いつもの日
九州の某所にあるリゾートマンションの解体現場。 不動産バブルが弾け、開発が頓挫したマンションを解体して更地にした広大な土地である。 この数十年の間、土地の買い手がつかず、有効活用の目処も立たずに一部アスファルトを残したまま廃墟となっていた。
先ほどまで降り注いでいた雨は止んだ。 アスファルトには真っ黒い雲から薄らと太陽の日差しが射し込んでいる。 長いアスファルトの先には金色の髪をした女性の遺体が血だまりの中で無残に横たわっていた。
残酷なアスファルトから左に目を遣ると、泥に覆われた地面の上で幼い男の子の遺体が倒れていた。 上半身だけの惨たらしい姿で。
状況から察するに、男の子はその先にある首の無い男性の遺体に寄り添いたかったのだろうか。 途中で力尽きてしまったように見えた。
首の無い男性の遺体の周りには夥しい鮮血が広がっている。 すぐ傍には男性の首と思われる目を閉じた首が無造作に転がっていた。
その首の傍らに二人の人影が見えた。
男性の遺体を見つめるピンク色のセーターを着た女性と、紳士服に身を纏った初老の男性であった。
――
「榊原、残念だけど間に合わなかったようね」
森中伊奈がふっくらした赤い唇から老紳士に言葉を投げた。
「はっ……。 お嬢様、この私がいながら対応が遅れてしまった事は痛恨の極み……。 お詫びのしようもございません」
老紳士は伊奈に対して粛然とした様子で頭を下げていた。 だが、伊奈は榊原の不手際に対して怒っていなかった。
「仕方ないわ……。 こんな結末、アタシも予想していなかったから」
伊奈はその胸に篠木希海を抱いていた。
涙、雨、泥、そして血に塗れながら疲れ切った様子で眠っている希海。 時々何かに怯えるように『ビクッ』と身体を反応させるが、その度に伊奈が彼女の背中を優しく摩ってあげていた。
伊奈は黒い土に撒かれている真っ白い砂に目を遣った。 サラサラとした砂は風に吹かれて螺旋を描きながら空を舞っている。 砂の上には赤錆びたナイフが刺さっていた。
「木佐貫蒼汰……。 まさか、アナタが“運命に復讐”を遂げようとは思わなかったわ」
伊奈はそう言うと、希海を抱いたまま砂の上に立った。 そして片手で砂を掬い、その砂に口づけをした。
「これはワタシからの手向け……。 せめて夢の中で幸福に満たされなさい」
この白い砂は木佐貫蒼汰の遺灰であった。
伊奈によって力を得た者達は、死亡するとその身体が崩れ去って砂となる。 遺体となって埋葬される事が許されないのだ。
榊原は活躍を期待していた蒼汰の死を悼み、白い砂を残念そうに見つめている。 そして、その目を砂から外さずに、彼女の胸に抱かれている少女をここへ置いて帰るよう伊奈に進言した。
「お嬢様、その女の子をここへ放置しておけば、父親が一家心中を図ったという事でこの場が丸く収まるかと……」
丸く収まる事などなさそうな、苦しい説明である。 とはいえ、一家が何者かに殺されたにしても、犯人の痕跡が全く無い状況である。 惨殺された母子と首の無い父親が横たわっている姿を警察が一見すれば、そう思えなくもないかもしれない。
だが、検死すればそんな推測はすぐ誤りであると気付くだろう。 生き残った希海には大衆の関心が向けられ、マスコミによって謎の死を遂げた篠木一家の素性もすぐ分かってしまう。
案の定、伊奈は榊原の提案に首を振った。
「この子はアタシが連れて帰るわ。 家族の遺体はお前達が持ち帰り、庭へ埋めてやりなさい」
榊原は伊奈の指示に躊躇した。
「しかし、お嬢様……。 この子はすでに家族を殺された復讐は果たしたはず。 今更、我々の仲間になっても……」
榊原は希海が蒼汰を殺害したものだと思っていた。 家族を殺された希海が復讐を遂げていれば、何も伊奈が希海を引き取る理由は無いと考えた。
だが、伊奈はそう思っていなかった。 蒼汰が希海を利用して自殺した事を知っていたのである。
「いえ、復讐は果たされてないわ。 この子は憎悪に身を焦がしたまま。 しかも、復讐する相手も居なくなったせいで憎悪を消すことが出来ない。 このまま放っておくと“鬼”になるわ」
伊奈はそう言って榊原を窘めると、血が滲んだ少女の痛ましい唇に自分の唇を重ねた。
「お、お嬢様……。 その子を我々と同じ“修羅”に……?」
榊原が目を丸くしながら伊奈に問いかけた。 榊原の顔はほんのり赤くなっていた。 伊奈が少女に口づけをした姿が妙に艶っぽかったからだろう。
「修羅? 何それ、ダサいわね。 ……まあ、勝手にそう呼ぶのは構わないけど、とにかくこの子は憎悪を封じ込めて、アタシの傍に置いておくわ」
伊奈は呆れたように榊原に答えると、榊原に希海を託した。
