やっぱり君がいい。
「エドガー様、私達の婚約を……解消致しませんか?」
紅茶を飲もうとした手がピタリと止まる。
エドガーは眼前にいる少女を見つめながらカップをゆっくりと下ろす。
普段の高慢さや傲慢さは鳴りを潜め、何かに怯える少女にしか見えなかった。
彼女の名前はカテリーナ・フォン・マイゼンブルク。公爵家の長女である。年は十八歳でエドガーと同い年だ。闇のような黒い髪、深い紫色の瞳は、大分失礼な言い方になるが魔女を思わせる。
しかしながら容姿端麗で学力、作法なども問題はなく、シュトラス王国の第一王位継承権を持つエドガーこと、エドガー・ヴァイアー・シュトラスの婚約者としては家柄ともに問題はなかった。
青みがかった銀髪にアイスブルーの瞳を持ち、どこか気だるげな雰囲気を持つエドガーと並ぶとどうしてもカテリーナの圧が強く、目立ってしまうのが若干の問題と言えば問題ではあるが。
「カテリーナ、一体どうしたんだい? 婚約を解消しようだなんて……」
努めて冷静に尋ねる。心の中でちょっと小躍りしているのを出さないように。
カテリーナは「ふう」と吐息を吐き出す。その呼吸が震えていることに気づき、目を細めた。
「……エドガー様もご存知でしょう? 私の社交界での噂を……」
「噂は噂じゃないか」
何でもないように言ってみるが、その噂がおおよそ事実であることを知っていた。
カテリーナが社交界に出るようになったのは十六歳のデビュタントを経てからだ。デビュタント自体は王族への挨拶の場でもあったので問題はなかったのだが──カテリーナのその後の振る舞いは目に余るものがあった。
互いが十歳の時に婚約者として紹介され、エドガー自身は「国内では彼女が最適だよな」などと感じていたものの、カテリーナの方はどうやらそうではなかったらしい。国の都合、三大公爵家のバランスを取るためだと誰でもわかるのだが、カテリーナは「自分がエドガーに選ばれた!」と思っていたようだ。これは恐らく彼女の家族に問題があった。
それ故にカテリーナは選民思想が強くなり、自分以外全てを見下すようになったのだ。他人を見下し、自分こそが選ばれた人間であると勘違いをし──高慢で傲慢な女になっていった。気に入らない人間を社交界から排除するために陰湿な嫌がらせもしていているという報告もエドガーの耳に届いている。
選ばれたという自負故に努力をするところもあったが、今では完全にバランスが崩壊していた。
国内の三大公爵家の令嬢であり、エドガーの婚約者でもあったものだから、彼女に取り入るために言うことを聞く人間も多くいる。マイゼンブルク公爵家以外の二家門から遠回しな苦言が届く始末である。
それら全てエドガーも把握しているが、婚約解消など簡単にできるものではない。
「火のないところに煙は立たちませんわ。それに、エドガー様の耳にも私の醜聞が届いているでしょう?」
「醜聞だなんて……君はよくやっているよ」
嘘である。
彼女が選ばれた淑女であろうとする努力の一部は認めるが、毎日のように届く彼女の高慢さや傲慢さを裏打ちする報告にはうんざりしていた。
昔は可愛かったのに、と後悔しない日はない。
だが、王家の力を維持するために諸外国と積極的に交流、商談を行っているマイゼンブルク家の力が必要なのだ。
「ありがとうございます。しかし、一度考え直していただけないでしょうか? このままではエドガー様の評価を下げてしまいます。……いえ、もう結構下がっていると、思いますけれど……」
下がっている。確かに下がっている。
侍従からも「カテリーナ嬢、どうにかしてくださいよ」と言われる始末だ。
無論、エドガーだって何もせずに見ていたわけではない。やんわりと彼女の言動について苦言を呈してきたのだが、彼女に届くことはなかった。一度、強めに注意をしたことがあったが、マイゼンブルク家と懇意にしている複数の大臣から「王子! カテリーナ様は酷く傷付いておられです!」「もっと広い心を持ちませんと!」などと謎の苦情が届き、何故かエドガーの方がカテリーナに謝る羽目になってしまったのだ。
個人的にはこの婚約を考え直したい。カテリーナと上手くやっていける未来が描けないからだ。
だが、様々な理由から解消が簡単ではないことは理解している。
一番大きな理由は一時期諸外国との関係性が悪化し、緊張状態が続いたことがあった。それを解消したのが他ならぬマイゼンブルク家であり、現在の貿易もマイゼンブルク家主導で行われている。
「俺の評価のことはさておき……カテリーナの気持ちはわかった。その気持ちを尊重したいとは思うけれど、簡単じゃないことは理解しているだろう? 国の決定だし、家同士の問題でもあるし……」
「ええ、よく存じております。でしたら、考え直す期間を設けるのはいかがでしょうか?」
「考え直す期間?」
カテリーナが人差し指をぴっと立てて軽やかに笑う。昔を思わせる少女らしい笑みだ。
「これから社交シーズンでしょう? デビュタントを終えた少女たちが様々なパーティーに出席するようになりますわ。その中に私よりももっと相応しい令嬢がいるかもしれませんわ。──例えば、ダール小国と商談を始めたハーバー男爵家ですとか」
「……随分具体的に名前が挙がるんだね?」
ハーバー男爵。名前くらいは知っているが、具体的に何をしているかまでは覚えてなかった。後で調べてみようと思う。
それはそれとして具体的すぎることを指摘すると、カテリーナはわかりやすく慌てた。
「えっ!? あ、いや、あはは……た、例えばですわ。例えば!」
慌てて言い繕う様子は普段の彼女からは考えられない様子だった。
これまでは隣にいることを堅苦しく思っていたが、今の彼女の雰囲気は悪くない。お茶を始めた時は何かにずっと怯えた様子だったのにどこか生き生きとしている。
もしかして──彼女自身、この婚約が重荷だったのだろうか?
