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破壊の石

 

 「……終わったか?」


 茫然(ぼうぜん)(ひざ)を突く大輔(だいすけ)の背後から、細木の声が聞こえて来た。 大輔は彼の声に応えて立ち上がろうとするが、復讐を遂げた大輔の身体は言う事を聞かずそのまま汚物の(まみ)れた床へ倒れ込む。


 「お、おい……大輔……?」


 細木は瞬時に大輔を抱きかかえた。 (かたわ)らには恍惚(こうこつ)な笑みを浮かべて舌を出して死んでいる全裸の女が横たわっていた。

 

 「……お前一人でよく頑張ったな」


 決して()められる所業では無い事は、細木も良く分かっていた。 実の息子が母を殺害する事など、万死に値するほどの悪行(あくぎょう)である事は自明であった。

 だが、愛する父を殺され、全身を炎に焼かれた想像を絶する苦しみの復讐が母を殺す事であれば、それでも復讐を否定する者は何人いるだろうか?

 誰かを不幸の陥穽(かんせい)へ叩き落としたにもかかわらず、司法の裁きを受けずにのうのうと幸福を甘受する()まわしい犯罪者。 そんな犯罪者に復讐する人間は、自身が悪人に成り下がろうとも永遠に続く苦しみからの解放を願う。 その身を焦がす耐え難い憎悪からの解放を願って復讐を望むのである。

 悪を(いと)わず自ら“修羅の道”を選んだ大輔……。 その悲愴な決意を胸に復讐を遂げた少年に対し、優しく抱きしめる者を誰が(とが)める事が出来るだろう。


 「お、大杉さん……すいません……」


 大輔は細木の背中に抱かれると、憧れの格闘家の名を口に出した。


 「おい、おい……。 その名はもう捨てたんだ。 俺はもう森中伊奈(もりなかいな)のマネージャー『細木一翔(ほそきかずと)』だ。 その名はお前の心の中だけに(とど)めておけよ」


 細木は大輔に注意したが、その口調は穏やかだった。 彼にしても自分のファンであった男の子がいた事は悪く思わなかった。

 ただ、仲間達のあいだでは本名で呼び合うことは御法度である。 それは別に伊奈が禁じた訳ではなかったが、自然と仲間達の間で生まれた暗黙のルールであった。


 「はい……。 すいません、細木さん」


 大輔は疲れた声で細木に詫びた。

 夥しい程の害虫の死骸と人間の遺体が転がる部屋の中は、気を失うほどの痛烈な臭気を充満さている。

 

 「――ウゲェ! もうこの部屋は臭くてたまんねぇ! 早く教団を出るぞ!」


 細木は大輔を抱いたまま壁を蹴り飛ばし、穴を開けた。 穴から漏れる現世(げんせ)の光が欲望に(よど)んだ邪悪な冥界を浄化した。

 細木は大輔が部屋へ侵入してきたコンクリートの通路から外へ出る気は無いらしい。 それもそのはず、コンクリートの通路を越えれば細木が殺害した信者達の遺体が転がっているので、その凄惨(せいさん)な様子を大輔に見せたくなかったからである。


 細木は大輔の後を追った時、その場に居合わせた信者達を全員殺害した。 一瞬で首を()ね、胴体を真っ二つに蹴り飛ばし、心臓を握りつぶした。 なるべく苦しまぬように一瞬で……。

 細木は何故信者達を皆殺しにしたのか? 無論、彼等はどのみち伊奈によって全員殺害されるからだ。


 ”破壊の天使”による峻烈(しゅんれつ)な復讐の炎によって。



 ――



 「細木、大輔は大丈夫?」


 細木の脳内から伊奈の声が響いて来た。 細木はすでに教団本部を出て、城を囲んでいる公園へ来ていた。


 信者達は本部の酸鼻を極める状況に気が付かず、相変わらず平和面をして散歩を楽しんでいる。

 そんな信者達の幸せそうな様子を一瞥(いちべつ)した細木は彼等に同情する事も無く「お嬢様の“罰”は一体どんなものなのか?」とこれから行なわれる惨劇の想像をしていた。


 伊奈は教団の上空で細木と大輔の様子を見つめていた。 二人は伊奈に見られている事に気付いていなかった。

 細木は最短距離で教団敷地内から出る為に、行きに立ち寄ったガラス張りのビルには向わずに信者達が住む住宅地へと向った。


 「あと一分で外へ出ます」


 細木からの報告に「分かっているわ」と返事した伊奈は続けて大輔に向って言葉を贈った。


 「大輔、アナタはしばらくゆっくり休むのよ。 復讐を遂げた者は言いようの無い“虚無”に襲われる。 アナタも先日経験したあの“空しさ”が再びアナタを襲ってくるの。


 アタシはアナタの(そば)にいる。 希海(のぞみ)も遠くで見守っていてくれる。


 いい? アナタは一人ではないのよ。


 アナタは虚無に打ち勝ち、仲間達と共に生きなければならない。


 アタシ達と共に“混沌の女王”を滅ぼすために……」



 (……はい……伊奈様……)



