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【 十八 】 天目山 武田勝頼

 

「ここは私が引き受けます! どうか早く田野へお退き下さい!」

 断崖絶壁で立ち塞がる土屋昌恒は、喉も裂けんばかりに叫ぶと、真向いの敵に目掛け刀を振りかざした。膂力優れる昌恒の一刀は、敵足軽の刀を跳ね飛ばす。昌恒はすかさず右足を大きく前に蹴り上げ、その足軽を谷底へ突き落した。道幅の狭いこの山道は人一人通れる広さであり、横は深い渓谷へと続く断崖絶壁である。昌恒は頭上の急斜面から伸びる木の蔓を掴むと、自身の左腕に巻きつける。

「お主共が勝頼様の首を取ろうとは笑止千万! 私が相手になろう!」

 片手で刀を振り上げる昌恒は、蟻のように列をなし、続々と押し寄せる敵に向かい叫んだ。

 離反した小山田信茂から逃げる様に天目山へと向かった一行は、山頂にある栖雲寺まで目と鼻の先という所で、織田方の将、滝川一益の部隊に遭遇した。逃げる勝頼の動向を察した一益は、先回りの部隊を回したのであった。

 土屋昌恒は殿を引き受け、麓の田野へと退避する様告げる。

 昌恒は絶壁の小道に仁王の様に立ちはだかり、片手で敵を斬っては崖に蹴落とす事を繰り返し、一人織田の大軍を足止めした。

 昌恒の奮戦により窮地を抜け出した勝頼一行は、闇夜に紛れ、山頂から静かに下っている。

 数日に及ぶ逃走劇に一行は疲労困憊であった。従者はみな泥によごれ、足を血まみれにさせながら、辛うじて歩いている状態である。勝頼は疲労に反して、晴れやかに言う。

「逃げ惑ってばかりでは恥というもの! どこぞで最後の華を咲かそうぞ!」

 勝頼は観念したのか、従来の野獣の様な眼光を取り戻し、生気溢れる表情であった。

 しかし友晴は首を振りながら、勝頼を制する。

「大将たるもの、端武者に首を渡してはなりませぬ。その時が来たるときは、儂が百戦錬磨の働きをお見せするとなれば、勝頼様は速やかに自害お為され下さい」

 勝頼はガハハと大声で笑った。

「これは友晴! 最後の最後まで諫言するとは、誠にお主とは気が合わぬな!」

 友晴は、勝頼を見ると笑顔を見せた。

 周囲の山々には、大軍の篝火が四方に散り、周囲は完全に包囲されているであろう。もはや逃げ場はなかった。時折山狩をする敵兵の怒声が、すぐ近くまで聞こえてくる。一行は夜通し静かに下山し続け、田野の鳥居峠へと到着すると、友晴は静かに告げた。

「ここが最期の場所となりましょう。陣地を築き、最後の抵抗を見せるのです」


 ―――


 やがて夜が明けた。

 友晴他、最期の使命を全うせんとする武者三十名は、勝頼の身辺を取り囲い、前方の茂みから続々と押し寄せる織田の大軍に、睨みを利かせている。

 勝頼達の存在に気付いたのは滝川一益の一隊であった。

「潔く投降せよ! さもなくば大軍で一挙に包み込んでしまおうぞ!」

 織田軍は窮鼠の敵に躊躇しているのか、大声で恫喝を繰り返している。河原に身を顰めていた一行は、遂に最期の時が来たと覚悟を決めた。友晴は勝頼に言う。

「今生のお別れでございます。我らが引き受ける故、勝頼様は奥の林で腹をお斬り下さい」

「何を言う! 一当てもせずに腹を切れるか! 儂も戦うぞ!」

 勝頼は憤るが、友晴は大喝した。

「名門武田家の御大将が名も知れぬ端武者に首を取られては、後世に汚名を残しましょう! この大軍を長く抑える事は出来ませぬ! ご家族を連れ、潔く腹を斬りなされ!」

 勝頼は歯を食いしばり観念すると、息子信勝と正室の桂林院殿以下女中と共に、奥の林に消えていった。

 渓谷の茂みからは、数も知れぬ大軍が留まる事を知らず、蟻のように集まってきていた。

 もはや一刻の猶予も無い。

 友晴は刀を高々と上げ、大声で叫んだ。

「我は武田が譜代の家臣! 小宮山友晴! 討ち取って功名と致せ!」

 そう言うと、前方に群がる滝川の大軍目掛け走り出した。

 呼応するように、跡部勝資ら従者たちも一斉に喚声を上げ走り出す。

「いよいよ玉砕に参ったぞ! 大勢で包み込め!」 

 織田の物頭も呼応し、号令を掛ける。 

 数百の軍勢に飛び込む、僅か三十人ばかりの勇士達である。

 しかしその勢いは凄まじく、敵は俄かに怯みを見せた。狭隘な渓流地での戦闘は大軍での行動がとれず、友晴ら武田武者達は鬼の様に荒れ狂った。

 友晴は、生き生きとした表情で敵へ向け刀を突き入る。

「織田とは数ばかりの軟弱集団ではないか! 武田軍の恐ろしさを思い知るがよい!」 

 横の跡部勝資も呼応する。

「よもやお主と共に最期を迎えるとはな! 運命とは分からぬモノよ!」

 友晴は敵と斬り合いながら笑顔で応じる。

「ここに釣閑斎が居ない事が心残りじゃ!」

 死に際の荒武者たちは暫しの間、織田の大軍を寄せ付けなかった。

 

―――


 勝頼は林の奥で具足を外し、上半身を晒していた。

 目の前には子息の信勝と室の桂林院が、腹を抱えるようにうずくまり、既に事切れている。周囲には血に染まった女中ら十数人の死体が、折り重なるように倒れていた。

 陽は高く上っていたが、木々生い茂る山中は薄暗く、僅かな日光が差し込む程度である。

 林の向こう側からは鉄砲の轟音と、喚声が響き渡っている。

 勝頼は落ち着き払った表情で、静かに呟いた。


「運命に翻弄されし、数奇な人生であった……。 父上、申し訳ございませぬ……」


 そう言うと、静かに片膝を突き立て、短刀を腹に突き入れた。

 遠く、喚声と轟音はいつの間にか途絶え、辺りは静寂に包まれていた。

 


―佞臣の分別 終―


最後までご愛読頂きありがとうございました。

私、平時はサラリーマンをしながら休日等を使いコツコツと執筆活動を続けております。

周囲に歴史好きも少なく、自分の作品について講評をいただく機会もあまりないまま、ただ自分本位に書き殴っている様な状況にございます。

楽しんでお読み頂けた方がおりましたら、是非ご講評など頂けましたら幸いです。


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