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復讐は自分でやりなさい  作者: ティーケー
漆黒のユリ

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30/186

安らぎ

 

 小百合(さゆり)が父に監禁されていた自部屋の薄汚(うすよご)れた天井には、真っ黒いシミが付いていた。 それは墨汁(ぼくじゅう)が跳ねたような小さなシミであった。 小百合は恐ろしい夜がやってくる前に、そのシミを見つめながら(わず)かな眠りにつくことが日常であった。


 シミは初め、ただの黒い点だった……。


 ところが、シミを見つめている内に、徐々(じょじょ)に黒い点がザワザワと天井に広がっていき、天井を真っ黒に染め上げる。 黒より暗い漆黒(しっこく)の影はまるで大蛇(だいじゃ)のように壁を伝い、小百合が眠っているベッドの上まで()って来る。

 金縛りに遭ったかのように身動きが取れない小百合に真っ黒い影が(せま)ると、影は彼女の身体に(まと)わり付く。 そして、小百合の心を浸食(しんしょく)するのだ。

 

 「憎い……あの男が……」


 漆黒の影に侵食された小百合の心に父への憎悪が燃え上がる。 そして、自分と妹を捨てた母に対する(あらが)う事が出来ない殺意が湧上がる。


 「――殺してやる――!」


 身を焦がす殺意。 どうしようもない憎しみが彼女の心を支配した時、小百合はいつも目が覚める。


 「……夢……?」


 目覚めると、天井のシミは小さな点に戻っている。 小百合はそんな()まわしい悪夢にうなされながら一日を耐えてきたのであった。



 ――



 「……う……ん……」


 小百合が目を覚ますと、天井にはいつもの黒いシミが見当たらなかった。


 (こっ……ここは……?)


 薄い桃色をしたシミ一つ無い天井。 天井の真ん中には美しいシャンデリアが吊り下がっており、その左右には綺麗(きれい)な銅色のプロペラがゆっくりと回っていた。


 見た事のない洋間のベッドで眠っていた小百合。 だが、彼女は不安に思うどころか、むしろ安心した。


 (夢じゃ……なかったんだ……)


 彼女はようやくあの悪魔が住む家から脱出することが出来たのだ。


 (暖かい……)


 小百合の身体にはフワフワした布団が掛っていた。 こんな安らぎを覚えたのは何年ぶりだろうか。 小百合はベッドから起き上がるのが惜しいと感じ、しばらくその温もりに身体を(ゆだ)ね、何故、自分がここで眠っているのかを思い出した。



 ――



 篠木希海(しのきのぞみ)に救出された小百合は、公園で希海の仲間である島田と会った。 彼女はベンチに座り、島田と希海に今まで耐えてきた地獄の日々を語った。


 父から凄惨(せいさん)な性虐待を受けて来た事。


 妹も同じく父から性虐待を受け、命を絶ってしまった事。


 時々言葉に詰まりながら、気丈にも絶望の日々を語った小百合。 希海は彼女が語る姿を涙ながらに見つめており、時々(こぶし)を握りしめて怒りに震えていた。


 島田は小百合の言葉を黙って聞いていた。 そして、小百合が全てを語り終え『ふぅ……』と一つ息を吐いた時、島田はベンチから突然立ち上がり、小百合の前に立った。


 『島田さん?』


 疲れ切った小百合の痛ましい顔に困惑の色が浮かぶ。


 すると、島田は膝をついて小百合の身体を優しく抱きしめた。


 『――!』


 小百合が突然の出来事に目を丸くしていると、島田は彼女に優しく語りかけた。



 『――小百合さん、よく頑張りましたね――』


 

 その声は暖かかった。 冷たい泥人形であった小百合は、老婆(ろうば)の穏やかな声で再び人間になる事が出来たのだ。



 『ウ……ゥ……ウワァァァン――!!』



 小百合は泣き叫んだ。 思い切り(むせ)び泣いた。

 悲しかったからでは無い。 苦しかったからでは無い。 ようやく“解放”された安堵(あんど)と、久しぶりに優しさに触れた喜びが、彼女の心の中に巣くう絶望を洗い流そうとその瞳に涙を(あふ)れさせたのである。


 小百合は島田の胸でしばらく泣き叫んだ。 すると、泣き疲れてしまったのか、島田の膝の上で穏やかな顔を見せたまま眠りについた。



 ――



 (そうか……。 あの時、私はつい眠ってしまって……)


 小百合が暖かい布団に身を委ねていると、ドアの向こうから誰かの話し声が聞こえて来た。


 「――私は反対だわ!」


 その可愛らしい女の子の声は、希海の声であった。 希海はドアの前で誰かと話しをしているようであった。


 「しかし、彼女はもう“手遅れ”です。 このまま放っておけば、彼女は“鬼”になります」


 希海の言葉に返事をする男性の声。 小百合は男性の声を聞くと、にわかに緊張した。


 恐らくかなり年を取った男性だろう。 その穏やかな調子の声は、小百合がいままで会ってきた男達とは違う雰囲気を感じた。 だが、やはり男性の声は少し怖い。

 小百合は布団を頭から(かぶ)り、緊張した面持(おもも)ちで二人の会話に耳を傾けた。


 「希海君も彼女の身体を取り巻く憎悪をご覧になったはずです。 残念ながら、もう私達の手に負えません。 お嬢様のお力で憎悪を消さなければ、彼女を救うどころでは有りません」


