7.観客席
結論から言うと、グラウンドの中で特に何かを発見する事はなかった。満遍なく右翼側を見回って、それだけで時間いっぱいになる。
ちなみに、さっき脱ぎ散らかしたままのミットやフェイスガードは探索中に回収しておいた。ミットは手に嵌め、フェイスガードは顔を覆わずおでこに引っ掛けてある。
「そろそろ時間だ」
俺は大成に声をかける。
「結局何も見つからなかったな」
大成がため息をつくが、俺は首を振った。
「いや、一つ気づいた。合流してから話そう」
言っている間にマウンドに到着する。キャプテンと坂井もすぐにやって来た。
「キャプテン」
開口一番、大成はそう呼びかける。
「・・・冷静になりました。さっきのは俺が悪かったっす。すみませんでした!」
帽子を脱ぎ、綺麗に45度で頭を下げる。そのまま姿勢を保持。最大限の謝罪だ。
それに対してキャプテンは、
「あ、いいよ気にしてないから。どうだった?」
ノリが軽い。
温度差のギャップで見てる方が風邪を引きそうだ。この人のことだから本当に何とも思ってないのかも知れないが、もうちょっと大成の気持ちに対してそれなりの態度で返してもいいのではないだろうか。
大成も、こんなにあっさり許されるとは思ってなかったのだろう。ちょっと面食らったような表情で体を起こし、それでも聞かれた事に答える。
「え、あ、はい。こっちは特に何もなかったっす。ただ真魚が・・・」
キャプテンからお許しを貰えて、大成の表情には心なしか安堵が感じられる。
話を振られて俺は報告を引き継いだ。
「あれ見てください」
俺は電光掲示板の方を指差す。だが今見ているのは時計ではない。スコアボードだ。
星辰学園と、馬番場高校。それぞれ学校名が表示されている。先攻は星辰だ。1回表に0と表示されている。それ以外の部分は空欄だ。
「あの0、さっきまで無かったんですよ。たまたま俺が見てる時に表示されました」
「具体的にはいつ頃?」
「まだ1分も経ってないですね」
「馬番場が星辰を抑えたってことか」
キャプテンはスコアボードを見つめたままだ。
「実際、試合ってそうでしたっけ?なーんも思い出せねえ」
大成は頭を掻く。誰もそれに答える者はいなかった。
「・・・何で今出たんですかね?まるで試合が現在進行形で行われてるかのような」
坂井が首を傾げる。
「お前の『時間巻き戻ってる説』、マジであるんじゃねえか?」
「えー、エグいっすねそれ。タイムトラベラー俺達じゃないっすか」
大成の言葉に、いささか普段のひょうきんさを取り戻した口調で坂井は返す。
「うんまあ、タイムトラベルどころではないんだけどなこの状況は」
俺は改めて周りを見渡す。
無人の球場。紫色の異様な空。
「どっちかっつーと異世界」
「あー、異世界球児かあ。そっちかー」
「待てまてどうした。急にコミカルになるな」
「いや、なんかずっとシリアスが続いてたんで。要るかなと思って」
「だっはっは!」
大成が爆笑した。
「いいんじゃね?気ぃ張りっぱなしだと持たないからな」
「早えよ!言うてまだ20分しか経ってねえよ!」
何故か急に、ボケ二人に対して俺がツッコミ担当みたいになってしまった。いや、キャプテンは常識人枠だからこっち側のはずだ。そうですよね、キャプテン。
「うーん、一理ある」
キャプテンは静かにそう言った。マジか、キャプテンもそっちなのか。
「でも話進まないからちょっと待って。そっちの報告は以上かな?」
あ、大丈夫。常識人枠だった。
「はい」
「了解。僕たちの方もグラウンドには何も見当たらなかったんだが、向こうのフェンス越し」
3塁側の観客席をキャプテンは指し示す。
「ちょっとここからだと分かり辛いかも知れないけど、人が倒れてる」
「ええ⁉︎」「はあ⁉︎」
俺と大成は同時に大きな声を出して驚いた。
「何で先に言わないんすか⁉︎それもうスコアボードとかどうでもいいっすよ!」
いや、本当その通りだ。
「慌てなくていいよ。多分気を失ってるだけだと思う。その場で起こすよりは全員で行った方がいいと思ってね。じゃあ行こうか」
「・・・・」
落ち着き過ぎというか、ここまでくるともうサイコパスなんじゃないかと思う。しかし話はそれどころではないので、全員で急ぎ観客席の前まで走った。
「本当だ、人がいる」
俺は思わず呟いた。
見たところ成人男性のようだ。長袖のカッターシャツの袖を七分に折り曲げ、下はスラックス、革靴という服装である。一般的にイメージする会社員のスーツ姿から、ジャケットを脱いだような感じだ。ネクタイはしていない。クールビズである。
観客席のベンチとベンチの間の階段通路に体を横たえている。顔は、腕に隠れてよく見えない。
フェンスを挟んで距離は5〜6メートル程度。これ以上近づく事はできないが、声をかければ十分届く距離だ。
「よし祐也。起こせ」
大成は坂井にそう告げる。うちの部は上下関係は比較的緩いが、こういう仕事を後輩に振るのは当たり前だ。キャプテンはあまりやらなそうだが。
「すいませーん、すいませーん!」
坂井が声を張り上げるが、反応はない。その様子を見て仕方なく俺と大成も加勢する。
「おーい、大丈夫ですかー?すいませーん!」
「生きてますかー!」
「兄さーん、起きろ兄さーん!」
声量は十分のはずだが、やはり男は目を覚さない。
「おおおーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」
