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1 知らない間にゴールデンウィークだった

 一目惚れなんてものは、幻。

 十代の恋に恋する年頃の、ただの思い込み。


 十代に一目惚れをしない人は、一生一目惚れをしないのだと思う。


 幽霊を信じるか信じないかは、その人の幼少期の体験によるのだそうだ。小さい頃に心霊体験をした人は、世界はそういうものだと思い、そういう体験をしたことがない人は、世界にはそういうものはないと思うらしい。


 私はお化けを見たことはないし、一目惚れをしたこともない。

 だから、私はこれからの人生で一目惚れをする事はない。


 そう思ってきた。でも……


 ◆◇◆◇


 暖かな陽気のまったりとした土曜日の昼過ぎ。

 週末を満喫する人々をよそに、私はなるべく心を無にするように自分に言い聞かせていた。


 週末は平日に比べて空気が緩い。友達ときゃっきゃと笑いながら列に並んでいる女の子の二人組、むずる小さい子供を抱っこしたお母さん、私のように一人で並んでいる人。

 デパ地下の少しお高い輸入菓子店に来る客層は様々だ。


 重い買い物かごが腕に食い込む。

 レジ待ちの列はぴくりとも動かない。

 思わず口から出てきそうになるのは、ため息か、舌打ちか。


「ね、これも買って、パパ」

 列の後ろの方から子供の声がする。

「やだよ、こんなに小さいのに高いやつ。近所のスーパーで買えばいいじゃん」

「みさ! これパパが駄目だって!」

 子供が叫んだ。

「たつや! ちょっとこっち来てよ、面白いのある!」

 店の反対側から、負けじと大きな声が返ってきた。

 小学校低学年くらいの男の子は、店の反対側にいる『みさ』ちゃんの元へ走って行った。

 ……と思ったら、一緒に店内を走り回り始めた。


 平常心、平常心。

 私はぐっとため息を押し殺した。


 なんでこんなに混んでるの、今日?

 確かに週末とはいえ、この浮ついた雰囲気は何なのだ。


 私はレジの方に目を向けた。レジカウンターに置かれているのは卓上型のこいのぼり。

 こいのぼり?端午の節句?てことは五月?

 という事は……


 なんと、世間様はゴールデンウィークらしい。

 やばい、今年が始まったばかりだと思っていたのに、いつの間にか五月。

 時間がえぐいくらいに加速している気がする。


 ゴールデンウィーク。黄金の週。

 そんなもの我が社には存在しないから、すっかり頭から抜け落ちていた。

 どうりで『土曜日は出勤しない』という私の主張がすんなりと受け入れたわけだ。上司は今頃、家で家族サービス中だろう。


 レジでは、どう考えても十代にしか見えない男が店員と揉めていた。

「や、今日たまたま免許忘れただけで、俺成人してるっす」

「でも、未成年のお客様にはお酒を売ることはできませんので……」

「いいじゃん、そんな固いこといわないでさ」

「でも、困ります」

 レジの店員は高校生くらいの女の子なのだろう。歯切れ悪く、タジタジと答えている。それがまた『押せばいけるんじゃね?』と男を調子に乗らせているようで、男はカウンターに肘をついて両手で女の子を拝んでいる。


 そんな面倒くさい客、バッサリ切ればいいのに。他の店員は何をしてるんだ。


 私は他のレジに目を移した。三台あるレジのうち、二台の店員は中年女性だ。高校生のレジの方を心配そうにチラチラと見てはいるが、一人はラッピング中、もう一人はお年寄りのお客さんにサルサソースの使い方を説明しているらしい。


 これ、だいぶかかりそうだな。

 私はこめかみをマッサージした。


 私の怒りの導線はここに来る前に既に短くなっている。

 いつもは家と会社を往復するだけの日々。なので、週末のお昼時に電車に乗って出かけたのは久しぶりだった。

 そこそこ混んでいる電車の中で、何とか端の席をゲットできたと思ったら、隣に子供二人が座った。兄弟であろう小学校一年生くらいの女の子と、幼稚園児くらいの男の子。それはまあいい。こんなに混んだ電車の中、立っているのも大変だろう。私は気にせずに、カバンから文庫本を取り出した。電車でゆっくりと本を読むなんて久しぶりのことだ。


