先回り
希海と真裕は高橋昇が運転する車で、彼の自宅へと向った。 希海と真裕は後部座席に仲良く座っていた。 ボロボロの軽自動車は乗り心地が悪く、真裕は少し気持ちが悪くなったが、隣の希海は『グーグー』とイビキを掻いて無意識のうちに垂れてきたヨダレで座席を汚していた。
「彼女は一体何者なんだ?」
真裕が希海の寝顔を微笑ましく眺めていると、不意に昇が真裕に声を掛けてきた。
「……わ、私も良く分かりません」
「えっ? だって、君達は友達なんじゃないのか?」
真裕の言葉に驚いた昇はバックミラー越しに真裕を見た。
「はっ、はい。 友達ではあるんですが、恩人でもあるんです」
真裕の言葉に昇は先ほどの目を疑う希海の強さを思い出し、真裕が自分と同じく希海に助けて貰ったのだと想像した。
「そうか、君もこの子に助けられたクチか。 それでお友達になったと?」
「はい。 希海さんは私の恩人です」
真裕はそう答えると、プニプニした希海の頬をそっと指で突いた。
車はゆっくり沿岸部へ進んでいる。 復興ままならないアスファルトには地割れが起こっている箇所が幾つもあり、地割れの段差にタイヤが乗り上げる度に『ガタン、ガタン』と車を大きく揺らしていた。
「ところで君達の名前は何て言うんだい?」
高橋は希海と真裕の名を聞いていなかった事に気が付いた。
「あっ、隣で寝ているのは篠木希海さんです」
「……希海ちゃんか。 それで、君の名は?」
高橋に名を聞かれた真裕は言葉に詰まった。 バックミラー越しの高橋の顔は中々自分の名を名乗らない真裕に不思議そうな眼差しを向けている。
その時、真裕は希海の祈りを思い出した。
『神は罪を知り給はざりし者を我らの代わりに罪となし給えり。
これ我らが彼に在りて神の義となるを得んためなり』
父親の罪を自分が背負うことで母が罪から救われるのであれば、自ら名を名乗り高橋の憎悪を受け止めよう。
彼女はそう決心し、高橋に自分の名を名乗った。
「私の名前は……『大城真裕』……。
……大城祐二の……娘です」
『――ギィィィ――!!』
その瞬間、軽自動車はけたたましいブレーキ音を掛けて急停車した。
――
「き、君は……」
高橋は車を止めると、座席から身を乗り出して後ろを振り返った。 希海は急ブレーキにも動じず眠りこけている。 真裕は目に涙を溜めて俯いていた。
「……ち、父の行いを……許して欲しいとは思っていません。 取り返しの付かない事をしてしまった事を……。
でも……でも、どうしても私は貴方に謝りたかった。
父が行なった罪を、私が……」
必死に言葉を絞り出す真裕を見ながら、高橋は息を飲んだ。
「……それが俺を探していた理由……か?」
高橋はメディアを通じて、大城祐二が先日自殺した事を知っていた。 だが、彼が亡くなった事に対してなんら痛痒も感じなかった。
それは、今の彼は大城祐二を恨んでなんかいなかったから。
「顔を上げてご覧」
優しく語りかける高橋の声に、真裕はゆっくりと頭を上げた。
「――!」
高橋は目に涙を浮かべながら、真裕に向って微笑んでいた。 そして、次に彼の口から出た言葉――その穏やかな声に真裕の瞳から涙が溢れ出た。
「ありがとう。 君の誠意が過去の俺と、母さんの魂を救ってくれた」
「う、うう……。 ウワァァァン――!!」
真裕は彼の穏やかな声に思わず声を上げて泣いた。 高橋は真裕の誠実な心に胸を打たれ、彼女の為に一筋の涙を流すとこう言葉を贈った。
「俺はもう誰も恨んでいない。 その理由を君にこれからお見せしよう。 だから、今日はそこで眠る“天使”と一緒に俺の家でゆっくりして行きなさい」
高橋はそう言うと再び前を向き、車を走らせた。
真裕が涙を拭うその横で、希海は目を閉じて眠ったふりをしていた。 彼女は心の中で真裕の勇気を称え、彼女の幸せを祈っていた。
――
「ふぁぁ、よく寝た」
継ぎ接ぎだらけに修繕されたボロボロのアパートの前で、希海が大きく伸びをした。 日はすっかり暮れており、夜の帳が落ち行く空に薄らと月の姿が見えていた。
「希海さん、一時間くらいしか車に乗っていなかったじゃない」
呆れた様子で希海を見る真裕。 希海は真裕の顔を見ると「ニシシ」と笑った。 真裕の顔に残っていた涙の筋に気付いていないフリをして。
「さあ、汚い部屋だがゆっくりして行ってくれ。 ちょうど妻も夕飯の支度が終わった頃だと思う」
昇はそう言うと、立て付けの悪いドアを開けた。 すると、彼がドアを開けるや否や、小さな男の子が昇の胸に飛び込んできた。
「父ちゃん、お帰り――!」
高橋は息子の出迎えに目を細めると「ただいま」と言って、艶やかな子供の黒髪を優しく撫で込んだ。
すると、部屋の奥から息せき切って高橋の妻が駆け寄ってきた。
「昇さん、怪我はなかった!? 大丈夫だったの――?」
昇の妻は夫が町で酷い目にあった事を知っていた。 希海と真裕を連れて家へ向う前に昇が妻に連絡をしたからである。
その時、高橋は二人の恩人に助けて貰ったことを妻に告げ、その恩返しの為に二人を家に招待するので、夕飯を多めに作って欲しいと頼んでいたのだ。
