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【 八 】 讒言  長坂釣閑斎

「何という事じゃ……」

 釣閑斎は、顔面を蒼白させ呟いた。

 勝頼に従う従者は釣閑斎の他、秋山昌成、菅沼定忠ら僅か数騎。険しい山道を掻き分けながら、命からがらの逃避行である。生い茂る茂みから、いつ敵の大軍が押し寄せてくるかと恐怖しながら、一行は決死の退却を続けている。

「まずは我が田峰城へ向かいましょう。そこまで退けば、敵も深追いは出来ぬと存じ申す」

 菅沼定忠は、自らの城へと勝頼を促した。

「よかろう、そこで一度敗兵をまとめ、信濃へと入ろうぞ」

 勝頼は毅然としていたが、釣閑斎には、彼の内心の苦悶が手に取るように分かる。

「信春には誠、申し訳が立たぬ︙︙」

 ボソリと呟くのが聞こえた。

 撤退戦は過酷を極め、執拗な挟撃作戦によって散々に打ち砕かれていく武田軍であったが、殿を務めた馬場信春は味方の退路を確保すべく奮戦し、敵を幾度となく弾き返した。

「まずは何としても生き延び、我らの仇をお討ち下され!」

 信春は勝頼の撤退を見届けた後、戦地に取って返すと、文字通り玉砕したのである。穴山ら勝頼一門衆が早々に撤退したのに対し、譜代衆は身を挺して主人を守ったのであった。

 彼らの活躍により窮地を脱した勝頼は田峰城へと向かったが、ここでも手厳しい現実が待ち受けていた。武田敗戦を聞いた定忠の親族である菅沼定直や家老の今泉道善らが反乱し、入城を拒否したのである。

「おのれ! 負けたと分かり忽ち変心するとは! 不届き者共めが!」

 定忠は激昂したが、僅か数騎の勝頼一向ではどうにも出来ず、止むなく更に北上した武節城へと向かうことにする。

「勝頼様、誠申し訳ございませぬ。定直には必ずや天誅が下ることでしょう」

 不安に顔の歪む釣閑斎と昌成を他所に、勝頼は不気味なほど冷静に馬を進ませた。

 退却劇は数日に及んだが、定忠の道案内のお陰で敵に追いつかれる前に何とか入城できた。

「︙︙何たることだ」

 勝頼は城内の屋敷で力なく座り込んだ。

 小規模な平山城である武節城に詰めていたのは、僅か数十人の兵のみである。

 敗戦を知った足軽たちは明らかに浮足立っており、勝頼の登城を不安な面持ちで迎え入れた。

(今宵の内にほとんどが逃げ出すであろう……)

 釣閑斎は、巻き込まれては迷惑だと言わんばかりの彼らの表情をひしひしと感じ取っていた。

「四郎様、今宵はここで休息し、明朝陽が昇ると同時に信濃へ出立致しましょう。すべては自国へ還ってから考えましょう……」

 力なく、勝頼の気持ちを刺激せぬよう、淡々と伝えると、狭い屋敷の壁に背を傾けた。一同疲労の色は隠せない。同行している昌成は終始挙動不審で、怯えている様が目に見えて分かる。

「織田とは何と卑怯な奴らなのじゃ」

 床を見つめ、ぶつぶつと独り言のように不満を漏らしていた。


 設楽ヶ原での激戦は凡そ四刻(約八時間)にも及んだが、武田軍は山県昌景はじめ、馬場信春、内藤昌秀、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守など歴戦の指揮官を悉く失ってしまった。

 戦は武田側の戦力凡そ一万二千程に対し、織田徳川連合軍は凡そ四万という大軍で相対した。数で優る織田勢であったが、扶桑無双と言われる武田軍に対し信長は、戦地に土塁や馬防柵を築き、大量の鉄砲を装備して決戦に臨んだのである。

「こそこそと柵に隠れながら戦をするつもりか! 武田軍の機動力を舐めるな!」

 勝頼および釣閑斎ら側近衆は、事前の報告から敵勢が多数の鉄砲を装備している事は知っていた。しかし、火縄銃の性能ではいくら数を集めても、数千の軍勢を殲滅する事は不可能と考えた。

