平和に潜む悲劇
森中伊奈の屋敷では爽やかな初夏の風が木々の葉を揺らしていた。 年中咲いている色取り取りの花を眺めている小鳥たちは元気に歌を歌っている。
その小鳥たちに負けじと、篠木希海、立山小百合、そして細木一翔の楽しそうな声が聞こえて来た。
三人は屋敷の庭にある大きなテニスコートでバレーボールの真似事に興じていた。 テニスコートの中央にはネットが掛っていたが、ネットとは名ばかりの金属製の堅固な金網であった。 希海と小百合はペアを組んで、金網越しの細木と対峙している。
美しい金髪を太陽に煌めかせ、細木の大きな背を飛び越えてジャンプする希海。 彼女の姿をコートの外で見守っている者は、希海の親友である大城真裕であった。
真裕は楽しそうに大声を出して、希海と小百合を応援していた。 真裕がバレーボールに参加しなかったのは理由があった。 真裕には彼女達に交じって遊ぶ“力”が無かったからである……。
「一翔兄ちゃん、セコい! ジャンプは60センチまでとか言って、ヒトを騙して! アータの方が背高いから私達の方が不利に決まってるじゃない!」
希海が不貞腐れた様子で頬を膨らませ、金網越しの細木を見た。 彼女達の跳躍力は常軌を逸しているので、どうやらルールで『ジャンプは60センチまで』と決めていたそうだ。
そうなると、二メートル近い背丈の細木が有利になるのは言うまでもない。 150センチも無い希海と、160センチそこそこの小百合では、細木の高い打点から放たれる剛球をブロックする事など出来ないからだ。
「はっ、はっ、はっ! “オツム”の違いよ、希海! 不利な提案を呑んだのはお前達じゃねーか!」
どうやら希海と小百合は言葉巧みな細木の提案に騙されて、不利なルールを受け入れてしまったようだ。
「くぅ! ウザい奴!」
細木の意地悪い笑顔に悔しそうな地団駄を踏む希海。 真裕はそんな希海に「ガンバレー!」と声を掛けている。
真裕のすぐ傍には花に水をやる伊奈の姿があった。 初夏の陽気に良く似合う大きめの白いシャツを着ている伊奈。 毛先の赤い髪をお団子に纏めており、何やら花に話しかけながら手に持ったジョウロをゆっくりと傾けていた。
伊奈の隣には見た事のないキツネが従っていた。 燃えるような赤毛を持ったキツネで、フサフサした尻尾を優雅に振りながら、伊奈が花に水をやっている様子を黙って眺めていた。
「真裕ちゃん、貴方は皆と遊ばないの?」
榊原や細木に放つ言葉とは大違いの柔らかい声が真裕の耳に届いてきた。 伊奈は“来客”に対してはアイドルである時の言葉遣いになるのだ。
「えっ――!? いや、いや……私じゃ無理です……。
……あんな球を受けたら骨が砕けるどころが、たぶん木っ端微塵になると……」
「そうかしら?」
遠慮がちな真裕の言葉に、伊奈は後ろを振り向いて三人の様子を見た。
バレーボール程度の大きさの”鉄球”を思い切り引っ叩きアタックを放つ希海。 音速に達したかと思うほどの轟音を響かせて襲いかかる鉄球を両拳で受けて上空へ飛ばす細木。 大地を抉る程の加速で落ちてくる鉄球を、柔らかそうな両掌で再び青空へ押し返す小百合。
そんな異常な遊戯を楽しそうにする三人に、真裕がどうして一緒に混じって遊ぶ事が出来るだろうか?
「そんな重たいモノでも無いと思うんだけど……。 ちゃんと、ご飯いっぱい食べて力付けないとダメよ♡」
食事をして力を付ければ良い問題では無い。 伊奈は希海達との生活に慣れているのか、彼等の異常な力に無頓着であった。
「は、はは……。 はい、頑張ります……」
真裕は乾いた笑いを浮かべつつ、伊奈の隣にチョコンと座る行儀の良いキツネに目を遣った。
「それにしても、珍しいキツネですね♪ 外国のキツネですか?」
「そう、この子は『リルヒト』という名前なの。 可愛がってあげてね♡」
リルヒトは伊奈の目配せに気が付くと、真裕の方へ顔を向けた。
「ふふ、宜しくね!」
金網越しに見える希海の姿から視線を外し、リルヒトに向かって微笑んだ真裕――その瞬間だった。
突然、希海の叫び声が真裕の耳に飛び込んで来た。
「真裕! 危なっ――!!」
希海の叫びに驚いて正面を向いた真裕。 彼女の目の前には『ゴォッ!!』と空気を切り裂いた鉄球が迫っていた!
――
(……私……死ん……じゃう?)
真裕はその刹那、思わず死を覚悟した。
一秒にも満たない時の中で、無残にも鉄球に身体を砕かれた自分の姿が目に浮かんだ。
……自分の遺体を上から見つめる真裕。 呆然とする視線の先には遺体の前で号泣する母親と、慟哭する希海の姿があった。
(希海さんのせいじゃない……)
無残にも親友の放った鉄球に砕かれた自分……。 空から見る自分の死体をしげしげと見つめた真裕は自分の死を受け入れようと呟いた。
(……私は……死んで……
……ない?)
