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【 一 】 小宮山友晴

 天正三年五月(一五七五年四月)

 シトシトと降り続いていた雨が上がり、数日ぶりの晴天が広がっていた。昨夜までの肌寒い空気は一転し、夏端月の生ぬるい南風が身体を通り抜け、何とも表現のし辛い心地良さを感じさせる。前方に連なる険しい山々は、暖かな風を喜ぶ様に木々を騒がしく靡かせ、騒めきを立てていた。

「久しぶりの碓氷うすいじゃな」

 友晴は、群青に染まる空を仰ぎながら、機嫌よく呟いた。甲斐国を出立し、風雨の中泥濘んだ狭隘な山道を、馬に揺られながら北上する事およそ三日。中間と小者二人ほどを引き連れた身軽な旅路であったが、ようやく父のいる上野国碓氷にある集落に到着した。額から浮かぶ汗を無造作に拭う腕は浅黒く日焼けし、所々に刀疵が浮かび上がっている。無精に伸ばした髭には、近頃白髪が目立つようになってきていた。

 関長原の関所を抜け碓氷の領内に入ると、質素なあばら小屋のような百姓の民家が点々見え始め、城に近づくにつれ徐々に茶屋や旅籠などが立ち並ぶ街並みへと変わってくる。碓氷は小規模な宿場町であるが、半里四方程の短い城下町の左右には、ずらりと長屋が並び往来する人々も多く、旅籠、茶屋、商家などの主人が、行き交う人々に声を掛け活気付いていた。

(敵国の前線ではあるが、のどかなモノだな)

 碓氷は東山道を介し坂東(関東)と信濃を結ぶ交通の要衝であり、そこへ構える松井田城は、比高およそ一町程の山の尾根を利用した天然の要害である。友晴の仕える武田氏による西上野支配の前線基地でもある為、物資、人馬の往来も多く、宿場町として賑わう活気ある城下町であった。

 父と会うのは、何年ぶりであろうか。友晴は、神経質でいつも眉間にシワを寄せていた父の独特な上がり眉を想像し、苦笑いを浮かべる。父の小言を聞くのも久しぶりだと、少し懐かしめながらゆっくりと馬を進める。

 友晴の父小宮山昌友は、甲斐武田氏の譜代家老である小山田虎満の与力として、松井田城の城代を務める三十騎持ちの侍大将格であり、武田家内でもそれなりの身分である。昌友の嫡男である友晴は、当然父の跡を継ぐ立場であるが、現状は甲斐本国で主人勝頼に近侍しており、日頃ここに在番していない。若い時分に前当主信玄から見出され、側近として仕えていたからである。

 名誉あるお家に生まれたが、父とは疎遠であったなと複雑な気分となる。晴天にぽつんと浮かぶ綿雲を見上げながら、信玄に初めて会った日の事が脳裏に思い浮かんでくる。


 天文四年、信玄が信濃攻略の為怒涛の快進撃を続けていた頃、友晴は初めて信玄と謁見した。躑躅ヶ崎館の大広間に呼び出された親子は、恐々として主人の前で頭を垂れる。父に従い平伏する友晴に対し、あぐらを組み無言でじっと自分を見つめるその姿は、さながら不動明王の様であった。

(これが信玄公であられるか。これまでに出会いし大人達とは比べ物にならぬ、只ならぬ威圧感じゃ……)

 わずか一〇余りの齢であったが、初めて会った信玄の神々しいとまで思える存在感に圧倒された。しかし、子供心にもその内心を見透かされてなるものかと、泰然とした態度で受け応えに臨む。すると信玄はにこやかに言うのである。

「こやつは中々鋭き眼光を持つ童じゃ。これより儂の手元で仕えるが良い」

 予想外の言葉に唖然とした。しかし気付いた時には両手と額をべったりと畳につき、感謝の言葉を述べていた。身に余る光栄であると、身体が先に反応していたのであった。今思えば、自分の何が気に入って取り立てたのか見当も付かない。信玄は雲の上、いやその遥か上の上に君臨する神の様な存在であった。

 自分の思惑とは裏腹に、あれよあれよと信玄の側近となり、父とは離れ武田氏の本拠地甲斐国躑躅ヶ崎館で仕える事二十余年となる。信玄亡き今も、馬廻衆という栄誉を担い続けられた事を誇りに思っているが、父からは帰国の度に小言を言われていた。

「儂もいい歳じゃ。そろそろ小宮山家とこの城を引き継ぐ訳にはいかぬかのう」

 父も当初は息子の抜擢を喜んでいたが、それから数十年も経ち、自らも老年に差し掛かると、友晴を後継者として手元に置きたいという気持ちが日に増していたのであろう。主家との連絡役として碓氷を訪れる度父は隠居を仄めかした。しかし友晴は父に何度言われようと、これを固辞する。