希海は榊原の腕に抱かれても、昏々と眠ったままである……。 先ほどまで強張っていた表情は幾分穏やかになっていた。
伊奈は希海の頭を優しく撫でた。 そして、その赤い瞳に慈愛の眼差しを浮かべながら、眠っている希海に呟いた。
「篠木希海、アナタはワタシと共にこの世から憎悪を消し去る為、生きるのよ。
アナタの両親と弟、そして飼い猫を殺した憎悪を消し去る為にね」
――憎悪は連鎖する――
復讐を遂げる事で憎悪を消し去ろうとする者に、伊奈が恐ろしい約束をさせる理由がそこにあった。
愛する者を殺された者はそのココロに憎悪を宿し、殺した者を憎む。 それが大量殺人者であろうと、無慈悲な独裁者であろうとその者を愛する者にとっては、殺した者は怨敵であるのだ。
憎しみによって人を殺しても、さらに憎しみが生まれるだけだ。 さらに、復讐を果たした者が待つ結末は耐えがたい孤独……。 その孤独によって絶望に墜ちれば、鬼となってこの世に悪意をばら撒く。
つまり、誰も救われる事無く憎悪だけが増殖して行く。
その連鎖を断ち切る為に、伊奈は血で血を洗う約束を復讐者へ課すのである。 絶望と孤独を封じ込める圧倒的な力を授ける代わりに。
篠木希海は月のような美しい銀色の瞳の奥に、耐えがたい憎悪を宿したままである。 復讐する相手が居なくなった彼女の憎悪は消える事が無い。
しかし、彼女が憎悪の炎に身を焦がした者達を救い続ける事が出来れば、もしかしたら、自身の心に渦巻く憎悪が消えるかも知れない。
希海は憎悪が消え去るまで、自分自身と戦い続けなければならない。 伊奈と彼女の仲間達と共に。
――
『――蒼汰! 蒼汰ってば!』
木佐貫蒼汰の耳に懐かしい声が響いてきた。
『う……ん、あれ? 陽子……?』
蒼汰が目を覚ますと、目の前に愛しい妻「陽子」の姿があった。 蒼汰はいつの間にか自宅の居間にいた。
(いつの間にか……?)
いや、蒼汰は自分がいつの間にか居間で眠りこけていたと思い出した。
『もう! 今日は“いつもの日”なんだから、居眠りなんかしてちゃダメよ』
蒼汰の顔をのぞき込む陽子の言葉は、蒼汰には全く理解出来なかった。
『いつもの日……?』
『そう、いつもの日♪』
蒼汰が陽子に聞き返すと、彼女は微笑んでそう返した。 栗色の瞳と肩まで掛かったつややかな髪。 少し薄い唇から漏らす言葉は初めて陽子と出会った高校生の時と変わらない可愛い声であった。
『――パパ、ママ! 早くご飯食べようよ!』
リビングにいる蒼汰の娘「恵」が叫んだ。
『ああ、すぐ行くよ!』
蒼汰は娘の声に答えると、陽子と一緒にリビングへ向かった。 すると、リビングには娘の他に、父と母、姉と弟の姿もあった。
『あれ? みんな、いつ来たの!?』
蒼汰が目を丸くして父「蒼介」の顔を見る。 父は隣に座る母「茜」と一緒でまだ40代のような若い顔のままである。
父は少し白髪交じりの顎髭を触りながら『何言ってるんだ、蒼汰。 今日は“いつもの日”なんだから当たり前だろ』と陽子と同じく不思議な言葉を返した。
すると、今度は制服姿の姉「綾音」が意地悪そうな笑顔を見せて、蒼汰に憎まれ口を叩いた。
『コイツ、相変わらずボケだから“いつもの日”っていう事が分かってないんだよ』
綾音はそう言うと、蒼汰に席に着くように促した。
――
陽子の膝の上に乗ってご飯を食べる恵。 可愛らしいドングリ眼でテレビを食い入るように見つめている。 陽子の隣には蒼介と茜が座っており、孫の姿を見て微笑み合っていた。
綾音は弟の圭介を膝に乗せて黙々とご飯を食べている。 蒼汰が優しげな眼差しで見つめている事に気が付くと、はにかんだ笑顔を見せて少し恥ずかしがった。
テーブルの上には美味しそうな鍋が置かれていた。 家族は笑顔を絶やさぬまま、和気藹々と鍋をつつき、幸せそうに談笑している。
すると、恵が突然、陽子の膝から降りてテレビの前にかじりついた。
『伊奈ちゃんだ、伊奈ちゃんが出てるよ!』
テレビを指さしてはしゃぎ出す恵。
『あっ、コラ! 圭ちゃん!』
綾音の膝の上に座っていた圭介も、姉が止めるのも聞かずに恵の傍へ駆け寄った。
テレビには可愛らしい伊奈の姿が映っていた。 蒼汰は彼女の姿に何故か懐かしさを覚えた。
白いクマ耳を付けてキラキラしたラメがちりばめられたピンク色のミニスカートを履いている彼女は、テレビに向かってウィンクしていた。 彼女の瞳は宝石のように赤く、ツインテールの黒髪に良く似合っているようだ。
伊奈は白クマの尻尾を付けた大きなお尻を振りながら、可愛らしいダンスを踊っている。 透き通った声で歌っている歌は初めてお披露目する新曲だったが、何だか蒼汰には聞いた事がある歌詞だった。
『チュッ、チュッ、チュッ♡ 愛のシロクマ、アナタのハートを凍らせちゃう!
