屋敷の主
「……こ、ここは?」
老紳士が運転する黒塗りの車から降りた蒼汰。 目の前には高い塀に囲まれた大きなアーチ状の門扉が立ちはだかっていた。
扉の奥には石畳が敷かれており、鮮やかな緑溢れる草木に囲まれている。 一体どこまで続いているのか分からないような広大な敷地を目の前にして、蒼汰は戸惑いの色を隠せなかった。
「お嬢様の屋敷でございます。 さぁ、どうぞ中へ……」
老紳士はそう言うと重そうな鉄扉を片手で開け、先に蒼汰を通すと再び門扉を閉めた。
「あっ、路上に止めた車はどうされるのです?」
門扉を閉めた老紳士に驚いて、後ろを振り向いた蒼汰。 乗って来た車は路上に止まったままである。
「“あの子”は勝手に車庫に入りますのでご心配なく……」
老紳士は不思議な答えを蒼汰にすると、石畳に従って道なりに歩き出した。
恐る恐る周囲を窺いながら老紳士に付いていく蒼汰。 薄暗い林の中からは動物の鳴き声が聞こえてくる。 何の動物だか分からないが、庭を護る猛犬という訳ではなさそうなので、蒼汰は少しホッとした様子を見せた。
石畳が延びている先には、まるでトンネルの出口のように地上を差す光が見える。 老紳士は異常に足が速く、蒼汰が周りを見ながら歩いているとたちまち引き離されてしまう。 先に林を抜けた老紳士に引き離されまいと、蒼汰は駆け足で光の差す方へ向かって行った。
薄暗い林を抜けると、そこは広大な庭園であった。
「お嬢様の故郷を模した庭園です。 どうです、美しいでしょう?」
老紳士は立ち止まり蒼汰に向かって笑いかけた。
丁寧に手入れされた青い芝生。 色取り取りに咲き誇る美しい花。 背の低い木々には小鳥達の歌声が聞こえている。 奥に行けば行くほど春のように暖かい。
蒼汰は驚きを隠せずに周囲の景色を眺めながら老紳士について行く。 すると、白い砂利に囲まれた大きな池が見えてきた。 池に浮いた大きな葉にはカエルが乗っており、喉を膨らませて声を鳴らしている。 二人が近づくと警戒したカエルが池の中へ飛び込み、水しぶきを煌めかせた。
だが、そんな楽園のような庭園を過ぎると周囲の景色が一変した。
草木一本も生えていない荒涼とした景色。 そこに佇む不気味な洋館。 あまりにも異質な光景に蒼汰は目を疑った。
(まさか、覚えも知らずに異世界へ転移した訳ではなかろうか……?)
不安に思って後ろを振り向く蒼汰。 だが、後ろには先ほど通り過ぎた緑豊かな庭園が広がっており、どうやら異世界へ転移した訳ではなさそうだ。
目の前に佇む洋館は、火事が起きてからしばらく放置されているように見えた。
ペンキの剥げたレンガ造りの白い壁。 ところどころ焼け焦げている赤い屋根。 本当に人が住んでいるのかさえ疑われるほど、朽ち果てた姿の不気味な洋館……。
だが、正面から見える二階の窓からは何やら光る物体の影が蠢いており、人がいる気配はあるようだった。
「……」
蒼汰は老紳士の言葉を信じて付いて来たのは良いが、このまま中に入って良いものかどうか不安を覚えた。
(……でも、もう引き返せる状況じゃない。 あの男の言葉を信じた俺が馬鹿だったのか……?)
