死の接吻
「……なっ……!?」
予想外の条件に息を詰まらせる蒼汰。 森中伊奈はそんな蒼汰の様子を無視するかのように言葉を続ける。
「例外は無いわ。 お前が恨みを持つ者を愛する者達がいたら全員殺すのよ。 ソイツ等がたとえ子供でも、老人でも……」
蒼汰はあまりにも悍ましい条件に頭が真っ白になっていた。 そして、いつの日か蒼汰の妻が口に出した言葉を思い出した。
『もし、私が誰かに殺されたとしても、決して犯人を恨まないでね……』
「ウワァァァ――!!」
蒼汰は妻の言葉を思い出した時、気が狂わんばかりに叫んだ。 伊奈は苦悶に歪んだ蒼汰の叫びをただ黙って聞いているのみであった。
ひとしきり絶叫し、頭を掻きむしり、苦痛に身をよじらせた蒼汰……。
……どの位の時間が経ったのであろうか? やがて、その窪んだ目に宿した瞳から再び黒い炎が湧き上がり、ひび割れた痛々しい唇から言葉が絞り出された。
「俺は……その条件を……受け入れる……」
――
「それじゃ、約束ね♪」
伊奈はニッコリと微笑んだ。 その笑顔はテレビの中で歌を歌う伊奈と全く変わらなかった。
「それでは木佐貫様、目を瞑ってください」
蒼汰の隣に控えていた榊原が目を閉じるように促した。
「目を瞑ったら、お嬢様の了解を得るまでは何があっても開いてはなりません」
そう言われると、目を開いた時に何が起こるのか気になるのが人の常。
「目を開けたらどうなるんです?」
「死にます」
榊原はあっさりと恐ろしい言葉を吐いた。 ところが、蒼汰は榊原の回答を大方予想していたようで「ふぅ、なるほどね……」と自虐的なため息を吐いた。 そして、伊奈へと視線を移し、彼女の赤く美しい瞳をまっすぐ見つめた。
「さぁ、早く目を閉じなさい」
伊奈が蒼汰に催促すると、蒼汰はゆっくりと目を閉じた。
目を閉じると、彼の妻と娘、そして父と母、姉弟達の姿が浮かんできた……。
『お願い……憎悪に取り込まれないで……』
蒼汰の妻が悲壮な顔で訴えかける。
『ダメだ、蒼汰!』
父と母が必死に蒼汰を止めようと叫んでいる。
(いや……。 もはや、これは貴方達の為ではない! 俺の為……。 俺の……俺のこのどうしようもない憎しみを晴らすための、俺自身の復讐なんだ!)
蒼汰は自分のココロに強く言い聞かせ、幻影を弾き飛ばした。
――
閉じている瞼の上から真っ赤な閃光が放たれ、目の奥が明るく光る。 その眩い光は太陽のような熱を持ち、蒼汰は耐えがたい熱気に晒された。
「ぐはっ……。 一体、これは……?」
蒼汰は苦痛でイスから転げ落ちると、思わず目を開こうとした。
「目を開けてはなりません!」
榊原の叫びで、再び瞼に力を込める蒼汰。
(絶対、開けてなるものか!)
榊原は床に倒れ伏す蒼汰を抱きかかえると「あともう少しです。 目を閉じたまま耐えるのです!」と励まし、再び蒼汰をイスに座らせた。
身体が焼け焦げる程の灼熱が蒼汰の身を包む。
(目を開ければもしかして地獄にいるんじゃないだろうか?)
蒼汰がそう思い、これ以上耐えられないと諦めかけた瞬間――
「――なっ!?」 (なんだ、この柔らかい感触……?)
蒼汰のカサカサになった唇に包み込むような柔らかい感触が伝わってきた!
「こっ、これは……」
蒼汰は妻と共に過ごした日々を思い出した。 妻と口づけをした時に感じたあの柔らかく、暖かい感触が蒼汰の唇に伝わってきたのだ。
「――目を開きなさい――」
そう囁いた伊奈の声は彼女の吐息が顔にかかる程近かった。 蒼汰の身を焦がした凄まじい熱気はあっという間に消え去り、彼は穏やかな暖かさを感じていた。
「――うゎ!?」
目を開くと、伊奈の微笑んでいる顔が目の前に飛び込んで来た!
