邪悪の憑依
※グロテスクなシーンが含まれています。 お食事時には読まない事をお勧めします。
大城祐二は今年41歳になる人気俳優である。 十代の頃から役者として活躍し、数々の賞を取り“名俳優”として名を馳せていた。
まるで二十代の若者のような端整な顔つき。 普段は薄い唇に切れ長の流し目で女性を一瞥するクールな様子であり、整った高い鼻にかかるくらいの艶やかな黒髪を靡かせる好男子。
ところが、演技をすればその容姿だけでなく性格さえも変わってしまう。 狂気の影を宿したクシャクシャな髪の芸術家になったかと思えば、丸いメガネに慈愛の光を宿した誠実な医者になり、目を白黒させるオドオドしたサラリーマンにもなる。 だらしない腹をさらけ出すオヤジの姿を見せていた数ヶ月後には、逞しい胸板と六つに割れた腹筋をテレビの前で披露した。
バラエティー番組やトークショーもこなし、端麗な容姿と渋い声色で女性達を魅了した。 彼がテレビ番組に出演するとそれだけで視聴率が上がるという、テレビ局にとっては有り難い存在であった。
一方、私生活の面では多少“やんちゃ”なところがあった。
若い頃から女癖が悪く、アイドルや女優にすぐ手を出した。 年齢を詐称した一般女性と一夜を共にし「実は相手女性が未成年だった」と判明して大騒ぎになった事もあれば、既婚者の女性と逢瀬を重ねて相手の夫に訴えられるという醜態を晒した事もあった。
また、彼は野心家としても知られていた。 若い女性に人気があった男性アイドルが人気女優と結婚すれば、表向きには祝福する一方で彼を貶める奸策を弄する。 気に入った女優やアイドルに嫌われれば、絶大な人気と権力を笠に着てテレビ界から追放した。
多くのライバルを邪悪な罠にかけて蹴散らし、芸能界で揺るぎない地位を築いた祐二。 彼はそれだけに飽き足らず、政治家や財界人とも懇意にしており、政界にも進出したある宗教団体の広告塔にもなった。 彼は芸能界だけでなく政界や財界にも進出しようと企んでいたのである。
私生活は褒められたものではないが、芸能界ではすでに一流の地位を築いていた祐二。 順風満帆で光り輝く人生を送っていた彼であったが、半年前に発生した国中を震撼させた“恐るべき事件”の関係者として渦中の人物となってしまってから、彼の人生は暗黒の陥穽へ転落して行った。
――
彼の失敗はただ一つ――宗教法人『神光人――みかりびと――』という宗教団体の信者となり、団体のプロパガンダとして利用された事であった。
とはいえ「失敗だ」と嘆いていたのは身勝手な祐二の嘆きであった。 実際には神光人の教祖とは“ズブズブ”の関係であり、輝きの栄光を自らの手で闇の影へ染めてしまったのである。 祐二は宗教団体の広告塔になった見返りとして美しい信者の女性を紹介して貰ったり、高額な金品を受領したりと、数々の如何わしい欲望を享受していたのである。
神光人はいわゆる“選民思想”に基づいた邪悪な教義を掲げていた宗教であった。
人の不安を煽る巧みな言動。 人との絆を求める若者に“家族愛”を訴える欺瞞。 「自分は人とは違う」と根拠の無い自尊心を満足させる選民思想。 そんな如何わしい教義の数々が、現代の孤独を感じる若者や老人の心の隙に上手く入り込んだ。 あらゆる人間の心の弱さにつけ込んで、祐二のような人気俳優や、スポーツ選手、高名な祈祷師を迎え入れて箔を付け、勢力を拡大していったのである。
去年までは全国の信者が十万人を超え、支部が数百カ所もあるという大規模な宗教団体であったが、本部が何者かに襲撃されて壊滅した事を皮切りに、大事件を起こした“カルト教団”として解散を余儀なくされた。 信者達の多くはテロ事件の犯人として逮捕され、洗脳から目が覚めた民衆は容赦なく信者達を迫害した。 そんな宗教団体の広告塔であった祐二も「テロ事件の一躍を担った犯罪者」として槍玉に挙げられ、芸能活動を自粛せざるを得なくなったのである。
祐二は人生最大の窮地に立たされた。
思えば、祐二は窮地に立たされた事など一度も無かった。 だが、それは彼の類い希な強運のお陰だけではなかった。 彼が心酔していた神光人に所属する祈祷師のお陰でもあったのだ。
その祈祷師は『真片薬大寺』と名乗る胡散臭い老婆であった。 真片はもともと高名な呪術師であり祈祷師であった。 真片の恐るべき呪術の力に目を付けた神光人が彼女を信者として迎え入れた経緯があった。
ところが、祐二が頼っていた真片は神光人の本部が壊滅した時に何者かによって殺害された。 度重なる不祥事をことごとく救ってくれた“真片先生”がいなくなった事で、彼は人生最大の窮地に立たされたのである。
祐二はそんな困難な状況を自らの力で打破する程、強くなかった。 そもそも彼は卑怯で弱い人間であったのだ。 そんな祐二の正体が真片の死によって顕在化し、彼は妻や子供に暴力を振るうようになり、あちこちの繁華街で酒を飲んでは女性と浮気するという“やさぐれ男”へ変貌してしまった。