妻は夫を助けてくれた二人の容姿を聞いていなかった。 きっと、屈強なヒーローが傍若無人な大臣から夫を助けてくれたのだろうと思い、数日分の食材を惜しげも無く使い、豪華な料理を用意していたのであった。
「この二人が俺の事を助けてくれたんだ」
昇がそう言って後ろを振り向くと、そこにはどう見ても中学生のような二人の少女が佇んでいた。
「……へっ? こ、この子達が……?」
昇の妻『由美』は目を丸くした。 まさか、こんな華奢な少女二人が軍人達を引き連れた大臣を追い返すなど、由美には考えられなかった。
「ま、まあ……とにかく有り難う、お二人とも!」
由美は夫の言葉に半信半疑であったが『きっとこの子達の父親が夫を助けてくれたのだろう』と勝手に判断して、和やかに笑みを浮かべて二人を部屋の中へ招き入れた。
部屋の中は想像以上に狭かった。 小さいダイニングの奥に見える6畳間の畳は真っ黄色にくすんでおり、シミだらけの壁はボロボロに剥がれている有様でとても綺麗な部屋とは言い難かった。
『さぞかし赤貧に耐え忍ぶ辛い生活を送っているのだろう』
部屋に入るなり、真裕はそう思ってココロを痛めた。 ところが、先に奥の部屋に入って行った家族の様子を見て、自分の考えが思い違いであった事に気付いた。
昇と由美、そして息子の様子に不幸の影など全く無かったのだ。 そればかりか、薄暗い部屋も三人の周りだけ輝いているように感じたのである。
「何だか、みんな幸せそうね♪」
真裕は嬉しそうに希海の横顔を見た。
「……希海さん?」
真裕の横で佇む希海は、まるで夢を見ているかのように呆然とした顔を浮かべていた。
(パパ……ママ……剛史……ミイナ)
希海は幼い頃の幸福な暮らしが脳裏に浮かんでいた。 トタン屋根のボロボロの長屋でも絶え間ない笑い声が響き、光に満ちていたあの時の暮らしを。 幸せに溢れている六畳の部屋で笑い合う高橋一家が、在りし日の父と母、弟の姿と重なっていたのである。
(……みんな、会いたい……よ)
「の、希海さん……」
真裕の心配そうな声に希海は我に返った。
「あ、あれ……? 何だか涙が……?」
希海は三人の様子を見つめながら、無意識の内に涙を流していた。
「希海さん、どうしたの?」
希海を覗き込む真裕の顔は、泣き出しそうな程心配そうである。
「あ、いや……。
えへへ……さっき寝たばかりなのに、欠伸したら涙が出ちゃった」
すると真裕は希海の心意を察知したのか、彼女を元気づけようと「ふふっ」と微笑み「希海さんはお寝坊さんね♪」と希海をからかうような言葉を送った。
「むぅ、アータ馬鹿にして!」
希海は真裕の心遣いに気が付いたのか、笑いながら頬を膨らませた。
――
夕飯は町の特産品である海の幸をふんだんに使った鍋料理であった。 希海と真裕は仲の良い三人家族に交じって、お腹いっぱいになるまで鍋料理を堪能した。
『――俺はもう誰も恨んでいない。 その理由を君にこれからお見せしよう――』
真裕は仲睦まじい家族の様子を見て昇の言葉を思い出し、彼の言っていた意味が分かった気がした。
(そうか……。 今、こうして幸せだから、もうお父さんの事も、誰の事も憎んでいないんだ)
真裕はそう思い、昇の顔へ目を遣った。 昇の隣に座る由美は膝に乗せた息子をあやしており、真裕の視線に気が付いていなかった。
昇は真裕の視線に気付いていた。 昇は彼女が何を考えていたのかすぐに分かったようだった。
「俺が誰も恨んではいない理由、分かったみたいだね」
昇はそういうと真裕に穏やかな眼差しを向けた。
「――ハイ――!」
真裕が嬉しそうに返事をすると、その声に昇の隣に座る由美が「えっ?」と反応した。
「真裕ちゃんが由美の作った鍋が美味しいってさ」
「あら、本当? 嬉しいな!」
昇の言葉で由美はてっきり昇が『料理が美味しいかどうか』を真裕に聞いたのではないかと思い込み、真裕の元気の良い返事に喜んだ。
照れくさそうに後ろ手で頭を掻きながら笑っている由美。 そんな彼女の様子に真裕と昇はお互い顔を見合わせると、イタズラっぽく微笑んだのであった。
――
「希海さん、起きて! 大変な事が起こったの!」
真裕の叫びに目を覚ました希海は、真裕から差し出されたスマホの画面を寝ぼけ眼で「ほえぇ?」と見つめると、画面に表示されているニュースをたどたどしく声に出した。
「うぅん……なに、なに?
『青森県八ツ又村に住む元女優の田畑絵里さんが……殺害された』
……はぁ? 誰それ?」
「希海さん、何言っているの! 榊原さんが言っていた人じゃない! ほら、お父さんが裏切ったって言う――」
真裕の叫びに希海は伊奈の言葉を思い出し、血相を変えて飛び起きた。
「ええっ!? 何よ、それ! 何で殺されてんの!?」
慌てて真裕に詰める寄る希海。
「そ、そんな事、私も分からないよ!」
真裕は顔を近づける希海の頬を、両手で押さえ付けながら狼狽えた。
「と、とにかく――! すぐ現場へ行きましょう!」