 武田の主力戦力であった騎馬隊は、武者一人につき、七~八人の供回りで構成される。甲冑を着込んだ武者が馬にまたがり、その前後左右を口取、槍持ちなどの足軽従者が取り囲む。扶桑最強と称された武田騎馬軍団は、一糸乱れぬ阿吽の呼吸で数多の騎馬連隊が一塊となって敵陣へ押し寄せる。単騎駆けとは違い速度は駆け足程度だが、一つ一つの隊が走攻守備えた、隙の無い強靭な連携小隊である。

 例え一小隊が駆け足程度の速さであっても、火縄銃の射程距離と連射性能を鑑みると、個の鉄砲で敵軍に損害を与えられるのは熟練の達者でも二発が限界であった。交互に射撃を繰り返したとしても、突進して来る敵に放てる矢玉は限られていた為、勝頼首脳達の考えは大きく間違ってはいない。むしろ充填の合間に騎馬隊で敵陣を切り崩す事は、従来の正攻法でもある。

「多少の被害は被るだろうが、乱戦になればこちらが俄然有利」

 白兵戦に及べば、半数であろうと負けはしないと自負していた。

 しかし、敵の鉄砲の火力は、予想を大きく上回る恐るべきモノであった。

 敵は少なくとも千挺を超える数の鉄砲を装備しており、これらが銃口を揃える前に正面から攻めかかれば、一度の咆哮で数百の人馬が一斉に機能を失う。甲斐信濃の山間部で戦を続けて来た武田軍にとり、これほどの火力の銃撃を受けた事は無く、突如起きた落雷のような轟音と、凄まじい鉄砲の威力に大きく動揺した。

 天地を切り裂く爆音に驚いた軍馬は、前脚を大きく上げ主人を振り落とし、甲冑武者の多くが五体を吹き飛ばし即死すると、指揮官を失った小隊は一挙に機能を失う。狼狽え、慌てる足軽達を必死に物頭達が収拾する内に、二発目、三発目の咆哮が大地を震わせる。

 敵は甲冑武者に狙いを定め狙撃しており、規律の行き届いた天下の武田軍であっても、指揮系統を失えば大混乱を引き起こし、被害は広まるばかりであった。

「しかし、信長がこれほどまでに上手くいくと思っていたとは到底思えぬ!」

 釣閑斎は、納得出来なかった。この作戦を決行した信長自身でさえ、これ程の成果が得られるとは考えていなかったであろう。

 日本史上類を見ない大兵団による鉄砲掃射は、当然複数の問題も抱えていた。数百挺もの鉄砲が一斉に放たれれば、その爆発音は天地を切り裂き、射撃と同時に銃口からは燃え上がる様な激しい火の塊が噴射され、眼前を覆う黒煙が視界を遮る。轟音により指揮官の命令は届かず、煙で視界を遮られれば、攻撃を仕掛けた側も混乱する。鉄砲隊を主力とした大規模な掃射が、突進して来る騎馬隊相手に機能するかは、一種の賭けであったに違いない。

 しかし、武田軍は信長の想定した作戦に見事なまでに乗せられ、この困難な作戦を大成功させてしまった。

 釣閑斎は、自分の浅慮が悔しくてならない。思い返せば、敵は幾重もの策略を用いていた。

 岡崎城の内乱未遂に始まり、佐久間、水野内応の約束、収集の付かない畿内の混乱と過少兵力という流言、大軍勢に向かない狭隘な設楽原への誘導及び、信長小姓による挑発、そして木柵や土塁での野戦築城。信長は武田軍を罠に落とし込む作戦を執拗に、幾重にも積み重ねていたのである。

「五郎兵衛めが︙︙!」

 釣閑斎は、床に拳を打ち付けた。

 織田との決戦に踏み切った理由は、信頼する五郎左衛門の報告を受けての事である。決戦前夜、突如織田の武将を伴って現れた事により、釣閑斎は勝利を確信した。友晴の諫止も気に掛かってはいたが、内心では逡巡しているであろう勝頼に、ここが神の与えた転機であると、進軍を強く勧めた。しかし五郎左衛門は、その後忽然と姿を消してしまった。

 いつから懐柔されていたのか、今となっては検討もつかない。

 さてもさても、信長は慎重な男である。

 恐らくこれ程の謀略を屈指しながらも、我らが長篠城包囲の姿勢を崩さず設楽原へ至らねば、時期を見て踵を返したであろう。畿内の治世に注力したいというのは本音であろうから、ここで無理に決戦に及ぶ理由もなかった。信長自ら援軍に来たという事実があれば、徳川への面目も立った訳である。