我こそが王太子妃に相応しい人間であると宣言するかのように常に振る舞っていたのに。
「と、とにかく! こ、こう、初心に立ち返って、エドガー様が自分の伴侶に相応しい令嬢を選んでもいいのではないかと思います。今でこそ身分というものは重いものですが、いずれ身分に関係なく功績によって評価される日も来ましょう。その新しい風をエドガー様ご自身が吹かせることもできるのではないでしょうか?
それはきっと素晴らしいことですわ。私はエドガー様が選んだ方の背中を押すお手伝いをしたいのです」
いずれ身分に関係なく? 功績によって評価される?
これまでのカテリーナからすると考えられない発言だ。男爵や子爵程度の人間など平民と変わらない、侯爵や伯爵だって平民に毛が生えた程度ものだと言わんばかりだった。真に選ばれた人間というは王族と公爵家のみ、と全ての言動から滲み出ていたのに。
昨日までのカテリーナとは明らかに違う。
朝一で「お会いできないか」と手紙が来て、午後のお茶の時間に招き──こんな話をされている。
「カテリーナ、何かあったのかい?」
「え?」
「これまでの君とは言ってることが随分と違うようだけど」
「じ、自分自身を振り返り、考えを改めたのです」
「……俺の婚約者というのは、そんなに嫌だった?」
「……え?」
カテリーナがぽかんとする。
聞いた後で「しまった」と後悔する。こんな女々しいことを聞くつもりはなかったし、そもそもカテリーナが婚約者であることを嫌がっていたのは自分ではないか、と。カテリーナに問題があったのは確かだが、言い方が卑怯だった。
弁明をしようとした矢先、カテリーナがテーブルに手をついて立ち上がる。
「っそ、そんなことはございません!」
ガチャン。とテーブルの上の食器が音を立てた。幸いにもお茶が溢れたりすることはなかった。
午後の昼下がり。
王宮の庭園。食器の音に驚いた小鳥たちが羽ばたいていく。
天気はとてもよく、風も気持ちがいい。外でお茶をするには持って来いの気候だった。
カテリーナはテーブルに手をついたまま俯き、小さく体を震わせる。
「エドガー様の婚約者に選ばれたこと……私がどれだけ嬉しかったか……! 王宮のパーティーでエドガー様と初めてお会いした時からずっとお慕いしておりました……あ、あなたに相応しい令嬢であろうと努力をしてきたつもりですが、私はとんでもない間違いを犯し……相応しい令嬢どころか、あなたの隣に立つ資格など疾うに無くしていたのです」
今度はエドガーがぽかんとする番だった。
──「ずっとお慕いしておりました」……?
