詮索
「希海さん、私はもう誰も恨まない! だから、お父さんを救って下さい!」
眼鏡越しに見る真裕の瞳には希望があった。 栗色の瞳には濁りも見えず、忍び寄る影も消え去った。
真裕は孤独では無かった。 そして絶望もしていなかった。
(もし、お父さんが居なくなっても私がお母さんを守る!)
真裕は父がもう戻らないかも知れない事を受け入れた。 そして、彼女は決意した。
『父が居なくなっても母と二人で生きていこう』と。
彼女の決意が憎悪に囚われそうになった心に希望をもたらしたのであった。
真裕の叫びは“父の命”を救って欲しいという願いではない。 それは、憎悪に囚われ鬼となった“父の魂”を救って欲しいという最後の願いであった。
「大丈夫! すぐに貴方のお父さんを苦しみから解放してあげるわ!」
希海は真裕に約束をすると、玄関を開けて再び部屋へ入って行った。
――
希海は大城母娘の思いを胸に、二階へ駆け上がった。 醜悪な怪物となった大城祐二を消滅させる為に。
――ところが――
「ええっ!? これは一体!?」」
希海は驚愕して立ち尽くした。
なんと、二階へ上がると怪物の姿が忽然と消えていたのだ……。
希海の目に映る光景は飛び散った肉片と夥しい数の害虫の死骸、そして廊下に佇む榊原の姿だけであった。
「榊原さん!」
希海の声に気が付いた榊原が満足そうな笑みを浮かべた。
「希海君、丁度良かった。
鬼は私が始末しました。 ついでに君の大嫌いなゴキブリもね」
榊原は希海が真裕を説得しているわずかな間で鬼となった大城祐二を殺害し、希海の為に害虫の駆除までしていたのだ。
(……な、何なの? この人……)
希海は榊原の平然とした態度に唖然とした。
オールバックの白髪は全く乱れておらず、息が上がっている様子も無い。 榊原の姿を見るとまるで初めから鬼など居なかったかのようだ。 しかし、廊下にどす黒い血が広がっており、細切れになった肉塊が散らばっていたことから、確かに鬼がここに存在していた事に間違いは無かった。
榊原は右手にナイフを持っていた。 刃の厚いサバイバルナイフで切れ味は良さそうだ。 だが、まさかナイフ一本で鬼退治をした訳ではないだろう。 背広の内側から白いワイシャツと肩掛けのホルスターに収まった拳銃が見えることから「もしかしたら拳銃を使って攻撃したのかもしれない」と希海は考えた。
「その様子だと、ゴキブリにもようやく慣れて来たようですね」
床にゴキブリやネズミの死骸が散乱している中、神妙な顔をしている希海に榊原が声を掛けた。
「そんな訳ないじゃない! 榊原さんがあっという間に鬼をやっつけたから、ビックリしていただけよ!」
いかにも禍々しい力を持っていそうな鬼をいとも簡単に殺してしまった榊原。 希海はゴキブリの死骸などそっちのけで、榊原が一体どういう経歴の持ち主なのか興味を抱いた。
「希海君が驚く程の事ではありません。 私なぞお嬢様のお力に比べるとゴミみたいなものですから」
謙遜しているのか、本音を語っているのか良く分からない榊原。 少なくともそんな事を口走るという事は、伊奈の力をその目で見たことがあるのだろう。
「……榊原さんは伊奈様が鬼と戦っている所を見た事があるの?」
希海は勢いに任せて普段聞き辛かった疑問を榊原に聞いてみた。
「いいえ」
「はぁ? 伊奈様が戦っている姿も見てないのに、何で伊奈様の力がスゴイなんて分かるのよ!」
希海は思わず榊原に突っ込みを入れた。 すると、榊原は泰然とした様子でこう言い放った。
「それは私がお嬢様に『お力を拝見したい』とお願いして、見せて頂いたからです」
榊原は希海にウソを付いた。
だが、希海は彼のウソに気付かなかった。 榊原からウソを付く者が放つ特有の光が見えなかったからである。
「……ふーん、そうなんだ。 ……そういえば、細木兄ちゃんから伊奈様の力を授かったのは榊原さんが最初だって聞いたわ」
続いて希海はそれとなく榊原の過去を聞こうとした。 だが、榊原は希海の企図に気付いていたようで、答えをはぐらかした。
「そんな事より希海君、君のけたたましい悲鳴のお陰でマンションの住民が大騒ぎしています。 そろそろ警察もやって来るでしょう」
榊原はそう言いながら懐からスマホを取り出すと、希海の顔に目を向けた。
「それに君の力は私よりも遙かに優れています。 私の力など君が気にする必要などありませんよ」
「えっ!? 私が――!?」
希海は榊原の言葉に目を丸くした。 すると、榊原はニッコリと微笑み、彫りの深い顔に深い皺を刻ませた。
「ふふっ、そうです。 いずれお嬢様と一緒に戦う時が来れば、君はお嬢様と同じかそれ以上の力を発揮していると私は信じています」
「わ……私が……」
希海は榊原にそんな事を言われても実感が湧かなかった。 榊原は戸惑う希海を見ると、微笑みを崩さずに彼女を茶化すような言葉を投げた。
「しかし、今のままでは到底お嬢様のお力には及びません。 ゴキブリなんぞで『キャー、キャー』喚いているようではね」