突然隣でキャプテンが叫び、俺は体を強張らせた。
喋ってる声は小さいのに、叫ぶと誰よりもデカい。2000dBくらいある。
「あ、起きた!」
男の体が動いたのを見て坂井が言う。
ゆっくりと体を起こし、男は周囲を見回す。目が合った。
年齢は20代後半だろうか。整った顔立ちに大きめのメガネをかけている。知的な印象だ。
「君たち・・・馬番場高校の選手か?」
「え、知ってるんですか俺たちの事⁉︎」
俺は驚く。
「いや、ユニホームに書いてあるから」
なんだ、そういうことか。
「・・・これはどうなってるんだ?君たちだけか?」
「わかりません。僕たちもさっき気がついたばっかりで、今調べてるところです」
キャプテンが答える。
「そうか」
「あの、あなたはそこで何をしてたんですか?観戦ですか?」
「観戦?・・・いや、わからないな。何故私はここにいるんだったか・・・」
「ひょっとして、兄さんも記憶ないんすか?俺らもそうなんすよ!」
大成は見知らぬ年上の男性を、中年でも老人でも「兄さん」と呼ぶ。
こいつのキャラだと「おっさん」とか「ジジイ」とか言っても不思議ではないが、そこは大成なりの礼儀のラインがあるのだろう。
「まさか。全員揃ってかい?」
「本当です。リアルに、どうしてこうなったか覚えてないんです。何か知ってる事ありませんか?」
坂井に促されて、男は考え込む。
「いや・・・何も思い出せない。自分が何をしに、どうやってここに来たのか。職業も、年齢も、住所も・・・!」
「え?それって」
まるでコントのような間が発生する。
「ガチ記憶喪失じゃないっすか!!」
坂井はやはりコントのように大袈裟にのけぞった。
男の顔は青ざめている。笑い事ではない。笑い事ではないのだが、何故かそういう雰囲気を感じてしまうのは恐らく坂井が持つコミカルさのせいだろう。天性のコメディアンなのだ。
「何だ?君たちは違うのか?」
「いや、自分らは試合中くらいからです!年齢職業覚えてないはエグいっす!」
「いや待て・・・名前!名前は思い出せる。私の名前は高野だ。高野 蓮」
男は・・・高野さんはそこで立ち上がってフェンス際まで歩いて来た。その様子を見るに、怪我などはないようだ。
「タカノさん、ですね。ポケットに財布とか免許証とかは入ってませんか?」
相変わらずキャプテンは冷静だ。ズボンや胸のポケットを一通り確認して高野さんは首を振る。
「生憎、何も持ってないな。鞄も上着もないようだし・・・」
一応高野の周囲も見渡してみるが、何もなさそうだ。
「僕たちも自己紹介しておこうか。僕は馬番場高校のキャプテンしてます、3年の藤沢 和馬と言います」
「馬番場高校2年、楠 真魚です」
「同じく、室越 大成です」
「1年、フレディ・マーキュリーです」
べしっ。
俺は無言で坂井の頭をどつく。
「あっ、すいません嘘です!坂井 祐也です」
「今じゃない。どう考えても今じゃないだろ!」
「ごめんなさい、つい!」
そのやりとりを見ていた高野さんが険しかった表情を和らげ、ふっと笑顔を見せた。
あれ?
もしかしてこいつ今、この為にボケたのか?わざわざ先輩に怒られてまで。
「・・・よろしく。とりあえず君たちがわかってる範囲でいいから、状況を教えてくれないか?」
「はい。
今は甲子園準々決勝で、気がついたら全員グラウンドに倒れてました。
試合はしてたんですけど、試合中の記憶は僕ら全員曖昧で、はっきり覚えてないですね。しかも目を覚ましてあそこの時計を見たら試合開始前・・・8時前でした。
時計が狂ってるのかもしれませんけど、この辺はまだちょっとよくわからないです」
キャプテンがざっと説明する。
所持品はないと言っていたが、見ると高野さんは腕時計を身につけていた。話を聞いて時刻を確認する。
俺は腕時計のメーカーとかは興味がないのでよく知らないが、高級でもチープでもなさそうな普通の時計だ。G-Shockでないことだけはわかる。
「なるほど、ありがとう。今8時25分か・・・私の時計も一致してるな。時間は合ってると思う」
地味だが一つ情報が増えた。これは良い収穫だ。
「・・・辺りを調べてるんだったな。手伝おう」
「いいんですか?」
「勿論。
私は一度観客席をぐるっと回ってみる。ざっと20分ってとこかな。終わったらまたここで集まろう」
「わかりました。じゃあ目安は8時45分頃にしましょう」
俺たちは再度、電光掲示板を確認する。
「・・・得点表、進んでますね」
1回裏。馬場馬高校の攻撃には1点が書き加えられていた。
本来なら喜ばしいことだろうが、俺たちは今プレイしているわけでもなければ実際の試合がどうだったかの記憶もない。勝手に更新されても、ただただ不気味なだけだ。
「さっき言い忘れてたんですが、スコアボードが時間経過で更新されてるみたいなんですよ」
キャプテンが高野さんに補足する。
「あれについて心当たりは?」
「ないです」
「そうか。ならとりあえず、今は調査を優先しよう」
「はい、気をつけて」
俺たちはそこで高野さんと別れた。
「・・・さあ、僕たちも先に進もうか」
「押忍!」
キャプテンの呼びかけに、大成が気合の入った返事をする。俺もそれにつられて「オス!」と返事をする。
坂井も先ほどまでの冗談を飛ばしていたちょっとトボけた表情を引っ込め、キリッと真面目な顔つきになった。
「おすし!」
べしっ。
俺は再び、無言で坂井の頭をどついた。