再会
「オイ、着イタゾ! 早ク降リロ!」
希海は伊奈が所有するAI搭載の自動運転車で都心のとある豪邸へ来ていた。
森に囲まれて中が窺い知れない広大な敷地を有する豪邸は、空から見るとまるで迎賓館のようである。 敷地内の至る所に黒服のガードマンが警戒しており、蔓で覆われた壁には門らしき扉が見当らない。
「……ってか、入口どこ?」
希海はAIに急かされて車を降りると、敷地を囲む擁壁をグルリと回って入口を探し歩いた。 すると、赤色灯が付いている塔屋が設置されている場所があり、二人のガードマンが近づいて来る希海を警戒している様子が見えた。
「ちょっと、お嬢さん! ここは立ち入り禁止エリアだよ!」
二人のガードマンは希海に近づくと、この場から離れるように注意した。
「あっ、いや。 マユに会いに来たんですけど……」
「マユ……?」
不審がるガードマンは無線機で敷地内にいる者と連絡を取った。 すると、ようやく希海が誰に会いに来たのか分かったようで、矢庭に姿勢を糺して希海に無礼を詫びた。
「マロ様のお友達でしたか! 失礼しました! どうぞ、こちらへ――」
ガードマン二人は希海に向って敬礼すると、後ろを振り向いて壁を押しはじめた。 すると、蔓に侵食されている壁がクルリと回転し、敷地内へ侵入することが出来るようになった。
(なんか、隠し扉みたいね……)
敷地内は綺麗な庭園になっていた。
中央に大きな噴水が設置されており、半裸の女神像が両手に持った水瓶から噴水の池へ水を流している。 整然と刈られた芝生に丁寧に手入れされた植栽。 水を撒くメイドや庭師の老人が希海を見る度に挨拶をして来た。
噴水の奥には神殿のような大きな屋敷が見える。 とても“日本の象徴”が住んでいるようには見えない西洋風の屋敷。 大きな両扉の玄関前にはおかっぱ頭の幼女が希海の到着を待っていた。
「久しぶりじゃのぅ! 焔とは一緒に来なかったのか?」
大きな市松人形のような姿をした幼女――彼女は人形の身体を借りた天王“マロ”こと『一色繭』であった。
「――マユ――!」
桜色の髪を踊らせながら駆け寄って来たマユを抱きしめる希海。
「焔さんはイーリスと用事があって一緒に来ることが出来なかったの」
「そりゃ、残念じゃったのぅ」
マユは言葉とは裏腹に機嫌良さそうな声で希海の手を取ると、侍女達を従えて部屋の奥へ希海を案内した。
――
四方を襖で囲まれた“だだっ広い”和室の前で、希海は目を丸くしていた。
「一体、ここは何に使う部屋なの?」
右も左も全面襖に囲まれた奇妙な空間。 天井は異常に高く、照明も付いていない。
何故か紫色の靄が充満しており、まるで妖気が漂っているかのように薄暗かった。
「なに、奥の部屋へ勝手に入る者が居らぬよう“障壁”を張っているのじゃ」
マユは不可解な言葉を返すと、後ろに控えている侍女達を眺めてあきれ顔を見せた。
「ほれっ、もう泣くでない。 汝等はしばらく下がっておれ」
侍女達は片手にハンカチを握りしめ、感極まって涙を流していた。
「うぅ……。 繭様にご友人が出来たとは何て喜ばしい事なんでしょう。
こんなお目出たい日はございません」
かつてこの場所に部外者が入り込む事など一度もなかった。 そんな聖域に繭が部外者を招き入れた。 しかも、それが繭の友人である何てことは、侍女達にとって青天の霹靂であった。
兄『神蔵』が亡くなって以来、マユは常に一人であった。 彼女の寂しそうな横顔にココロを痛めていた侍女達はまるで“太陽”のような笑顔を称えるマユの友人を見て、感動のあまり涙を流してしまったのである。
「むぅ……。 汝等は大げさ過ぎるのじゃ。 勝手に“祝賀会”なんぞ準備しおってからに」
侍女達は繭に友人が出来た記念に壮大な“祝賀会”を企画していたようだ。
繭は侍女達の勇み足を咎めると「祝いはまた次の機会で、今日は食事会だけで良い」と侍女達を下がらせた――。
侍女達が退出すると、マユは目の前の襖を開け放った。
希海はここまで辿り付くまでに階段を上がったり、下がったり、紫の靄が漂う不気味な部屋を通り抜けたりして来た。 襖の奥に広がる部屋は『さぞかし特別な部屋なのだろう』と思っていたのだが、開いた襖から現われた部屋は何の変哲も無い十畳程度の和室であった。
「な、何か随分質素な部屋ね……」
和室の片側は縁側になっており、穏やかな日差しが差し込んでいる。 部屋の中央には銘木で造られた座卓が鎮座しており、座卓の傍には数枚の座布団が重なっていた。
正面にはこじんまりした床の間が設置されていた。 生け花が挿さった花瓶の奥に何やら呪文のような言葉が書かれた掛け軸が掛っているだけで、他には何も置かれていない。
「良い匂い……」
庭から聞えてくる小鳥の鳴き声と清々しい畳の匂い。 部屋に入った瞬間になんとも言えない爽やかな空気を感じ、希海は思わず気持ちよさそうに目を細めた。
(……あれ? いつの間に……?)
希海は部屋の中へ足を踏み入れると、壁に向って座っている女性の姿に気が付いた。
女性は壁沿いに設置されている文机の前に座っていた。 畳と同じ新緑色の和服を着た女性。 二本の三つ編みを後ろに結わいた艶やかな黒髪は光りに照らされて輝いていた。
(ま、まさか……あの人が……?)
