とある男爵の苦悩。或いは廃籍された王子の末路。
王国の端に領地を持つ彼、男爵はキリキリと痛み続ける胃の腑に顔を歪ませていた。
その原因は執務机の上に広げられた手紙と、これから記さねばならないとある罪人の刑罰執行申請書類。
本来ならば、大抵の罪人の刑罰執行をするのに王国中央へ申請する必要などは無い。領内の犯罪に関しては、余程の大事でない限りは領主の権限で処理されるものだ。
今回の罪人の罪状は殺人。酒場兼食堂を営んでいた一家5人と、客として来ていた商人4人の殺害である。
9人もの人間を殺害したのだ。大罪である。だが平民の引き起こした事件だ。わざわざ王都へ、御前裁判とするような事件でもない。そう、本来ならそのような事件ではないのだ。
しかし――
広げられた手紙を見る。
増々胃が痛くなる。
これだけの事件だ。罪人には死罪が相当だ。いや、死罪以外にはありえない。
だがこの手紙、一通の助命嘆願書のために、男爵は頭を抱え、苦悩しているのである。
罪人の男はかつての第二王子であった。
内乱を引き起こしかねない大失態、王位簒奪ともとれる大事件を起こした結果、王族より廃籍となった上に幽閉。病死したことになっている。その上、存在そのものが記録上はなかったことにされたため、除籍ではなく、廃籍とされた王子だ。
かつては王子であった彼の美麗な風貌は、もはや当時の面影など欠片もなくなっている。港湾労働者として働いた年月が、彼をいっぱしの破落戸といえるようは風貌、体格にしていた。
だが側妃殿下はそんな道を踏み外した子供でも可愛いのだろう。前回の時もその命を助けたように、此度の事態を知っても、こうして助命を願う手紙を男爵に送って来ているのだ。
更には、男爵家は側妃の実家である侯爵家の寄子である。この助命嘆願書を無下にするわけにはいかない。できようもない。
とはいえ事件は広く知れ渡っているため隠ぺいなど不可能だ。それに殺害された商人4人が問題であった。
彼らは海を隔てた大国の国営商会の者たちだった。此度、我が国との貿易の為の下準備として、王国唯一の貿易港を整備した男爵領を訪れていたのだ。
当然だが、この商人のことは王家も知っている。そもそも彼の国との貿易に関しては、国が主導となっているのだ。故に、今回の事件は外交問題にも発展している。もちろん外交に関しては既に男爵の手を離れている。……のだが、なぜか元王子の裁量権は男爵の手にあるままなのだ。
それも当然ともいえる。なにせ、王子は既に病死していることになっており、彼はただの平民の港湾労働者でしかないのだ。
死罪にしなくてはならない。だが死罪にするわけにはいかない。
死罪にしてもしなくても、男爵家が破滅しかねない。
またしても胃が酷く痛みだし、男爵は左手で腹を押さえつつ、額に右手を当て項垂れた。
抽斗からタブレットケースを取り出す。だが既に胃痛の薬は使い切ってしまっていた。
男爵は顔を顰めた。なぜか増々痛みが増したように思える。
呻き声を上げたその時、執務室の扉がノックされ、執事が来客を告げた。
それは男爵家から出た末の弟。下級貴族の三男坊など、平民として家からでるのが普通だ。大抵は騎士か文官への道へと進む、或いは商家などへ婿入りするものだが、彼は薬師の道へと進んだ変わり者であった。
「兄貴、薬を持って来た……って、酷い顔色だな」
薬師は懐から薬瓶を取り出した。幾つも。
「……どこにそんなに持っていたんだ?」
「内ポケットに押し込めば、左右で10個くらいは持てるよ……って、早速飲むんかい。前に渡したのはどうしたのさ。まだしばらくは余裕があると思ったんだが!?」
「今朝飲み切った」
そういって男爵は錠剤を飲み込んだ。
たちまち不快な胃痛が消えていく。
「……いつも思うんだが、この薬、効き過ぎじゃないか? いまさら訊くのもなんだが、安全なんだろうな? 俺で人体実験してないか?」
「馬鹿言うなよ。最初の実験は実験用のネズミ。次が俺自身。問題無しと判定したのしか持って来ねぇよ。つか、丸薬だからそうと分からねぇかも知れねぇけど、それ、魔法薬だからな。普通の薬だったら、そんなにパカスカ飲んだら体壊してるぞ」
「は?」
好奇心と、天才特有の訳の分からぬ閃きからとんでもない薬を生み出し続ける薬師は、ポカンとする兄の姿に肩を竦めて見せた。
固形の魔法薬など存在しない。それが世間一般での常識だ。
「んで、兄貴。その有様はどうしたんだよ」
薬師が問うと、男爵は机の上の書類を見えるように掲げた。
本来は部外者に見せるべきモノではないが、元王子殿下に関しては、当然彼も知っていることだ。さしたる問題はない。
