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復讐は自分でやりなさい  作者: ティーケー
茶の間のアイドル
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憎悪


 「……僕は一体何を希望にして生きれば良いんだ」


 誰もいなくなった6畳の狭い部屋。 壁の(すみ)に置かれている大きな仏壇(ぶつだん)と背の低い木製のテーブルが中央に置かれている。

 部屋には常に線香の(にお)いが充満(じゅうまん)していた。 モクモクと細い煙を出す線香の背後には幼い少女と美しい女性が笑顔を称えている遺影が見える。 二人の遺影の隣にはさらに四人の遺影が見える。 中年の男性と女性遺影が並べられ、高校生くらいの女の子と幼い男の子が寄り添うように並べられていた。

 幼い少女と女性の遺影は最近置かれた物のようだったが、寄り添うように並べられた四人の遺影は大分古いようで、線香の(あぶら)で表面がくすんでいるようだった。

 

 言葉を(しぼ)り出した男は、正座をして六人の遺影(いえい)を見つめていた。 何日も入浴をしていないのか、(ひたい)(かく)す前髪はベタベタで後ろ髪は寝癖(ねぐせ)で跳ねていた。

 目に大きなクマを作り、()せこけた(ほお)。 一見すると世捨(よす)(びと)のように思える風貌(ふうぼう)だったが、その瞳を見つめると身震いをする程の恐ろしい憎悪(ぞうお)渦巻(うずま)いていた。



 ――



 その男は『木佐貫蒼汰(きさぬきそうた)』と言った。 彼が生きたこの26年間の内、幸福であったであろう5年間は終わりを告げた。 この一年の間、彼は身を滅ぼす憎しみに身を焦がし続けた。

 

 彼は高校生の時に家族を失った。 交通事故であった。 その事故は凄惨(せいさん)な事故であった。

 一家四人を乗せた乗用車は青信号で交差点へ進入した際、赤信号を無視して直進してきた対向車と側面衝突した。 その時、すでに運転席と助手席にいた両親は死亡したが、蒼汰(そうた)と姉、弟の三人は車外へ投げ出されて生きていた。

 ところが、赤信号を無視した自動車に乗っていた若者は飲酒運転が発覚する事に恐れをなして、あろうことか蒼汰の目の前で姉と弟を跳ね飛ばし逃走したのであった。

 

 それは一瞬の出来事であった。 目の前で姉と弟が車に叩きつけられて宙を舞う様子を、彼は呆然(ぼうぜん)と見つめるしかなかったのである。


 それから間もなくひき逃げ犯が捕まった。 犯人の男は19歳の若者であり、友人数人と居酒屋で酒を飲んで自宅へ帰宅する途中であった。

 赤信号で交差点へ進入した時の時速はおよそ180キロ……。 常軌(じょうき)(いっ)した速度で交差点へ進入し、蒼汰達家族が乗る乗用車を大破させた。 そして、自身の高級車が頑丈な事を良いことにそのまま逃走を(はか)り、車外へ投げ出された蒼汰の姉と弟をひき殺したのである。

 

 本来なら情状酌量(しゃくりょう)の余地などない悪魔の所業(しょぎょう)である。 ところがこの国は若者の将来を(かんが)み、彼を執行猶予付きの有罪判決に(とど)めたのみであった。

 国民もこの不当な判決に疑問を呈したが、裁判所の判決が(くつがえ)る事は無く、四人もの罪無き人間を殺害した凶悪犯は反省する素振りも見せずに堂々と日常生活を送り続けた。

 

 その判決にはある権力が働いていた。 木佐貫一家を殺害した犯人は政府の高官の馬鹿息子であり、父親が警察と裁判官に根回しをして量刑を軽くするように働きかけたのだ。

 子が子であるなら、親も親である。 蒼汰は当時、マスコミからも悲劇の高校生として耳目を集めた。 彼は一夜の内に一人ぼっちになってしまったのである……。

 

 彼は犯人を恨んだ。 憎しみを瞳に宿し「必ず犯人をこの手で殺してやる」とさえ思った。

 ところが、そんな憎悪の炎を慈愛(じあい)の水で消し去ったのは、彼の同級生である女の子であった。


 女の子は蒼汰の事を愛していた。 蒼汰が悲しみに打ちひしがれ、憎悪に囚われていても、常に彼の(そば)にいて(はげ)ました。

 やがて彼女の献身的な愛のお陰で、蒼汰の心に渦巻いていた憎悪の炎が徐々に消えていった。


 『もう、これ以上、誰かを憎まないで……お願い……』


 蒼汰にそう懇願した彼女も、強盗に家族を殺害された被害者であったのだ……。


 それから蒼汰は彼女と結婚し、未来へ向かって再び歩み出した。 すでに蒼汰の心には憎悪の炎は消えていた。 娘が生まれ、溢れんばかりの喜びが彼の心を満たしていたのである。