「儂には城の主人は向いとらんわ。ご当主のお側で身を粉にして働く方が性に合っておるのよ」

 十以上年長の先輩ではあるが、元々側近衆として活躍していた山県昌景や春日虎綱などは、筆頭家老として数千の軍勢を任されるまでになっている。しかし友晴はあくまで信玄に近侍する事を望み、彼らの出世も然程機にする事は無かった。

(人にはそれぞれ適材適所がある。儂は使番として十分に満足しておるのだ)

 友晴は信玄子飼いの小姓として仕え、元服を迎えると使番に抜擢された。使番とは、合戦での伝令や戦況報告、敵勢への交渉役など多岐にわたる任務を任される要職であり、武勇に優れ、当主から高く信頼される者が任命される。特に武田家における使番は、通称百足むかで組とも呼ばれ、信玄お抱えの精鋭部隊として、近隣諸国にも名が聞こえていた。

 名誉職である百足組に任命された友晴は、一層の忠誠心を示し、信玄の目耳となって働き、数多の戦で活躍してきた。

「戦況報告は正確性が重用だわ。冷静に状況判断が出来、忖度なく情報を主人に伝えねばならぬ。友晴のような一徹な男が向いているのよ」

 信玄は、友晴の融通の効かない実直さを評価する。

 当時物見が敵兵に気を呑まれ、その数を見誤ることは多々あった。また主人の顔色を伺って報告内容を忖度する事は珍しい事ではない。物見の報告云々は、全体の士気にも関わるのである。しかし友晴はそんな事は気にしない。正確性こそが物見の役割であると自負していた。ある時、信玄から報告について叱責される事があった。

「敵は多勢で士気旺盛、我らを恐れておりませぬ。対して我が軍勢は、寄せ集めの烏合の衆でございます。旗も頼りなく左右に揺れ、士気が低いことは一目瞭然。このままでは分が悪く、戦となれば惨めに敗退することは必定かと」

 友晴は正確な戦況を報告した。しかし、不利な戦況が続き苛立っていた信玄は激昂する。

「お主は馬鹿正直に何でも報告するでない! これを聞いた兵たちが動揺するではないか!」

 しかし友晴は顔色を変え、食って掛かる。

「何と思いもよらぬ物言いで! 某の役目は敵状を探り報告する事ですぞ! 耳障りの良い虚報をお望みならば、今すぐ儂を解雇して佞臣をお雇い下され!」

 信玄は愚直な友晴の武勇と性格を愛し、その後も手元に置き続けた。

 しかし元亀四年(一五七三年)四月十二日に三河国徳川家侵攻中であった信玄が、突如陣中で病死してしまうと、友晴の去就も変わって来る。

 後継の勝頼と折り合いが悪く、彼の側近衆としばしば対立していると、遠方にいる父昌友の耳にも伝わる程である。焦った昌友から松井田に登城するようにと再三の書状が届くと、ようやく友晴は父の元へと向かうのであった。

 街を抜け城へと続く急な山道をゆっくりと登り大手門の前まで来ると、槍を持った屈強な侍がジロリとこちらを睨みつける。しかし友晴の顔を改めると慌てたように頭を下げ、門内の守兵に合図を送る。するとゆっくりと門が開け放たれた。友晴は守兵達に愛想良く労いの言葉を掛けながらにこやかに入城すると、父の待つ屋敷へと直接向かう。

 城とはいえ荘厳な天守などはなく砦に近い。住居となる屋敷も寝殿造りではあるものの、多少大きな百姓屋敷といった簡素なものである。

 屋敷に入ると、広間にあぐらを組んだ父がぼんやりと外を見つめていた。

「四郎様は、いよいよ三河を攻める様じゃな」

 友晴が向かいに鎮座すると、昌友は白く染まった顎髭を無造作に弄りながら、目線を外に向けたまま、ぼやく様に語り出した。開け放たれた襖からは、周囲を覆う山々を広く見渡す事が出来る。

「左様、四郎様は誠武略優れし大将でございます。皆の心配は杞憂であったかと」

 友晴は父の顔色を伺いながら丁寧に応える。今宵はゆっくりと世間話でもしようかと思い登城してみれば、父の機嫌は殊の外悪い様であった。

「そうか、信玄公の突然の死で国内は酷く動揺したが、四郎様がこのままご活躍申されれば、どの者も文句を言えまい」

 後継の勝頼は四男であり、元は信濃の名族諏訪家を継いでいた。信玄は嫡男の義信を政争により失脚させており、次男は盲目で三男は早逝、巡り巡って四男勝頼が後継となった。しかし勝頼の母は信濃国の諏訪氏の血縁であり、諏訪家は元敵国であった事から、家中での勝頼の心象は芳しいものでは無かったのである。

