救済の祈り
「こ、こんな所で何しているの……?」
大城真裕は自宅の玄関前で体育座りをして眠っている少女に声を掛けた。
おかっぱ頭にメガネを掛けた真面目そうな外見の真裕。 少し垂れ目気味でタヌキ顔の可愛らしい顔は母『真琴』と良く似ていた。
「えっ? あぁ……ジュル……あら? ヨダレが……」
すっかり眠りこけてしまった少女は、目の前に立つ真裕の声に目が覚めた。 少女はだらしなく口から垂らしていたヨダレをパーカーの袖で拭き取ると、まだ眠たそうな目を擦りながら真裕の姿を見上げた。
少女は真裕と同じ中学生のようだった。 しかし、真裕よりは恐らく下の学年だろう。
真裕は玄関を陣取っている少女に不審そうな顔を向けている。 すると、少女はだらしない姿を見られたことが恥ずかしかったのか「エヘヘ♡」と顔を赤らめ、後ろ手で頭を掻いた。
そんな少女の愛嬌のある姿を見た真裕は「怪しい人ではない」と思ったのか警戒心を解き、再び「何故、こんな所で寝ていたのか」聞いてみた。
「この家に“不正の痕跡”があるかどうか調べに来たの」
「えっ? 何ですか、それ……?」
真裕は少女の答えに戸惑った。 すると少女は「アータそれより誰なのよ?」と自分から名を名乗りもせず、真裕の名を聞こうとした。
「あ、すいませんでした! 私は大城真裕と申します!」
真裕は少女の図々しさに圧倒され、思わず名を名乗った。 少女は真裕の名を聞くと「あっ!」と銀色の目を見開き、矢庭に立ち上がった。
「アータが真琴さんの娘さんね! 私は篠木希海って言うの! ささっ、早く中へ入って!」
まるで自分の家であるかのように勢い良く玄関扉を開け、真裕の腕を引っ張る希海。 ところが、自分が何故外へ飛び出して行ったのか思い出したようで玄関を跨ごうとした足をピタリと止めると、神妙な顔でゆっくりと扉を閉めた。
「ど、どうしたんですか……?」
真裕は家の中へ入ることを躊躇する希海に首を傾げた。 すると、希海は青い顔をしながら予想外の頼みを口走り、真裕の目を丸くさせた。
「……ちょっとアータ、先に家の中へ入ってゴキブリがいないか見に行ってよ。 私ゴキブリが大嫌いなの。 アータだったらこの家に住んでいるんだし、大丈夫でしょ?」
「ま、まぁ……大丈夫では無いですけど、姿を見るだけなら……」
真裕は勢い良く言葉を放つ希海に引き気味な顔を見せ、ズリ落ちた眼鏡を指で上げながら答えた。
「ホント? アータ凄いわね!」
すると、少女は嬉しそうに真裕を褒めると、今度は目にも止まらぬ速さで玄関扉を開け放つ。
「じゃ、ゴキブリがいなかったら私も中に入るから先に調べて来て♪ さっ、早く――!」
「ちょ、ちょっと……」
突然の出来事に慌てる真裕を強引に押す希海。 背中を押されて玄関へ押し込まれた真裕が後ろを振り向くと、希海は美しい銀色の瞳を細めながら「ヨロシクね!」と手を振っていた。
――
ゴキブリは殺虫剤によって殲滅されたのか、一匹も見当たらなかった。
客間には母が客に出したであろう湯飲みが残っていた。 真裕はその二つの湯飲みを片付けると、座布団に座っている希海の為に新しい茶を持って来た。
「アータのお母さんは榊原さんと一緒に上の部屋を調査しているわ」
希海はそう言って上座に座り、向かいで畏まる真裕に笑顔を見せた。
「ちょ、調査って……。 まさか、お父さんの……?」
「そう、そう。 アータ何でそんな事知ってるの?」
「いや、何となく……」
「何となく? ……うーん、そうは見えないけど?」
真裕は父が何故こんな不思議な連中に調査される対象になったのか、思い当たる節があった。 その事を希海に隠そうとしたのだが、彼女の身体から放たれる感情の光が彼女の隠し事を暴き出した。
何かを隠している人間から放たれる光は不安に満ちた青い色と平静を装った緑色の光が混在する。 希海はその光の様子を見て、真裕が「隠し事をしている」と確信していた。
真裕は言葉に詰まっていた。 彼女の身体から緑色の光が消え、悲しみに満ちた青い光りが放たれた。 それを見た希海はちゃぶ台から身を乗り出して、真裕に顔を近づけた。
「真裕、私達はアータを救いに来たの! だから、知っている事を全部話して!」
銀色に煌めく希海の瞳。 真裕はその瞳を見ると、何故だか不安や恐怖が無くなって行くような気がした。
「はい……」
真裕は希海の顔を真っ直ぐ見つめた。 そして、意を決したように自分が知っている全ての事を話し始めた。
――
真裕がその悍ましい事実を知ったのは、三ヶ月前の事であった。 もともと彼女はオカルト好きであり、様々な呪術を図書館やネットで調べることが趣味であった。
ある日、真裕が書斎の前を横切ると、書斎に籠もっている父が何やら怪しげな呪文を唱えていた事に気が付いた。 彼女は隣の空き部屋へ入り、壁に耳を当ててその呪文を聞き取った。
『我が主たる大いなる蛇。 闇より深い暗黒の霧に囲まれた毒沼の主。 天使を食らい、神を蹂躙する偉大なる主に祈りを捧げ給う。
