しばしの別れ
少年が姿を消した次の日、今度は二人の中学生が封鎖された村へ侵入して来た。
村の入口を守るアム・セグラの兵士は、二人の不審者が村の入口へ近づいてくる様子を見ると、当然銃を向けて制止を促した。 ところが次の瞬間、兵士達の目の前が真っ暗になった。
彼等が目を覚ますとすでに中学生の姿は消えていた。 眩い太陽の光が濃い霧に反射していたはずの景色は、茜色の光が輝く幻想的な景色へと変わっていたのであった。
難なく村に侵入した希海と真裕。 二人は化物に惨殺された『田畑絵里』について、村人に聞き込みを行なった。 希海は村人に「私達は田畑絵里のファンであり、彼女の死をニュースで知って慌てて駆けつけた」と告げ、田畑絵里の自宅へ案内して欲しいと願い出た。
村人は毎日が日曜日の贅沢な暮らしのせいで脳が退化していたのか、不可解な希海の説明に何の疑問も抱かずに「ホイ、ホイ」と田畑絵里の自宅へ二人を案内した。
「絵里っちのファンにゃら、どうか彼女のメーフクを祈って上げてくさい」
言葉も退化した様子の村人はそう言って人の良さそうな笑顔を二人に向けると、そそくさと自宅へ帰って行った。
――
田畑絵里の自宅に侵入した希海と真裕。 絵里の遺体はすでにアム・セグラ軍によって回収されており、これから都内の研究所に移送されるそうだ。
絵里の自宅まで案内してくれた村人の話では、彼女を殺害したと言われる怪物は村人から“吸血鬼”と呼ばれていた。 その姿は腹を天に向けて四つん這いで走る長い黒髪の女だったそうだ。
虫の様に『カサカサ』と音を立て、時速100キロを超える速さで動き回る怪物は、逃げ惑う村人や兵士を捉えては長い牙で血を吸い取り、内臓を貪り喰ったのだと言う。
村人は「カアイソウに絵里っちは吸血鬼に喰われた最初の被害者なのだ……」と悲しそうな顔を希海と真裕に向けていたが、もちろん、希海と真裕は村人の話が誤っていると確信していた。
「田畑絵里は憎悪を返されて鬼となったんだわ……」
希海はそう確信していた。 そして、田畑絵里に憎悪を返したのは、希海の背後にいる真裕である事に、間違い無かった。
真裕は壁に沿って設置されている大きな物置棚を調べていた。 棚を開けて中を物色していると、棚の中に横積みにされた幾つかの古いアルバムを見つけた。
「こ、これは?」
真裕はその内の一冊を引っ張り出す。 すると、中からパラパラと何枚かの写真が舞い落ちて来た。
「ひっ――! の、希海さん!」
真裕はその写真を眺めると思わず絶句し、身震いした。 そして、後ろで床に広がる血痕を調べていた希海に助けを求めた。
「真裕、どうしたの!?」
希海が慌てて真裕の傍に行き、彼女の肩を抱き寄せる。 すると、真裕の視線の先に数枚の写真が床に落ちている事に気が付いた。
「――!? こ、これは……“不正の痕跡”だわ」
その写真の一枚には真裕の父『大城祐二』が写っていた。
大城祐二の隣には黒く長い髪をした美しい女性が映っていた。 紫色の着物を着た艶やかな様子の女性。 恐らくこの女性が『田畑絵里』なのであろう。 ところが、祐二の胸の部分には複数の小さな穴が開いていた……。
そして、床に落ちたもう一枚の写真――その写真はさらに二人を慄然とさせる恐ろしい写真であった。
「お父さんの顔が……」
もう一枚の写真は祐二が一人で映っていた。 ところが、祐二の顔は何者かにくり抜かれており、彼は首だけしか無い姿で写真に収まっていたのであった。
さらに、三枚目、四枚目と希海が写真を拾い上げる。 すると、全ての写真に大城祐二が映っている事が分かった。 田畑とみられる女性が映っている時は心臓の箇所に穴が開いているだけだったが、一人で映っている写真は、彼の顔は黒く塗りつぶされていたり、切り取られていたりしていた。
「これは……『丑の刻参り』?」
もともとオカルト好きであった真裕は、直感した。 写真に映る祐二の胸を目がけて釘を刺したかのような穴が空いている事や、首から先がくり抜かれている事から、間違いなく祐二を呪っていたのだろうと。
「……へっ? 『牛の国……』って何? 牛だらけの国? そんな国がこの写真に何の関係があんのよ?」
希海が真顔で真裕にとんちんかんな問いを浴びせる。 すると、真裕は思いがけない希海の問いに思わず「あはは!」と笑ってしまった。
「違うよ、希海さん!」
真裕は希海に自分の知っている忌まわしい儀式を説明した。 先ほどまで父親を呪っていた女の存在に足が竦み、身震いをしていた真裕。 怯懦に慄き、息を飲んでいたはずの彼女が希海の一言ですっかり恐怖を克服し、笑顔を見せた。
――
田畑絵里は真裕の父『祐二』に捨てられ、全てに絶望して女優を引退し、各地を転々としていた。 そして、人里離れたこの村へやって来た。
彼女は何故、この村に流れ着いたのか?
