渇望
「お、お前は一体……」
白髪をオールバックで纏めている紳士風の男が、木佐貫蒼汰の腕を掴んでいた。 男は恐らく50代……いや、口ひげも真っ白である事からもっと上の年齢かも知れない。
男は蒼汰の腕を掴んだまま何も言わずに笑みを浮かべている……。
「くっ、離せ――!!」
蒼汰は掴まれた腕を解こうした。 しかし、腕はビクともしない。
「離せと言っている!」
今度は男から逃れようと力一杯腕を引っ張った。 すると、男は突然蒼汰の腕を放した!
「ウワァァ――!」
蒼汰は腕を引っ張った勢いでそのまま後ろへ転がって、リビングの棚に突っ込んだ。
「うぅ、イテテ……」
棚に頭を打ち付けた蒼汰が後ろ手で頭を押さえていると、初老の紳士は手を差し伸べてきた。
「大丈夫ですか?」
蒼汰に向かってニッコリと微笑む老紳士……。 蒼汰はその笑顔が気に入らず手を払いのけると、怒りに満ちた目を見開いて怒鳴り声を浴びせた。
「な、何なんだ、キサマは――!? ふざけた事やってるとブン殴るぞ!」
この男は知らぬ間に自宅へ侵入していた不審者である。 平然と自宅へ上がり込んで来た男に対し怒鳴散らす以前に、まずは警察へ連絡するべきだろう。
だが、蒼汰はこの男に恐怖を感じていなかった。 それよりも、優しげな笑顔を向ける男に対し、言いようのない怒りがこみ上げて来たのである。
「どうぞ、ご自由に……」
男は蒼汰の怒声にも笑みを崩さなかった。
「復讐の為に手に入れたこの偉大な力の前ではどんな者も無力ですから」
「復讐――?」
老紳士から復讐という言葉を耳にした瞬間、蒼汰の心の中に燻っていた憎しみが、再び炎となって湧き上がってくるように感じた。
「そう、復讐……。 貴方がその身を焦がし、願って止まない加害者への復讐。 その復讐を貴方自身がする手助けをして差し上げたく、私は参上致しました」
「な……!? ア、アンタ、何を言ってるんだ!?」
突拍子の無いことを言い放つ男に目を丸くする蒼汰。 老紳士は唖然とする蒼汰を横目に平然と言葉を続けた。
「もし、貴方が私の言う事を信用し、復讐をしたいとお考えなら、“あるお方”にお会いして頂きます。
そこで彼女が貴方の話に得心いけば、貴方はきっと復讐を遂げる事が出来るでしょう」
「ある……お方……?」
不可解な言動を続ける老紳士に困惑する蒼汰。 だが、こんな不審者の話など信用出来るはずもない。 蒼汰は一体この男が何者なのか、過去に会った人物を思い浮かべながら考え込んだ。
(……そもそも俺が奴らに復讐をしようと考えている事を、何故コイツが知っているんだ? もしかしたら、俺が今まで復讐を依頼した奴らの誰かが、この男に俺の事を伝えたのではないのか?)
蒼汰は家族を殺した加害者達に復讐をする為、今まであらゆる手段を尽くしていた。 復讐を代行する殺し屋を名乗る者。 呪いを代行する“自称”呪術師。 藁をも掴む思いで依頼した奴らは、どいつもこいつも口先ばかりの詐欺師であった。
「どんな難しい案件でも成功させる」と豪語した殺し屋は前払い金を受け取ると、蒼汰の前から忽然と姿を消した。 また一方で「どんな恨みも晴らします」と近づいて来た呪術師は、訳の分からない記号が書かれたお札と安っぽい壺を高額で売りつけた。 それだけでなく、いつまで経っても刑務所にいる加害者が元気でいる事に文句を言うと「この呪術プランでは力が足りない」と嘯いて、さらに高額なお札と怪しげな水晶の購入を勧めて来た。
人の弱みにつけ込む悪人共に散々しゃぶり尽くされた蒼汰は、もはや誰の言う事も信用出来なくなっていた。
(コイツが言う“あるお方”という者は、もしかしたら今まで出会った詐欺師連中の仲間かも知れない。 ……散々人から金を騙し取っておいて、まだ足りないと言うのか?)
ただでさえ、この男は人の家に勝手に上がり込んできた不審者である。 そんな怪しい男の戯れ言など誰が信用するのか?
そう思うと、蒼汰の顔に再び怒りの色が滲み出てきた。
(クソッ! さっきから黙って聞いていれば、荒唐無稽な戯れ言ばかり言いやがって……。 こんなヤツ、警察を呼んで逮捕させてやる!)