憎悪、怨恨、瞋恚、怨嗟、欺瞞、吝嗇、全ての悪しき言葉を糧とする醜悪なる王。 我が望みを叶え給へ。
悲鳴、苦痛、嘆き、絶望、孤独、虚無、全ての混沌を孕む禍害の母。 我が望みを叶え給へ。
冥界の蓋は開いた。 いざ、我が願いの為に、我は混沌を迎え入れる』
真裕は父の唱えていた呪文を独自に調査した。 その結果、呪文は父が信仰していた“神光人”の呪術師が唱える呪言――ジュゲム――である事が分かった。
真裕はこの呪文の意味を知って慄然とした。 さらにこの呪文を唱える儀式の悍ましさに言葉を失った。
それから真裕は父の行動を監視するようになった。 そしてついに、思い出しても吐き気がする父の醜悪な光景を、真裕は目の当たりにしたのである。
(お父さんはきっと悪魔に取り憑かれたに違いない……)
思えば優しかった父が急に暴力を振るうようになったのは半年前――父が傾倒していた神光人が何者かに壊滅された時からであった。
彼女は自身で調べたオカルトの知識を頭に巡らし、一つの結論を導き出した。
父は“神光人”に洗脳され、恐るべき呪術に手を出した。 その結果、父は悪魔に取り憑かれた。 そして、人が変わったように自分や母に暴力を振るうようになり、挙げ句の果ては気が触れて害虫を食べるようになった。
つまり、父に取り憑いた悪魔さえ祓えば、優しかった父を取り戻す事が出来るはずだと真裕は考えたのである。
真裕は父が大好きだった。 学校でも羨ましがられる自慢の父。 知的で優しく、家族思いだったかつての父を思い出すと、自然に涙が溢れて来た。
真裕は自分が見た恐るべき光景を母に何度も相談しようとした。 そして、母と協力して父に取り憑いた悪魔を消し去りたいと願った。 だが、こんな悪夢のような話しを母にしたところで、果たして信じてもらえるのだろうか?
彼女はそう思って父の所業をスマホで撮影しようと試みた。 ところがその矢先、父の姿はキッチンからパッタリと消えた。
それからというもの、父は夜な夜な寝室から書斎へ移動する事が増えた。 恐らく、家族にバレる事を懸念して、自室に籠もって害虫を食べるようにしたのだろう。
真裕は誰にも相談出来ずに懊悩した。 現実から目を背け『このマンションから飛び降りた方が楽になるのではないか』とも考えた。
だが、その度に母の顔が目に浮かぶ。 父と母が仲睦まじく笑い合っている姿が目に浮かび、父を醜悪な悪魔から取り戻してくれるように神に祈り続けた。
「私の祈りが神様にようやく届いたんだって……」
真裕はそう呟くと、希海の手を力一杯握りしめた。 彼女の手の温もりを感じると涙が零れてきた。
希海は真裕の手を優しく握り返す。 そして目を瞑り、彼女の為に祈りを捧げた。
『主は汝を護る者なり。 主は汝の右手を覆う影なり。
昼は汝を護りて諸々の禍害を免れしめ、また汝の霊魂を護り給わん。
主は今よりとこしへに至るまで、汝の出ると入るとを護り給わん』
――
「今、榊原さんと真琴さんがアータのお父さんの部屋にいるわ。 一緒に行きましょう!」
榊原と真琴が書斎の扉を破壊してから、すでに二時間が経過していた。 時刻はもう夕方にさしかかる頃である。
二人が二階に上がる時、廊下の窓から射し込んで来た真っ赤な西日が真裕の顔を照らした。
『――別れ――』
真裕は西日に照らされると、そんな言葉が頭をよぎった。
希海の手を握りながら二階へ上がると書斎の扉が破壊されている様子が目に飛び込んだ。 そして、ちょうど部屋から出てくる母の姿も確認出来た。
息せき切って書斎の前まで駆け寄った真裕。 母は初老の男性に肩を借りて項垂れていた。 この男性が希海の言っていた『榊原』という人だろう。
この時、真裕は母の悲愴な様子から、母も父の悍ましい所業を知っていたのだと確信した。
(お、お母さん……)
真裕は母のやつれた姿を見て言葉を失った。 勇気を出して母に相談することが出来なかった事を深く後悔した。
こみ上げる涙が言葉をせき止め、真裕は母を呼ぶことが出来なかった。
すると、母は真裕に気が付いたようでこちらに顔を向けた。 苦悶の表情を見せていた母が真裕の顔を見た瞬間、穏やかな表情に一変した。
「――真裕――!」
母の声は安堵の悦びに満ちていた。 真裕の耳にその声が届くと、せき止められていた言葉が一気にあふれ出た。
「お母さん――!!」
真裕は母に駆け寄ると、思い切り母に抱きついた。
「ごめんなさい! 私、全て知っていたの!」
泣きじゃくる娘を抱きしめる母。 娘の頭を撫でながら首を横に振った。
「ううん、お母さんこそ貴方に謝らなきゃならないわ。 貴方がお父さんの事を知って辛い思いをしていたのに、私は貴方の為に何もしてあげられなかった。
ゴメンね……真裕……」
「――うわぁぁん――!!」
『ゴメンね……希海……』
「……ママ……」
希海は大城母娘が抱き合っている様子を見て自分の母を思い出し、胸が熱くなった。




