陽動
『天王――マロ――』を象徴とする国『日本』。 『影ヲ封ジ日ヲ本トスル』という伝説からこの国名が付けられたそうだ。
“影”というのは忌むべき魔物である。 生きとし生けるものに“虚無”を刻む“混沌の女王”。 森中伊奈が”蛇蝎”のごとく嫌う醜悪な怪物である。
そんな恐ろしい魔物を封じる神聖な国は、今まさに衰退の一途を辿っていた。
マロを崇める者達は“保守派”と呼ばれ、装甲車のようなバスに乗り、行進曲のような音楽を垂れ流して町中を走り回っていた。 その奇妙な行動は『国民への啓蒙活動』だそうなのだが、国民には反感しか買っていないようだった。
保守派は日本人を単一民族であると信じていた。 どうやら、沖縄や北海道の先住民族を同化せしめた過去など忘れてしまったようだ。
彼等はこのように都合の悪い過去は海馬から喪失させる事が出来る特殊能力を持っていた。 少子化によって衰退して行く国の現状も忘れてしまった。 未来の事など考えず、ただ外国人を排斥し『日本人による日本人の為の国』を護ろうと気勢を上げた。
守ろうとする物の現状すら忘れ、ただ守る事だけを考えていると、気が付けばその大切な物は腐り果てて床のシミになっている事がある。 いつの間にか目的を忘れてしまい、手段にばかり固執するとそういう悲劇が起こりやすい。
外国人を排除し日本を守ろうとする保守派達も、国を維持する目的を忘れしまえばいずれ『寂寞とした荒野にマロが一人佇んでいた』という亡国になるかも知れないという事を肝に銘じておくべきである。
――
さて、そんな保守派の連中はアム・セグラ人の抗議活動に憤慨し、彼等を拘置所で迎え撃とうと計画していた。
彼等のメンバーには軍や警察関係者も少なからず在籍していた。 アム・セグラ人が抗議と偽って拘置所を襲撃するという情報は、藤川咲亜矢より彼等の方が先に入手していた。
「ガイジン共が日本人を舐めやがって!」
日本の保守派は怒りに震えていた。 傍若無人なガイジンに天誅を加えた“英雄達”を連れ去ろうという不届き者を返り討ちにすべく、戦争の準備を始めた。 それと並行して、アム・セグラ人による数々の蛮行を糾弾した。
「――我々は傍若無人に振る舞うガイジン共に舐められたのである!
大手を振って道を歩くガイジン共。 そんなヤツ等に道を譲り、愛想笑いを浮かべるサラリーマン。 自分達の妻や娘、恋人がガイジンにレイプされても、呆然と見つめるだけの男達。
今や祖国はガイジン共に占拠され、文化を破壊された。 邪神への信仰を強要され、天王に唾を吐きかけられた。
恥ずかしいと思わないのか? 情けないと思わないのか?
立ち上がれ、日本男児! 我々の国は我々自身で守らなければならない。 今こそ益荒男の矜持を世界に知らしめ、ガイジン共から妻や子を守る時が来たのだ!」
そう言って彼等は日本人の自尊心を煽り、結束を訴えた。
確かにアム・セグラ人の一部は自分達を受け入れてくれた日本人を見下し、恩を仇で返した。
だが、日本人の一部も自分達が受け入れた外国人に対し、酷い仕打ちをしたではないか。
そう、悪い奴は押し並べて一部の者達なのだ。
全てのアム・セグラの民が傲慢ではない。 全ての日本人が差別的ではない。 にもかかわらず、一部の悪人の為に全ての者が悪人と誤解される。
その誤解こそ、アム・セグラ人や日本の保守派が冒されている”民族主義”の毒であった。
毒である民族主義に自浄作用など存在しない。 同胞が行なう全ては善であり、正義である。 他民族が黒だと主張するものでも、同胞が白と言うなら白である。
その主張が誤りである事は誰の目から見ても明らかである。
伝統や文化が違えども“普遍的な事実”に変わりは無い。 例えば「地球が宇宙の中心である」と主張する国は、その国の伝統や文化を尊重する以前に「地球は太陽の周りを回っている一つの星に過ぎない」という普遍的な事実に気付かせなければならないのだ。
健全な組織はその誤りを組織内で糺し、普遍的な事実に従おうとする。
しかし、民族主義は普遍的な事実を恣意的にねじ曲げ、変えようとする。 同胞の為なら黒を白だと叫び、悪魔を天使と偽って当然のような顔をする。
つまり、民族主義とは利己的である。 自分達さえ良ければそれで良く、自分達の信じる文化や伝統こそ、世界の常識なのだ。
そんなイデオロギーに洗脳されている者同士が一つの土地で生活していれば、争いが起こって当然である。
今や一部のアム・セグラ人、一部の日本人は民族主義に毒されてしまった。
すると、この忌まわしいイデオロギーの被害者は何の罪も無い市井の日本人なのか?
それとも、日本人と共存を目指そうとしている善良なアム・セグラ人なのか?
