1.意気込み
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ない・・・とは言い切れません。
「キャッチャー、楠 真魚!」
「はい!」
監督から名前を呼ばれて、俺は大きく返事をした。
次々と他のポジションのオーダーが読み上げられていく中、一人静かに高揚感を漲らせ、知らず知らず握った拳に力が入っていた。
「・・・以上。
しばらく休憩だ。コンディションをベストに保てるよう体を休めておけ。トイレには行っていいが特に必要ない限りは無闇に出歩かないように。水分補給も各自怠るなよ。集合は試合開始15分前だ。では、解散!」
ミーティングが終わると、監督はロッカールームから何処かへ出て行った。それまで綺麗に整列していた選手たちは散り散りになり、それぞれの時間を過ごす。談笑する者、イヤホンで音楽を聴く者、ストレッチをする者、スマホをいじる者・・・。
俺は緊張をほぐそうとスポーツドリンクの入った水缶の元へ行き、紙コップに中身を注いだ。
「真魚っ!」
一口飲んだところで背中を強く叩かれ、盛大にむせる。
「んぶっ!・・・ごほっ、ごほっ!・・・何すんだよ大成⁉︎」
「おっ、悪い悪い。大丈夫か?」
大して悪びれている素振りもなく、室越 大成はそう言って笑った。
「ふざけんな、鼻に逆流したわ」
そう睨みつけるが、構わず大成は俺の肩にがしっと手を回して来た。
「遂にここまで来たな。俺たち」
肩を組む事で視界から外れた大成がどんな表情をしているのかを確認することはしなかったが、その声には感慨深さが籠っていると感じた。
「・・・ああ」
二人で甲子園の舞台に立つ。
いつの頃からか、それが俺たちの夢になった。
大成は俺と同級生で、小学校の頃からずっと一緒に野球をして来た。俺が捕手で、大成が投手。
高校に入って、先に戦力として活躍しだしたのは大成だ。唯一の左投げの投手として1年の頃から試合に出場していたし、2年になってからはすっかりチームのエースとして確固たる地位を築き上げた。
一方の俺はと言えば、2年になり多少試合に出させてもらえるようになったが、3年の先輩が正捕手として絶対的な立場で、経験値稼ぎのため補助的に起用される程度だ。まあ、いわゆる補欠である。
これまでの公式大会出場回数は、県大会までで3試合。甲子園では今日が初出場だ。
先輩は前回の試合までで疲労が溜まり、右足に肉離れを起こした。幸い大したことはないようだが、大事をとって今日はベンチで温存される。経緯はどうあれ、漸く巡って来たチャンスであることは間違いない。
俺たちの所属するX県立馬番場高校は、強豪や名門とはかけ離れたどこにでもあるような普通の県立高校だ。成績は毎年県大会の準決勝に残るかどうか、くらいだと言えば伝わるだろうか。
だが今年は違った。
運の良さも重なったのかもしれないが、今までにない快進撃を続け勝ち進み、あれよあれよという間に夏の甲子園初出場を果たしたのである。しかも今日は準々決勝。これに勝てばベスト8だ。
全国3500校とも言われる高校野球の頂点、甲子園大会において初出場でありながら準々決勝まで勝ち残ることがどれだけ凄いことなのか想像してみて欲しい。実際、メディアの取材や新聞やwebに掲載された記事、会場での声援を目の当たりにすると、注目度の高さは実感していた。俺たちは今大会随一のダークホースなのだ。
しかし、甲子園において対戦する相手はいずれも自分達が足元にも及ばないような格上ばかり。事実、これまでもそうだった。本当に、ここまで勝ち残ってきたのは奇跡に近い。
そして今日の相手は、優勝経験11回。数多のプロ野球選手を輩出して来た超名門、星辰学園だ。後にも先にも、これ以上の強敵と相見えることはないだろう。
その大一番の試合に、俺は出場する。
「よりによって今日とは・・・」
プレッシャーから、ついそんな言葉が出る。
「何言ってんだ、いい舞台が整ったじゃねえか」
「ああ・・・そうだな」
こいつの前向きさには救われる。思ったことを堂々と言って、実際にやってのける。こいつが引っ張ってくれたお陰でチームも、俺自身もここまで来れた。
「待たせたな」
「おう、待ちくたびれたぜ」
「けど、これで約束は果たせた」
「ん?ああ、一個目な」
「一個目?」
何の話だろう、ときょとんとしていると、大成は組んでいた肩をがばっと引き離して俺の正面に立つ。
「馬鹿野郎!試合に出られて『楽しかったねー』なんつって帰るつもりか⁉︎甲子園まで来たなら、狙うは当然優勝だろ!」
「待て、そんな約束してないだろ!」
「いいや、当然セットだね!ナゲットを頼んでバーベキューソースもマスタードも提供しない店があるか?お前がそんな店に行ったらどう思う?」
「それはまあ・・・ってか優勝をバーベキューソースくらいの軽々しさで例えるな!」
「うるせえ!細かいこと気にしてんじゃねえ!やるからには勝ちに行く。俺はずっとそうだったし、お前もそういう奴だと思ってた。違うか⁉︎どうなんだオイ⁉︎」
このやろう。
そんな言い方されたら「違います」なんて言えるわけがないだろ。お前優勝っていう言葉の重み分かってんのか。
などと言い淀んでいると、大成の背後からぬっと人影が現れた。
パコン、と軽快な音を立て応援用のプラスチック製メガホンで大成の頭をどつく。
「うるさい!」
両手を腰に当て、仁王立ちしているのは高杉 ほのか。我が野球部のマネージャーだ。
俺たちと同じ2年生で、入部した時からの付き合いだ。浅く焼けた肌と艶のある黒髪。キリッとした眉や目、通った鼻筋。日本人離れしたラテン系のエキゾチックさを感じさせる顔立ちだ。健康的で快活な印象を抱かせると同時に、ぱっと見は気が強くて怖そうにも見えるかもしれない。
しかし実際の彼女は喜怒哀楽の表情が豊かで、特に笑った時などは顔をくしゃくしゃにして口を大きく開けてガハハと笑う。大変キュートである。
「周りに人いるんだから、端に移動するとかボリューム落とすとかしなさいよ」
「てめえほのか!エース様にもしものことがあったらどうするつもりだこのバカ女!」
「あるわけないでしょ。メガホンで軽くはたいたくらいで。ハイ、いいから移動移動。行くよ」
どうやら高杉もこのまま会話に合流するつもりらしい。
「今男同士の話をしてんだよ。邪魔すんな!」
「いや、高杉の言うことが正しい。むしろ俺たちが邪魔だわ。一回あっち座ろうか」
俺はそう言ってロッカールームの一角を指差した。ちょうど三人腰掛けのベンチが空いている。
三人は列になって移動し始めた。