『ガタン――!!』
心臓が飛び出るほど驚いた蒼汰は、そのままイスごと後ろへひっくり返ってしまった……。
「ふふふっ……。 アタシの口づけがそんなにイヤだったの?」
やはり、伊奈は蒼汰と口づけを交わした。 少しイタズラっぽく微笑む伊奈は先ほどまでの威圧感のある彼女とは打って変わって、あどけなさが残る高校生の少女そのものであった。
「……いえ、突然の事だったのでビックリしてしまって……」
腰を抜かしたように両手で床をついて座り込む蒼汰。 すると、その様子を見ていた榊原が矢庭に『ポン、ポン、ポン』と手を叩き、蒼汰に祝福の言葉を述べた。
「おめでとう! これで貴方に敵う人間は誰もいない。 貴方はご自身の復讐をその偉大な力で成就する事が出来るのです!」
榊原の言葉に唖然とする蒼汰……。 一体自分の身に何が起こったのか? 確かに、何だか体中に力が湧き上がる感じはするが、それ以外に表向きの異変は感じなかった。
「お、俺は一体どうなって……?」
呆気に取られる蒼汰の目の前に、伊奈が近づいてきた。 伊奈は蒼汰に手を差し出して立ち上がるように促す。 そして、蒼汰に信じられないような言葉を吐いた。
「ネシカー・メイター、お前はアタシに唇を奪われた時に死んだの……人間としてね」
「……なっ、何を言って……?」
蒼汰は伊奈の言っている事が全く理解できなかった。 伊奈も蒼汰が理解できない事を分かっているのか、再び茶目っ気のある笑顔を蒼汰に見せて言葉を続けた。
「ふふっ、お前はもうアタシが居なければ生きられない。 その代わり、お前は人ならざる力を得ることが出来たの。
銃も、爆弾も、毒ガスもお前には効かない。 まあ、核爆弾だったら危ないけどね……」
蒼汰はニッコリと微笑む伊奈の手を掴み、立ち上がった。 伊奈の柔らかい手の感触が蒼汰の手に伝わってきた。
「力……って? 僕にそんな力なんて……」
戸惑いを隠せない蒼汰に背後から榊原が声を掛けた。
「しばらくは力をコントロールする為の訓練が必要です。 とりあえず、私と共に町へ繰り出してその辺のチンピラ相手に練習しましょうか」
(なっ、何言ってんだ……。 このオッサン……)
物騒な事を吐く榊原に唖然とする蒼汰。 すると、伊奈が榊原に釘を刺すように注意を促した。
「おい、榊原。 お前、分かっているわね? チンピラを練習相手にするのは良いけど殺してはダメよ。 もし、殺したらそのチンピラの事を愛している者達も全員殺さなきゃならないから……面倒くさいでしょ?」
何故、伊奈は殺した相手に関係する者も全員殺そうとするのか……それも、その者を愛する者だけを……。
伊奈はその理由を語らなかった。 榊原であれば理由を知っているのかもしれない。 蒼汰はとりあえず榊原ともう少し親密になってから、その理由を聞き出してみようと考えた。
「それではお嬢様、蒼汰君と共に外出して参ります故、あとの事は島田にお申し付けください」
榊原はそう言うと、伊奈に深々と一礼した。 蒼汰も見よう見まねで伊奈に一礼をする……。
「ふぅ、分かったわ……。 でも、何日も遊んでちゃダメよ。 力の制御に慣れたらすぐに憎悪の対象者を消滅させなさい、分かった?」
「承知いたしました!」
(“承知いたしました”って……。 復讐をするのはアンタじゃないだろう)
蒼汰は勝手に話を進める榊原に呆れたような視線を送った。 榊原はそんな蒼汰を一瞥するとニッコリと微笑み「さぁ、行きましょう」と扉に視線を向けた。
「あっ、それとお前、明日出演する番組は歌番組でよかったのね?」
伊奈が部屋から出ようとする榊原を呼び止めると、榊原は「左様でございます」と再び踵を返して伊奈に一礼した。
「……むぅ、最近歌番組ばかりね。 『大食いアイドル決定戦』のような番組はもう無いの?」
伊奈が不満げな様子で榊原に訴えた。 すると榊原は「申し訳ありません。 そのような番組はまだ企画されておりません」と頭を垂らした。
「プロデューサーにヤキを入れるなりして、企画するようにしなさい。 歌ばっかり歌っているとお腹がすくわ」
伊奈が榊原にそう指示すると、榊原は「それでは“細木”にそう申し伝え、善処いたします」と部屋の扉を開けた。
(細木……。 一体この屋敷には何人の仲間がいるのか……?)
蒼汰は疑問に思いながら榊原の後を付いていくと、開いた扉から部屋を出た。 そして、正面で笑みを浮かべている伊奈に向かって一礼すると「それでは、行って参ります」と榊原の真似をして丁寧な言葉を贈った。
「行ってらっしゃい、気を付けてね♪」
目を細めて言葉を返す伊奈は、アイドル然とした眩い笑顔を称えていた。 そして、廊下にも届かんばかりの澄み渡った美声を榊原と蒼汰へ届けたのであった。




