誤解
大城一家が住んでいたマンションでは連日マスコミが押し寄せ、住民に対してインタビューを繰り返していた。
それもこれも、人気俳優であった大城祐二が『自宅で自殺を遂げた』という事件が起こったからである。
住民は少女の悲鳴や男の怒声、銃声が聞こえて来たとマスコミに証言していた。 警察の発表では妻と口論になった祐二が妻と娘に暴力を振るい、突発的に拳銃で自殺を図ったとの事であった。
『何故、大城祐二は妻と口論になり、自殺をしたのか?』
様々な憶測が飛び交う中、ワイドショーのコメンテーターが拵えた妄言が世間に広く支持された。
『大城祐二は森中伊奈と不倫をしており、その事で妻と口論となった。 妻はノイローゼとなり家事もせず、自宅は“汚部屋”と成り果てて害虫まで湧く始末であった。
祐二自身も宗教法人との蜜月な関係が暴露され、世間からバッシングを受けた直後であったので、精神的に不安定であった。 そんな悪いタイミングが重なってしまい、勢い余って祐二は自身のこめかみに拳銃の銃口を当て、引き金を引いたのである』
そんな妄想を真しやかに語るワイドショーのコメンテーターは、その逞しい妄想……もとい取材力を賞賛された。
それからというもの、伊奈の許には連日新聞記者が訪ねて来るようになり、彼女を困惑させたのであった。
「大城さんとは番組で共演したくらいで、個人的なお付き合いは有りませんよ」
伊奈はそう言って何度もマスコミの下衆な憶測を否定していたが、いい加減対応が面倒になって来たのか、マスコミへの対応を榊原と細木に任せるようになった。
――
「ふぅ、面倒くさい……」
伊奈は疲れた様子で楽屋の丸椅子に座っていた。 彼女の傍には榊原が控えており、伊奈に同情するように「お疲れ様です」と言葉を掛けた。
「……大城祐二がアタシに性的欲求を抱いていたなんて、全く気が付かなかったわ。 アタシの力も衰えたものね」
伊奈は寂しそうに赤い目を伏せて俯いた。 すると、榊原は「お力が衰えた訳ではございません」と伊奈を慰めた。
「大城祐二の呪術が脆弱であったから、お気付きにならなかっただけです。 ヤツはお嬢様に返された呪いだけで鬼となった訳ではないはずです」
祐二は伊奈を自分の物にしようと企み、呪術を使用した。 ところが、その呪いは伊奈に返され、彼は鬼となった。 一見すると、呪いを返された事が原因で祐二は鬼となったと見える。
だが、祐二が鬼となった原因は伊奈に呪いを返されたからではなかった。 彼はそもそも誰かに憎まれていたからこそ鬼に変貌したのである。
榊原の主張に伊奈も頷いた。
「そうね。 欲望を成就させる為に使用する呪術で鬼になる事など無い。
……欲望を抱く事は誰にでもある事。 富や名誉、好みの異性との交わりを渇望する事自体に“悪意”は無い。
でも、その欲望に悪意が宿った時、欲望は憎悪へと変わる。
欲望だけでは無い。 嫉妬、憤怒、正義……そして、愛。 人間の持つあらゆる感情に悪意が宿れば、その感情は憎悪へと変わる。
憎悪とはあらゆる感情の深い闇。 世界を混沌へ導く”女王”の好物。 その忌むべき女王の“烙印”を刻まれた者が鬼へと変わる。
大城祐二がかつて用いた呪術は、何らかの感情を憎悪に変えて使用したもの。 その為、ヤツは烙印を刻まれた。 ”混沌の女王”による烙印をね。
烙印を刻まれた者は憎悪を返された瞬間に鬼となる。 そして、憎悪を返した人間にも烙印が刻まれる。
――憎悪は憎悪を生み、復讐は繰り返される――
だから念の為、大城祐二に憎悪を向けていた者達の行方を捜し、今も憎悪に身を委ねているのであれば“消滅”させる必要がある。 憎悪の輪廻を断つ為に」
伊奈が口に出した消滅という言葉――それは言わずもがな、憎悪を抱く人間を抹殺するという意味であった。
大城祐二を憎んでいた者は、すでに彼が死亡した事をニュース等を通じて知っているはずだろう。 復讐の為に呪術を用い、その呪術の影響で祐二が死亡したのであれば「復讐を果たすことが出来た」として憎悪は消えるだろう。 悪意を持って呪術を用いる事は、自らの力で復讐を果たす事と同じだから。
だが、祐二は呪術によって死んだ訳では無く、榊原に殺された。 したがって、祐二が死亡しても彼に憎悪を向けていた者の復讐は果たされておらず、憎悪は消えないのだ。
一方、祐二を失った家族――真琴と真裕――は祐二が鬼となって死亡した原因が「誰かから憎まれていた」からだと知っていた。 そうすると二人は、祐二に憎悪を抱いていた者を憎むかも知れない。 愛する夫、愛する父を殺された恨みを晴らす為に。
『――人を呪わば、穴二つ――』
祐二を呪った者は、もし自身に巣くう憎悪が消えていなければ、逆に大城母娘に憎悪を返されて鬼となるのだ。
「……憎悪という烙印を刻まれた者は、二人に憎悪を返されれば鬼となっているはず。 鬼となった者は消滅させなければならないという訳ですね」
榊原は伊奈の話しを理解したつもりでそう話しを纏めた。 ところが伊奈は彼の言葉に首を振った。
