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復讐は自分でやりなさい  作者: ティーケー
呪いの陥穽

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欲望の生贄

 

 二重になっていた天井は榊原(さかきばら)によってすっかり壊されてしまった。

 天井が破壊されると上からバラバラと怪しげな書物が落ちてきた。 その書物は宗教団体『神光人(みかりびと)』が発行していた呪術書であった。


 ホコリだらけとなってしまった書斎部屋。 大城祐二が帰ってきたときにこの惨状(さんじょう)を目の当たりにすれば、激怒するどころでは無いはずだ。


 真琴(まこと)はもう後戻りする事は出来なかった。


 「榊原さん……。 あっ、あの……私はどうすれば……?」


 天井が崩れ落ちた後の金属製の壁の上面は深い闇の中へ続いており、やはり壁の向こうに恐ろしい何かあるような不気味な雰囲気を(ただ)わせていた。

 壁を見上げていた榊原は後ろを振り向いた。 そして、狼狽(ろうばい)している真琴に向かって壁の向こう側へ行くよう勧めた。


 「大城さん、貴方(あなた)の夫が隣の隠し部屋で一体何を行なっていたのか、貴方自身の眼で確かめなければなりません。

 

 ……但し、この壁の向こうにある光景は、貴方にとって目を背けたくなる光景でしょう。 もしかしたら、その場で気絶してしまうか、場合によっては発狂してしまうかも知れません。


 しかし、目を背けてはいけません。


 憎悪を抱いた人間の(みにく)さ、(おぞ)ましさ、恐ろしさを貴方自身の心に(きざ)まなければならないからです。


 それが、貴方が娘さんとこの先幸福に生きることが出来る唯一の方法なのです」


 榊原の言葉は脅しではなかった。 彼の声は真琴に優しく語りかけるように穏やかであった。

 

 「私達が……幸福に……」


 真琴が言葉に窮していると榊原は真琴の肩を優しく叩き、言葉を継いだ。


 「そうです。 憎悪を抱いた者の末路、復讐を遂げた者の末路をその目で見てください。 そして、復讐をする事がいかに愚かな事か決して忘れてはいけません」


 榊原は話しを終えると真琴の肩から手を離し、ニッコリと微笑(ほほえ)んだ。


 「なに、私が(そば)にいます。 恐れる事はありません。 気をしっかり持って、貴方と娘さんの未来の為にこの苦しみを乗り越えましょう」


 榊原の励ましの言葉に真琴は勇気が湧いてきた。 壁の向こうにある恐ろしい何か……。 想像するだけでも足がガクガクと震え、体中から汗が噴き出して来る。

 

 だが、彼女は意を決し榊原の顔を見据(みす)えると『コクリ』と(うなず)いた。


 「分かりました。 私に見せてください。 壁の向こうに一体何があるのかを――」

 


 ――



 榊原に抱えられて壁の上に登った真琴。 壁の奥は一寸先も見えない闇であった。 榊原がスーツの内ポケットからスマホを取り出しライトを照らすと、まるで妖気のような白い(もや)の奥から打ちっぱなしのコンクリ壁がボンヤリと映し出された。


 怪しい靄がヒンヤリとした空気に乗って真琴の身体を取り巻いた。 すると、にわかに耐え難い異臭が襲って来た。

 獣の匂い、泥の匂い、腐敗した油の匂いと汚物の匂い……。 全ての醜悪(しゅうあく)なニオイが混在した激臭が真琴の鼻を突き、彼女は思わず「オェッ!」と吐き気を(もよお)した。

 真琴の苦しそうな様子を見た榊原は、さっと胸ポケットから女性用の白いハンカチを引き出し、真琴へ差し出した。


 「コレを口に当ててください。 きっと、落ち着かれると思います」


 真琴は(わら)をも(すが)る思いでハンカチを受け取ると、すぐに口と鼻をハンカチで覆い大きく息を吸い込んだ。


 「えっ!? な、何これ……? 空気が……」


 不思議な事にハンカチ越しに吸い込む空気は何の匂いもしなかった。 そればかりか、まるで森林の中で大きく深呼吸をした時のような清々(すがすが)しささえ覚えた。


 「こ、このハンカチは……」


 あまりに不可解な現象に、思わず榊原に問いかける真琴。 しかし、榊原は真琴の問いに答える事は無かった。

 (その時、真琴は榊原の横顔に深い悲しみを見た。 それは、まるで涙を出さずに泣いているような悲痛な表情……。 榊原はほんの一瞬だけ深い皺が刻まれた顔に悲しみを見せると、すぐにいつもの泰然(たいぜん)とした顔に戻ったのであった)


 壁の上は少し這うとすぐ行き止まりになった。 壁面には下に降りる鉄製のハシゴが設置されている。 何故かボロボロに赤錆(あかさ)びており、その様子はハシゴに血糊(ちのり)がベッタリくっ付いているかのようだ。

 

 「ど、どうしましょう……?」


 真琴はハンカチで口を抑えている。 片手ではハシゴを降りる事が出来ない。


 「マスクの中にハンカチを挟んで下さい」


 そういえば、キッチンで殺虫剤を撒いた時に使用したマスクがポケットに入っていた。 真琴はポケットからマスクを取り出すと、榊原の言う通りにハンカチをマスクの内側にあてがい、マスクを装着した。


