離縁
長岡更紗さまの「ドアマット大好き企画」参加作品です。
「パトリシア、お前を離縁する」
私の夫でありチャリオン朝ベルトラム王国初代国王でもあるカイン=チャリオン様が、陰鬱な表情でそう告げた。
「理由は何でしょうか?」
「結婚して十一年、いまだに子供ができないからだ」
いやいやいや、確かに十一年経つけれど! 私たちが結婚したのは八歳の時よ! 本当の夫婦になってから、まだ三年とちょっとしか経ってないでしょうに。
ちらりと彼の背後を見やると、私の姉・シフォン=プラム=チャリオンが悲しげな、そして申し訳なさげな表情で立っている。そのお腹はかなり目立つようになっていた。
しかし、そのお腹の子はカイン様の子ではない。シフォン姉様の夫でカイン様の兄・リューエル殿の子だ。
「まさか、私を離縁してお姉様を代わりの王妃に立てるというのではないでしょうね?」
普通に考えたら、すでに夫も子もある女性をこちらも離縁させて新たな王妃に立てる、などという話はあり得ないだろう。
しかし、常識ではあり得ないようなことを平然とやってのける人物の存在を、私は知っている。
「それは義父の意向、ですか?」
カイン様は黙って頷いた。やっぱりか。
ここで言う「義父」とは、カイン様のお父上のことではない。私の母の再婚相手、シュラウド=チャリオン。カイン様たち兄弟の父上の従弟にあたる人物で、チャリオン一族の重鎮。現在の地位は王国宰相だ。そして――私たちの父を死に追いやり、母を奪った男。
元々、私・パトリシア=プラム=チャリオンとシフォン姉様は、プラム朝ベルトラム王国の王女として生まれた。父はサミュエル=プラム。プラム朝第八代国王だ。
しかし、当時ベルトラム王国は危機に瀕していた。先代国王である私たちのお祖父様・ロンカン=プラムの放蕩と暴政のツケで、国庫は傾き、貧富の差が広がり、各地で反乱が続発していたのだ。
国王となったお父様も、決して手をこまねいていたわけではない――と言っても、当時の私はまだ幼く、後に当時のことを調べてみて知ったことだが――。お父様は貧民救済に力を注ぎ、多くの救護院や孤児院が建てられた。
しかし、はっきり言ってしまえば、それは対症療法に過ぎず、抜本的な解決策にはなり得なかった。
そして、王国の実権は次第に、外戚――私たちのお母様の兄であるトゥーケン=チャリオンと、その従弟であるシュラウド=チャリオンの手に移っていった。
彼らは、相当に強引な手法で政治改革を断行した。時には流血すら辞さないそのやり口は、しかし、滅亡寸前のベルトラムを確実に立て直していった。
娘としては残念だが、彼らとお父様の政治家としての器量の差は、認めざるを得ない。
トゥーケン伯父様は聖暦一二二四年に亡くなったが、その年、シュラウドはお父様を強引に退位させ、当時七歳だった私を女王に立てた。そして、トゥーケン伯父様の息子兄弟の弟の方――私と同い年で母方の従兄弟に当たるカイン=チャリオンを、遊び友達として私の側に置いた。
純粋に彼のことを遊び友達としてしか見ていなかった私は、ある日、何の気なしに彼にザクロの実をあげた。
ザクロの実を好きな相手にあげるのは求婚の意思表示――そんな習慣があることなど、当時の私は知りもしなかったのだが、シュラウドの強引な裁定により、翌一二二五年には、私たちはわずか八歳で結婚させられた。
そして、その年のうちに、私は何が何だかわからないまま、「夫」であるカイン様に王位と、そして国を譲らされた。チャリオン朝ベルトラム王国の成立である。
亡国の女王たる私は、そのまま新王朝の初代王妃となった。
シュラウドはそれと同時に、お父様に兵を差し向け、自害に追い込んで、さらにはプラム一族の主だった者たちも、反乱の嫌疑をかけて投獄、処刑した。
その上、未亡人となった私たちのお母様――彼にとっては従妹に当たる女性を、我が物としてしまった。
また、同時期に、私の姉シフォンと、カイン様の兄リューエル殿も、シュラウドの意向により結婚させられた。私たち夫婦と違って、こちらは子宝に恵まれている。
今回、義父が私たち夫婦を引き裂いた上で姉夫婦も引き裂いて王妃を挿げ替えようとした真の目的は、姉の夫リューエル殿だろう。
私たちより七歳年上のリューエル殿は、中々に気骨のある人物だ。
カイン様も決して無能なわけではないが、国王に擁立してくれたシュラウドに逆らう意志を全く持たない、完全な操り人形。
しかし、リューエル殿は違う。シュラウドの専横をしばしば諫めてきた。
だが、そんな彼も、私のお父様の側室だった女性に手を付けたという疑惑をでっち上げられ――彼がそんな人間ではないことは、お姉様も私も、十分承知している――、謹慎処分となっている。
今回の茶番劇は、リューエル殿をさらに追い詰め、挑発するための策略――それが私の推測だ。
そこまでわかっていても、義父の意向に逆らうことなど、私にもお姉様にもできはしなかった。
「……承知いたしました。これまで大変お世話になりました」
そう言ってぺこりと頭を下げ、やや意外そうな表情を浮かべるカイン様と、ますます辛そうなお姉様に背を向けて、私はその場を離れた。
実の父の仇であるシュラウドの忠実な操り人形であるカイン様に対し、愛情を持てなかったのは仕方のないことだろう。そんな心の通わぬ関係ゆえ、私たち夫婦は子宝に恵まれなかった――。そこまで考えて、私は首を振る。心の通い合わない男女の間には子供ができないというのなら、男性に無理強いされて望まぬ妊娠に苦しめられる女性は存在しない道理だ。
まあ正直なところ、カイン様の子を産むことができていて、それで離縁されずに済んでいたら幸せだったかというと、全くそんな気はしない。
いっそせいせいした心持ちで、三日後に私は王宮を出て、アミッタ女神の神殿に隠棲することとなった。