「違うわ。 烙印自体が憎悪では無い。 烙印とは憎悪を抱く者を鬼へと変える忌むべき女王による刻印。
烙印を刻まれた者が鬼となる場合には複数の状況があるの。
『復讐を果たせずに憎悪を消し去ることが出来なかった場合』
『復讐を果たして憎悪を消し去ったけど、再び憎悪に取り憑かれた場合』
『憎悪をぶつけた相手に憎悪を返された場合』
『憎悪をぶつけた相手の関係者に憎悪を返された場合』
……つまり、鬼となる要因は憎悪の有無。 憎悪を抱いたり、返されたりしなければ烙印を刻まれただけでは鬼にならない」
榊原の誤解を訂正した伊奈。 榊原は何度も伊奈の解説を聞いていたはずだが、難解で理解が及んでいなかった事を彼女に詫びた。
伊奈はそんな榊原に優しげな眼差しで目配せをし、説明を続けた。
「お前が必要なら何度でも説明するわ。 とにかく、大城祐二はかつて誰かに対して悪意を持った呪術を用いた事で烙印を刻まれた。
烙印を刻まれた大城祐二は、呪いをぶつけた本人かその関係者に憎悪を返され鬼と変わりつつあった。 しかも、あろうことかアタシに欲情し、アタシに呪いを掛けようとした事で自ら鬼へ変貌する時間を縮めてしまったの。
つまり、ヤツは失敗したの。
悪意を持って相手を呪うなら、その相手に関係する者を全員抹殺しなければならなかった。 お前達が復讐を遂げた時と同じように。
そうしなければ、たとえ呪術によって相手に復讐しても、復讐した相手か、その相手を愛している者達によって仕返しをされ、呪いを返される。
だからアタシ達は復讐をした者を愛する者達がいれば、その者達を全員抹殺しなければならないの。 憎悪の輪廻を断つ為に」
榊原はいつの間にか傍に置いてあったパイプ椅子に座り、伊奈の言葉を黙って聞いていた。
「分かった?」
伊奈が榊原に可愛らしくウィンクを送る。 すると、榊原は緊張した様子を崩さずに「承知しました」と姿勢を糺し、言葉を継いだ。
「大城祐二の妻と娘は、彼を鬼にした者達に少なからず憎悪を抱いております。 したがって、大城祐二に憎悪を向けていた者が烙印を刻まれている者であれば、二人の憎悪に晒されて鬼になっているはず……」
榊原の説明に伊奈は「そういう事よ」と頷くと、すぐに「けど――」と言葉を打ち消した。
「けど、もはや二人が相手に憎悪を向ける事は無いわ。 希海が二人の傍にいる限り」
「……と申しますと?」
榊原は伊奈の言葉に目を丸くした。 伊奈は彼の澄みきった青い瞳を見つめると、残念そうに「ふぅ……」と溜息をついた。
「お前、希海のお陰で瞳から“虚無”の影が消えたことに気付いていないようね。
希海には不思議な力がある。 絶望や孤独を消し去り、希望をもたらす不思議な力が。
憎悪は希望を持つ者の心では存在する事が出来ない。 希望を持つ者は絶望や孤独――すなわち、虚無――を消し去ってしまうから。
けど、虚無を持つ者はあらゆる感情を憎悪に変える。 そして、その者を醜い鬼へと変貌させるわ。
つまり、虚無こそが人間の感情に悪意を孕ませ、あらゆる感情を憎悪へ変える女王の烙印」
「すると、希海君が二人の傍にいる限り、大城祐二を恨んでいた者が鬼になる事はないと……」
榊原が伊奈の説明に口を添えると、伊奈は「そのはずよ」と頷いた。
「……でも、希海が大城母娘に刻まれた烙印を消し去る前に、二人が一瞬の憎悪を放った可能性は否定できない。 もしそうであれば、大城祐二を恨んでいた者は、その一瞬の憎悪で鬼となっているはず」
伊奈はそう言葉を継ぐと椅子から立ち上がり、天井を見上げた。
「……誰かに憎悪を向ける事はそれだけ忌まわしい行為なの。 一瞬でも憎悪を返されれば刻まれた烙印によって自らが鬼となる救えない行為。
そして、鬼によって殺された者が再び憎悪を抱く……。 気が遠くなるような憎悪の輪廻を繰り返すのよ……。
その輪廻を止める事が出来るのは希海だけ」
「希海君が……」
伊奈は「ふふっ♡」と茶目っ気のある瞳を榊原に向け、榊原に次の行動を指示した。
「しばらくの間、お前と細木はアタシに従いなさい。
希海には大城祐二がかつて不幸に貶めた者を捜索させ、その者達の現在の状況を確認させなさい。 分かった?」
「はっ! 希海君は現在、大城母娘と都内のホテルに潜伏しています。 しばらくは二人と行動を共にさせ、大城祐二に恨みを抱いていた者を捜索させるように致します!」
榊原は矢庭に立ち上がると、伊奈に向って敬礼をした。
「それでは、希海君が大城祐二を恨んでいた者を見つけた時、万一その者が鬼に変貌していたらすぐ我々に連絡するよう――」
すると伊奈は「――その必要は無いわ」と榊原の言葉を遮った。
「もし、鬼に変貌していても“あの子”がいるわ。 どうせ希海の事を何処かで見守っているでしょうから、あの子に任せれば良い。
気にしないでお前達はアタシに従って、面倒くさいマスコミの対応をしていなさい」
伊奈がそう榊原に指示すると、榊原は再び「ハッ!」と敬礼をした。 しかし、心の中では『よっぽど自分でマスコミの対応をするのが面倒なんだろう……』と伊奈の深意にモヤモヤした思いを抱いていた。