希海は女性の美しい後ろ姿に目を見張った。 ここまで希海を案内してきた幼女マユは、唖然としている希海の前に出ると、口を閉じたまま女性の背後へ駆寄った。
「市松……ご苦労じゃったのぅ」
女性の声は希海にとって心地良かった。 夏には清涼をもたらす凜とした声。 冬には心に温もりを与える優しい声。 そんな得も言われぬ美しい声が希海の耳に響くと、背中を見せていた女性が身体を向き直し、マユを抱きかかえた。
女性は桜色のマユの髪を一撫ですると、おもむろに立ち上がった。 マユはまるで眠っているかのように動かなくなり、女性の腕の中で身体を預けていた。
女性は襖の前で呆気に取られている希海を見ると、美しい鶯色の瞳を細めた。 そして、桜色の唇から再び心地良い声を紡いだ。
「……『初めまして』と言うのは少し違和感があるのじゃが……」
女性は希海に向って気恥ずかしそうに頭を掻くと、希海の前へ歩み寄った。
「初めまして、じゃ。 妾が一色繭。 これからも、市松共々よろしく頼む」
繭は人形を抱きながら、希海の前に手を差し出した。 希海は彼女の美しさに呆気に取られながら、差し出された白い手を優しく握った。
――
「まさか、アータがこんなに美人だったとはね」
希海は座卓の前に座り、向かいで微笑む繭に向って冗談を言い放った。
繭は希海の冗談に頬を膨らまし「バカモン、市松の方が美人なのじゃ」と膝の上に乗せた人形の髪を優しく撫でた。
希海が繭の美貌に驚いたことは冗談ではなかった。 しかし、それよりも繭から放たれる“内なる力”に希海は圧倒されていた。
一方、繭もまた希海の焔達とは違う“異質な力”に内心驚きを隠せなかった。
(市松から見る希海の姿では分からなかったが、やはり此奴は妾が思った以上に……)
焔や大輔達とはまるで異なる希海の力。 だが、その力はまだ眠ったままであり、繭は力の片鱗を銀色に光る希海の瞳に見ただけであった――。
それから二人はしばらく談笑した。 焔の事、イーリスの事、大輔の事を語り合った後、希海は伊奈や繭が使用する“呪術”について話題を移した。
「“記憶を消去する呪術”って知ってる?」
希海が家族全員を“リベンジャー”に殺害された後、一時彼女はマスコミに事件の詳細を暴かれて『悲劇の少女』として世間の耳目を集めた。
ところが、伊奈に引き取られた途端、世間から事件の記憶が一切消え去り、希海は『森中伊奈の養子』という肩書きだけになってしまった。
希海はその不可解な経緯を『伊奈が何かの呪術を使ったからだ』と想像していた。 結果、希海の想像通りであったのだが、伊奈が一体どのような呪術を使用したのか長年気になっていたのである。
「アータは私なんかよりスゴイ数の呪術を知っている。 アータなら伊奈様が使った呪術を知っているはずだと思って……」
繭は着物の両袖に手を入れて「うーん」と唸ると「……あまり考えたくないが」と戸惑いを見せた。
「“記憶を消去する呪術”はリスクが高いので、伊奈といえども使用しないはずじゃ。
それでも使用したとなれば恐らく“スィトラ・アフラ”という呪術じゃろう」
その呪術は『門にして鍵なるもの』という存在を召喚する恐ろしい呪術だそうだ。
その存在は“バクズ・マキナ”のように何体かの眷属を従えており、眷属の一体が物体の記憶を消去する能力があるそうだ。 人間だけでは無い――物体の記憶を消去するのである。 それは、希海が思っている以上に恐ろしく、異常な能力であった。
「……しかし、伊奈がわざわざ“エントロピー”を増大させるような手段を使うとは思えないのじゃが。 ……まぁ、汝の為となれば話は別かもしれんのぅ。
伊奈にとって汝は特別な存在じゃから」
繭はそう言うと着物の袖で口元を隠し、艶然と微笑んだ。 希海は伊奈の愛情を思うと何だか気恥ずかしくなり、顔を赤くして「それより――」と話を続けた。
「その呪術はアータにも使えるの?」
希海の問いに繭は目を丸くして首を振った。
「使える訳ないじゃろ! 『外の世界の神々』を召喚出来る“ラヴィニアの書”にも呪文は記述されておらん。
……“スィトラ・アフラ”は恐ろしい呪術じゃ。 それこそ、“バグズ・マキナ”と双璧をなす程の。
伊奈か妾の“主”のような『圧倒的な存在』でなければ、たとえ呪術を使用出来たとしても眷属の一体も召喚出来ずに死んでしまうじゃろう」
繭の話を聞いて希海は確信した。
伊奈は希海の為に危険を冒し、人々の記憶から希海の過去を消去する呪術を使用したのだと。 記憶を消去する呪術にどんな危険が孕んでいるのかは分からないが、希海は伊奈の優しさに改めて心を射たれた――。
その後、希海は食事をご馳走になり、繭の部屋に泊った。
二人は仲良く並んで布団に潜り、しばらく話を続けていた。
希海は枕元で繭の過去を聞いた。 それは凄惨な過去であった。 嗚咽を禁じ得ない程の辛くて悲しい過去であった。
希海は繭の告白に涙した。 ひとしきり噎び泣いた希海は、やがて泣き疲れたのか穏やかな寝息を立て始めた。
「……何故……私に……だけ過去を話してくれたの?」
希海はまどろみ中、繭に率直な疑問をぶつけた。
「――汝が妾の”友”であるからじゃ――」
繭は身を横にして、隣で眠る希海を見た。
……希海はもう眠ってしまっていた。 穏やかに閉じた瞳に涙の跡を残して。
繭は希海の寝顔に微笑みを贈ると、再び身体を仰向けにして目を閉じた。