 大輔は細木の暖かい背中に抱かれながら、まどろみの中で伊奈の呼びかけに答えた。


 大輔は夢を見ていた。


 ――緑溢れる美しい公園で父と一緒にキャッチボールをしている夢を――


 その夢はいつか見た夢の続き……いや、いつか見た夢とは別の夢であった。


 『大輔、愛しているわ』


 父に向って野球ボールを投げ返す大輔の背中から母の声が聞こえた。


 『うん。 僕もお母さんの事を……』


 大輔は後ろを振り返り、母に向って笑顔を贈った。


 穏やかな日差しを浴びた美しい母の姿――宝石のような赤い瞳を(きら)めかせ、愛おしそうな微笑(ほほえみ)を大輔に返す伊奈の姿がそこにはあった。



 ――



 広大な敷地の周囲を赤い光が覆っている。 地から湧上がる薄らとした赤い光は、蜘蛛の糸に(すが)って逃げようとする者を無慈悲に突き落とす地獄の空によく似ていた。

 (いく)つかの場所で誤って敷地の外へ出ようとした信者達の遺体が転がっている。 もしかしたら、人知れず教団から脱出を図ろうとした者達なのかもしれない。


 だが、もう時はすでに遅かった。


 逃げる猶予(ゆうよ)は充分にあったはずだ。 反省し、後悔し、罪を償おうと決心する為の時間はとうに過ぎた。

 教団内にいる信者達に待ち受ける運命はもう決まっていたのである。


 ――(あらが)う事の出来ない絶対的な死――


 結界を越えて敷地の外へ出た細木と大輔。 大輔はすでに細木の背中に抱かれ眠りについていた。

 結界を越えた細木は伊奈が遙か上空で待機していた事に気が付いた。 彼女の姿はいつもの伊奈とはまるで違う。 細木は伊奈の神秘的な姿に目を奪われた。


 (お嬢様は、()()()と同じ罰を……?)


 細木は伊奈の姿を見てそう思った。 だが、伊奈が(つぶや)く呪言葉は、かつて細木が見た恐るべき呪術よりも(はる)かに残酷で、遙かに不吉な”滅びの言葉”であった。


 「Troy-mendiker shtern, vek oyf……」


 (夢見る星よ、目覚めなさい……)


 伊奈の呼びかけに天が応え、上空に小さな光をもたらした。


 彼女の頭上には天使のような羽がヒラヒラと舞っている。 伊奈の背後に何者かの足が浮かんでいた。 その足の主が何者なのかは分からない。 伊奈が放つ赤い光によって身を隠している為、絹のような肌をした白い足しか見えないからだ。


 「Tsu farnikh-ten dem chaos」


 (混沌を滅ぼす為に)


 上空に輝く小さな光が伊奈の言葉に引き寄せられる。 ルビーのように赤く輝く光は導かれるように教団へと迫って来た。


 「い、隕石が落ちてくるぞ!」


 公園にいる信者達が迫り来る光を指さした。 子供達は秋晴れの空を見上げて声を上げている。


 「Vek oyf……vi der……」


 (目覚めなさい……)


 伊奈の言葉に従い、まるで流星のように輝く粒子を放ち出した小さな隕石(いんせき)。 キラキラと赤い軌跡(きっせい)を描いて地上に向かって落ちて来る姿は、誰が見ても美しく荘厳(そうごん)であった。


 その美しい姿に魅了され、公園にいる者は誰も避難しようとはしなかった。 公園にいる者だけでは無い。 教団の敷地内にいる信者達は、その美しく輝く岩が地を穿(うが)たんと迫って来る様子を平然と見守っていただけだった。

 

 「うわぁ、綺麗(きれい)!」


 無邪気な子供達は目を輝かせ、迫り来る岩を楽しそうに眺めている。


 『所詮(しょせん)はバレーボール程度の小さな岩。 敷地内に落ちたところで大した事はない』

 

 誰もがそう思っていたに違い無い。


 『偉大なる“月の子”に護られた教団にあんな小さな石ころが落ちたところで、教団は傷の一つ付きやしない。

 むしろ、教団の未来を祝福する天からの贈り物だ』


 そう思ってタカを括っていたのだろう。 しかし、伊奈の口から“最後の言葉”が告げられると、信者達の顔から笑顔が消えた。



 「――“Even(エヴェン・) Mashkhit(マシュヒート)”――」


 (“破壊の石”となって)



 その瞬間、辺り一面が異様な静寂(せいじゃく)に包まれた。 それは滅びの烈風が吹き荒れる嵐の前の静けさであった。


 一瞬の静寂を終えた後、小さな岩は突如として燦然(さんぜん)と輝く蒼い光を放った。 


 「――キャァ――!」


 澄みきった青空より深い、()まわしくも美しい”原子の光”が周囲を照らす。 瞬く間に教団を覆った(あお)い閃光は全ての人間の視力を一瞬で奪い、全ての声を()き消した。


 『――――!!』


 黙示(もくじ)の光は全ての人間に終末を告げた。 天使のラッパに導かれ、灼熱の炎を従えて生命の頭上に死をもたらした。

 

 血も沸騰する蒼光(そうこう)の輝きが魂すら焼き払う。

 公園では母が子を(かば)う姿が見える。 灰となった我が子を抱きながら光に溶けて行く母親の姿は、もう影でしかなかった。

 大地を突き上げる苛烈(かれつ)な地震は、地獄の(ふた)を開けて巨大な火柱を解き放つ。 敷地を暴れ回る蒼い炎と真っ赤に立ち上る火柱は、まるで冥界の炎と地獄の業火(ごうか)が混じり合った異界の厄災(やくさい)そのものであった。


 隣接する都市、町の住民達は異常な光景に目を疑い、言葉を失っていた。 地が揺らぎ足下が覚束(おぼつか)ない中、誰もが逃げる足を止めて教団があった方向を見つめていた。

 そこは間違いなく宗教法人『神光人(みかりびと)』があった場所のはず……。 つい数十分前までは”黄金の(てのひら)”が輝いていた場所が、今や見た事のない蒼い炎に包まれている。

 だが、不思議な事にその恐るべき炎は敷地を越える事は無かった。 地鳴りが響き、巨大な地震が大地を震わせた未曾有(みぞう)の災害であったにも(かかわ)らず。 まるで神秘的な力に阻まれているかのように教団の敷地内だけを蹂躙(じゅうりん)し、信者達と共に消えて行ったのであった。


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