浄化の炎
「あ、アータは……?」
全身包帯に巻かれた奇妙な姿をした少年に抱かれた希海。 銀色の瞳を丸くして少年に問うと、彼は希海を抱く両腕に愛情深い力を籠めた。
『――ドンッ――!!』
重々しい衝撃音と共に目の前のコンクリートが破壊される。 飛び散る破片の間から、先ほどの首の無い女が異形な姿へと変貌している様子が見えた。
切断された首からはまるでサソリのような尻尾が飛び出ている。 この怪物は少年が希海を抱いた瞬間にその気味悪い尻尾を振り回し、希海を少年から引き剥がそうとしたのであった。
希海の捕縛に失敗した醜悪な怪物は、尚も希海を連れ去らんと『キリ……キリ……』と歯が軋むような音を掻き鳴らしながら、毒針の付いた尻尾を少年に向けている。
「希海さん、ボクに掴まっていて!」
少年が希海を気遣った瞬間、忌まわしい怪物が驚くべき速さで首から出た尻尾を振り回した。
その雷のような速さは希海でも目で追うことが出来ない。 希海の目の前にあっという間に迫り、彼女は思わず少年にしがみ付く。
「――キャァ――!」
希海の悲鳴と同時に『バチン!』と太刀を弾いたかのような音がする。 なんと、少年は希海を抱きながら片手で不気味な尻尾を弾くと、後ろへ飛び上がり怪物と距離を取ろうとした。
ところが、女の身体が怪しく膨張したかと思うと、身体を食い破りながら漆黒の大蛇が飛び出した!
大蛇は女の肉片を飛び散らせながら、空中へ飛び上がった少年目がけて襲いかかる。
「――しまった――!」
空中へ飛び上がった少年は希海を護ろうと大蛇に向かって背中を向けた。 希海はめまぐるしく変化する状況に戸惑いながら、ただ少年にしがみ付いている。
「大輔君――!!」
その時、小百合の声が希海の耳に飛び込んできた。
『――ボンッ――!!』
小百合は少年に向かって醜悪な牙を剥き出しにした大蛇を横から蹴り飛ばすと、無事床に着地した少年の前へ躍り出た。
小百合の強烈な蹴りで女の身体ごと奥の壁まで吹き飛んだ大蛇。 黒いシミを空中に漂わせながら壁に激突すると「キィィィ……」と声を嗄らしながら、骨となった。
――
工場内のノイズはさらに騒々しくなって行く……。
『ジジジ……ザザザ……』
まるで砂嵐のような音がそこかしこから湧いて来る。 視界にノイズが走り、ノイズに混ざって人間の話し声が聞こえて来た。
『ペチャ、ペチャ……フフフ……』
何故か耳元で囁いているように感じる女の声……。 耳元で聞こえているのに何を言っているのか分からない不気味な声は、聞く者を不快にさせた。
「さ、小百合お姉ちゃん……。 このヒトは……?」
希海は小百合の姿を見てようやく安堵した。 希海を護ってくれた全身包帯を巻いている不思議な少年。 小百合は先ほど彼の事を『大輔君』と呼んだはず……。
「希海ちゃん、黙っていてゴメンね。 彼は私達の仲間なの。
希海ちゃんに黙っていたのは理由があって……」
小百合がそう答えている間、崩れ去った壁の下から『ガラ、ガラ!』と再び怪物が姿を現した。
「――! とにかく、ここを脱出してから話すわ!」
小百合が少年に目配せをすると、少年は「はいっ!」と頷いて希海を抱いたまま工場の鉄扉まで駆ける。
――ところが――
「な、何だコレ!?」
いつの間にか、工場の壁は真っ赤な血で塗りたくられており、入口は滝のように流れる鮮血で塞がれてしまっていた。
「クソッ! こんなモノ――!」
「――大輔君、ダメ!」
少年は構わず血の障壁に手を突っ込んで鉄扉を開けようとするが、咄嗟に小百合が少年を制止した。
少年が小百合の声に反応して動きを止めた瞬間、血の壁から赤い手が伸びて来て少年に抱かれた希海の腕を掴もうとした。
「――うわっ!?」
少年が慌てて後ろへ飛び退き希海を護る。
「な、何で私を……?」
壁からは次から次へと真っ赤な手が生えて来た。 すると、その忌まわしい血塗れの手はドス黒い血が滴る人差し指をピンと伸ばし……なんと、希海に向かって一斉に指を差した。
「こ、コイツら、希海さんを狙っている!?」
包帯姿の少年の腕に力が入る。 希海は頭の整理が追いつかず、戦慄する赤い手から顔を背け少年の胸にしがみ付く。
この少年が何者かはまだ分からない。 だが、希海はこの少年を信頼していた。
それは、彼が仲間である事が分かったから。
そして、自分を抱く彼の腕から言葉に出来ない優しさが伝わってきたから。
「大輔君、これじゃもう脱出は出来ない! 伊奈様が助けに来てくれるまで逃げ回るしかないわ!」
小百合には分かっていた。 壁から無数に湧き出る赤い手に引っ張られれば帰って来られないだろうと。
首の無い女の姿であったバケモノは、すでに目を覆いたくなるような醜悪な姿へ変貌し、再び三人に向かってヒタヒタと迫ってくる。
上半身は崩壊し、下半身だけとなってしまった女の身体。 サソリのような尻尾は壁に激突した衝撃で千切れたようだ。 まるで背骨が折れたかのように見える千切れた尻尾の先端からは醜悪な緑色の液体をダラダラ垂らしている。
女はフラフラと千鳥足で歩み寄って来る。 その度に、真っ黒い瘴気が波紋のように床へ広がる。 距離を離そうとすると突然視界にノイズが走り、気が付くとすぐ目の前に現れる。
三人は下半身だけの女が瞬間移動したタイミングで一気に距離を取りながら、血の壁に触れないように逃げ回る。 だが、視界を遮るノイズが徐々に強くなっていくにつれ、いよいよ女との距離が取れなくなって来た。
『――ザァァァ――』
三人の視界はついに砂嵐のように遮られ、バケモノの姿が見えなくなった。
「――!? クソッ、掴まってたまるか!」
突然現れたバケモノから逃れようと、後ろへ飛び退く少年。
「あっ、大輔君! ダメ――!!」
少年はバケモノに気を取られる余り、血の壁から湧き出る赤い手の存在をすっかり忘れていた。
「――うわぁ!!」
後ろから無数の腕に掴まれた少年は、希海と共に壁に引き摺り込まれていく!
