力の代償
森中伊奈はまるで水のように揺らめく青いシャツを身に纏っていた。 背後にはメイドの格好をしたロボット二体が控えている。
伊奈の長く美しい黒髪は先端が赤く染まっていた。 小さく美しい瓜実顔にキリッとした二重瞼の大きな瞳。 その瞳は燃えるように赤く、弓なりの麗しい唇よりも赤かった。
伊奈は眠たそうな目をしながら「グスッ……」と小さな鼻を指でこすると、丸テーブルの傍に置かれているイスに腰掛けた。 そして、蒼汰の後ろに控える白髪の老紳士を一瞥すると、テレビでは見たことのない話し方で老紳士を叱りつけた。
「……おい、榊原。 お前、もう新曲の歌詞が出来ているそうじゃない。 早くアタシに見せないとダメじゃないの」
伊奈の声は少しくぐもった声で蒼汰には良く聞こえなかった。 だが、その仏頂面から明らかに不機嫌な様子である事が見て取れた。
「はっ! すぐに――」
白髪の老紳士は『榊原』という名前らしい。 榊原は懐からスマホを取り出すと、そそくさと伊奈の許へ駆け寄って、スマホを指で操作しながら彼女に画面を見せ始めた。
「これがスタジオから送られてきたメールです……」
「メールが来ていたなら、どうして早く見せないの?」
「申し訳ありません……」
唖然とした様子で佇む蒼汰をそっちのけで、ゴニョゴニョと妙なやり取りをする二人……。
「あまり熱を発すると電池が爆発する恐れがありますので、くれぐれも落ち着いてご覧になってください」
榊原が伊奈に注意を促し、スマホを手渡す。 すると、伊奈は「分かっているわ、五月蠅いわね……」と憮然とし様子で榊原のスマホでメールを見始めた。
「ふーん、なになに……。 タイトルは『恋するシロクマ』……?」
伊奈はそのままメールに記載された歌詞を声に出して読み始めた。
『チュッ、チュッ、チュッ♡ 愛のシロクマ、アナタのハートを凍らせちゃう!
そんなに熱くならないで。 恋のシロクマ、アナタのハートをイタズラFreeze!
ニャン、ニャン、ニャン♡』
「……」
ここまで読むと、伊奈は「ふぅ……」と一つため息を吐き、榊原を睨み付けた。
「……おい、榊原。 この『ニャン、ニャン、ニャン』というのは猫の鳴き声じゃないの?」
「はぁ、そうですが……」
「全く……『はぁ、そうですが』じゃないでしょ、分かる? 何でシロクマが猫の鳴き声をするの? 可笑しいと思わない?」
「可笑しいですね、確かに……」
榊原は伊奈の文句をただ「はい、はい」と肯定するだけで、歌詞に対するフォローなど何一つしなかった。
伊奈の表情はますます険しくなって行く……。 もはやこの歌詞を採用する事は無いのではないかと思うような険悪な雰囲気が漂っていた。
そのまま歌詞を声に出して読み続ける伊奈。 すると、あるフレーズに辿り着いた時、伊奈の表情がガラリと変わった。
『――二人だけのヒミツの世界。 私は恋するポーラーベア。
ライバル達をフリーズ・アウト!』
「……!」
「……フリーズ・アウト……」
そう呟いて声を止めた伊奈。 すると、先ほどまでの険しい表情が嘘のように穏やかになった。
「……この歌詞を書いたのは誰?」
伊奈がスマホをポンと机に置いて榊原を見る。 榊原は「鬼瓦先生でございます」と即答し、再び畏まった。
(鬼瓦大五郎……作詞界の重鎮だ……)
この歌詞を書いた人物は、テレビなど殆ど見なかった蒼汰ですら知っている程の有名な先生のようだ。
「……ふうん。 まあ、あのジジイの立場もあるでしょうから採用してあげるわ。 その代わり、猫の鳴き声は再考するように伝えなさい」
再び元の仏頂面に戻った伊奈は榊原にそう指示すると、榊原は「はっ、畏まりました!」とテーブルに置かれたスマホを手に取り、立ち尽くす蒼汰を尻目にそそくさと部屋を出ようとした。
「――ちょっと、待ちなさい! そこの“坊や”を連れて来たのはお前でしょう? お前がいなくなってどうするの? 鬼瓦に連絡するのは“島田”に任せなさい」
どうやら、屋敷には榊原の他に島田という人物がいるらしい。 榊原は「はっ!」と伊奈に会釈すると、おもむろにスマホをいじり、耳にスマホを押し当てた。
「もしもし……。 済まないが、鬼瓦先生に連絡を――」