いや、彼らも決して被害者ではない。 結局、対岸の火事を見つめる傍観者に過ぎないのである。
善良な市民だろうが悪人共と同じ組織(民族)に属して利益を共有しているのであれば、その悪人共を排除する責任を自分達が負うべきなのである。
立ち上がるのは他民族ではない。 善良な同胞である。 そして、正義の矛は他民族に向けるのではない。 同胞から湧いて出た”悪意の影”を排除する為に向けられるべきなのだ。
――
あるアム・セグラの民が言った。
「この戦いは聖戦である! 我々がアム・セグラ人として日本で生きて行く為の戦いなのだ!」
彼らは自分達の未来を埼玉県某市に住む同胞達に託した。 某市に住む一万人のアム・セグラ人は、いまや十万人以上に及ぶ全国の同胞の期待を一身に背負っている。
無残にも日本人に家族を殺害された同胞の為、アム・セグラ人達は立ち上がった。 人道的な正義の怒りを拘置所前でぶつけ、悪意を振り撒く日本人と戦い抜く決意をした。
正義の戦いは聖なる血を流さなければならない。 抗議という非暴力による碧血を流すからこそ、尊い聖戦となるのだ。
一方、そんな正義に立ちはだかる日本人達も正義を自称していた。
「卑劣なアム・セグラ人達は欺瞞の正義を吹聴し、我らの英雄達を拉致しようとしている!」
保守派、過激派、テロリスト……。 祖国を愛する狂気の民は国を支配しようとする外国人を一網打尽にすべく、拘置所へ正義の行軍をした。
拘置所に隣接する町は物々しい雰囲気に包まれていた。 拘置所へ続く道路は封鎖され、避難勧告が出されていた。 上空には怪しげなヘリが飛び回り、ネット上では怪情報が錯綜した。
「大規模なテロ組織が拘置所を襲撃する!」
「いや、アム・セグラの連中が“平和の行進”とやらをするらしい!」
「違う! 警察と軍がヤツ等と戦争を開始するんだ!」
町中がパニックになり、市外へ脱出する住民が道路を埋め尽くす。 隣町に住むアム・セグラ人達はデマを信じた暴徒共に罵られ、暴行された。
希海、小百合、咲亜矢の三人は伊奈の車で拘置所へ向う途中、町を脱出しようとする民衆によって引き起こされた渋滞に嵌っていた。
「ちょっと! アータ何とかしなさいよ!」
希海が車に向かって文句を言うと、車内から『渋滞シテンダカラ、ショウガナイダロ。 コノ、アンポンタン』という機械音声が響いてきた。
「希海ちゃん、車から降りて歩いて行きましょう」
小百合は車の暴言にプンプンと怒る希海を宥め、車から降りて徒歩で拘置所へ向かうよう提案した。 車は小百合が降りる事に酷く残念がったが、希海に対しては「早ク降リロ!」と言い放ち、再び希海を怒らせた。
「……むぅ。 あのポンコツ、後でボコくらしたるわ……」
ブツブツと車に文句を言いながら、犇めき合う車の間をスルリと抜けて行く希海。 隣には咲亜矢を負ぶった小百合が苦笑しながら希海に従っている。
「さっき義父から『隣町で暴動が起こっているから止めに行って来る』って電話があったヨ。 同胞達が日本人にボコボコにされてるみたい。 イグニス達が余計な事してくれたお陰で、皆迷惑してるヨ」
咲亜矢の話では、あの暴力警官は拘置所には行かずに、隣町で起こった暴動の鎮圧へ向かっているそうだ。
アム・セグラ人に対するヘイトが高まっている中、咲亜矢は不安に駆られたのか沈んだ様子で話しを続けた。
「もうイグニス達も拘置所へ着いてる頃だと思うヨ。 今頃、日本人達と戦っているかも知れないね……」
咲亜矢はそう呟くと小百合の背中を『ギュッ』と抱いた。
咲亜矢が不安がる気持ちは良く分かる……。 イグニス達は家族を殺した犯人を拘置所から連れ去ろうとしている。 しかし、その企みが失敗に終わることは自明であった。 そうなると、この暴動を契機にアム・セグラ人に対するヘイトが最高潮に達する事は誰の目から見ても明らかであった。
『――暴力で全てを解決しようとする侵略者――』
保守派はアム・セグラ人達をそう批難してヘイトを煽った。 彼等は拘置所でアム・セグラ人達を返り討ちにすると息巻いていた。
戦車や武装したトラックに乗ってやって来た保守派の連中は、今回の戦いで某市のアム・セグラ人を皆殺しにせんと機銃を片手にイグニス達を待ち構える。 一人のアム・セグラ人は今回の“抗議活動”を“聖戦”と呼んでいたが、保守派の連中にとっても、今回の戦いは日本の尊厳を護る為の聖戦であったのだ。
「ふっ、ふっ、ふっ……。 全国の同志達が集まり、ヤツ等『侵略者』に対して血の粛清を開始する。
この地がアム・セグラ人の墓場となるのだ!」
全国から集まった保守派連中はイグニス達を皆殺しにすべく、彼等の到着を今か今かと待ちわびた。
――ところが――
「はっ!? な、なんだ!? アイツ等、一体何考えてんだ!!」
拘置所へ集まったアム・セグラ人は僅かに1000名程……。 武装したトラックに乗って来た訳でもなければ、戦車でやって来た訳でも無い。
彼等は軽自動車やバイクで続々と集まり、唖然とする警察や軍を尻目に拘置所前でノボリを立て始めた……。
そして、演説用にマイクと拡声器を並べると、公然と塀の中にいる犯人達に厳罰を求める抗議をし出したのであった。




