隠蔽
有加利を殺し、小百合の心を破壊した憎むべき父『政夫』。 彼は非業の死を遂げた娘の痛ましい姿を見ても涙一つ流さず、ただ自らが犯した大罪が白日の下に晒される事を恐れた。
「マズイ……。 このままでは、俺は……」
政夫は我が子を陵辱した事を世間に隠し通さなければならなかった。 そして、何よりも薬物を使用していた事を隠蔽しなければならない。
政夫の目の前には、あまりのショックで気を失ってしまった小百合が倒れている……。
政夫は“全獣力”をもってこの困難を対処しようと考え抜くと、おもむろに小百合を抱きかかえた。
「まずは小百合を何とかしないと……」
卑劣な男は近所の住民に見つからないよう、裏口から庭へ飛び出した。 そして、庭に置いてあった物置に小百合を押し込むと、小百合の口に猿ぐつわを噛ませ、手足には手錠を掛けた。
我が子を拘束し、物置に閉じ込めた父は狡猾な笑み浮かべた。 その忌まわしい姿は冷酷な悪魔そのものであった。
悪魔は再び家の中へ戻って行き、リビングのテーブルに置いてあったスマホを手に取った。 すると、みるみる哀しみに満ちた父親の顔へと変貌し、嗚咽を漏らしながら救急車と警察を呼んだのであった。
――
有加利が自殺した時、彼女は政夫の子を身ごもっていた。 政夫はその事実をひた隠しにし、警部としての地位を利用して実の娘に性的虐待を行なっていたことを隠蔽しようとした。
この下劣で卑怯な父親は「娘の有加利は何者かに強姦され、妊娠させられた事を苦にして自殺した」と涙ながらに刑事に語り、まるで自分が悲劇の父親であるかのように演じた。
有加利が自殺した後、刑事は事件性が無いか有加利の部屋をくまなく調べた。 だが、有加利の部屋には不審な点は特に見当たらなかった。
すると刑事は何を思ったのか、姉の部屋も調べようとした。 だが、現場を監督する先輩刑事から「余計な事をするな」と窘められ、断念した。
実は、刑事は姉である小百合に“ある事”について事情を聞こうとしていた。 ところが、小百合はいつまで経っても自宅へ帰ってくる様子がなかったので、現場検証のついでに小百合の部屋も調べようと考えたのだ。
しかし結局、小百合に会うことが出来なかったばかりか、部屋も調べる事が出来なかった。 そこで、刑事は父親の政夫に任意同行を求め、警察署で事情聴取を行なう事にした。
剥き出しのコンクリートの壁を白く塗っただけの簡素な小部屋――全体的に薄暗く、陰気な雰囲気である。 部屋の真ん中には灰色の事務机が置かれており、刑事と政夫は事務机の前に置かれたパイプ椅子に向かい合わせで座っていた。
事務机の上にはボンヤリとした光を放つライトが置かれている。 タバコを吸う政夫の為にアルミ製の灰皿も置かれており、すでに何本かのタバコの吸い殻が灰皿の中で押し潰されていた。
刑事は今年25歳になる若い男性であった。 黒縁の眼鏡をかけており、黒髪を真ん中から分けた気の弱い印象を抱かせる優男。
だが、彼の茶色い瞳には真実を求める飽くなき欲求を宿していた。
刑事は政夫に小百合が自宅へ帰って来ない理由を尋ねた。 すると、政夫はこう嘯いた。
「恥ずかしながら、娘は家出をしてしまってね……」
刑事は政夫の後輩であった。 政夫は後輩に平然と噓を付いてその場をやり過ごそうとした。
だが、政夫の後輩は甘くなかった。
「それじゃ、マサさん。 貴方、何でお姉さんの捜索願を出さなかったんです?」
後輩は政夫を疑っていた。 「妹の自殺に関して事情を知る姉を、政夫が匿っているのではないか?」と疑っていたのである。 というのは、有加利の遺体を検死した結果、薬物を使用した形跡があったからだ。
「娘さんのご遺体から、覚醒剤反応が出ました。 最近、署に保管されている覚醒剤が盗難被害に遭った事はご存じでしょう? 貴方が売人から押収した覚醒剤ですよ」
政夫の背筋に悪寒が走った。 後輩は政夫の緊張した様子を知ってか知らでか、そのまま言葉を続けた。
「ご存じの通り、その覚醒剤は一般には流通していない合成麻薬が混入した覚醒剤でしてね。 そんな珍しい覚醒剤が“偶然”娘さんのご遺体から検出された……」
有加利の遺体を検死した結果、彼女が覚醒剤を使用していたことが分かった。 覚醒剤は身体に注射痕が無いことから経口摂取だろうと思われたが、ある特定の部位から摂取されたものだという事が分かった。
「覚醒剤は娘さんの陰部に塗布されていたのです。 この極めて異常な使用方法からすると、恐らく彼女が自分で覚醒剤を使用した訳ではなく、何者かに“使用を強要された”あるいは“強引に使用された”という可能性が高い」