 従って多数の鉄砲隊はあくまで、決戦に及んだ際に試験的に導入する意味で持ち込んだのであって、上手くいかなければ兵力で圧倒するつもりであった事は、率いた四万という大軍勢を見れば容易く理解出来る。

 決戦を急ぐ必要はない、昨夜の家老衆の言葉が脳裏に何度も繰り返される。

 長篠城の奪取など、武田にとっても急を要さない案件である。家老衆は冷静に理解していた。あの時必ず決戦に望まなければならなかったのは、両家の狭間で揺れ動く徳川であったのだ。

「い、いや、あやつらは何も分かっておらぬ!」

 釣閑斎は、脳内を巡る悔恨の念を振り払うように、大きく頭を振った。

 家老たちの助言は理に適っていた。当然それは勝頼も、側近たちも分かっていた。しかし、それは勝頼の心情を理解しない冷淡な判断としてである。あの時の勝頼個人の心情はそうではなかった。織田信長自ら決戦を望んだ以上、これを見過ごす訳にはいかない。傲慢な信長めを撃滅してこそ、信玄死後浮足立つ自分の立場が固まる。いや、固めねばならぬと気負っていた。

 これが二世の弱みであろうが、武田信玄というカリスマを父に持ち、四男という引け目を持つ勝頼の心情は、陪臣共などには到底理解出来ぬであろう。彼が抱える内心の機微を汲み取る事が出来るのは、彼が若年の頃から接し、彼と辛苦を共にしてきた我ら側近衆のみなのである。

 思えば思うほど、悔しさが込み上げてくる。どんな言い分があろうと、結果として敵の罠にまんまと嵌ってしまった事実は変えられない。そして激しい後悔と共に沸き上がるのは、抑えきれぬ憤りである。これ程の大敗を喫してしまった理由は他にもあるからだ。

「あれもこれも、あやつらのせいではないか!」

 釣閑斎は、思わず大声を張り上げた。

 あやつらとは、無論穴山ら一門衆の事である。

 彼等は、無謀な戦場にまんまと誘導された勝頼に愛想をつかし、奮戦する宿老衆を他所に、早々に退却を開始したのである。敵の予想以上の火力に恐れをなしたのも事実であろう。

「これ以上、四郎に付き合っても仕方あるまい」

 無謀な正面衝突を続ければ、自軍の損害を増やすばかりであると、即座に見切りを付けた訳である。

 これが合議制という、旧体制を引きずる武田軍の致命的な弱点であった。

 信玄治世後期には知行制を推進し、譜代衆らを直属の家臣団として組み込んでいったが、穴山や小山田といった一門衆は、国人領主といえる独立した立場を維持し、直接的な支配体制ではなかったのである。

 戦も序盤になると、左右に広がる鶴翼の陣を形成していた武田軍は、中央の分隊が離脱を開始すると忽ち崩れ、孤立した左右両翼の部隊は連携が取れずに壊滅してしまったのであった。

 あやつらが退き陣を上手く果たしていれば、これほどまでの壊滅的な損害は受けなかった筈だ。実際に、圧倒的不利な戦況の中、山県や馬場、真田らの奮戦により、第一、二の柵を突破し、佐久間の陣取る丸山砦を奪取するなどの戦果も得ていた。敗兵を収集し、陣を崩さず敵を威嚇しながら退陣する事は、歴戦の武田軍であれば不可能ではなかった。しかし、敗色濃厚とみれば忽ち撤退を始めた穴山隊を見た中央の一門衆らは、追従するように退却を開始してしまう。結果取り残される形となった両翼の陣営は個々に壊滅してしまったのであった。

 信玄在世時には決してこの様な事は起きなかったであろう。即ち、勝頼の統制力の弱さが招いた大敗であると言っても過言ではなかった。

(せめて罵倒でもしてくれれば、多少の負い目も収まるというものだが……)