それは、彼女が娼婦として生計を立てていたからである。 元女優という肩書きもあり、実際に美しい容姿であった絵里は、この村を支配していた外国人に身体を売っていたのだ。
彼女にとって自分の身体など、もはやどうでも良かった。 祐二に裏切られた時からすでに穢れてしまっていたから。 外国人だろうが、日本人だろうが、報酬さえ貰えればどんな醜悪な男にもその身体を投げ出した。 どんな事をされようが、もう彼女の心は何の痛みも感じなかったのである。
絵里が住んでいた家は庭にプールまで付いた一戸建ての家で、彼女の裕福な暮らしぶりが窺えた。 だが、散々身体を弄ばれて得た金で贅沢をしても、心には常に“虚無”が巣くっていた。 彼女の瞳は絶望と孤独で灰色に濁り、希望はすでに失われていた。
そう、絵里は伊奈の言う『混沌の女王』に烙印を刻まれていたのである。
彼女の全ての感情は烙印によって憎悪に変わった。 人に優しくされようと、男に求愛されようと、自分が愛した人間は大城祐二ただ一人……。 彼への愛が憎悪へと変わり、全ての感情が憎悪に支配されたのである。
絵里の自宅の裏には鬱蒼とした森が広がっていた。 彼女は夜な夜な森へ入り、恐るべき呪いの儀式を行なった。 大樹に祐二の写真を貼り付け、呪言葉を唱えながら写真に映る祐二の胸に五寸釘を打ち付けた。
来る日も来る日も怨念の籠もった忌まわしい釘を写真に打ち付け、愛する男の死を願った。 男が不幸に身悶え、無残に死に果てる事を願い、灰色の瞳に黒い炎を宿らせた。
そして、ついに絵里の願いが叶った。
……だが、残念ながら彼女は大城祐二が死んだ事を知らなかった。 祐二が死亡する直前に、彼女の身体は急激に変貌し、鬼となってしまったからだ。
絵里が鬼となった原因は、真裕の憎しみであった。 父親を呪い続けた絵里に対する真裕の一瞬の憎悪が、彼女を鬼へと変えたのだ。
田畑絵里はこうして人間としての生涯を終えた。
彼女の人生は決して幸福ではなかった。 幸福でなかった原因はもちろん大城祐二の裏切りであった。 だが、その後に絵里が抱いた憎悪こそ、彼女を不幸ならしめ鬼へと変貌させた理由なのだ。
「人を恨めば、その恨みは必ず返ってくる。 そして、恨んだ人は鬼となる。 だから真裕、貴方は決して誰も恨まないで」
――どんな時にも、希望を忘れないで――
村を出た希海は真裕を背中に抱きながら、彼女に向ってそう願った。
「大丈夫、お母さんがいる限り、私は誰も恨まないよ」
母親だけではない。 疲れ切った自分を優しく負ぶってくれる銀色の瞳を称えたこの親友がいれば、真裕はこの先もう人を恨むことなど無い。
温かい希海の背中に彼女の真心を感じていた真裕は、まどろみの中で希海に問いかけた。
「ねぇ、希海さん?」
「なぁに?」
「ずっと、私の友達でいてくれる?」
「もう、何言ってるの! 当たり前じゃない! 私達はこれからもずっと友達よ!」
恥ずかしさを隠すためかぶっきらぼうに答える希海に、真裕は『クスッ』と笑みを漏らした。 そして、彼女の優しさを胸に感じながら、しばしの眠りについたのであった。
――
希海は真裕を負ぶって村を出ると、山を越えて町へ出た。 そして町のホテルで一泊すると、榊原に村で見た出来事を報告した。
「な、何ですってぇ!?」
電話口の榊原は驚いた声を上げていたが、希海は榊原の反応が何だか“ワザとらしく”感じた。
(鬼となった田畑絵里は何者かに殺された。 田畑絵里を殺したヤツは誰……?
村人のオッチャンは『全身に包帯を巻いた少年』と言ってたけど……
……少年なんて、私達の仲間にはいない)
田畑絵里を殺害した者が希海の仲間では無い事は分かっていた。 だが、榊原はその少年の事を何か知っているはずだ。 電話口で話す様子でも、榊原は何かを隠しているようだった。 そして、どうも榊原だけではなく、仲間達もその少年の事を知っているような気がしてならなかった。
「むぅ……。 皆、私に内緒で何か隠しているに違いないわ」
希海はそう考えると、段々腹が立ってきた。 早く屋敷へ帰り、伊奈に自分の不満をぶつけようと考えた。 伊奈であれば、皆と違って隠し事などせずに、少年について正直に教えてくれるだろうと確信していた。
――
東京へ着いた希海は、真裕の母『真琴』が待つホテルまで真裕を送り届けた。 真琴は希海に礼を述べ、依頼の報酬を希海に渡そうとした。 ところが、希海は真琴の申し出を断り、報酬は榊原に直接渡すよう真琴に伝えた。
「じゃあ、私は家へ帰るから!」
ホテルのロビーまで希海を見送っていた大城母娘。 真裕は希海とのしばしの別れに思わず涙した。
「真裕ったら、すぐにまた会えるわよ。 引っ越し先は私の学校の近くにしなさいね。 そうすれば、学校でも毎日会えるから」
希海はそう言って真裕を慰めると「ニシシ」と笑った。
希海が真裕の涙を拭ってやると、真裕は希海の真似をして「ニシシ」とはにかんだ。
「じゃ、またね!」
「うん、帰ったら連絡してね!」
眼鏡の奥に光る可愛らしい栗色の瞳は、親友の背中を見つめている。 瞳に光る輝きは希望の光。 絶望の影などとうに無い。
真裕はホテルを出る親友の背中をずっと見つめていた。
彼女がホテルを出てからも、ずっと手を振っていた。
その温かかった背中が見えなくなるまで。
第三章はこれで終了です。 最後までお読み頂いて有り難うございました。
次章のタイトルは『悪意の選別』。 いよいよ伊奈の力の一端を希海が見る事になります。
それは世界をも滅ぼす程の恐ろしい力の片鱗。 しかし、伊奈は希海に自分の真の力を見せる事を望みません。
伊奈の真の力とは一体どんなものなのか? いずれこの物語で明かされる事でしょう。
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引き続き、本作品を宜しくお願いします。