真裕は鉄球が目の前に迫って来た瞬間、死を覚悟した。 その覚悟が死亡した後の幻を真裕に見せたのであろうか、目を開くと真裕は現実に戻っていた。
「……あ……あわゎゎ……!?」
真裕は生きていた。 何が起きたのか分からず狼狽する真裕。 心臓は『バク、バク』と鼓動を続け、顔に掛けている眼鏡もズリ落ちてしまっている。
現実に戻った彼女は腰を抜かして目の前に立つ伊奈の背中を見つめていた。
「ふぅ……。 真裕ちゃん、ケガは無い?」
あまりにも非現実的な光景に返事をすることが出来ない真裕。 それもそのはず、暴力的な速度で襲いかかって来た鉄球が忽然と姿を消していたのである。
「どうしたの? 何処かケガでもしたの?」
返事をしない真裕に心配をしたのか、後ろを振り返る伊奈。
「あ……あっ! ハ、ハイ、大丈夫です! ア、アリガトウございます!」
伊奈の愁いを持った赤い瞳を見て、ようやく我に帰った真裕。 すると、真裕の目の前に血相を変えた希海の姿が飛び込んできた。
「うえぇぇん! ゴメン、ゴメンね、真裕!」
希海は真裕の無事を確認すると思わず噎び泣いた。 細木と小百合も慌てて希海の後を追って来た。
「い、伊奈様! お怪我はありませんか?」
伊奈は希海が放った砲弾を片手で受け止めた。 その様子を見た小百合が伊奈の身体を心配したのであったが、伊奈は「何でもない」と言わんばかりに悠然とした顔で鉄球を受け止めた手をブラブラと振った。
(あ、あれ? 球が無い……)
伊奈が受け止めたはずの黒光りした鉄球の姿が無い……。
(地面に落ちたのかしら?)
小百合がそう思った矢先、にわかに地面から凄まじい熱気が湧上がった。
「――いぃっ――!?」
小百合は思わず声を上げ、目を疑った。
……なんと、地面に落ちた鉄球が真っ赤な液体へと変わり果て、草を焼きながらのっぺりと広がっていたのである。
伊奈は溶解した鉄の熱で燃えてしまった草に悲しげな眼差しを送ると、真裕を抱き号泣する希海の前で膝を屈めた。
伊奈は闇雲に希海の失敗を咎める事をしなかった。 希海の頭を優しく撫でると、諭すような優しい口調で希海を叱り始めた。
「希海、貴方は自分が取る行動の結果を、もう少し意識しなきゃダメよ。 どんな行動にも『取り返しの付かない結果』になる事はあるの。 嘆こうが、後悔しようが、願おうが、二度と取り返すことが出来ない残酷な結果にね。
人は楽しい時、幸福な時こそそんな“大事なこと”を忘れてしまう。 生を謳歌し、幸福の輝きに満ちている裏に、死の悲劇、不幸の影が潜んでいる事をうっかり忘れてしまうの。
そして、いざ悲劇を目の当たりにすると、現実から目を背ける。
『こんなはずじゃ無かった』 『何とかなるはずだ』 『これは夢だ』とね。
でも現実からは逃れられないわ。 どんな些細な失敗でも、その失敗から起こった結果を受け入れなくてはならないの。 悲劇的な結果であろうとね。
だから、楽しい時こそ一歩立ち止まって、自分が次に取ろうとする行動の結果を予測しなきゃダメ。 もし『取り返しの付かない結果』になる可能性があれば、その行動は控えるべき。
いい? 希海。 喜劇の中には常に悲劇が潜んでいる事を忘れてはダメよ。
分かった?」
伊奈はそう言うと、今度は宥めるように背中をさすった。
「うぅ……ゴメンなさい、伊奈様……」
希海は真裕を抱きしめながら伊奈に謝った。 伊奈の背後では驚愕する小百合とは対照的に、液体となった灼熱の鉄に平然とした様子で水を撒く細木の姿があった。
――
真裕はその夜、伊奈の屋敷に泊まった。
夕食は希海が腕によりをかけて作ったという“タワシ”のようなコロッケであった。 香ばしいを通り越して焦げの味しかしなかったコロッケでも、真裕は美味しそうに平らげて希海を喜ばし、小百合と細木を驚愕させた。
その夜、希海は穏やかな寝息を立てる真裕の隣で、今日起きた出来事を繰り返し思い出していた。
(あの時、伊奈様の動きは私でも見えなかった。 気が付いたら真裕の前に伊奈様がいた。 そして、伊奈様が鉄球に向かって腕を伸ばした瞬間、鉄球はドロドロの液体になっていた……)
希海は伊奈の持つ恐るべき力の一片を垣間見た。 自分達とは次元の違う力……。 それは、力と言うよりもむしろ“魔術”に近いと感じる程、異質なものであった。
『――君はお嬢様と同じか、それ以上の力を発揮していると私は信じています』
以前、榊原が希海に言った言葉が脳裏に浮かぶ。
「あんな凄い力、私にはマネ出来ないよ……」
そう言いながらも掌を顔の前へ寄せ、拳を握りしめた希海。 拳から炎を出すイメージを浮かべて目を閉じたが炎など出るはずも無く、力一杯拳を握りしめたせいで単に疲れただけであった。
「ははっ、私なんかがそんな事出来る訳ないか……」
希海はそう呟くとだらりと手を下ろし、まどろみの中で考えた。
(……でも、私は伊奈様に力を与えられた。 もしかしたら、私だって伊奈様と同じように……)
『希海ならきっと出来るわ。 何事も落ち着いて行動すればね♡』
夢の中でも伊奈に注意を受けた希海。
「ふぁぃ……すみましぇんでした……」
希海はそう呟くと、心地良い寝息を立て始めた。




