9.馬場馬高校ベンチ
ロッカールームには選手たちの私物が色々とあったが、無人とは言え他人のバッグなどを勝手に漁るのは抵抗がある。可能な限り現状維持したまま探索しようということになった。
結果的にめぼしいものは発見できなかった。
「あとはこの通路ですかね・・・」
坂井が見ているのは連絡用通路に続くドアだ。がちゃり、とノブを回して開く。
見えるのはだだっ広い廊下だ。この先は球場内部から各種施設や出入り口に繋がっている。3塁側のロッカールームにもここを通って行くことができる。
「やっぱり人はいなさそうですね・・・先に進みます?」
「いや。この先はちょっと広すぎるし、途中で何かあったら時間がかかるかもしれない。高野さんを待たせるのも悪いし、後回しにした方がいいんじゃないか?」
俺は少し考えてそう言った。キャプテンも同意する。
「僕もその方がいいと思う。一旦引き返して、グラウンド経由で3塁側ベンチに向かおう」
「とほほ」
古い漫画やアニメでしか聞かないような台詞で坂井は残念がった。
グラウンドに出る。観客席を見渡してみるが、高野さんの姿は確認できなかった。まだどこか調べているのだろう。
次に、電光掲示板に目が行く。時刻は8時35分。スコアボードの方は、
「・・・2回の表が終わったか」
得点表に現れた数字は1。
先ほどのスコアブックに記入されたものと一致していた。現在1-1の同点ということになる。
「なあ、ちょっと思ったんだけどよ」
一番後ろを歩いていた大成がそう言って足を止める。全員が振り返って止まった。
「どうした大成?」
「あのスコアボードって、9回表まで行ったらどうなるんだ?」
沈黙。
少し、背筋が寒くなった。何かとんでもなくまずいことが起こりそうな気がしてくる。
「タイムリミット、とか?」
「何のだよ⁉︎」
昼飯ラーメンにする?くらいの何気なさで言う坂井に、大成が詰め寄る。
「知りませんよ!何となくそう思っただけですって!」
「いや、でもスコアボードが埋まるってことは最終的には試合が終わるってことだろ」
俺も考える。坂井は深い考えがあって言ったわけではなさそうだが、こういう直感は鋭い。
「終わるとどうなる?」
「さあな。普通に考えれば試合の決着がつく。それだけだが、俺たちの記憶が途切れたのは9回表のホームランの後。ひょっとしたらそのタイミングで何かあるのかも」
「・・・ただの憶測、で切り捨てられないのが辛いところだね」
キャプテンは苦笑した。
「仮にそうだとしたら、例えばそれまでに帰る方法を見つけないと、一生この空間に閉じ込められるとかってパターンも考えられる」
穏やかな表情を崩さないが、キャプテンの目は笑っていない。
「あり得ないっしょ、そんなん!」
「室越、自覚しよう。あり得ないことは既にいくつも起きてる。
それを踏まえた上でこの話って本当に100%否定できる?」
「・・・っ!」
大成はおそらく反論しようとした。だがこれまでの経験がそうさせなかった。
「今のはあくまでも最悪の場合ってだけで、確定じゃない。けど時間だけは都度確認しながら行動しようか」
「・・ちなみに9回表の時点で何時くらいかって分かります?」
俺は恐る恐る聞いてみた。記憶は取り戻したが、試合中に時間経過を意識していたわけではない。
その質問に答える者はいなかった。
当然か。試合中は試合のことで頭がいっぱいなのは誰だってそうだ。
「覚えてはないが、高校野球の1試合あたりの所要時間は平均で2時間程度だね。120分を9で割ったらイニング毎の時間は・・・」
キャプテンは暗算を始め、言葉が止まる。
俺も計算してみるが、こういうのは得意ではない。
「大体15分くらいじゃね?」
大成は鼻をほじりながら言う。こいつは赤点や補習の常習犯で学業の成績は終わっている。出した答えは計算ではなく経験によるものだろう。
「13.33ですね」
そう答えたのは坂井だった。思わず俺は驚く。
「何でお前わかんの?」
「あ、自分数学得意っす」
