2.激励
どう座ろうか、と一瞬考える。
女子である高杉を俺と大成にサンドイッチする形になるのは絵面的になんか悪い気がするし、端に座らせてあげた方がいいのか?
そんなことを気にしている俺を追い越して、高杉はさっさと真ん中に座った。大成はその右隣側にどかっと座る。
「真魚くん、はいこっち」
「あ、うん」
俺は余った高杉の左隣にいそいそと座る。急に立ち止まってまるで変な人みたいになってしまった。
三人座ったところで、高杉は俺と大成を交互に見て切り出した。
「で?男同士で何の話だって?」
「別に。もう話す気失せたよ」
「いや、ただ試合頑張ろうぜって言ってただけだよ」
大成が謎に不貞腐れているので俺が説明する。
「違うっ!優勝するって言ってんだよ!頑張るレベルの話と一緒にすんな!」
「ああ、真魚くん今日が甲子園デビュー戦だもんね。どう?ちょっと緊張してる?」
大成をスルーして、高杉は俺に話しかけた。
「まあ、多少は・・・」
「あっはっは、真魚くんクールそうに見えて意外とそういうのあるんだ」
「おい、茶化すなよ。誰だって緊張くらいするだろ」
大成が嗜めるようにそう言った。
「へー、じゃあ大成もしてるの?」
「悪いか?」
「いや、あんたが一番そういうのと無縁そうだから」
正直それは俺も思った。思い返せば今までずっと大成とそういう話をした覚えがないが、それは恐らくこいつから緊張を感じる事など殆ど無かったからだ。今だって別に緊張してるようには見えないが、もしかしたらそういう風に取り繕っているだけなんだろうか。
こいつにも緊張するとかってあるんだな、と長い付き合いで今更ながらちょっと驚く。
「お前な・・・人の事を何だと思ってるんだ」
「あっはっは、いいじゃんいいじゃん。適度な緊張はより高いパフォーマンスに繋がるって言うし。この期に及んで何も感じないような無責任な奴より全然いいよ!」
高杉はそう言いながら両手で俺たちの背中をバシバシと叩いた。それからポケットに手を突っ込み、何やら取り出して見せる。
「あ、アメちゃん食べる?」
どうでもいいが、この時初めてスカートにもポケットがあるのだということを俺は知った。何故か見てはいけないものを見てしまったような気恥ずかしさを感じる。
「要らんわ、ガキじゃねえんだよ」
「まーたそんなことを言う。緊張してる人がいたら飴玉をあげなさいって諺があるでしょ。はい、真魚くん」
「あ、いただきます」
多分そんな諺は存在しないが、俺は素直に受け取った。
「ほら、大成もこれくらい素直になればいいのに」
そう言って大成の方を向いた時、彼女の体がこちらに傾き、肩が俺の腕に触れた。柔らかな感触と微かな体温が衣服越しに感じられた。
高杉は全く気にも留めていないだろうが、俺は勝手にどぎまぎする。
「大きなお世話だ。でもまあ、ありがとな。励ましに来てくれたんだろ?」
「あ、そこはちゃんとわかるんだ?」
「そりゃな・・・っと」
そこで大成は立ち上がった。
「俺はいいから、その分真魚に気合入れてやれよ」
「大成、どっか行くのか?」
俺は声をかける。
「おう。始まる前にちょっくらうんこ出して来るわ」
間髪入れず高杉が座ったまま大成を蹴る。
「言うな!さっさと行け!」
「だっはっはっは!」
今回は蹴られたのにキレ返すこともなく高笑いしながら去っていった。予想していた反応だったんだろうか。
高杉は部内でも特に大成とフランクに話す。クラスが同じということもあるのかもしれないが、何となく感じる雰囲気としては多分、大成のことが好きなんじゃないかなと思う。
「まったく・・・いつまで経ってもデリカシーって言葉を覚えないよねアイツは」
「うーん。もしかしたら場を和まそうとしたんじゃないかな。知らんけど」
一応フォローを入れておいた。
「真魚くん優しいねえ。あ、でも確かにさっきよりリラックスした顔してる?」
「そうかな?・・・いや、飴玉のお陰かな」
まだ食べてないけど。
「おっ、アタシか!良かったよかった」
にしし、と高杉は笑う。
「いや、正直アタシも結構緊張しててさ。何かしてないと落ち着かないからみんなに声かけて回ってんの」
「やば。気遣いの申し子じゃん」
「その言い方可愛くないからやめてくれる?」
「・・・権化?」
高杉は無言で顔を顰めて拒否の意を示した。とはいえ「天使」みたいな露骨な褒め言葉は、たとえ冗談でもちょっと俺の口からは無理だ。レベルが高すぎる。
「あ、飴いる?」
「いやそれアタシがあげたやつじゃん。ウケる」
ちょっとウケた。
「その・・・なんて言うかさ、キャッチャーって守備の要だし責任重大だけど、真魚くんなら大丈夫だよ。あれだけ頑張って来たんだもん」
「頑張るのはみんなそうさ。高杉もだろ?