後輩は有加利に覚醒剤を使用した者が、彼女の父か姉ではないかと疑っていたのだ。
政夫は「小百合が家出をしたのは一週間前だ」と後輩に告げていた。 ところが、近所の住民に聞き込みをしたところ、政夫が有加利の遺体を発見した当日、立山家から“痛切な女性の悲鳴”が聞こえて来たという情報が多く寄せられた。
その事実から、政夫の後輩はある仮説を立てた。
(もしかしたら、その悲鳴は姉の悲鳴であったのかも知れない。 姉は自宅へ帰って来た時、妹の変わり果てた姿を見て悲鳴を上げた……。
すると、マサさんが言っている事と矛盾する……。
“被害者”の陰部に塗布された薬物は、間違いなく署から盗まれた覚醒剤だ。 その覚醒剤を管理していたのはマサさん……。 こんな偶然、あるはずがない)
刑事はそう考えると、ある恐るべき結論に至った。
(……考えたくないことだが、マサさんは実の娘の陰部に覚醒剤を擦り込み、娘をレイプした。 そして、その事を知っている姉を何処かへ監禁した。 もしかしたら、姉もマサさんの共犯者かも知れないが、そんな事は無いはずだ)
『小百合が政夫と共謀し、有加利に覚醒剤を使用したのかも知れない。 そして、小百合自身も覚醒剤を使用していたから、警察に追及されないよう行方をくらました』
政夫の後輩はそんな可能性も考えたが、彼の刑事としての勘であろうか、即座にその可能性を否定した。
(もしかすると、姉も妹と同じ……マサさんに……)
刑事はここまで考えると、あまりの悍ましさに身震いした。
そんな事を後輩が考えているとは露知らず、政夫は『女性の悲鳴が聞こえた』という話しに対し、平然とした様子でこう言い放った。
「恐らく、娘は絶望に噎び泣きながら自分の首を切ったのだろう……」
そんなはずはない……。 近所に聞こえるほどの金切り声を上げて首を切り付けたにしては、彼女の死に顔は“覚悟を決めた”悠然とした死に顔であった。
(やはり、この人が……)
後輩はいよいよ、政夫に覚醒剤使用の疑いがある事を伝え、検査に協力するよう要請しようと唾を飲んだ。
後輩が緊張した面持ちで口を開こうとしたその時、政夫は突然鬼のような形相へと変貌し、後輩の言葉を遮った。
「そんな事……。 私の娘が家出した事と何の関係があるのかね?」
後輩は政夫の変貌に威圧感を覚え、言葉を噤んだ。 すると、政夫は後輩を脅しにかけるかのような強い口調で弁解を始めた。
「私の娘は恐らく署から覚醒剤を盗んだ者によってレイプされ、妊娠させられたんだ! キミは娘を愛する私のココロを踏みにじるつもりか!
それに、娘の家出で捜索願を出す警察官が何処にいるというんだ! 仮にも私は“警部”だぞ! 『警察官として家庭内の問題を持ち出すことなど出来ない』と悩んでいた私の心をどうしてキミが分からないんだ!
キミが私の立場なら『自分の子が“不肖の娘”である』とわざわざ職場に知らせるのかね? ええっ!?」
そう激昂する政夫に、後輩の刑事は狼狽えた。 その様子を見て「いける――」と確信した政夫はさらに言葉をたたみ込む。
先ほどまでの激昂した様子とは打って変わり、今度は不気味な程冷静な口調で後輩に釘を刺した。
「……キミ。 仮にも私はキミの上司だぞ。 現職の警部だ。 キミが勝手な妄想を抱くのは構わない。 だが、その妄想で私の心を踏みにじり、私の家族を貶めようというのなら……」
緊張した様子で政夫を見つめる警官。 ねずみ色の机に置いた彼の両手は『プル、プル』と震えている。
すると、政夫は矢庭に立ち上がり『バンッ』と両手で机を突いた。 そして、大きな太鼓腹を机に乗せると、前のめりになって刑事の顔に自分の醜悪な顔を近づけた。
「……キミを“飛ばす”事だって出来るんだよ」
政夫の脅しに刑事は自分の家族の顔を思い浮かべた。
「……くっ……」
刑事は一瞬悔しそうな顔を見せると席を立ち、言葉を吐いた。
「……貴方の娘さんは何者かに薬物を陰部に塗布された挙げ句、強姦されて妊娠した。 そして、自分の人生に悲観して自殺を遂げた。 私はその“憎むべき犯人”を捜すために全力を尽くそうとしているだけです」
刑事は政夫の顔を見向きもせず、後ろを振り返った。 そして扉を乱暴に開け放つと背中から政夫に向って言葉を投げた。
「愛する人に先立たれ、残された者が苦しむ無念の思い……。 僕はその無念を晴らす為、この件を諦めるつもりはありません」
刑事はそう捨て台詞を吐くと、部屋から出て行った。