彼女はずっと「選ばれた」ことを喜び、選民思想故に努力を重ねてきたのだと思ってきた。
「君、俺のことが好きだったの……?」
またも変なことを口にしてしまった。
カテリーナの肩が小さく震えたかと思いきや、みるみるうちにその顔が真っ赤になっていく。黒い髪がカーテンのように顔を隠していたが、白い肌の変化や髪から覗く耳のおかげでその変化ははっきり見えた。
聞かずとも答えを貰ってしまった気分である。
すっかり冷めてしまったお茶を飲むべくカップを手にした。
「とりあえず、君の気持ちはわかったよ。話してくれてありがとう。カテリーナ」
「い、いえ……」
カテリーナは俯いたままストンと腰を下ろし、椅子の上で小さくなってしまった。
「少し考えてみる」
「本当ですか?!」
そう言うと、カテリーナはぱっと顔を上げた。
その表情は晴れやかで、婚約解消を喜んでいるようだ。円満に解消ができて、次の婚約者を自分で選べるのであればエドガーにとっても嬉しいことである。それが少々非現実的であっても。
「考えてみる」という言葉それ自体を返事と受け取ったカテリーナは出されたお茶を一気飲みしてからゆっくり立ち上がった。
「ぜひご一考お願いいたします。お忙しい中、時間を作ってくださりありがとうございました。……では、失礼致します」
カテリーナは椅子から立ち、優雅に一礼をして庭園を去っていった。
その嬉しそうな後ろ姿を見送り、エドガーは空を仰いだ。
「……さっきのカテリーナ、可愛かったな」
そう言って目を閉じ、顔を真っ赤にしたカテリーナの顔を思い浮かべて、少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
翌日から「エドガー王子とカテリーナ嬢の婚約が見直されるらしい」という噂が流れ始めた。
「考える」と言っただけなのに何故こんなに早く噂が出るのだろうか。どうやらマイゼンブルク家、それもカテリーナ本人が噂を流しているらしい。自分の取り巻きたちを使って、自分はエドガーに相応しくないと零しているようだった。
モメるかと思いきや、これまでのカテリーナの言動や所業のお陰で「その方がいいだろう」という意見が主流で、強固に反対をしているのはマイゼンブルク家及びマイゼンブル家と何かしら繋がりがある家門だ。
シュトラス王室にとってもカテリーナの言動などは悩みのタネだったので「カテリーナが変わらなければやむを得ない」という姿勢である。
噂はあくまで「見直される、かもしれない」程度なので、そこまで大事にはなってない。
エドガーはカテリーナに関する苦情や苦言、「また伯爵令嬢を嘲笑った」「泣かせた」「足をひっかけて転ばせた」などという報告を聞かなくてよくなったので、ようやく一息つけた気分だった。
本当にあの日を境に一切そのような報告はなくなったのだ。
あの日から一ヶ月後。
三大公爵家のうちの一つ、シャハト公爵家主催のパーティーが開催された。
デビュタントを終えた令嬢たち向けの気軽なパーティーであり、様々な家門の人間が招待されている大きなパーティーである。このパーティーは三大公爵家が持ち回りで開催しており、今回はシャハト公爵家だった。
エドガーも招待されているパーティーだ。もちろんカテリーナも。
カテリーナの話が本当であるならば、ハーバー男爵家の令嬢もここに来るのだろうか?
あの後、ハーバー男爵家について調べてみたところ、確かに十六歳になるビアンカという娘がいる。ハーバー男爵家はダール小国と貴重な香辛料の商談をしており、それは順調であると報告を受けている。更には周辺国家とも貿易の準備をしているそうで今後の貿易の要はハーバー男爵家になるかもしれない──というのは納得できる話だ。ハーバー男爵家が王家との繋がりを得れば勢いは増し、貿易の話ももっと加速度的に進むだろう。そういう意味では爵位に問題はあれど、ビアンカ・ハーバーとの結婚もさほど悪い話には思えなかった。
しかし、何故そんなことをカテリーナが予見していたのか?
謎は深まるばかりだ。
華やかなパーティー会場。
普段なら他家主催のパーティーであろうと「我こそは王子殿下の婚約者、マイゼンブルク公爵令嬢でござい」と我が物顔で取り巻きを連れて闊歩しているカテリーナの姿が見えなかった。
パーティーという華やかな場は好きだったのに、カテリーナの存在がとにかく鬱陶しく……いつしかパーティー=カテリーナという印象が強くなってしまって、あまり好きではなくなっていた。
けれど、今はそのカテリーナが見えない。
招待されてないはずはないのに。
「エドガー王子殿下にご挨拶申し上げます」
「エドガー様、本日のお召し物も本当に素敵ですね」
「リダ王国の宝石ですね。流石お目が高い……!」
「そうそう、リダ王国の宝石は質が良いのでとてもお似合いです」
カテリーナがいないから、あっという間に令嬢や令息たちに囲まれてしまった。悪い気はしない。
普段はカテリーナがいるせいでまともに交流ができなかったのでこういう場で様々な人間と話ができるのは嬉しかった。次期国王として、色んな人と話をして様々な意見を取り入れたいと思っていたからだ。