蒼汰はそう決心すると、再び怒りに満ちた瞳を男に向けようと顔を上げた。
ところが、すでに蒼汰の目の前に男の姿は無かった……。 男はいつの間にか蒼汰の背後に移動していたのだ。
(いつの間に……?)
蒼汰が驚いて後ろを振り向くと、老紳士は壊れた液晶テレビを丁寧に拾い上げていた。
「貴方が壊したテレビ、まだ買ったばかりでしょう。 ”あのお方”のお姿があんなにも美しく映っていたのに、残念です……」
老紳士は蒼汰の質問に答えたつもりであった。 だが、蒼汰には彼の言っている意味がよく分からなかった。
「私の事が信用出来ませんか? そうであれば、そのお気持ちは正常な感性でしょう。 突然、見ず知らずのジジイが家に上がり込んで来て『復讐をお手伝いします』と言われても、信用する方が可笑しいですから」
男はそう言うと、液晶テレビをテーブルに置いた。 そして、呆然と見つめる蒼汰に向かって言葉を続けた。
「しかし、貴方にはもはや選択肢は一つしかありません。 その選択肢は貴方もお分かりの通り、直接加害者に鉄槌を下すこと……。
その為には憎悪の思いだけで無く、その思いを遂げるだけの物理的な力が必要です。 それは警察だろうが、軍隊だろうが、どんな者に邪魔をされようとも排除できる圧倒的な力……。 その力をあのお方から授けていただく為、貴方に協力をしようというのです。 もちろん、お金など必要ではありません」
蒼汰は復讐の為にあらゆる手段を尽くして来たつもりだった。 だが、人に頼った復讐の手段は悉く失敗した。
確かに、この男の言う通りであった。 妻と娘を殺した犯人は刑務所から出所してくるまで待ち、父母と姉妹を殺した犯人は死に物狂いで見つけ出す。 もはや、蒼汰が復讐を遂げる事が出来る選択肢はそれしか残されていないのである。
「復讐は貴方自身が行わなければなりません。 誰かに復讐を代行してもらうようでは、憎しみの炎は消えないのです。
もし、私を信用できないと言うのであれば、どうかご自身の力で復讐を果たして下さい。 誰の手も借りずにね。 しかし貴方も承知の通り、一度失敗すれば二度と復讐を遂げる事は出来なるでしょう。 それでよければ、私はこの場から立ち去りましょう」
蒼汰は迷っていた……。 だが、いくら迷っても残された選択肢は男の言う通り、ただ一つしか無かった。
「もし私の話しを信じ、貴方の人生を壊した者達に鉄槌を下す力を欲するのなら、私の手を掴みなさい。 私の話を信用するかしないかは貴方自身が決める事です」
老紳士はそう言うと再び微笑んだ。 そして、床に座り込んだまま呆然としている蒼汰に手を差し伸べた。
その時、蒼汰は初めて男の顔をまじまじと見た。
(こ、この人は……!)
男の顔を改めて見た蒼汰は目を見張った。 老紳士の顔には深いシワが刻まれており、それは蒼汰自身にも刻まれていた苦悶に満ちた後に出来る悲しみの跡であったのだ。
(ま、間違いない……。 この人は俺と同じで深い憎しみに身を焦がした者だ。
だが……)
蒼汰には男の灰色の瞳に奥に漆黒の影が見えていた。 それは復讐を遂げた者が背負う、消える事の無い虚無の影であり、蒼汰が渇望していた絶望の影であった。
(俺だって、復讐を遂げる事が出来るのならば、悪魔にでも魂を売っても良い!)
そう思うと、蒼汰はいても立ってもいられなくなった。
蒼汰はバタバタと四つ足で老紳士の許へ駆け寄ると、彼の差し出した手を無視して彼の足にしがみついた。
「ほ、本当に……!? 本当に復讐を遂げる力を与えて下さると――!?」
足下にしがみつき老紳士を見上げる蒼汰。 老紳士を見つめる彼の瞳はもはや疑いの眼差しではなかった。 愛する者を失った悲しみと憎悪に打ちひしがれた被害者の、痛ましい瞳そのものであった。
老紳士は穏やかな笑みを浮かべたままゆっくりと頷いた。 そして、足下にすがりつく蒼汰の片手を優しく握った。
「さあ、立ち上がりなさい。 貴方であれば、きっとあの方も力をお与えになるでしょう。
憎むべき者達への復讐の力を……」