ひとしきり電話越しの島田なる人物に指示を飛ばした後、榊原はスマホを胸にしまった。 そして、ようやく後ろで佇んでいた蒼汰に声を掛けた。
「お待たせして申し訳有りませんでした。 さっ、こちらへお座りになって――」
そう言って丸テーブルの傍に置かれていたイスを引いた榊原。 向かいには伊奈が座っている。
「あ、は……はい……失礼します」
蒼汰は戸惑いながらも榊原の前に出て、伊奈と対面した。
――
「……」
伊奈は向かいに座る蒼汰をしげしげと眺めていた。 蒼汰は上目遣いで伊奈の顔を遠慮がちに見つめている。
(間近で見るとやはり可愛い……。 さすが、アイドルと言ったところか……)
森中伊奈は言葉に詰まるほど美しかった。 だが、蒼汰が黙っているのは伊奈の美貌に驚いているからではない。 伊奈の燃えるような赤い瞳を見ると、まるで炎に包まれたかのように身体に熱を感じ、息が詰まって言葉を出す事が出来なかったのだ。
「ずいぶん苦しそうね……。 でも、お前の口から何を望んでいるのかアタシに話さなければ、アタシはお前の期待に応える事が出来ない」
アイドルらしからぬ威圧的な言動をする伊奈。 だが、その表情は至極穏やかであった。
「……私……は……私は貴方に復讐をお願いしたいと……思って」
蒼汰はようやく言葉を絞り出した。 しかし、伊奈は蒼汰の言葉を聞くと「クスッ」と笑い、蒼汰の横に控えていた榊原に視線を移した。
「榊原、お前、“この子”にちゃんと説明したの?」
呆れたような視線を榊原に送る伊奈。 すると、榊原は蒼汰に「お嬢様は貴方の復讐を代行する訳ではありません。 貴方自身で復讐を遂げる為に、お嬢様のお力をお借りするのです」と忠告した。
伊奈は榊原の忠告を聞くと「そう……」と同意して言葉を継いだ。
「復讐は自分でやりなさい。 アタシは復讐を遂げる力をお前に与えるだけ……。
もっとも、お前の“憎悪”の根深さは、お前の様子を見ていればわかるわ。 本当はお前の説明など必要ではないくらい……。
でも、お前がアタシに過去の全ての恨みを詳らかに語らなければ、アタシはお前に復讐を遂げる力を与える事が出来ない」
伊奈が蒼汰にそう告げると、蒼汰の身体を包み込んでいた熱気が少し薄れたような気がした。
「わ、私は――!」
意を決し、再び言葉を絞り出す蒼汰。 そこにいる女性はもはや自分より年下である女子高生アイドルではない。 自分の復讐に力を貸してくれるという“共犯者”。 どんな力かは分からないが、その燃えるような瞳から放たれる異常な圧力が、彼に「彼女ならきっと自分を救ってくれる」という確信を抱かせた。
彼は伊奈に過去の惨劇の全てを語った……。 そして、愛する家族を奪っておきながらのうのうと幸福を噛みしめているクズ共に対しての復讐を誓った。
蒼汰にはもうこの部屋に充満する熱気など感じていなかった。 己の身を焦がすほどの憎悪の炎が燃え上がっていたからである。
伊奈は恨みのこもった蒼汰の叫びを黙って聞いていた。 そして、彼が話しを終わらせ声を嗄れさせると、ようやく口を開いた。
「お前の憎悪は受け止めたわ。 アタシがお前の手助けをしてあげる。
……でも、一つだけ条件があるわ」
「条件……ですか?」
蒼汰は少し動揺したのか、言葉を詰まらせた。 だが、すぐに首を横に振って動揺をかき消し「どんな条件でも受け入れる」と伊奈に宣言した。
(俺はもう迷わない。 たとえ彼女に命を捧げようとも、俺は必ず復讐を遂げてみせる!)
蒼汰はそう心に誓うと、伊奈の顔を見据えた。
瞳の奥に闇の炎を燃え上がらせ、伊奈の言葉を待つ蒼汰……。
「ふふふっ……」
伊奈は鬼気迫る表情の蒼汰を見ると、満足そうに微笑んだ。 その微笑は目を見張るほど美しかった。 長い睫毛を伏せて口角を上げる可憐な姿は、見る者を魅了した。
だが、テレビでは見たことが無いような泰然とした様子から漏れ出る微笑は、言葉に出せない妖艶な恐ろしさも醸し出していた。
「……それじゃ、約束しなさい」
真っ赤な瞳に微笑を称え、ふっくらした麗しい唇から次の言葉を紡ぎ出す。
それは、聞く者を戦慄させる、狂気に満ちた恐ろしい約束であった……。
「もし、お前が憎む者を愛する者達がいれば、その者達も一人残らず抹殺する事を――」