流行りのものの話、王室への反応など──エドガーに忖度したものであったとしても、やはり生の声は違う。
感慨深く思っていると、突然背中に何かがぶつかった。
「わ、わっ! す、すみませんすみませんっ! ちゃんと前を見ていなくて──ッ!」
振り返ると、小柄な少女がいた。金髪碧眼で少々幼い印象だった。
周囲にいた令嬢、令息たちが少しだけ眉を潜める。王室の人間に対して確かに若干礼を欠いているが、この人混みの中ではしょうがないだろう。
「いや、いい。君こそ大丈夫かい? どこかぶつけてない?」
「だ、大丈夫で、す……!? えっ?! エドガー王子!?」
「え。いかにも俺はエドガーだけど……」
「うわああああ。し、失礼しました! あ、あた、いえ、私はビアンカ・ハーバーです。大変失礼いたしました。ええええエドガー王子殿下にご挨拶申し上げ、ますっ……!」
彼女はぺこぺこと頭を下げていたかと思いきや、慌ててドレスの裾を持って精一杯と言った様子の礼をした。
なるほど、彼女がビアンカ・ハーバー。
カテリーナが具体的に名前を出した相手。
思わずしげしげと眺めてしまった。ビアンカはキョトンとしてエドガーを見上げている。何故そんなにも見つめるのか、といいたげだ。
「あ、あの……?」
「ああ、申し訳ない。不躾だったね。──パーティー、楽しめている?」
「は、はい! こんなに豪華で素晴らしいパーティーは初めてで、目が回る思いですが……楽しんでます。一生の思い出になりそうです」
「一生、って」
ふっと笑ってしまう。確かに豪華で盛大なパーティーではあるけど、そこまでだろうか。
「エドガー様にも気にかけて貰いましたし、これは本当に一生モノです!」
「──そう」
「え、えーっと……あの、では、これで失礼しますっ!」
無邪気に笑う彼女を見て目を細める。先程の令嬢、令息たちとは違う。忖度なしの本音に聞こえたからだ。
しかし、彼女はふと周囲からの視線に気づき、逃げるようにその場を去っていってしまった。
今日この日のために張り切って用意してきただろうドレスの裾と髪を結ったリボンが人魚の尾びれのように揺れている。
「……エドガー王子、大丈夫でしたか?」
「え?」
「全く。なんて無礼なんでしょう。エドガー王子だと知ってあの態度なんて……」
「男爵家の娘ですもの、礼儀がなってなくて当然ですわ」
「どこの家門かと思ったらハーバー男爵家か。貿易で頑張ってはいるらしいが……所詮男爵家だな」
エドガーが何も言わないうちに周囲が彼女に対して苦言を呈する。もし、この場に以前のカテリーナがいたらもっと辛辣なことを言っていただろう。けれど、今は不在で、他の貴族たちがめいめいに『男爵家』への侮蔑にも似た言葉を吐いていった。
いずれ身分に関係なく──。
カテリーナの言葉が脳裏を掠める。彼女がこの場にいたら、ビアンカのことをどう話しただろう。
あれから会えてないので彼女の真意は不明のままだ。
「……少し風に当たってくるよ」
陰口など聞いていて気持ちがいいものではない。エドガーは自分を取り巻く貴族の令嬢、令息たちの横をすり抜けてバルコニーへと向かった。
彼らはエドガーを止めることはなかったが、某侯爵家の令嬢がすかさず「わたくしも一緒に」とをついてこようとするのを笑顔で「一人になりたいんだ」と制した。
カテリーナが婚約解消と言い出したことで年頃の令嬢からのアプローチは多い。あわよくば、という下心がどうしても透けて見えてしまう。そう考えれば、ビアンカはそうした素振りも見せなかったので好印象ではある。
バルコニーに向かう途中、大広間の端にぽっかりと妙な空間ができているのに気付いた。
どこかの令嬢が壁の花になっているらしい。
誰かと思えばカテリーナだった。
カテリーナはスモーキーパープルのドレスに身を包み、ちびちびとシャンパンを飲んでいる。どうやらすぐ傍にある大きな花瓶に活けられた花々を眺め、パーティー会場で花見をしているようだ。花弁に触れ、ふっと微笑む様子に思わず足を止めてしまった。
「……カテリーナ」
「えっ!? エ、エドガー様!?」
けふ。と、カテリーナが軽く咳き込む。シャンパンが気管に入ったらしい。
カテリーナはけふけふと咳き込みながら周囲を見回す。
「も、申し訳ございません。本来なら噂のこともありますので欠席をする予定だったのですが父母がどうしても参加をと」
「よかったらバルコニーで外の空気を吸わないか?」
「い、いえ、私は──」
「噂のことは変に大事にしたくない。きちんと答えが出るまでは、それなりの関係でいるべきだと思う」
「……かしこまりました。ご一緒させていただきます」
カテリーナは諦めたようにエドガーの横につく。
それを見た周囲がひそひそと話し始める。以前はカテリーナへの苦言ばかりだったが今はどうなのだろうか。相変わらずカテリーナへの苦言なのか、はたまた噂についてなのか──。
婚約の解消についてはまだ考え中だ。答えは出ない。
エドガーはカテリーナを伴い、バルコニーへと足を踏み入れた。
すっかり夜になっていて、星々の煌めきが美しい。
「星が綺麗だね」
「え、ええ……」
