届かぬ声
小百合は父を騙る獣によって陵辱された。 獣はその冷酷な手から娘を逃すまいと、残酷な鎖を娘の心に縛り付けた。
「この事を誰かに言ったら、有加利に慰めてもらうから……」
哀れな小百合はその日から“泥人形”となった。 彼女は妹を護る為に、卑劣な獣の欲望のはけ口となったのである。
妹と寝起きを共にしていた小百合は、父によって妹から引き離された。 彼女は一人部屋をあてがわれ、毎晩忍び寄る獣の恐怖に怯えていた。
妹が眠っている深夜、獣は音も立てずに部屋へ侵入して来た。
邪悪な獣はベッドで眠る獲物をクマのような手でまさぐりながら、膨らみかけた小さな乳房を舐め回す。 そして、喜悦の咆吼を上げて迸らせる白濁した醜悪な泥を、娘の体内へ注ぎ込んだ。
毎夜続く耐え難い恥辱……。 小百合は自分の身体がまるで自分のモノではないような感覚に陥った。
朝になると小百合は必ずシャワーを浴びるようになった。 汚らわしい泥を洗い流す為に。 溢れ出る苦渋の涙を妹に見せない為に。
そんな痛ましい姿の子を尚も傷つける父の所業。 娘の着替えをのぞき見て、入浴姿を視姦する猟奇的な姿はもはや小百合の父では無い。 欲望に塗れた唾棄すべき畜生そのものであった。
父の忌まわしい姿に小百合は何度も絶望を感じた。 だが、彼女は耐え続けた。 愛する妹を護る為に。 そして、いつか来るだろう受け入れがたい現実に目を背けた。
――
小百合が中学生になったある日、彼女は突然、凄まじい吐き気に襲われた。 それは“つわり”と呼ばれる症状であった。
そう、彼女が危惧していた恐ろしい事が現実になったのである。
「ま、まさか……お父さんの……子を……?」
受け入れたくない現実……。 だが、身体はこの残酷な事実を彼女の心に突きつけた。
小百合は悍ましい現実を誰にも相談する事が出来なかった。 ましてや、妹になど口が裂けても言えないし、気付かれたくも無かった。
「お、お母さんに……」
小百合は母に相談しようかと考えた。 とはいえ、母はすでに家を出て男と暮らし始めており、自宅へ帰ってくる事は滅多に無かった。
だが、母が住んでいる場所を調べる事は容易であった。 学校の緊急連絡先に、母の現住所と電話番号が記載されていたからである。
母は幸い隣街で暮らしていた。 小百合は駅を一つ越えるだけで、母に会いに行くことが出来た。
「でも……お母さんに相談したところで、どうせまた……」
実は小百合は自身の苦しみを警察と学校の教師に相談していた。
ところが、警察は「子供の妄想だ」として全く取り合ってもらえず、それでもしつこく助けて欲しいと懇願する小百合に対して信じられない暴言を吐いて追い返した。
「キミがお父さんを誘ったんじゃないの?」
小百合は言葉の暴力に打ちのめされ、それ以来警察を信用しなくなった。
だが、担任の女性教師は小百合の味方をしてくれた。
小百合の担任教師は『生徒が実の父に性虐待をされている』という痛ましい事実に戦慄し、学校で小百合を保護すべきだと訴えた。 ところが、“家庭内の厄介事”に責任を負いたくないという意気地無い教育委員会によって、教師の告発は闇に葬り去られた。
教師は学校と教育委員会の姿勢に憤怒し、“ミーチューブ”という動画サイトで小百合の問題を取り上げて世間に子供に対する性的虐待を告発しようとした。 しかし、そんな教師の行動をいち早く察知した学校は、教育委員会と手を取り合って小百合の唯一の理解者であった教師に対し、壮絶なパワハラを行なうようになった。
女性教師は老獪な老人達による陰湿なイジメに屈し、小百合の許から離れていった。 そして、うつ病を患って精神病院へ入院してしまった。
(警察も、学校も、皆信用できない。 信用出来るのは有加利だけ……)
小百合は悩み、苦しんだ……。
(お母さんに相談したところで、どうせ警察や学校のように冷たくあしらわれるかも知れない。 それに、相談に乗ってくれたところで“あの獣”が元の父に戻る事など考えられない)