練習前にドリンクを用意したり部室の掃除や備品の管理、選手の体調管理、試合の記録係とか・・・」
マネージャーの仕事は多い。今もこうやって選手たちを激励して回っているのを見ると、俺だったらとても真似できないなと思う。
いくら野球が好きでも、どんなに一生懸命仕事をしても、基本的に誰からも評価されることはなく、グラウンドに立つこともない。それなのに何故そんなに頑張れるんだろう。俺にはその気持ちが正直理解できない。だからこそ尊敬もしている。
「ん、そうだね・・・やっぱすごいよ真魚くんは。自分のことでいっぱいになってもおかしくない時でも、そうやって周りの事を考えられる」
「持ち上げ過ぎじゃない?確かに、そういうの考えなさそうな奴もいるけど」
「大成とか」
「あー、間違いない」
二人で一緒になって笑った。ちなみにこういう時の高杉の笑い方はガハハ、である。
これだけ聞くとまるでガサツなおっさんみたいな印象を抱かれるかもしれないが、全くそんなことはない。一応彼女の名誉のために言っておく。
あっけらかんとした気持ちの良さを感じるし、くしゃくしゃになった顔や大きく体を揺らす仕草を俺は可愛らしいと思う。
「でもそういうトコロ。大成はチームを引っ張ってるけど、周りが見えなくて突っ走っちゃう事もある。真魚くんはそれを支えてフォローできる。良いコンビだと思うよ」
「付き合いが長いだけだよ・・・野球を始めたのは俺の方が先なのに、気がついたら随分差をつけられた。肩を並べるには俺はまだまだ力不足だ」
「そんな事ないって、自信持ちなよ!アタシ的にはマジでベストカップルだから」
「うんごめん、その言い方やめてくれる?」
高杉はガハハ、と笑った。なるほどこれが意趣返しか。
「けどまあ、自信が無いわけじゃない。勝つとか優勝とか気安く口にはできないけど、やりようはある。俺は俺で上手いことやって、あわよくば膝カックンの一つでも決めてやる」
「ふうん、カッコいいじゃん」
高杉は背中を丸め軽く頬杖を突きながら微笑んで、俺を見つめる。
不覚にもドキッとした。
客観的に見て別にかっこいい台詞ではなかったし、後半は半分笑いを取りに行った。当然これはリップサービスだ。それはわかっている。わかっているが破壊力があるぞ。
もしかして本当に今の俺ちょっとカッコよかった?
急に背筋を正したり髪を掻き上げたりしたくなる衝動を俺はぐっ、と抑え込んだ。調子に乗るのは黒歴史の元だ。
「この調子なら大丈夫そうだね。アタシそろそろ他のみんなにも声かけて来るから」
高杉は立ち上がる。
「ああ、いってらっしゃい」
「じゃあ最後に気合の入る一言を。負ける気が〜〜〜」
彼女はゆっくりと右手で拳を握り、肩のあたりに引き寄せた。
「しない‼︎」
俺の目の前に勢いよく突き出す。
「しない!」
俺はその拳に自分の拳をコツンとぶつけて応えた。
勘違いしてはいけない。彼女は基本誰に対しても分け隔てなく、明るくて優しい。
小学校6年生の頃、同じように明るく優しかった隣の席の朋美ちゃんが、うっかり俺のことが好きだと勘違いして告白してしまった事がある。しかし彼女の答えは「私勇一郎くんのことが好きなの」というものであった。その後のことはあまり覚えていないが、家に帰って文字通り枕を濡らしながら眠ったことだけはしっかりと覚えている。おのれ勇一郎め。
あの小6の頃の初恋の経験がなければ危なかった。ましてや、高杉の好きな相手は大成だ。直接確認したことはないが、普段の態度を見ていると状況証拠が揃い過ぎている。そんな中に割って入っていくのは御免だ。
そうだ、今は野球に・・・試合に集中しなければ。
高杉の後ろ姿を見送りながら決意を改め、俺は彼女にもらった飴玉の封を開け口の中に放り込む。
貰った飴玉はレモンの味がした。