「左様、四郎様はご後継間も無く、東美濃の明智城他数多の堅城を悉く落とし、昨年は高天神城をも攻略致しました。この偉業を誰が否定できましょう」

 友晴は勝頼が後継者として名指しされる前から、彼の武勇を目の当たりにしており評価していた。後継後もこれは変わらず、周囲の評価を吹き飛ばす様に戦果を上げる彼を、信玄の時と変わりなく盛り立てて行こうと決めている。

 得意げに話すが、父の表情は浮かない。怪訝な思いが込み上げるが、気にせず続ける。

「武勇優れしだけではございませんぞ。四郎様は敵の降伏には寛大で、無駄な殺生は行いませぬ。美濃の遠山友信、高天神の小笠原氏助などは助命の上、配下に組み込まれ申しました。この処置には家中だけでなく、近隣国にも四郎様のご勇名が轟いてございますぞ」

「左様か……」

 饒舌に語っても反応の薄い父に対し多少表情が歪む。すると父は徐に目線をこちらに戻して言った。

「しかしその四郎様と折り合いが悪いと聞いておるが、いかがであろう」

 突然の言葉に驚いた。父がしつこく城に呼び出したのはこの事をいう為か。そう思うと、腹から怒りが込み上げてくる。

「何をおっしゃいます! 儂は配下の務めを果たしてございますぞ!」

「そこが問題じゃ。お主の頑固さが四郎様との確執に繋がっていると心配しておるのだ」

 すかさず言い返されると、友晴はグッと口を噤んだ。勝頼との確執は事実である。そして勝頼側近衆の憎らしい顔が頼みもしないのに、脳裏に浮かんでくる。

「四郎様のご武勇は聞き及んでおる。信玄公ご健在の時から、優れし器量は誰もが認めておった。しかし、武田家の後継となると話は違う。信玄公の御威光によって統率が取れていた家中をまとめる器量があるのか」

 父の物言いに思わずカッとなる。

「なんと不遜な事を! 主人がどんな人物であろうと、身を粉にして働くのが配下の務めではないのですか!」

 叫んだものの、父の言いたい事は理解していた。信玄の築いた武田家の支配体系は中央集権制では無く、中世的な封建制度が根強く残る合議制による治政であった。各国の独立勢力が協力関係を築きながら領内を統治するという、戦国期の典型的な支配体形を執りながら、信玄と言う強力なカリスマの下、扶桑最強と言われる武田軍が編成されていたのである。その為、勝頼に求心力が無いと見れば、忽ち身代わりする危険因子たちが大勢いると言いたいのである。

(主人が変わればたちまち変心するなど、恥知らずな武士が武田にいようか……!)

 しかし友晴は到底納得出来ない。清廉潔白な彼は、武士道に反する行為を恥じと考え、それに従えなければ死を選ぶべきと考える頑固者であった。信玄から受けた恩を返すことが何よりも大事であり、主家の事を第一に考えるのが全てであるという思いが強い為、不義理者の心情など考えも及ばない。

 ―譜代はお家を盛り立て、主家を繁栄させる事こそが務めでは無いのかー

 昌友は憤る友晴を見透かすように言葉を続けた。

「武士道は大事にせねばならぬが、お主には小宮山家を守る責務もある。世の流れを読み、賢く生きる事は決して悪いことでないぞ」

 昌友が言い終わる前に、友晴は再び声を張り上げた。

「何とも坊主の如き方便を使いますな! 儂は幼少から信玄公のお側でお仕えして参りました! 例え小宮山家が滅ぶとも、主家と運命を共にするに決まっておるでしょう!」

 友晴は一層意固地に言い張った。元々無骨な戦国武士を象徴するような融通の効かない頑固者であったが、歳を重ねる事にそれが強くなっている自覚もある。しかし、信玄に愛され重宝されたのは、この性格があってこそとの自負もある。己の信ずる道を進むことこそが、武士として譲れない美徳なのである。

 しかし一方で、戦国の世が必ずしもその様な綺麗事で成り立っていない事は分かっている。下剋上という言葉に代表されるように、戦国期における裏切りは、現代の感覚程の非難の対象とはならなかった。大国に挟まれる小国の国人大名たちは常に力のある支配者に従い、支配者の力が無くなれば忽ち変心する事で、家名を存続させてきた。裏切りや騙し討ちも、勝者に加われば計略や謀略となる時代である。現に三河と信濃の国境付近の地侍達は、徳川と武田の間を離合集散し続けており、昨今奥三河の土豪奥平家は、信玄の死を知ると、即座に徳川方へ走った。

(分かっておる! そんな事は分かっておるぞ!)