それでも小百合は意を決し、一縷の望みに懸けた。
……だが、その結果は残酷であった。
「――汚らわしい――!」
まるで害虫を見るかのような目で実の娘を一瞥し、娘を部屋から追い出した母。 小百合は母と会った事で、生まれて初めて心の底から人を憎んだ。
母の無慈悲な暴言に小百合の心は壊れてしまった。 もう、彼女は妹の有加利以外に心を開く事はなかった。
その後、父は娘が自分の子供を妊娠していると知った。 そして、無慈悲にも中絶をさせて娘の心を二度殺したのであった。
――
家へ帰れば、毎晩実父に犯される。 だが、愛する妹の為に自分だけ逃げる訳には行かなかった。
小百合はそんな地獄のような日々に耐えかねて、何度も自殺を試みた。 彼女の左手首には痛ましいナイフの傷が彼女の苦悶の数だけ刻まれていた。
“ためらい傷”……。
彼女が死を躊躇する理由はただ一つであった。
「私が死んだら、有加利がお父さんに……」
そう思うと彼女は我に返り、慟哭の血を滴らせる左手首に包帯を巻いたのであった。 (小百合は迂闊だった。 いくら傷を隠そうとしても、愛する者には隠し通すことが出来ない事を気が付いていなかった)
ある日、同級生の姉が睡眠薬を常用していると聞いて睡眠薬を融通してもらった。 初めて飲んだ睡眠薬は劇的な効果があった。 父との忌まわしい行為の間、彼女は意識を混濁させて苦痛を誤魔化すことが出来た。
それからというもの、小百合は睡眠薬を常用するようになった。 眠ることは出来なかったが、幻想の中に身を置いて、哀しい現実から目を背けることが出来た。
だが、朝になると股の下からしたたり落ちる悍ましい獣の体液に絶望した。 睡眠薬などただの気休めに過ぎず、絶望は朝日と共にやって来るのだ。 そして、小百合に冷酷な現実を突きつけるのである。
小百合の身体はすでに限界を越えていた。 心は暗澹とした闇の中にあり、届かぬ悲鳴を上げていたが、誰の耳にもその声は届かなかった。
毎日飲み続けていた睡眠薬は、やがて効果が無くなった。 それでも、小百合は少しでも苦痛を和らげる為、大量の睡眠薬を飲み続けた。 自室の机の裏側に隠された大量の睡眠薬は、彼女の痛ましい苦しみの証明であった。
もはや自宅で眠ることが出来なくなった小百合は、学校の図書館で眠ることが多かった。 しかし、最近になって教師から締め出され、仕方無く学校の屋上で睡眠をとっていた。
屋上には使用されていない朽ち果てた納屋が建っていた。 ところどころ穴が空いて冷たい風が『ヒュー、ヒュー』吹き付けるボロ小屋であったが、小百合は寝袋を持ち込むことで寒さを凌いだ。 壊れた掃除用具が乱雑に置かれた狭い空間であったが、寒ささえ目を瞑れば自宅で寝るよりも安心出来た。
「ここから飛び降りればどれだけ楽だろうか……」
彼女は屋上から見えるグラウンドの土に死の憧憬を抱きながら、納屋の中で泥のように眠る事が日課であった。
学校での成績は落ちる一方であった。 授業をサボって屋上に入り浸る毎日では、友人など出来るはずもない。 同級生や教師から“不良少女”と呼ばれても仕方が無いと諦めていた。
そんな不幸な少女には、常に邪悪な影が忍び寄った。
睡眠薬を購入する資金も底をついた彼女は、地元の不良グループから“稼ぎの良い仕事”として援助交際を持ちかけられた。
彼女は見ず知らずの中年や老人に身体を売るようになり、その悲しい仕事の報酬によって睡眠薬を飲み続けた。
いつまでも続く絶望の日々……。 彼女の身体には常に死の影が纏わり付いていた。
だが、それでも彼女は死を踏み留まることが出来た。
彼女が死の影を振り払い続ける事が出来た理由――それは、絶望の闇の中に射す一筋の光に希望を抱いていたからであった。
愛する妹の笑顔が一筋の光となって、小百合に「もう少し頑張ろう……」と生きる勇気を与えていたのである。