そんなに熱くならないで。 恋のシロクマ、アナタのハートをイタズラFreeze!
キュン、キュン、キュン♡』
恵と圭介は伊奈のノリノリなダンスに興奮して一緒に歌いながら、たどたどしい踊りをしている。
『あっ、この歌詞やっぱり変えたんだ!』
蒼汰は何故か歌詞が変わった事を知っていた。
『えっ、蒼汰、何でそんな事知ってるの?』
陽子が目を丸くして蒼汰に聞くと、蒼汰は何かを思い出すように天井を見上げた。
『うん、この「キュン、キュン、キュン」という部分は、本当は「ニャン、ニャン、ニャン」だったんだよ』
ダンスを踊っていた恵は蒼汰の話に『えぇ! パパそんな事知ってるなんてスゴーイ!』と目を輝かせて父の言葉を信用しきっているようだ。
『またぁ、そんな嘘ばっかり言って!』
一方、陽子は苦笑を漏らしながら、蒼汰の背中を「ポン」と叩いて、いい加減な事をいう夫を窘めた。
『いや、本当なんだから! 伊奈ちゃんがシロクマなのに猫の鳴き声は可笑しいって、怒ってたんだから!』
蒼汰はそう妻に弁明するが、今度は綾音が口を挟み、再び蒼汰に憎まれ口を叩いた。
『陽子ちゃん、コイツの言う事を真に受けない方が良いよ! 蒼汰はいっつも調子の良いことばっかり言うんだからさ』
その言葉に父と母、そして陽子が大笑いし、家族は暖かな空気に包まれた。
(あれ……? 何だろう、この感じ……? 何だか妙に懐かしい)
――その瞬間、蒼汰のココロの中にジンワリした温もりが湧き上がった――
いつもの穏やかな日常。 テレビを見ながら踊っている我が家のアイドル。 そんな娘を見て眼を細める家族。
(そうか……。 これが“いつもの日”か……)
蒼汰は目を閉じて考えた。
いつもの日とは、家族にとってかけがえのない幸福であると。
そんないつもの日の為に、人は日々努力し生きているのであると。
そして、いつもの日を奪われる事で、人は絶望し、憎悪を抱くのであると。
『 どうしたの、蒼汰? 』
蒼汰が目を開けると、蒼汰の様子を心配そうに見つめる陽子と家族の姿があった。
『いや、何でも無いよ。 ただ、ちょっとだけ神様にお願いしていただけさ』
『えっ、何のお願いをしてたの?』
陽子が首を傾げながら蒼汰に聞くと、綾音が再び蒼汰を茶化した。
『ふふふ、アンタどうせ「伊奈ちゃんと会えますように」なんてお願いしてたんじゃないの?』
『ははは……。 まぁ、そうなんだけど』
蒼汰が綾音の冷やかしの乗ると、陽子は頬を膨らませて「何よ、この浮気者!」と両腕を組んで怒った様子を見せた。
『いや、いや、嘘だって!』
『もう、知らない!』
機嫌を損ねた陽子を宥めようと必死に弁解を試みる蒼汰。
そんな蒼汰の慌てふためいた様子に陽子が堪らず「ふふっ」と笑みをこぼすと、木佐貫一家は再び笑い声に包まれた。
栗色の瞳を細め、家族と笑い合う蒼汰。 彼の心は温もりに満たされ、優しさに溢れていた。
「今ここにある“いつもの日”。 この小さな幸せが、ずっと続きますように」
蒼汰は先ほど神に祈った願いを再び呟くと、ゆっくり瞳を閉じた。
第一章はこれで終了です。 最後までお読みになっていただいて有り難うございました。
第二章からは本作の主人公「篠木希海」の視点から物語が展開されていきます。
消える事のない憎悪を瞳に宿した希海は、この世界から憎悪を無くそうと奮闘します。 希海の憎悪を封じ込めた森中伊奈と、希海と同じく憎悪に身を委ねた仲間達と共に。 そして、希海の家族を殺害した木佐貫蒼汰の思いを抱いて。
次回更新は来月になると思います。(その間、他の作品を書きたいので)
他作品も本作と関係しているので、もしご興味ありましたらご一読ください。(長いですが…)
第二章からも引き続きお読みになっていただけると嬉しいです。