すると、私生活が荒んでしまったストレスのせいなのか、彼は原因不明の体質の変化に襲われた。
祐二はもともと酒をあまり飲まなかった。 ワインを少し嗜む程度であったが、焼酎やウィスキーを浴びるほど飲むようになった。 それだけでは単に「仕事を自粛しているストレスだろう」と思ってしまうだろう。 ところが、彼は食の好みまでガラリと変わってしまった。
祐二は良く焼いたステーキが好物で、生食などを受け付けない体質であったのはずだが、血の滴るようなレアステーキを好んで食べるようになった。 そればかりか、は虫類食やジビエ食、昆虫食まで手を出すようになり、生の昆虫まで食べるようになったのである。
初めは祐二も自分の体質の変化に戸惑った。 ところが、最近になって彼は変化した体質に慣れてきたのか見違えるように元気になり、家族や関係者を驚かせた。
祐二の肉体はみるみる逞しくなっていき、顔つきは野性味を帯びてきた。 身体の底から湧上がる力を感じるようになり、全てが上手くいくような気さえした。
「カルト教団の広告塔であった」と未だに批判されていたにも拘らず、図太く芸能界に復帰して何事ものなかったかのようにドラマ等にも出演した。
そんな祐二の激変ぶりに周囲は困惑しつつも、彼の野獣のような力強い瞳に魅了されたファンが彼を支持し、ふたたび祐二はお茶の間のテレビに顔を出すようになったのである。
祐二の家族も初めは彼が元気を取り戻した事で安心した。 ところが、すぐにその安堵は誤りだった事に気が付いた。
祐二は相変わらず妻や一人娘に暴力を振るっていた。 酒が無くなると、夜中だろうが妻と娘をたたき起こし、酒を買ってくるよう強要した。 数日に一度しか家に帰ってこなくなり、あろうことか妻と娘を家から追い出して不倫相手を家に連れ込むなどの暴挙まで行なうようになった。
だが、それでもこの時の彼はまだマトモであった。
祐二の妻である『大城真琴』はある日の夜、夫の恐るべき行為を目の当たりにしたのである。
それは慄然とし、目を背け、吐き気がする醜悪な行為……。 誰もが嫌悪し、悲鳴を上げ、卒倒する戦慄の光景であった。
――
ある日の夜、祐二は真琴と共にしていたベッドから起き上がり、ノソノソとキッチンへ向かって行った。
真琴は「祐二さん、またお腹をすかせて冷蔵庫を物色しに行ったのだろう」と呆れたように溜息をつき、仰向けで寝ていた身体を横にした。
『ギィィ……ギィィ……』
ところが、キッチンから何やら大きな物を引き摺る不気味な音が微かに聞こえてきた……。
(なっ、何かしら……?)
真琴は不審に思い、一階のキッチンへ『ソロリ、ソロリ』と降りて行った……。
ダイニングの奥にあるキッチンは、冷蔵庫から放たれている白い光が闇に浮かんでいた。
(やっぱり、祐二さんが冷蔵庫の食べ物をつまみ食いしている……?)
しかし、何か様子がおかしい……。 キッチンの窪みに上手く収まっていた大きな冷蔵庫は引き摺られて移動されており、祐二は移動した冷蔵庫が置かれていた窪みの床にベッタリと座り込み、箱の中にいる何かを無心につまんで食べているようだった。
(……一体、何を……?)
冷蔵庫は無造作に移動されており、扉が開いたまま祐二の手元を白い光で浮かび上がらせていた。
真琴はダイニングの柱の陰から、祐二の手元を見つめた。
「――ヒッ――」
彼が手に掴んで口に放り込んでいる物体……。 その物体が光に浮かび上がった時、真琴はあまりの衝撃に言葉を失い、その場で気を失いかけた。
「……!? えっ……? えぇぇ……あ……あぁ……」
真琴はこの恐るべき光景を目の当たりにし、何度も『夢じゃないかしら……?』と自分自身に問い詰めた。
「あ、あ……ウソ……これは夢……? 悍ましい夢……何で、何で……?」
だが、今ここにある現実は夢では無い。
真琴はガタガタと震えていた。 ガチガチと歯を鳴らしていた。
「ウッ……オェェ……」
あまりの悍ましさに吐き気がこみ上げて来た……。
ところが、祐二はそんな気配など気が付かぬほどに夢中で黒い物体をつまんでは口に放り込んでいた。
『……グチャ、グチャ……』
口の中に放り込んだ物体が砕けて、体液を迸らせる気味悪い咀嚼音がダイニングに響き渡る……。
「……ゴ……ゴキブリを……」
夜な夜な起きてきて、冷蔵庫を引きずり出した祐二。 彼はその裏に設置されていた害虫トラップに掛っていたゴキブリの群れを摘まみ出し、無心に食べていたのである……。
『あの人は……悪魔に取り憑かれている……?』
震える足で立ち上がり、爆発しそうな心臓の音と耐え難い吐き気を何とか抑えようとする真琴。 身に纏うパジャマは脂汗と冷や汗でビッショリと濡れている。
夫は彼女に気が付かず、ただ狂気の能面をもってゴキブリを食べ続けている……。
「……誰かに……誰かに……相談しないと……」
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