そんな後悔を胸に抱く蒼汰を尻目に、老紳士は低い階段を上がって玄関扉に近づくと、おもむろに扉を開けた。
『ゴゴゴ……』
まるで石か分厚い鉄板でも動かしたかのようの重々しく開いた扉……。
「さあ、どうぞ中へ――」
老紳士は呆気に取られる蒼汰に向かって微笑むと、そそくさと中へ入って行った。
「……えぇい! もうヤケクソだ!」
もう引き返す訳には行かないと諦めた蒼汰は、老紳士に遅れまいと急いで階段を駆け上がり、屋敷の中へ入って行った。
――
玄関の重々しい扉から中へ入ると、長い廊下が奥まで続いていた。 赤い絨毯が敷かれている廊下の両脇には、西洋風の甲冑を着た騎士の銅像が等間隔に置かれている。
(何だか妙に暑いな……)
室内の温度はやけに高く、蒼汰の額から汗が滲み出た。 今は秋も深まり、夜になると肌寒く感じる季節だ。 老紳士の言う『お嬢様』という者はさぞかし寒がりなんだろう……。
両脇を見守る騎士の銅像に不気味さを感じながらも廊下を進んでいく蒼汰。 奥は広いロビーになっているようで、天井から漏れ出る光が床に反射してキラキラ輝いていた。
蒼汰がロビーまで出ると、その床は真っ白に輝く大理石である事が分かった。 だだっ広いロビーには来客を待たせる為のものなのか、大きなソファーとテーブルが置かれていた。
ロビーの奥には二階へ続く幅の広い階段があった。 廊下と同じく赤い絨毯が敷かれており、踊り場には大きな絵画が飾られていた。 階段は踊り場から二手に分かれ、それぞれの階段が二階へと繋がっていた。
(あの絵は一体……)
蒼汰が中央に見える絵を興味深く眺めていると、階段から『トコ、トコ』と軽快な足音が聞こえて来た。
「あれは、ロボット?」
階段から降りてきた者は、メイド服を身に纏った一体のロボットであった。
金属製の頭の丸いロボットは二つの丸い目を光らせながら二人に近づくと、老紳士に向かって「オカエリナサイマシ」と片言の言葉を送った。 すると、今度は隣にいる蒼汰へ身体を向け「イラッシャイマセ……」と声を鳴らした。
「あ、はぁ、どうも……」
蒼汰は訳が分からないままロボットに向かって返事をした。 ところが、ロボットは何も言わずに踵を返し、再び中央の階段へ向かって行った。
「さあ、行きましょう」
老紳士は蒼汰にそう促すと、ロボットに付いていくように階段へ向かって行った。
先ほど蒼汰が気になっていた絵は、幅二メートルはあろうかという立派な絵画であった。 荘厳な額に収められている重そうな絵は、恐らく何処かの高名な画家が描いた物に違いない。 天使達が恐ろしい怪物から人間を護る様子が描かれていると思われる絵は、蒼汰には何だか神秘的な様子に見えた。
老紳士は絵を見飽きているせいか、絵画には目もくれずに二階へと上がって行った。 そして、踊り場に立ち止まって絵を見ている蒼汰に向かって「どうしました?」と言葉を掛けた。
「あっ、いえ……別に……」
絵を見入っていた蒼汰は慌てて我に返ると、急いで二階へ上がって行った。
蒼汰が階段を上がると、廊下の中央に大きな両開きの扉がある事に気が付いた。
(……あの扉の向こうにお嬢様とかいうヤツが……)
お嬢様という限りは女性だろう。 だが、こんな不気味な屋敷に住んでいる“お嬢様”など大方は妖怪か化け物の類い……碌な者では無いのが相場である。 そう思うと、蒼汰の額に再び汗が滲み出た。
蒼汰は固唾を呑んで、扉をノックする老紳士の背中を見守った。
「入りなさい……」
中から微かに女性の声が聞こえてきた。 その声は集中していないと何を言ったのか分からないような小さい声であった。
「失礼致します!」
恭しく一礼し、扉を開けた老紳士。 彼は開け放った扉の前に控えると、蒼汰に向かって先に中へ入るよう促した。
「お、お邪魔します……」
緊張した面持ちで部屋の中へ足を踏み入れる蒼汰。 すると、部屋の中から漏れて来た熱気が蒼汰の体中を包み込んだ。
(一体、何故こんなに暑いんだ……)
蒼汰はそう思いながら熱気の充満する部屋の奥へ入って行った。
部屋は思ったより狭かった。
四人がけの大きな丸テーブルが置かれており、テーブルの上には陶器製のティーポットとコーヒーカップが置かれていた。 丸テーブルの奥には白いレースのカーテンで仕切られた小部屋が見える。 恐らくその小部屋の奥が寝室になっているのだろう。
壁には大型のエアコンが見た限りでも三台備え付けられていた。 熱気の充満した部屋を冷やしているようだが、まるで効いている様子は無い。
床は紫色の宝石のようなタイルが整然と敷かれていた。 通常、お嬢様の居る部屋はフカフカの絨毯が敷かれているのが相場だが、そうではないようだ。 だが、天井に吊るされたシャンデリアから差す光を反射してキラキラ輝く様子は美しく、小部屋から出てくるであろうお嬢様の美貌を期待させる程だった。
「お嬢様、先日お伝えした者をお連れしました……」
カーテンの手前で小部屋の中に向かって畏まる老紳士。 すると、カーテンがおもむろに開き、中から一人の若い女性が出てきた。
「えっ……!? あ、あっ……? アンタは――!」
女性の顔を見た蒼汰は呼吸が止まってしまうくらい驚愕し、息を飲んだ。
蒼汰の目の前に現れた女性は、先ほどテレビで見た女性――
――お茶の前のアイドル『森中伊奈』であった。