カテリーナはよそよそしい。バルコニーの手すりに腰を預け、カテリーナに向き合う。
「さっき、君が言っていたハーバー男爵令嬢に会ったよ」
「!! い、いかがでしたか……?」
「元気で擦れたところのなさそうな令嬢だった。周囲にはいないタイプだね」
「……そう、ですか」
カテリーナは何とも言えない顔をして、自分の顔を隠すようにシャンパングラスを持ち上げた。
その姿がやけにいじらしく、「ずっとお慕いしておりました」という言葉と、顔を真っ赤にしたカテリーナを思い出す。傲慢で高慢だった彼女はどこかへと消え、今目の前にいるのはただの同い年の少女に見えた。
「ねぇ、カテリーナ。俺は、君が俺に恋愛感情を抱いてるなんて知らなかったんだ。政略婚だと思ってたから」
「そ、その話はもういいじゃありませんか……!」
「……なんていうか、だからこそよくわからなくて……」
顎に手をやり、この一ヶ月間考えてきたことをカテリーナにぶつける。
あの後、カテリーナは己の言動を改め、他人を見下すようなことも嫌がらせも全てしなくなった。周囲は「何が起きたんだ?」と驚き戸惑っている。それはエドガーも同じだった。
何があったかは知らないが、こんな風に自身を省みて言動を改められるなら、婚約の解消などしなくてもいいのではと思い始めたのだ。
「なんで婚約解消なんだろう、って……。今の君とならなんだか上手くやれそうな気がするし、そもそも君が俺のことを好いてくれているなら余計に──」
「エドガー様。お言葉ですが、私の過去は変えられませんわ。今だって誰かに怒られたからしおらしくしているんだろうと私のことを疑う声も多いです。こんな女を王室に迎えるなんて、やはり考え直した方がいいのではないでしょうか。エドガー様の評価に関わります」
「……これまでの君らしからぬ言葉だね」
乾いた笑いが溢れてしまった。今のカテリーナをどう受け止めていいかわからない。
絶対的な自信を持っていた彼女は本当にどこに行ってしまったのだろうか。
カテリーナはシャンパングラスを握りしめて手を震わせたかと思うと、くるりと背を向けてしまう。
「それに、エドガー様は勘違いなさっておいでです」
「勘違い……?」
「私があなたのことを好きなことこそ問題なのですわ」
「問題、って……」
「ただの政略婚だと思えていればどれだけ楽だったか」
「カテ──」
「申し訳ございません。気分が優れないのでこれで失礼させていただきます。エドガー様はどうぞ引き続きお楽しみくださいませ」
カテリーナは口を挟む隙を与えずに一息で言い切り、エドガーの顔も見ずに、いつものように優雅に一礼してバルコニーから離れていってしまった。
その後姿は凛としているのにどこか淋しげで、何故か目が離せなかった。
◇ ◇ ◇
更に一ヶ月経った。
その間にいくつかパーティーがあり、エドガーは参加をしたがどのパーティーでもカテリーナの姿を見つけることができなかった。主催者に話を聞いても「招待状は出したが気分が優れないから不参加という返事があった」と口を揃えている。
何とも言えずスッキリできず、気が付くとカテリーナのことばかりを考えてしまう。
婚約者になる前の小さな頃の記憶がおぼろげにあり、その頃のカテリーナは可愛かったし、エドガーは同い年の友人ができて楽しかった。それが婚約者になり、彼女がデビュタントを迎えたあたりから一気に評判が悪くなり──先日急に婚約解消をしましょうと言われたのだ。
ついていけなくても無理はない。
その日もパーティー中だというのに挨拶はなおざりになり、令嬢や令息たちに遠巻きにされてしまった。が、それが気にならないくらいボーっとしてしまっている。
「──ふぎゃっ?! す、すす、すみませ……!!!」
「いや、……あれ? ビアンカ嬢?」
「ひえええ。エドガー王子……! ま、また、こんなことに……すみません、すみません……申し訳ございません……!!」
横からぶつかってきたのはビアンカ・ハーバーだった。
彼女は以前と同じようにペコペコと頭を下げて必死に謝っている。これが彼女の精一杯なのだろうと伝わってきて、何故か気が解れた。
「気にしなくていい。まぁ、前はちゃんと見て歩くべきだけど」
「ほ、本当に失礼いたしました。で、では、わたしはこれで……」
「あ、待って。君と少し話がしてみたい」
「ふげっ?! あ、あた、しと、ですか!?」
感嘆の声が独特だ。先日、貴族たちが苦言を呈したのも少しわかる。
彼女はキョロキョロと周囲を見回した。どうやら、周囲の目が気になるらしい。最近勢いを増している男爵家令嬢ということもあり、色々とあるのだろう。やっかみであったり、以前のようなマナーに対する厳しい目だったり……。
しかし、今は周囲に人はいない。エドガーがあんまりにもぼーっとしているから周りが気を遣って離れていったのだ。
「今なら多分人の目はないと思うけど、どうかな」
「……あ、あたしなんかでよければ……」
「よかった。……君のお父上は随分貿易に関して熱心だよね」
そう話を切り出すと、彼女の表情がぱーっと輝く。