 足を踏み外さぬよう慎重にハシゴを伝い床に降りた真琴。 榊原から借りたスマホのライトを照らすと、まず目についたのは真ん中に設置されていた不可解なオブジェであった。


 「……な、何でこんな所に便器が……?」


 真琴の目に飛び込んで来た物、それは真っ暗な床に浮かび上がるくみ取り式の和便器――映画やドラマでしか見た事のない、いわゆる“ボットン便器”――であった。

 ベッタリと汚物が付いた汚らしい和便器は、不気味ほど()ち果てた木の(ふた)(ふさ)がれていた。


 真琴はスマホのライトで周囲を照らす。 すると、彼女は恐怖のあまり言葉を失った。


 「ひっ――!」


 壁中に張られた不気味なお札……。 ライトで照らされたお札には意味不明な不穏な言葉が血のような赤い文字で書かれていた。


 (やっぱり榊原さんのおっしゃる通り、夫は誰かを恨んでいた……)


 さらに真琴は奥の壁に何か物陰がある事に気が付いた。 真琴は榊原の手をしっかりと(にぎ)りしめ、奥の方へとスマホのライトを向けた。

 奥の壁には三段の大きな棚が設置されていた。 150センチほどの真琴の身長と同じくらいの高さの古い木製の棚であり、上段には多くの蝋燭(ろうそく)が整然と並べられていた。


 「な、何……? アレは?」


 真琴は榊原の手を引っ張って、棚の前まで近づいた。 彼女は上段の蝋燭に目を奪われて、下段に置かれているガラス瓶には気付いていなかった。


 整然と並べられている蝋燭の真ん中には、何故だか真鍮(しんちゅう)製の十字架が置かれていた。

 十字架は壁に立てかけられた状態で置かれていたようだ。 二人が床に降りた時の振動のせいか、まるで神を冒涜(ぼうとく)するかのように幾つかの蝋燭と共に倒れてしまっていた。

 

 「あ、悪魔……」


 悪魔が忌避(きひ)し、投げ捨てたかのように無造作に倒れている十字架は逆向きであった。 真琴はあまりの恐ろしさにその場で腰を抜かしてしまった。


 「いえ、悪魔ではありません。


 ――“鬼”です――」



 「鬼……」


 榊原から借りたスマホを床に落とし、全身を震わす真琴。 榊原は真琴の肩を抱き寄せて床に落ちたスマホを拾い上げると、棚の下段に並べられている大きなガラス瓶を指さしながらライトを照らした。


 「あの瓶の中にはあらゆる害虫や害獣が入っています。 ()まわしい欲望の生け贄の為に」


 大きなガラス瓶にはムカデやゴキブリ、ハエやネズミといった人に(あだ)をなす生物の死骸が詰め込まれていた。

 真琴は言葉を失ったまま呆然(ぼうぜん)とガラス瓶を見つめている。 榊原は真琴を抱き寄せながら、恐ろしい呪いの儀式について説明を始めた。

 

 「瓶の中の生け贄を呪言葉が乗った紙と一緒に食らう……。 そして、そこにある便器の中に憎悪と共に吐き出すのです。


 すると、便器の中に(うご)(むし)たちがその憎悪に(まみ)れた自分の仲間を共食いする。


 忌むべき蟲たちは恐るべき混沌(こんとん)となり、悪しき憎悪の化身となって復讐したい相手を呪い殺すという訳です」


 「そ、そんな……」


 『信じられない』という言葉は口に出せなかった。 この悪夢のような光景は、確かに何年も住んでいた自宅に存在していたからである。


 「あの便器の蓋を開ければ、中から怪物が飛び出してきます。

 

 怨念、憎悪、嫉妬、憤懣(ふんまん)に満ち、混沌に満ちた蟲共が人に仇をなそうと飛び出して来るのです」


 封印された便器はまるで希望の無いパンドラの箱であった。 誤って開けてしまえば最後、厄災しか生み出さない冥界(めいかい)の蓋。 さすがの榊原もこの恐るべき穴の中を真琴に見せる訳には行かなかった。


 「大城さん、もうこれでお分かりになったでしょう。 一階の蟲やネズミはこの忌まわしい便器の底に亀裂が入った事から()いて出て来たのです」


 真琴は榊原の言葉に頷くしか無かった。 榊原は腰が抜けて立ち上がることが出来ない真琴を抱きかかえると『ヒョィッ』と壁に向って飛び上がった。

 

 「これ以上、瘴気(しょうき)に当たるのは危険です。 貴方は夫の醜い所業をその目でご覧になりました。 それでもう充分でしょう」


 「う……うぅぅ……」


 榊原に抱えられた真琴の目に涙が(あふ)れて来た。 その涙は魔窟から脱出した事への安堵でもあったが、何よりも二十年の月日を共にした夫が家族を裏切っていた事に対する絶望の涙であった。


 榊原は真琴を抱きながら反対側の壁を飛び降りると、真琴を優しく床に降ろした。 そして、涙を流している真琴の瞳を優しく手で拭ってあげると、彼女に希望をもたらす光がある事を思い出させた。


 「大城さん、貴方の夫はもう助からないかも知れない。 しかし、貴方には愛する娘さんがいます。

 勇気を持って、娘さんと新たな人生を歩むのです」


 そう、真琴にはまだ自分を愛してくれる一人娘がいた。



 ――



 榊原に肩を借りて書斎(しょさい)を出た真琴。 すると、目の前に制服を着た少女が(たたず)んでいた。 少女の隣には神妙な顔をした希海が控えている。

 メガネを駆けた真面目そうな少女。 彼女は母の姿を見て慌てて駆けつけたのか、肩で息をしたまま目に涙を浮かべていた。


 「――真裕(まひろ)――!」


 母は娘の名を叫んだ。 すると、娘の瞳から堰を切った涙が溢れ出した。


 「うわぁぁん――!!」


 娘は母の胸に飛び込んで泣きじゃくった。


 「お母さん、ごめんなさい! 私、私……全部知っていたの!」


 娘はすでに父の忌まわしい所業を知っていたのである。 父が害虫を食らい、呪いに身体を(むしば)まれている事を。

 

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