「小百合さん! 希海さんだけは――!」
背後から首を掴まれ、足を取られた少年は咄嗟に希海を引き離そうとするが、希海は怯えきって少年にしがみついたまま離れない。
「大輔君――手を――!!」
小百合は必死に少年に手を伸ばす。 少年の包帯に巻かれた手が小百合の手を握った時、小百合の肩を大蛇が噛みついてきた。
「クッ――!?」
小百合の肩に噛みついて来た骨となった大蛇は、剥き出しになった女の背骨が変形した姿であった。
鮮血が迸る小百合の肩。 しかし、小百合は少年の手を離そうとしない。 渾身の力を籠めて少年を引っ張ろうとするが、徐々に少年の身体は真っ赤な手に引き摺り込まれて行った……。
「あきらめないで! 希海ちゃん、大輔君!」
希海は少年に抱かれたまま祈っていた。 それは言葉に出さない祈りの声。
伊奈の姿を眼前へ浮かべ、彼女が救いに来てくれるその瞬間を祈っていたのだ。
「――! 壁が――!?」
――希海の祈りは届いた――
背後の壁が引き裂かれ、身の毛のよだつ断末魔と共に光が漏れる。
その瞬間、小百合は光と共に“天使”の姿を見た。
――
工場の壁が切り裂かれ、眩い光と共に現れた者は間違い無く森中伊奈であった。 小百合は伊奈の姿が一瞬翼の生えた天使のように見えたが、彼女の見間違いだったのかも知れない。
「い、伊奈様! そ、そのお姿は――!?」
とはいえ、今の姿も小百合が普段目にしている伊奈とは別人であった。
一糸纏わぬ身体を神秘的な蒼い炎で覆い隠し、身の丈の数倍もある巨大な鎌を持っている伊奈。 その姿はまるで妖艶な死神のようであった。
何よりも小百合を畏れさせたのは、彼女の瞳――その赤く燃える瞳はあらゆる邪悪を破壊せんとする憤怒の瞳であった。
「小百合、大輔! 伏せなさい!」
伊奈はそう叫ぶと、鎌を持っている手に力を籠めた。 すると、彼女の身体を纏っている青白い炎がたちまち黒光りする鎌の刃へ燃え移った。
空気が歪むほどのエネルギーが伊奈に集中する。
小百合は慌てて床に身を伏せた。 少年も希海の背中に覆い被さり、彼女を庇うように身を伏せた。
――その瞬間、彼等の頭上に凄まじい熱が放たれた――
大鎌を水平に振り回した伊奈。 たちまち鋭利な蒼い炎が円状に広がると、広大な建物を上下に切り離した。
『ギィエェェ!』 『キャァァァ!』
壁一面に広がる血染めの手が清浄の炎で燃やされた。 あらゆる断末魔が響き渡り、高々と血しぶきを上げながら萎びていく真っ赤な手。
凄まじい熱気に晒されている小百合、少年、希海が為す術なく床に伏せている間、伊奈は間髪入れずに小百合の後ろで蠢く怪物に襲いかかった。
「――消えなさい――!」
巨大な鎌に袈裟斬りにされる下半身だけの怪物。 耳を劈く悲鳴と共に泥のような液体を噴上げながら燃えて行く。 ところが、その不気味な液体がコンクリの床に『ビチャ、ビチャ』と汚らしく飛散すると、瞬く間に漆黒の影を生み出した。
「小百合、大輔! 希海を連れて逃げなさい!」
ウゾウゾと湧いて出る不気味な影を石火のごとく切り裂いていく伊奈。 その圧倒的な速さは誰の目にも追うことが出来ない。 伊奈の身体を纏う蒼い炎と、燃えるような真紅の瞳が高速で混ざり合い、まるで紫電の稲妻が影を切り裂いているようだ。
「大輔君、希海ちゃんを――!」
このままここにいても伊奈の足手纏いになると感じた小百合は、伊奈の命令通り破壊された工場から外へ出ようとした。
希海は気を失っていた。 その穏やかな顔から、どうやら伊奈の姿を見て安心した為に気を失ったのだろう。
「小百合さん、大丈夫です。 希海さんはボクが死んでも守り抜きます!」
少年の言葉に嘘はなかった。 彼は希海の為なら死んでも良いと思っていた。 それ程まで希海に恋していたのだが、希海は少年とは今日まで会った事も無かったので彼の思いなど知る由もなかった。
二人は気を失った希海を抱いて、工場を脱出した。 すると、すぐに工場は青白い炎に包まれた。