 男性の言葉は小百合にとって全く理解出来なかった。 ただ、言葉の端々に出てくる“彼女”という言葉が『自分の事を言っているのだろう』というのは何となく分かった。


 すると、男性の言葉の後から、希海の不満げな声が聞こえてきた。


 「むぅ……。 そんな事、分かってるわ! じゃ、伊奈様にどうしたら良いか聞いてみる!」


 希海がそう叫ぶと、男性は「それが一番良いと思います」と同意するが「その為には、彼女が目覚めるまでお待ちしないといけません」と言葉を継いだ。


 「……そうね。 もう、お姉ちゃん、三日も眠ったままだからね。 大丈夫かしら?」


 心配そうな希海の声が聞こえる。 すると、希海の言葉に男性が「お嬢様が治療をして下さったので問題ありません」と答え、言葉を続けた。


 「あれだけ酷い仕打ちを何年も耐えて来られたんです。 三日どころか、もう少しお休みさせないとならないかも知れません」


 男性の言葉に、再び希海の不満そうな声が響いてきた。


 「むぅ……。 そしたら私が伊奈様に言って、もっと強力な治療をして貰うようにお願いするわ!」


 「ふふ……まあ、希海君ならお嬢様もそうして差し上げるかも知れませんね。 君はお嬢様にとって“特別な子”ですから」


 二人の話を聞く限り、どうやら“伊奈様”という“お嬢様”は希海のワガママを特別良く聞いてくれるらしい……。

 

 『やはり二人は自分の事を話しているようだ』と確信した小百合は、頭に被っていた布団を()ぐと、ベッドからそっと降りた。


 すると、小百合が床に足をついた瞬間、二人の会話が止まった。


 「あっ――!!」


 希海の叫び声が聞こえてきたかと思うと『ガチャッ』とドアが開いた。


 「お姉ちゃん、目が覚めたんだね!」


 Tシャツ姿の希海が、驚いた様子の小百合を見て目を細めた。 ついさっきまで希海と話しをしていた男性の姿は無かった。

 希海は一人で部屋へバタバタと入ってくると、ベッドから降りた小百合の手を取って、部屋の隅に()えられている机の椅子に小百合を座らせた。


 「まだ、無理をしちゃダメよ」


 そう言って微笑(ほほえ)みかける希海に、小百合は「アリガト、希海ちゃん」と礼を言うと、先ほどまで希海が話しをしていたはずの男性について聞いてみた。


 「ああ、榊原(さかきばら)さんね。 小百合お姉ちゃんの目が覚めたから、榊原さんは庭へ出ちゃったわ」


 希海の話しでは『榊原』という初老の男性は、小百合を気遣ってわざわざ姿を消したそうだ。 島田から小百合の過去を聞かされた榊原は、小百合が「男性に対して嫌悪感を持っているだろう」と懸念(けねん)し、小百合に余計な負担を掛けないように気を利かせたのである。

 

 「そっ、そうなんだ……。 なんか、お気を遣わせちゃって……」


 小百合は希海の話しを聞いて、申し訳なさそうに目を伏せた。


 「大丈夫よ、別に大した事じゃないわ。 それより、大分元気になったみたいで良かった!」


 希海はあっけらかんとした性格のようで、小百合の不安を一蹴(いっしゅう)すると、先日と比べ顔色の良くなった小百合を見てニッコリと笑った。


 「小百合お姉ちゃん、三日も眠っていたんだから! さすがに私もちょっと心配しちゃったんだけど、その顔を見ると榊原さんの言うとおり、体力も回復して来たみたいね!」


 小百合は公園で眠ってしまった後、一度も起きずにずっと眠り続けていた。


 小百合は、父から性虐待を受けたその日から今日までの間、一度として熟睡出来た事が無かった。 睡眠薬を大量に服用して気絶するように眠る時が唯一の睡眠であった。

 こうして安らぎに包まれた穏やかな睡眠を取ったことなど久しぶりだったので、三日もの間眠り続けたのである。

 そのお陰で、彼女の顔はかつての美しい笑顔を取り戻した。 だが、飲まず食わずのまま三日も眠り続けた彼女の身体は栄養を欲していたのか『グゥ……』と大きな音をお腹から出して、小百合の頬を赤くさせた。


 「あら、お姉ちゃん、お腹減ってるのね。 じゃあ、私が何か作ってあげるわ! 何が食べたい?」


 美しい銀色の瞳を輝かせ、ニッコリと微笑む希海。 すると、小百合は希海の温かい声と優しい眼差しに思わず泣き出してしまった。


 「うぅ……アリガト、希海ちゃん……」


 何から何まで世話をしてくれる妹のような希海。 小百合は彼女に妹の面影を見て、涙が出てしまったのだ。

 希海はそんな小百合の気持ちを(おもんばか)ってか、小百合の背中を優しく(さす)った。


 「礼なんかいらないわ。 小百合お姉ちゃんが元気になってくれるだけで良いから。 それより、何が食べたい? これでも私何でも作れちゃうんだから!」


 希海はそう言って息をまく。 その様子に小百合が「じゃあ、コロッケ」とオーダーをすると、希海は一瞬真顔になった。


 「えっ、コロッケ……? ……いや、いや、そんなのよりハンバーグの方が良いって!」


 何でも作れると豪語した希海は、実はコロッケが作れなかった……。


 「アリガト、じゃあ、ハンバーグで……」


 小百合は希海の“気遣い”に笑顔で答えると、希海も「任せて!」と頼もしげな言葉を吐いて、ニッコリと胸を張った。


 ――何年ぶりかの暖かい食卓――


 小百合は希海が作った少し焦げ付いたハンバーグを美味しそうに食べた。 そして、久しぶりに暖かいお風呂へ入り、未だに信じられないような幸福に包まれながら、その日の晩は希海と一緒に穏やかな眠りについたのであった。


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