 身勝手な考えと思いつつも、勝頼がいつ自分達の咎を責めてくるかと、身構えてしまっている。

 しかし、眼前で落ち込み座り込む勝頼は、決して釣閑斎を責めなかった。

 当主たるもの、どの様な経緯があれ結果に対し言い訳はできない。配下の意見を採用し行動に移したのは、自分自身である。そういう思いを噛み締めているのであろうか。

 疲れ切った一行は無言となり、暗く重い雰囲気が室内を漂っている。

 しかしその静寂を打ち破るかのように、外の廊下からどすどすと大きな足音が響いてきた。そして勢いよく襖が開かれると同時に、大喝にも似た声が響き渡る。

「勝頼様! 儂は恥ずかしくも馬場殿の言付けにより、生きて帰り申したぞ!」

 小宮山友晴であった。

 乱髪を振り乱し、顔面を血に染めながら、ふぅふぅと大きく息を切らし、勝頼に凄む様に言い放つ。釣閑斎は驚き身構えるが、勝頼は然程の反応も見せず、座りながら上目遣いに友晴を睨みつけている。

「悔やんでいても仕方がありませぬ! まずは生き残った者共を集め、早々に本拠地へと戻る事です。そして敗戦処理と、再起を図る準備に入らねばなりませぬ」

 勝頼は聞いているのかいないのか、ゆっくりと目を伏せた。釣閑斎は何事か言おうと身を乗り出したが、友晴は表情を変えず、声早に訴えを続ける。

「殿、よくよくお聞きください。この敗戦は早々に戦線離脱した穴山殿と信豊殿に責任がございます。本拠地に無事戻りましたら、この者共の咎を責め、家内の粛清を行わなければなりますまい。このままでは親族衆は増長し、お家分裂の危機に瀕すると存じますぞ!」

 友晴の言葉に、勝頼は俄に顔を上げた。表情は怯んでいる。

「今一度申します。帰還後は、早々に穴山・典厩(信豊)の腹をお斬らせ下さい。さも無くば、お家の未来はございません!」

 釣閑斎は慌てて言う。

「突如現れ何ということを申すのだ! 多くの武将を失いしにも関わらず、親族筆頭の穴山様の腹を切らせろと! それでは尚家中は分裂してしまうではないか!」

 すると友晴は、体を大きく揺らし憤怒の表情で怒声を上げた。

「お主はよくもノコノコとこの場に参れたものよ! 潔く討ち死にしておれば多少は汚名を晴らせたものを! お主が殿を唆し、この結果となった責任をどうとるつもりか!」

 自責の念で押し潰されそうだった釣閑斎は、言い返す事が出来ず、歯を食いしばり、彼を睨み付けるしか出来ない。

 勝頼はその間も何も言わず、苦々しい表情を浮かべていた。

 勝頼様も、この戦の敗因は分っているのだ。そもそも野戦築城する敵に、半数以下の兵で真っ向勝負する事自体が無謀であった。分かっているのに、傷口に塩を塗るような事を言い放つ友晴は、やはり融通の効かない痴れ者である。老臣達の諫止を無視した結果を今更悔いても仕方がないが、ぶつける事の出来ない憤りは募るばかりであろう。

 何度も言うが、合議制度を採る武田家では、当主の力が衰えたと見れば、忽ち身代わりする危険因子たちが家臣団の中核であると言っても過言ではない。勝頼様は恐らく、いくら蔑まれようとも、いざとなれば最期に頼れるのは血縁で繋がれた一門衆だけであると思っていたのであろう。しかし、その根拠の無い信頼が、この戦で見事に裏切られたのであった。

「信豊め……!」

 勝頼がぼそりと呟くのが分かった。

 勝頼と信豊は従兄弟関係であり、若き日には、共に武勇を競い合う盟友でもあった。

 しかし信玄の長男義信が死に、勝頼が後継に指名されると、信豊の心情は微妙なものとなったのであろう。両者の関係は明らかに疎遠となっていた。この戦ではその齟齬が露呈してしまった。

 信玄の従妹であり、義兄弟でもある穴山信君は更に露骨である。彼は信玄の死を機に、勝頼の影響力を介しない独立勢力として成り上がろうとの野心が、密かに芽生えていたのである。

「お主の感情論でお家を潰す気か! そのような早急な事を言うよりも、まずは本国へ帰ることが重要であろう!」

 悔しさの収まらない釣閑斎は、声を張り上げ反論した。そして火に油を注ぐ形になった友晴は一層激昂し、激しい言い争いに転じた。

 二人のやり取りに勝頼は、それに居ても立っても居られなくなったのか、突如立ち上がると、強がるように大声で両者に言う。

「まずは信濃へと参ろう! 話はそれからじゃ!」

 昌成ら側近衆が呆然と見つめる中、弱音など吐いてなるものかと言わんばかりに、大きな足音を立て、屋敷を後にしてしまった。


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