焦り
「おい、オマワリ! 一体いつになったら動くんだよ!」
拘置所の隣町では、町を脱出しようとする車が犇めき合って渋滞を引き起こしていた。 藤川咲亜矢の義父である警官は面倒くさそうに欠伸をしながら、いつまで経っても動かない渋滞に文句を垂れるドライバーを適当にいなしていた。
「あー、はい、はい。 すぐ動きますよ。 あと5秒。 5、4、3……。
ほら、動いた――」
そう言って、警官は車の前に出てスタスタと歩き出し、何処かへ行ってしまった。
「あっ!? おい、テメェ! 待ちやがれ!」
運転席の窓を開けて半身を乗り出し、去って行く警官の背中に怒声を浴びせるドライバー。 警官はそんな怒声など右から左へ聞き流し、拘置所の周囲を怪しく包み込む赤い空を見つめた。
「……一体、何が起こってやがるんだ……?」
アム・セグラ人、保守派の連中と対峙している警察隊とは全く連絡が取れなくなった。 上空のドローンもいつの間にか墜落し、アム・セグラ人達が配信していた動画も砂嵐に変わっている。
「うーん……まあ、どうでもいいか。 それより、咲亜矢はまさか抗議活動とやらに参加してねぇだろうな?」
咲亜矢は義父に『抗議活動に参加せず、都内で仕事をしている』と伝えていた。 義父が心配すると面倒であったからだ。
警官はそんな娘の言う事を素直に信じ、まさか咲亜矢が恐ろしい怪物共に襲われている事など夢にも思っていなかったのであった。
「ああ、そういえば今日は『24時間テレビ――愛は地球を食べる――』がやってるんだったな。 森中伊奈の食いっぷり見たかったのぅ……」
警官は残念そうに溜息を吐くと、再び赤い空を見上げた。
――
拘置所の空が真っ赤に染まっている中、某テレビ局のスタジオでは24時間テレビの収録が行なわれていた。
ゲスト席に座る伊奈の前では、お笑い芸人が怪しげな動きを披露して皆の失笑を買っていた。 伊奈は心の中では「クソ、つまらない」と感じていながらも、楽しそうに目を細めてテーブルに置いてあるお菓子をつまんでいた。
彼女の後ろにはマネージャーである『島田』がひかえていた。 テレビ局のプロデューサーはこの和服姿の婆さんが伊奈の後ろにいると“心霊現象”だと勘違いされる事を懸念し、伊奈の後ろに立たないよう島田にお願いをしていた。 ところが、彼女は「お嬢様を見守る事がマネージャーの勤め」ですと拒否し、プロデューサーの顔を三角にさせていた。
「うん、うん♪ あのババアは目障りだが、伊奈ちゃんは今日も可愛いし、そろそろ彼にやってもらおうか」
ニヤニヤしながら意味の分からない事を口走ったプロデューサーはスタッフに指示し、伊奈の前で斬新な動きを繰り返すお笑い芸人に向けて謎のカンペを掲げた。
お笑い芸人はそのカンペを見ると、ニッコリと笑顔を向けて一旦舞台から下がって行った。
「伊奈ちゃん、どうだった?」
司会者が伊奈に向かって問うと、伊奈は「うーん、まあ、まあ……かな?」と遠慮がちに答えた。 どうやら、伊奈は舞台に立つお笑い芸人の審査を任されているようだ。
「それは、どうして?」
司会者は伊奈の答えが不満だったのか、掘り下げた理由を伊奈に聞こうとした。
(……コイツ、何言ってるの? ツマラナイからに決まってるじゃない)
伊奈は内心司会者の問いに不満を持ったが、艶やかな微笑みを浮かべてその理由を(適当に)述べた。
「なんか、ちょっと思い切りが足りなかったのかなぁ……って。
恥ずかしいのかな? もう少し、自信を持って芸が出来ればもっと面白くなるかなって思います♡」
「あー、なるほど、なるほど! そりゃ、そうだ!」
司会者も伊奈の答えに適当な返事をすると、さらなる茶番へ移行すべくスタッフに目配せをした。
「それじゃ、伊奈ちゃん! 彼にもう一度チャンスを与えてやって下さい!」
(チャンス? コイツ、何を言っているの?)
伊奈は呆れた言葉を心に留めながら、ニッコリと笑顔を見せて頷いた。
すると、突然スタジオ内にロック調の音楽が激しく流れ出し、お笑い芸人が退場した方から観客の悲鳴と笑い声が響いてきた。
「――ガハハハハ! 伊奈ァ! これでどうだぁ!!」
なんと、全裸の上に怪しげなトレンチコートを羽織ったお笑い芸人が“粗末な物”を伊奈に見せつけて高笑いをしながら踊り出した!
「キャァ!」
伊奈は突然見せつけられた”業物”に驚き、悲鳴を上げた。 観客は伊奈が目を背ける様に目を輝かせ、スタッフ達はお笑い芸人にもっと激しく踊り狂うようにはやし立てる。
(なっ……!? 何て小さな生殖器……。 こんな小さいモノ、見た事が無いわ!)