「──はい! お父様はすごくすごーく頑張っていらっしゃいます。私も父を手伝うために勉強中なのですが、ダール小国で扱っている香辛料を使うことで害虫から穀物を守ることが期待できるそうで……シュトラス王国の食糧事情に貢献できると張り切っています」
「へえ、香辛料にそんな効果が……? 君のお父上はすごいね。慧眼の持ち主だ。期待したいな」
「あわわ、恐れ多いです……。ですが、とても嬉しいお言葉をありがとうございます。父に伝えたいです」
なるほど、随分熱心に取り組んでいるようだ。シュトラス王国は時折虫害に悩まされているので、香辛料が解決の一助となるなら大歓迎である。
そして、彼女は父を手伝うために勉強中の身であるらしい。
「失礼なことを聞くようだけど……君、婚約者とかは?」
「え。い、いません。父母は早く縁談をまとめたいらしいんですが、あたしは……父の事業を手伝いたいんです。ダール小国の言葉も歴史も大体覚え終わったんですが、周囲からはいい顔をされなくて……勉強はいいから礼儀作法とダンスをマスターしなさいと言われる日々で……って、エドガー王子にこんな愚痴っぽいことを……すみません!!」
彼女は慌ててペコペコと頭を下げた。どうやらこうやって頭を下げるのはクセのようだ。
カテリーナが名指しをしたように彼女は魅力的である。明るく元気で、裏表がなく、しっかりした目標を持ち努力をしている。カテリーナの変化がないままに彼女と出会っていたら、きっと彼女に惹かれていただろうと思うほどには。
しかし、脳裏にカテリーナの顔がちらつき、どこか引いた目で彼女を見てしまう。
「エドガー王子……? も、申し訳ございません、本当に……こんな、あたしなんかの言葉を……」
「ああ、申し訳ない。違うんだ。……君はお父上を手伝いたくて努力をしているのに、それが報われないのは残念だと思って……」
「あ、りがとうございます。そんな風に言っていただけるなんて──……感激です」
彼女は嬉しそうに顔を僅かに赤くして笑っている。
俺なら君の力になってあげられる。というセリフが浮かび、そして消えた。
例えば彼女を新たな婚約者に迎えたとしても、彼女のやりたいことは為されないのではないか。もっと礼儀作法やダンスを強要されるだけだ。
少し考え込んでから、ビアンカを見つめた。
「ビアンカ嬢。俺では君の力になってはあげられないが、応援しているよ。君が望むように、お父上の力になれることを──」
「!! エドガー王子……本当に、ありがとうございます。あたしのことをこうやって真っ直ぐ応援してくださったのはエドガー様で二人目です」
「え? 二人目?」
目を丸くした。まだまだ女性の活躍は身分の差以上に難しい話である。
それをエドガーよりも先に応援した人間がいる──?
「一人目は誰かな?」
「カテリーナ様です」
よく知る人間の名前が出てきて言葉を失った。いや、ビアンカのことはカテリーナに聞いていたから知っていたし、何なら興味が湧いたのだが、まさかカテリーナが先んじていたとは思わなかった。
自分以外の令嬢が名を上げようとするなんて、絶対に許せないだろうから。
絶句しているエドガーを置いて、ビアンカが笑う。
「カテリーナ様、以前はとても厳しい方だというお話でしたけど……実際話してみると全然そんなことはなかったです。あ、厳しいことは厳しいんですが、こう、その奥には優しさがあるように思えて……話していると頑張ろうって思えます。流石、エドガー様の婚約者だと……。
……あの、不躾な質問で本当に、すごく、とても失礼だとは思うのですが……何故、婚約を解消されてしまうのですか?」
エドガーは思わず額を右手で押さえてしまった。
そんなのはエドガー自身が知りたいくらいだ。
周囲からは王太子と男爵令嬢が話をしているからか、やや視線が集中している。しかし、それを気に掛ける余裕もなかったし、何となく周囲も近づきがたいと感じているようだった。
それはそれで好都合だったので、右手を額から離しながらため息をつく。
「……そんなの俺が知りたい」
「え」
「俺にはカテリーナが何を考えているかわからない。……政略婚なら良かったなんて、何故言うんだ。俺のことが好きならそれでいいじゃないか──」
そこまでつらつらと零してしまったところで、はっとして口元を押さえた。
流石に言い過ぎてしまった。
これまで誰にも零したことがなかったのだが、どうにもビアンカの前だと口が軽くなってしまうようだ。何となくだが、彼女には不思議な安心感がある。
しかし、そんなエドガーのことなど露知らず、ビアンカは口を開けて信じられないものを見るような目でエドガーを見ていた。到底王太子に向ける視線と表情ではない。
「エ、エドガー様……本当にわからないんですか……?」
ビアンカははっきりと軽蔑の視線を向ける。やはり王太子に向けるものではないが、エドガーがわからないことをビアンカが知っていることの方が気になった。
もう一度「わからない」と言うことに抵抗を覚えたが、そんなのはちっぽけはプライドだ。
「……ビアンカ嬢は知っているのか……?」
「知っているというか、わかります。カテリーナ様のお気持ちが」