 友晴は左右に大きく頭を振り、頭の中でこれを否定する。

 普通であれば裏切る場面であっても、それを行わず武士道を貫き通す事が美徳であるという死生観は、戦国期には同時に育まれていた。自らが情けないと思う生き方を選ぶくらいなら死を選ぶという廉恥の精神が育まれ、人々は謀略裏切りの横行する世情の中、武士道を貫く事のできる者を羨望し、褒め称えた。友晴はこれこそが武士の真髄であると信じて疑わないのである。

 ―主人が間違った道を進めばこれを正すのが当たり前じゃ。諫止諫言こそが配下の務めではないのかー

 友晴は若い時代から主人信玄や、その弟逍遙軒信廉などに対しても、歯に衣着せぬ物言いで諫言する人物であった。

「身近に置くのは友晴の様な奴が良い」

 信玄は実直な友晴の性格を愛し重用していたが、周囲の反感を買うことも屡々である。

(また友晴が大言壮語を吹きおった)

 友晴は、信玄の死を機に自らの権勢を高めようと勝頼に擦り寄る輩を心底軽蔑し、敵意を感じる。主人に嫌われようと、正しい道へと導く事こそが臣下の務めであり、主人の機嫌を伺って同調ばかりの者が、媚びへつらう狐狸の様に映るのである。昨今勝頼側近として台頭している長坂釣閑斎の小憎らしい顔が脳裏に浮かんでくると、ぎりりと奥歯を鳴らした。

「お主のその考えがいかんのだ!」

 昌友が叫んだ。

 脳裏を駆け巡る雑念に腹を立てていたが、突如父に一喝されると、驚き咄嗟に背を反らせる。

「お主の考えは武士として誠立派なものじゃ。しかし、栄枯盛衰は世の理、小宮山家の繁栄を第一に望む事を何故考えぬ」

「し、しかし︙︙!」

 分からず屋の父に言い返そうと身を乗り出すが、間髪入れず昌友は続ける。

「四郎様の器を疑ってはおらぬわ! しかし、その周囲を囲う側近どもと家老衆との確執は儂の耳にまで届いておるぞ! 儂は小宮山家当主としてこれを見過ごすわけにはいかぬ!」

 友晴は口を噤んだ。心の底では日に日に悪化する勝頼との関係を憂慮している。しかし事あるごとに側近達の横槍が入り、つい口論となってしまうのである。

 昌友は多少落ち着いた口調となり続けた。

「勝頼様は、今では山県殿、馬場殿など宿老衆までをも遠ざけていると言うではないか。勝頼様の怒りを焚き付けておるのはお主であろうと容易に想像できる。もう少し融通を効かせ、側近等とも上手くやろうと努力せぬか……」

 友晴は、力いっぱい握りしめていた拳の力を緩めた。

 父の偏見には憤りを感じるが、もはやここで反論しても無駄であろうと、憎たらしい口上を黙って聞く事とした。甲斐にいなければ、長坂ら側近連中の狡猾さが分かる筈もない。信玄公顕在時には影の薄かった奴らは、ここぞとばかりに若い主人に取り入って、自らの権勢を高めようと躍起なのである。耳障りの良いことばかり並び立てて忠臣を気取っているのだ。

 眼の前で父は何事か説教を続けているが、もはや小宮山家は弟の昌親が継げば良いと思っている。権力にそれ程の興味はない。

 ―四郎を頼むぞー

 信玄が陣中で危篤となった時、枕元に呼ばれた友晴は一言こう言われた。忠誠心の塊の様な友晴を信頼し、勝頼が間違った道を進もうとすれば、躊躇せず正しい道へと導いてくれると思っての事であった。友晴は信玄死去時に殉死しようと思う程彼に心酔していたが、この言葉を重んじ、終生勝頼を補佐しようと誓ったのである。

 説法の様に長く感じる父の苦言を聞き流していると、そっと後ろの襖が開き、小姓がそそくさと両者の前で手を付き、書状を手渡す。

「陣触れでございます」

 手渡された触状を見終えた昌友は、険しい表情で友晴を見据える。

「遂に奥三河へ侵攻するようじゃ。呼び出したばかりで悪いが、数日の内には本国へ帰るが良かろう」

 友晴は何事か言いたげな表情を浮かべたが、言葉を飲み込むように顎を落とすと「畏まってございます」と小声で応えた。


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