ局へ行かれましたよ? マネージャーである貴方がご一緒ではないとは……」
老婆は伊奈の部屋を掃除しに来ていたようであった。 扉を開けた二人に目を丸くしてテーブルを拭いていた手を止めると、不思議そうに首を傾げた。
「そんな予定は無かったはずですが……。 恐らく細木君が勝手に案件を取って来たのでしょう。 彼でしたらやりかねませんから……」
「はぁ、そうでしたか。 グルメ番組でしたそうですから、恐らくそれでお嬢様は……」
伊奈はアイドルのクセに大食漢で、食べ物には目が無かった。 グルメ番組のレポーターが急に腹を下して出演できなくなった事を良いことに、細木という者が伊奈をレポーターの代役としてごり押しし、テレビ局へ勝手に連れて行ったのだ。 伊奈は伊奈で美味しい物が食べられればそれで満足だったので細木の提案に二つ返事で快諾し、ヒョイヒョイと細木に付いて行ったのであった。
「それより島田さん、彼の事はまだご存じではありませんでしたよね?」
先ほど伊奈と榊原が歌の歌詞についてアレコレとやり取りしている時、島田という名がポロッと出て来た。 蒼汰はまさか島田という人物がこんな老婆だとは思わなかったので、少し面食らった様子で島田に向かって一礼し、自己紹介をした。
島田はその名の通り“島田髷”という古風な髪の結い方をした白髪の老婆であった。 腰は弓なりに曲がっており、力仕事などとても出来そうな様子ではない。 まるで梅干しみたいなシワシワな口をモゴモゴさせながら蒼汰に向かって丁寧に挨拶を返す姿は、彼女が愛する者を奪われた憎悪に囚われ、伊奈に救いを求めた者だとはとても信じられなかった。
「おや? 貴方はすでにお嬢様から力を授かったのですね。 それでは、これから復讐をしようと?」
「……どうしてそれを?」
恐らく榊原が先に島田に自分の事を報告したに違いない。 そう思った蒼汰であったが、榊原は島田に何も伝えてはいなかった。
「貴方の全身から放たれる黒い炎……。 その炎は全てを焼き尽くすほどに峻烈で、苛烈です。 復讐を遂げることによりその憎悪の炎は消え去ります。 そして、お嬢様のお力で私達は“空”を得るのです。 まだ全身を憎悪の炎が渦巻いているという事は、貴方が復讐を遂げていない証左なのですよ」
蒼汰は自分の身体にそんな恐ろしい炎が渦巻いているとは思っていなかった。 どうやら、島田と榊原には見えているらしい。
「さて、それでは“蒼汰ちゃん”の復讐の成就を願って、お食事にしましょうか」
島田はそう言うと掃除を途中で切り上げて、奥に控えていたロボットに雑巾やホウキを渡した。
「蒼汰君、食事の後はゆっくり休んで、明日には行動を開始するのです。 貴方は復讐を一人で遂げなければなりません。
……なぁに、緊張する必要はありません。 貴方に敵う人間など誰もいません。 その憎悪の炎を思う存分相手にぶつけ、塵も残さず焼き殺してしまうのです」
榊原は平然と蒼汰に物騒な励ましをし、ニッコリと微笑んだ。 その優しげな瞳の奥に、空虚な闇を称えながら……。