「嘘つけ!いつも一番頭悪いくせに!」
「ええ、ムロ先輩がそれ言うんすか⁉︎」
「なんだてめえ、シバくぞ!」
「待て待てまて、止まれお前ら!」
なんで毎度俺が仲裁役になるんだ。
そこへ平常運転のキャプテンが話を進める。
「ありがとう。数学は僕ちょっと苦手でね。確かに、イニングの平均時間は15分くらいだってどこかで見た覚えがある」
ブレないなこの人。
「試合開始は8時。10時が試合終了だとしたら、9時45分には9回表に突入してる可能性が高い。そこをタイムリミットだと想定して動こう」
「もしそれを過ぎたら・・・?」
気が進まないが、ここまで来たら訊かずにはいられない。俺は声を振り絞った。
「ゲームセット・・・ってことになるかな」
その言葉が、単に試合が終わるという意味だけではないのは皆察していた。
「・・・最悪の事態っていうなら、既にもう手遅れの可能性もあるんじゃないですか?」
坂井が律儀に手を挙げながら言う。
「勿論その可能性も否定はできないんだが、それだと僕たちがやること全部意味無くなっちゃうんだよね。一応僕は最後まで希望は捨てたくないかな」
「・・・ですね。思考停止だけはやめましょう」
俺は頷く。
パシン、と大成はグローブに向かってパンチを叩きつけた。
「いよいよ、のんびりしてられなくなって来たな。
行こうぜ!星辰との決着だけはつけないと気が済まねえ!」
「ああ」
3塁側、馬番場高校ベンチ。中の様子は星辰のベンチとさほど変わりはない。
試合中の状態そのままのように感じられる。俺たちは手分けして辺りを調べ始めた。
調べている途中、ベンチにヘルメットが置きっぱなしだったのでどかせようと手に取った。
「ったく、誰だよ。棚に置けよな・・・」
「あ、すいません。それ自分のです」
近くにいた坂井が謝る。
「お前かよ!」
「たまたまっすよ!8回の最後の打席自分だったし、ちょっと焦ってて」
「8回?・・・そう言えばそうだったな。つまりこの球場の中の状態は、俺たちが気を失う直前なのか?」
「ああ、なるほど。星辰のスコアブックも9回表まで記録されてたし、可能性高いんじゃないですか」
核心ではないが、また一つ情報が手に入ったな。それにしては時計やスコアボードが振り出しに戻っているのはどういうことなんだろうか・・・・
「先輩、それいいっすか?」
「ん?」
坂井は手を差し出していた。ヘルメットを寄越せということだろう。
俺が手渡すと、坂井は帽子を脱いでヘルメットを被った。
「・・・なんで?」
「念のためです。もしかしたら危険もあるかもしれないんで。護身用に」
なるほど。
俺はプロテクタを一式装備してるのでそういう意味では万全だが、キャプテンや大成にもヘルメットを被らせた方がいいのかもしれない。
そう思っていると、それを見ていた大成が少し離れたところから声をあげた。
「お、それナイスアイデアだ。キャプテーン!俺たちもヘルメット被っときましょうよ」
「そうだね。ならバットも持って行こうかな」
「おーキャプテン頭いい!」
坂井は指をパチンと鳴らすと、グローブを脱ぎ捨て自分のバットを漁り始めた。その辺にグローブをほったらかすところを見るとこれは常習犯だろうな。
ベンチの中にはコンビニの入り口にある傘立てのようにバット立て?(正式名称は知らない)があって、その中に選手たちはマイバットを収めている。
「えーっと、俺のバットは・・・あった!」
坂井はその中から一本のバットを徐に引き抜くと、往年のイチローのようなポーズで構える。ちなみに坂井は右打ちなので構えはイチローとは鏡写しだ。
「・・・あれ?」
急に、坂井の表情が曇る。バットを間違えたのか?
「どうした?」
「真魚先輩、あの・・・ちょっと変なこと聞くんですけど・・・」
「お前が変なのはいつも通りだ。いいから早く言え」
坂井のおふざけがまた始まったか、と俺は適当にあしらう。
「はい、えっと・・・あの・・・」
だが、続く言葉には少なからず衝撃を受けた。
「バットって、どうやって振るんでしたっけ?」