「むぅ! そんな事言ったってしょうがないじゃない! 気持ち悪い物は気持ち悪いんだから!」
希海は榊原にふくれっ面を見せる。 榊原の挑発に、彼の過去を聞こうとしていた事などすっかり忘れてしまったようだ。 榊原は希海が可愛らしく怒る姿を見て「ハッ、ハッ、ハッ!」と声を上げて笑うと、手に持っていたスマホでおもむろに電話をかけ出した。
――
大城家の部屋では数名の警官が現場検証を行なっていた。 ソファーには刑事から事情聴取を受けている真琴と真裕の姿があった。 真裕は眼鏡を外してしきりに涙をハンカチで拭いながら母の肩に身を寄せており、もう片方の手で隣に座る希海の手を握っていた。
榊原はそんな三人の様子を客間から見つめていた。
「榊原さん!」
希海の姿を見守っている榊原の背後から男性の呼ぶ声が聞こえて来た。
「おや、星野さん。 意外と早かったですね」
榊原は男性の声に応えながら、後ろを振り向いた。
榊原の目の前にはメガネを掛けた若い刑事『星野』が敬礼をしていた。
「お疲れ様です! この度はご協力感謝致します!」
鼻先に掛る長い黒髪を揺らしながら、榊原に礼を言う星野。 まるで大学生のように見える童顔は少し強張っており、榊原を前にして緊張している様子であった。
榊原はそんな星野の肩を『ポンッ』と叩いて彼に向って微笑むと、逆に星野の迅速な対応に感謝を述べた。
「いえ、礼を申し上げるのは私達の方です。 貴方達のご協力がなければ、今頃マンションの住民がマスコミでも呼んで大騒ぎしていたでしょう。
これも“鬼の存在にご理解頂いている”貴方のお陰です」
榊原の穏やかな笑顔に星野は悲しげな顔を浮かべた。 彼は榊原の言葉で鬼と遭遇した時の悲惨な事件を思い出したようだ。 彼の身体から悲哀に満ちた青い光が放たれていた。
「そ、それより……。 小百合さんはお元気でしょうか?」
星野は気を取り直して、立山小百合の消息を榊原に尋ねた。
「ええ、元気にしております。 名前は『立花ユリ』に改名しましたがね。
彼女は最近、屋敷の近くで喫茶店を開店しましてね。 『喫茶ユーカリ』という店名なのですが、もし良かったら星野さんも一度いらっしゃると良い」
榊原は小百合の近況を包み隠さず星野に伝えた。 “親殺し”の犯人である小百合の近況を刑事に伝えるなど普通では考えられないが、小百合の力が尋常ではないので刑事に知られようが大した問題では無かった。 どんな屈強な大男だろうが誰も小百合を逮捕する事など出来ないのだから……。
もちろん、星野も小百合を逮捕しようなどとは思っておらず、むしろ、彼女の将来をまるで兄のような心境で心配していたのであった。
「は、はぁ……。 しかし、私がお会いすれば彼女は“過去”を再び思い出してしまうかも知れません」
『自分が小百合と会えば、小百合は憎き父親の忌まわしい記憶を思い出してしまうかもしれない……』
そう考えた星野は小百合と会うことを躊躇したが、榊原は存外平然とした様子で「ご心配には及びません」と星野を窘めた。
「私達は復讐によって過去を消し去りました。 過去を後悔する事もなければ、恐れる事もありません」
伊奈によって力を授けられた者達は前しか向いていない。 伊奈が望む未来を実現する為に進み続けるだけである。
星野は榊原の言葉を聞くと、森中伊奈の顔を思い浮かべた。
(……森中伊奈。 一見、カラーコンタクトを付けた美少女アイドルにしか見えないが、この榊原氏のように人間とは思えない力を持つ者達を従えている謎の女。
彼女は一体何者なんだ?
アイドルが何故、我々の”鬼退治”に協力するんだ?)
目を伏せて伊奈の事を考えていた星野。 すると、星野の耳に信じられない言葉が飛び込んできた。
「星野さん、あまりお嬢様の事を詮索しないように」
「……えっ!?」
星野は榊原の声に驚愕し、視線を上げた。 その瞬間、彼はあまりの恐ろしさに身を竦ませた。
「……ひっ……」
自分を見つめる榊原の青い瞳に強烈な殺意を感じた星野。
『次に出す言葉の選択を誤ると、一瞬で首を跳ね飛ばされる』
星野がそう確信するほど、榊原の瞳は冷酷で恐ろしい瞳であった。
「い、いえ! 決してそのような事は――!」
全身から汗を吹出しながら、必死に弁解をする星野。 この緊迫した状況から逃れようとすぐに話題を小百合の件へ戻した。
「……そ、それでは、お言葉に甘えて近々に小百合さんのお店へ伺います!」
「そうですか、それは良かった。 お店でお食事でもして頂ければ小百合君も喜ぶでしょう」
榊原はそう言うと、まるで人が変わったかのように再び穏やかな笑みを浮かべた。
「は、はい……有り難うございます」
(はぁ……。 も、森中伊奈が何者かなんて……考えた俺が馬鹿だった)
心を読まれた挙げ句、恐ろしい殺意に晒されてすっかり怯えてしまった星野。
『世の中には知らない方が良い事もあるんだ……』
そう痛感した星野は、二度と伊奈の素性を詮索しようなどとは思わなくなった。