「──申し訳ないが教えてくれないだろうか? 俺一人では到底カテリーナの心に辿り着けそうにないんだ」
むう。と、ビアンカが口を尖らせる。
言いたくなさそうだった。
しかし、しょうがないと言いたげに肩を落として口を開く。
「振り向いてくれない相手を思い続けるの、大変なんですよ。苦しいし、辛いし、しんどいし。……好きな人が、いつか誰かを愛してしまうかも、なんて想像した日には気が狂いそうになります。それが現実になった日には──きっと嫉妬に狂うでしょう。ならもう最初から全部諦めた方が楽ですよ。お互いに気持ちがない政略婚の方がずっとずっと楽です」
ただの政略婚だと思えていればどれだけ楽だったか──。
カテリーナの言葉が思い出される。
実感のある言葉に聞こえた。まさか、ビアンカもそんな想いを抱いているのか? だとしたら、エドガーが気付けなくても仕方ないのでは、と思ったところでビアンカが盛大にため息をつく。
「エドガー王子。失礼ながら、これは想像力の問題ですよ」
「そ、そうぞうりょく……」
「もっと恋愛小説などをお読みになった方がよろしいのでは? ……低俗だと馬鹿にされがちですが、王子にこそ必要な娯楽に思えますよ。あと演劇とか」
確かに勉強のために読んできたのは学術書や論文がメインで、文学小説は周囲の評価の高い所謂高尚なものばかりだった。演劇も付き合いで見たことはあるが、全て右から左に流れていくだけだった。
がっくりと肩を落としたところで、ビアンカがふんすと鼻を鳴らす。
「はは、すごく参考になったよ……俺は、人の気持ちに対してとても疎いようだ」
「それにはあたしもすごく驚きました」
「今度、君のおすすめの恋愛小説や演劇をいくつか教えてくれないか?」
「えっ? ぁ、は、はい。い、いいですけど……あ! で、でも兄名義で手紙を出させてください。ちょ、ちょっと周囲の目がどうしても気になるもので……」
ビアンカは突然挙動不審になった。最初のように周囲をひどく気にしている。
つい長々と話をしてしまい、彼女への配慮を欠いていた。二人きりで長々と話をしていたなんて、良い結果は招かないだろう。
「──ああ、そうか。気が回らなくて申し訳ないな……今日、この場ではハーバー男爵の貿易の話をしていたということにしよう。お父上もだが、君も随分熱心な勉強家だとね」
「た、助かります……えぇと、……では、あたしはこれで失礼します!」
そう言ってビアンカはそそくさと立ち去ってしまった。
その姿を見送っていると、それまで遠巻きにしていた令嬢令息が近付いてきて、あっという間に囲まれてしまう。何を話していたのかと聞かれたので、さっきの通りハーバー男爵家が取り組んでいるダール小国との貿易の話をした。ついでにハーバー男爵自身とビアンカが熱心であるということも言い添えて。
エドガーが彼らを褒めると、周囲もそれに賛同せざるを得ない。
貴族社会というのは本当に面倒だなぁと思いながら、その日のパーティーを終えたのだった。
◇ ◇ ◇
そしてまた一ヶ月経った。
その日、エドガーはカテリーナを前と同じ王宮の庭園に招いていた。カテリーナは誘いを若干渋ったが、婚約解消の件だと言えば渋々やってきた。
カテリーナの好きな茶菓子だけを用意し、好みの茶葉でお茶を入れさせた。
自らそれを指示したことはなく、茶菓子やお茶の準備は全てメイドたちに任せきりだった。
「やぁ、カテリーナ。久しぶりだね」
「はい、エドガー様もお元気そうで何よりです」
「さ、座って」
「失礼します……」
カテリーナはおずおずと椅子にそっと腰掛けた。以前は尊大な態度でふんぞり返っていたものだが、今となってはどこか控えめである。本当に一体何が彼女をそうさせたのだろうか。不思議でしょうがない。
お茶と茶菓子が順番に用意され、目の前に置かれる品々にカテリーナが少し目を丸くしていた。
「君の好きなものばかり用意させたよ」
「え、ええ……なんだかいつもと雰囲気が違ったので驚きました」
カテリーナはエドガーの様子を窺いながらお茶を飲み、そして少し驚いていた。普段ならエドガーとカテリーナ、二人の好みに合わせたお茶なのだ。今回は完全にカテリーナの好みど真ん中の物を用意させている。
「カテリーナはちょっと渋めのお茶が好きなんだね、知らなかったよ」
「……は、はい」
「俺の好みばかりに合わせさせて……申し訳なかったな」
そう言ってカップを置いた。カテリーナも合わせてカップを置いている。
二人は真っ直ぐ見つめ合う形になったが、カテリーナの方は居心地悪そうに視線を逸らしてしまう。
「カテリーナ、三ヶ月前に君から婚約解消をしないか、もとい考え直さないかと言われて……考えてみたよ」
「はい……」
「考えた結果、君との婚約は解消しないことにした」
カテリーナがぽかんとした。何を言われたのかわからないという顔をしている。
こんなに隙だらけの顔は、ひょっとしたら初めてかも知れない。
やがて、カテリーナは我に返った。
「エ、エドガー様! 何を言っているのか──」
「わかってるよ。そして、君が『ただの政略婚だと思えていればどれだけ楽だったか』と言った意味も、多分、わかった。