 ……ところが、そんな幸せも長くは続かなかった……


 久しぶりの休日。 三歳になった娘、妻との三人で仲良く買い物に出かけた蒼汰は、歩行者用の信号が青になって歩き出した瞬間、永遠に幸福を奪われた。

 

 その光景はあの時見た光景と同じだった。 いや、もっと凄惨で痛ましい光景だったかも知れない。

 彼は目の前で自分の妻と子供が車に跳ね飛ばされる様子を目の当たりにし、気を失った。


 彼が目を覚ましたのは病院のベッドの上であった。 国中が大騒ぎになったあの悲惨な事故から丸一日が過ぎていた。

 蒼汰の妻と娘は即死であった。 赤信号を無視して突進してきた車は外国製の高級車であり、運転していた男は大企業の役員であった。

 38歳の若さで大企業の役員に就任した男は酒を飲んでいた。 この世は全て自分の意のままに出来ると豪語し、政治家や弁護士とも付き合いが深い“上級国民”であった。 彼は酒を飲んで車を運転し、このような凄惨な事故を起こしたにも拘わらず、現場から逃走を図った。 しかし、まともに運転が出来ずに縁石に乗り上げて車が大破し、警察に拘束(こうそく)されたのであった。

 

 当然、国民の怒りはその上級国民に集中した。 しかも、被害者はかつて家族を同じ交通事故で奪われた男性だったという事も分かり、蒼汰に対する同情は類を見ないものであった。

 あちこちで抗議のデモが開かれ、上級国民を厳罰に処す署名活動が展開された。


 しかし、判決は「懲役一年の実刑」であった……。 あれだけ凄惨な事故を起こした悪魔に対する罰が、たった一年刑務所にぶち込まれるだけだったのだ!


 蒼汰は霊安室に安置されていた妻と娘の顔を見る事が出来なかった。 あまりに(ひど)損傷(そんしょう)であり、遺族に見せる事が憚られたことから警察が配慮したのである。

 そんな痛ましい事故を引き起こしておきながら、男は懲役一年という軽微な刑で済んだのだ。 これには国民も納得できず、蒼汰も当然控訴した。 ところが、控訴は棄却、上告に至っては受理すらされなかった。

 

 加害者の父親は政治家であった。 しかも、その父親の兄は警察のトップ……。 政治家である加害者の父親は元々弁護士という事もあり、法曹界に顔が広い。 このドラ息子を護るべく、ありとあらゆる汚い手段を駆使したのである。

 このクズ共は警察や法曹界に留まらず、マスコミにも働きかけた。 マスコミはさも被害者にも落ち度があったかのような報道をしたかと思うと、この事件に関する報道をパッタリとしなくなった。 インターネット上では、そんなマスコミの行動を訝しがる意見が多く出回ったが、その意見すらプロバイダーに働きかけて消去すると徹底ぶりであった。


 こうして、木佐貫蒼汰は愛する家族を二度も失った。 彼に残されたのは六人の遺影とその遺骨のみ。 そして、耐えがたい絶望感と喪失感、消える事のない憎悪。


 蒼汰は線香の煙が充満する部屋を力なく出て、テレビを付けた――。


 「キャー! 皆ぁ、ありがとー♡」


 画面には森中伊奈(もりなかいな)というアイドルが屈託(くったく)の無い笑顔でファンの声援に応えていた。


 『パパ、アタチ、大きくなったら伊奈ちゃんになりたい!』


 三歳の娘の可愛らしい笑顔が蒼汰の脳裏に浮かぶ。 その横で微笑んでいる妻の姿も見える。

 

 「クソッ! なんでコイツはこんなに笑ってやがるんだ!」


 蒼汰はテレビの中で笑顔を振りまく伊奈に激昂し、テレビを力一杯殴った。

 液晶画面に亀裂が入り、映像が消えたテレビを(なお)も蒼汰は殴り続ける。


 「お前の事が大好きだったファンが……俺の娘があんなになったんだぞ!! お前の事を……お前が大好きだった陽子と恵は……もう……」


 彼は自分の妻と娘の名前を口に出すと、言葉を詰まらせた。 そして、燃え上がる憎悪を抑えきれずにすでにメチャクチャに破壊されたテレビを再び殴ろうとした。


 「――!?」


 ところが蒼汰が拳を振り上げた時、背後から何者かに腕を(つか)まれた!


 「誰だっ――!?」


 玄関の鍵は閉めていたはずである。 家には蒼汰しかいないはずだ。 だが、蒼汰が振り返ると、そこにはスーツ姿の初老の男性が蒼汰の腕を掴みながら、悠然(ゆうぜん)とした瞳を蒼汰に向けていたのであった……。


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