 しばらくすると、 その二人が大声で叫びながら叩き合いを始めたのだ。

 初めはちょっと小突く程度だったのだが、だんだんとエキサイトしてきたらしい。お姉ちゃんの方が体が大きいが、弟も容赦しないようで、バシバシと女の子の腕を叩いている。そのたびに女の子の体が揺れて、私に当たる。私は本を読むのを諦めた。


 子供たちのお父さんらしき人が二人の席の前に立っている。その男の人は、よほど疲れているのか、それとも何かを諦めたのか。ぼうっと窓の外を見るばかりで全く注意をしない。

 このご時世、人の子供を叱るというのは大変面倒くさいことである。そして、当の父親が注意をしないのに、他人である私が注意する義理も権利もないわけで。何度も子供に体当たりされながら、私は石となることにした。



 そして、今。

 諸々の用事を済ませて、さあワインを買って帰るぞとレジに並んでいるところである。

 プラスチックの買い物かごに入っているのは、ワインとチーズとフレッシュオリーブ。


 ああ、早く家に帰って飲みたい。昼間だけど、そんなこと、知ったことか。


 私は何気なく、前に立っている人を見た。背が高い男性だ。

 平凡でこれといった特徴がない、といったらさすがに辛口だろうか。

 白いTシャツにジーパン、足元はスニーカー。髪の毛は長すぎず短すぎず、特にかっこいいわけでもなく、かっこ悪いわけでもない。どこにでもいそうな男の人。

 チラリと見て頭をよぎったのは、タイプではないわ、ということ。

 失礼なのは重々承知だから、もちろん口に出して言うことはない。

 でも、人は初対面の人を見たときに、タイプか、タイプでないか、一瞬のうちに判断していると思う。

 男は女に出会った瞬間、『こいつとはヤレるかヤレないか』を判断していると言ったのは、どこの誰だったか。

 なんとも最低な言葉だとは思うけど、見た瞬間にその人を判断するというのは、動物としての本能なのではないかと思う。


 敵か、味方か。危険か、危険でないか。

 その判断が瞬時にできないようでは、野生では生きていけないだろう。


 さて、目の前のこの男性、同い年ぐらいか、それとも少し上か下か。二十代も後半になってくると、ふける人はふけ始めているし、いつまでも学生気分でチャラチャラした人もいるし、何とも判別がつかない。

 人間観察は一瞬で終わってしまった。私は興味をなくしてレジを見た。


 十代の男はまだ諦めていないらしい。

「ね、お願い! 今回だけ見逃して、ね?今日彼女の誕生日なんだよ。プレゼント買う金がねえの。だからせめてワインで乾杯したいの。お願い!」

「そんなことおっしゃられましても……」


 近所のコンビニで缶ビールでも買えばいいものの、何でこんなデパ地下でワインなんて買おうとしているんだこのガキは、と思ったけど、彼女の誕生日ねえ。プレゼントを買うお金がないなら、せめてワインでも、ねえ。いい心がけ……なわけがない。 さっさと諦めろ。


 涙目になっていたレジの女の子は、きっと顔を上げて男を見据えた。

「当店では、未成年のお客様にお酒を販売することはできません。お引き取りください」

 女の子は震える声で言い切った。その声は思いのほか店内に響き渡ったらしく、店内が一瞬静まった。バックミュージックには、軽やかなジャズが流れている。


「っんだよ。 こんな店、二度と来ねえし! このブス!」

 周りの視線に気がついた男は、分が悪くなったと思ったのだろう。カウンターに手を叩きつけて口汚く罵ると、ダブダブのスウェットのポケットに手を突っ込んでがに股で歩いていく。肩を怒らせて店の外に出て行くその瞬間、男は陳列棚を思いっきり蹴った。衝撃で棚に置いてある瓶類がガタガタと震えた。

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