お笑い芸人のイチモツは“業物”ではなく”なまくら“であった。 もし、ハダカを見せているのが小さな少年であれば、伊奈は特に驚く事も無く少年に付いている豆粒を見て微笑んでいた事だろう。
しかし、彼女の目の前で愚息を晒しているのは、サザナミ頭のオッサンである。 しかも、脂肪で重なった腹の下に遠慮がちに顔を出している“引き籠もりのムスコ”である。
伊奈はそのギャップに戸惑い、思わず悲鳴を上げたのである。
観客は大爆笑、司会者は困り果てたフリをしてお笑い芸人の頭を引っ叩くというお約束が繰り広げられる中、何も聞かされていない伊奈は突然見せつけられたお笑い芸人のムスコに言葉を失っていた。
プロデューサーは伊奈の唖然とした顔を見ながら、満足げな表情を浮かべている。 観客も大いに盛り上がり、このドッキリは大成功かのように思われた。
――ところが――
「――!!」
『ガタッ!』と伊奈が血相を変えて立ち上がる!
「い、伊奈ちゃん……!?」
悪ふざけが過ぎたのか、伊奈は眉を顰めて肩を震わせながら何やら呟いている。
「まさか、こ……こんな事が……」
空しく音楽が響き渡るスタジオ内に緊張が走る。 伊奈の麗しい瞳には薄らと涙が溜まり、ふっくらした唇は緊張に震えている。
「……お、お嬢様……?」
今まで見た事の無い鬼気迫る伊奈の様子に戸惑う島田。
「島田、後の事は任せたわ!」
伊奈はそう叫ぶと、猛然とスタジオを飛び出した!
『――希海を“ヤツ”に渡しはしない――!』
「あっ、ちょっと伊奈ちゃん!?」
(何とか伊奈ちゃんを連れ戻さなければ俺達の首が飛ぶ……)
慌てて伊奈を追いかけようとするプロデューサーと番組スタッフ。
ところが、島田が彼等の行く手を阻み、彼等を信じられない力で押し返した。
「うわっ! 痛って――!? 何すんだ!」
スタッフ達は伊奈を連れ戻す協力もせず、逆に彼等を押し返した“クソババア”に激怒した。
伊奈のマネージャーを自称するのであれば、番組が混乱しないよう伊奈を連れ戻さなければならないはずだ。
「コラ、ババァ! お前、マネージャーだろ!? 早く伊奈ちゃんを連れ戻せ!」
ところが、島田は「黙らっしゃい!」と一喝し、スタッフ達を萎縮させた。
(な、何だこのババア……。 何故か逆らうと“ヤバい”気がする……)
言葉では言い表せない威圧感を漂わせる老婆。 それは生に執着する人間の本能的な死の恐怖のようであった。
老婆の一喝で緊張が走るスタジオ内。 すると、島田はさらに声を張り上げて番組の企画そのものを批難した。
「誰がこんなくだらないドッキリを企画したのです! お嬢様はショックを受けてしまわれた! もう番組を中止してくださいまし!」
『シーン……』と静まりかえるスタジオ内。 件のお笑い芸人は”不肖のムスコ”を曝け出したまま呆然としていた。
……こうして、儚くもドッキリは失敗に終わった……
それからすぐ、局内に苦情の電話が殺到した。 その結果、生放送でワイセツ物を陳列し、時代錯誤なセクハラ行為を公然と行なったテレビ局の倫理観を問われる事態となったのである。
この『森中伊奈にイチモツを見せつけたドッキリ事件』は希に見る放送事故として汚名を残し、プロデューサーはその責任を取って役職を降ろされた。 一方、件のお笑い芸人は『伝説の男』として芸人の地位を確固たるものとしたのであった。
――
「空が赤い!? ま、まさか――!?」
スタジオを飛び出した伊奈は矢庭に空を飛んだ。 一体どうやって彼女が空を飛んでいるのか分からない。 だが、彼女の足元から魔方陣のような赤い輪が幾重にも湧上がり、回転しながら彼女の身体を通り抜けていく様は、彼女が何か不思議な力を使っている事は明白であった。
「……いや、似ているけど違うわ」
少し落ち着きを取り戻した伊奈は、東西に浮かぶ真っ赤な空を再び見据えた。 東の空は拘置所がある場所だとすぐ分かったが、西の空は山奥である。
「――西! あそこに希海がいる!」
伊奈は迷いもなく西に広がる赤い空を選択した。
「――リルヒト――!!」
伊奈が叫ぶと、地上からグルグルと螺旋を描きながら青白い火の玉が向かって来た。 火の玉はそのまま伊奈に衝突すると、彼女の身体を蒼炎で包み込む。 すると、空を駆ける伊奈の速度が音速を超えたのか『――ドンッ――!!』という爆音を立て、彼女の姿はあっという間に見えなくなった。
「希海、すぐに行くわ!」
――伊奈は願う、希海の無事を――
彼女は取り返しの付かない事にならないよう、希海を監視しているはずであった。 だが、今回の事態は伊奈の予想を遙かに超えていた。
(希海は確かに鬼となった。 だからアタシはあの子を“眷属”にした。
あの子を“アイツ”から護る為に。
でも、アタシは希海の“月の欠片”を見て勘違いしていた。 あの子が“月の子”であると……。
……まさか……まさか、あの子が……)
「くっ……アイツめ! “イェネ・ヴェルト”から逃れる為に希海を……」
伊奈はそう呟くと歯ぎしりをし、真紅の瞳に憤怒の炎を滾らせた。
「キサマに希海を渡しはしない! アタシがいる限り、キサマがこの星で蘇ることなど無いのだから!!」
彼女が見せる初めての怒り。 怒髪天を衝く激しい怒りは周囲の空気を歪ませて、峻烈な炎を噴き上げる。
その業火は空を飛ぶ鳥を畏れさせ、地上にいる者を熱波に晒す恐るべきエネルギーであった。