……あの時、俺は君に対してすごく失礼なことを言ってしまった。それを謝罪させて欲しい。──申し訳なかった」
そう言ってエドガーは静かに頭を下げた。カテリーナの動揺が伝わってくる。
──ビアンカと話をした後、彼女の兄名義で手紙が届き、恋愛小説や複雑な人間関係を描いた演劇や、それに類する小説を様々紹介してもらい、毎日のように読み漁った。あの時「想像力の問題だ」と言われたのが悔しかったのと、単純に紹介された小説が面白かったからだ。演劇は残念ながら観に行くことができていないが。
小説から人間の感情を学ぶというのも変な話だったが、それでも目から鱗が何枚も落ちたし、共感を覚えることもあった。
中には愛のない結婚から真実の愛を見つけるという話もあったし(ダブル不倫ものでげんなりもしたが、ビアンカからは「こんな結末だけはやめてくださいね」と釘を刺す文章もあった)、想い人が結婚をしてもなおその想いを断ち切れないという話もあった。
そして、一番身に積まされたのはまさにエドガーとカテリーナのような関係から結婚をし、ある日夫側が妻ではない相手を好きになってしまい、妻が嫉妬に狂っていく──という話だった。
自分を愛してくれる妻がいるのになんて夫だ──と思ったら、それはまさに自分にも当て嵌まり、愕然としたのだ。
そこでようやくカテリーナの言葉を思い出した。
カテリーナは確かに傲慢で高慢な令嬢で、その言動は決して褒められたものではなかった。
しかし、もっとカテリーナのことを理解できていれば、そんなことにはならなかったのでは? とすら思ったのだ。
顔を上げてカテリーナを真っ直ぐに見つめる。
カテリーナは「あ」とか「う」とか言っており、相当困惑し、動揺している。
以前ほどではないが、頬を赤くし、僅かに目を潤ませていた。
「俺は、他人の気持ちにかなり鈍感らしい。ここ一ヶ月は小説を通して感情を学んだよ……恥ずかしい話だな」
「え、エドガー様が小説を……!?」
「面白いものが多くてついついのめり込んでしまった。小説を通してだから、君の気持ちが本当にわかったなんて言えない。だからこそ、君自身を通して、君を知りたいんだ」
「ですが……!」
「こんな風に誰かを知りたいと思ったのは君が初めてだよ、カテリーナ」
ダメ押しのように言えば、カテリーナは口を閉ざしてしまった。
エドガー自身はそんなつもりなくても、カテリーナにはそれなりの効果はあったらしい。
その証拠に顔がどんどん赤くなっている。
──ああ可愛い。と、思うのと同時に、口元に笑みが浮かんでいた。
テーブル越しにしかその顔が見えないことがもどかしくて、気がつけば立ち上がっていた。
「エ、エドガー様……?!」
カテリーナの傍に近づき、テーブルに手をついて、反対側の手でカテリーナの頬に触れる。こんな風に自分から触れたこともなく、近付いたことすらない。
大きく動揺するカテリーナをよそにその真っ赤な顔をしげしげと観察した。
傲慢さも高慢さも、凝り固まった選民思想も、見当たらない。
目の前にいるのはカテリーナというただの少女だ。
「君に初めて会った時、君のことを可愛いと思ったのとを思い出したよ。そして、今もすごく可愛いと思っている」
「っ……」
「カテリーナ、君がどれだけ俺のことを好きなのか教えて欲しい……」
そう言って耳元に唇を寄せ──というところで、カテリーナに体を押し返されてしまった。
カテリーナは髪を乱し、顔を真っ赤にして胸元を押さえて、まるで走ってきた後のように呼吸を見出している。
「お、おふざけが過ぎますわ!」
「え。ふざけてるつもりなんかないけど……?」
「だ、大体ビアンカ嬢はどうしましたの!?」
「ビアンカ嬢ね。彼女のことは応援してるよ、君と同じようにね」
あっさりと言えばカテリーナが変な顔をした。その表情すら可愛くて、くすりと笑みが漏れる。
先程のように相手の都合お構いなしに迫るのは良くないと思い直し、エドガーはその場に跪いた。カテリーナの胸を押さえてない方の手をそっと取り、口元に近づけながら彼女を見上げた。
「カテリーナ。俺は、やっぱり君がいい」
静かに言う。婚約も何もかも、全て用意されたもので、自分の口で言ったことはなかった。
「カテリーナ・フォン・マイゼンブルク嬢、俺と結婚してくれませんか?」
指先でそっと撫でると、カテリーナの手が震える。
顔赤く、目を潤ませたまま、カテリーナはエドガーを見つめている。
「……ずるい人ですね」
「君が逃げるから追いかけたくなったんだよ。で、返事は?」
「……喜んでお受けします。どうか、私が同じ轍を踏まないように見ててくださいね」
「もちろん。君以上に君のことをわかってみせるよ」
返事を受けて、カテリーナの手の甲にそっとキスをした。
カテリーナが気恥ずかしそうに「ふふ」と笑う。その顔が可愛くて、たまらずに立ち上がって唇を重ねていた。一瞬しまったと思ったが、カテリーナは恥ずかしそうに笑うのみ。彼女の顔を見て笑い返し、何事もなかったかのようお茶を楽しむのだった。
カテリーナは断罪される未来から回帰してきて婚約解消を申し出、言動を改めますが、エドガーが知ることはないです(多分)