「あー。そういう。また面倒なことになってんねぇ。これ、陛下は知ってんのかね?」
「恐らくは、側妃殿下の独断だろう」
「だろうねぇ。つか、多分陛下、まだあの盆暗が生きてるのを知らないだろうし」
「どっちを選ぼうと破滅だ……」
「身代わりでも拵えるかい?」
「そんなことできるわけないだろ! そんな不実をするわけにはいかん!」
「はは。兄貴はそうじゃないと。ん-……ひとつ、面白い手を思いついた。聞いてみるかい?」
「……なにを思いついた?」
「なに、刑の責任も当人に押し付けるのさ」
そういって意地の悪い薬師はニタリと笑った。
★ ☆ ★
男爵はまたしても胃痛に耐えていた。
伸ばしに伸ばしてきた今日が、元王子に刑罰を言い渡す日。すでに罪状から有罪は決まっているが、元王子の出自による問題から、事件より一ヶ月も経ってしまっていた。
本来なら、罪状が確定し有罪となったならば、即時刑が執行されるものであるというのに。
この場に立ち合いとしているのは、王家からは王弟殿下、側妃殿下のご実家である侯爵家からは侯爵閣下が直々に、そして貿易相手である王国からは、恐ろしいことに第七王子がみえている。
まったくもって、今すぐにでもこの場から逃げ出そうとする足を抑え込むのに、男爵は必死であった。
これが公開裁判(とはいえ、刑を告げるだけだが)でないのが幸いだ。もしそうであったら、男爵は胃痛に負け倒れているだろう。
男爵は時折声を裏返らせながらも、罪状を読み上げ、そして刑を告げる。
そのあまりにも異例ともなるものを。
だが、すでに王家、侯爵家、そして来訪している彼の国の第七王子にもそれを伝え、了承を得ている。
つまり、この時点で男爵家のお咎めはないものと確定している。
確定しているが、だからといってこのストレスから来る胃痛が消えるものではない。
「まともな者であれば、己がツケを消すために店主を含め、その家族を皆殺しになどするものではない。ましてや、居合わせた店の客を、その狼藉を目撃されたからといって殺すなど以ての外だ。
よって、汝には死罪以外の刑はありえない」
男爵は冷汗をダラダラと流し、僅かながらに震えながらも刑を告げた。
元王子は突き付けられた刑に、射殺さんばかりに男爵を睨めつけた。
「だが、汝の助命を求める嘆願書がここに届いた。まことに残念なことだが、これを無視することはできない。しかし、これまでの数々の殺人の前例からして、この事件に関し死罪以外の刑を私から申しつけることはできない。
よって、ひとつの妥協案を出した。
この案に関し、関係者各位より了承を得ている」
元王子は眉根を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。
「汝に、自らの刑を選ばせよう。次に述べる刑の中から、好きなものを選ぶがよい」
そして男爵は刑をひとつひとつ述べ上げ始めた。
■斬首刑(処刑人)
処刑人による斬首。斬首に失敗した場合、なんども首に刃を振り下ろされることになる。
■斬首系
上記のような状況がないようにするために造られた、専用の斬首台を用い行われる。ただし、ギロチン台は一部の都市にしか設置されていないため、この場合、王都大広場へと移送された上での公開処刑となる。
■磔刑
磔の後、槍によって刺殺。
■射殺刑
磔の後、弓、もしくはクロスボウによる射殺。
■絞首刑
いわゆる首吊り刑。現状、王国において一般的な処刑方法。
■焚刑
磔の後、火炙り。処刑後は獣の餌とされる。
■のこぎり刑
逆さ吊りの後、股間よりノコギリで体を両断される。
■腰斬刑
腰部より上半身、下半身とに切断する。
■腹裂き刑
腹を裂き、引き出した腸を大木に釘で打ち付け、その周りを歩かせる。
(一部の極悪な賊が行っていた処刑法であり、王国では正式な処刑法ではない)
■石打ち刑
磔の後、死ぬまで石を民衆に投げつけられる。
■八つ裂き刑
四肢を牛、或いは馬に縄でつなぎ、四方に進ませることで四肢を引きちぎる刑。
ここまでは、王国でこれまでに実際に行われたことある処刑方法だ。教会が神敵認定した者に対し行った残虐な刑もあるが、実施されたことのある処刑方法であることには変わりない。
だが、これ以降に示された刑がおかしなものとなっていく。
■逆さ吊り
両足首を縛り、一昼夜外壁に逆様に吊るす。
■駿河問い
遥か東方で行われている刑(?)。両手首と両足首を後ろに廻した状態で縛り、吊り上げ、その背中に石を載せてるというもの。これを一昼夜行う。
これを聞き、元王子は口元にニヤリとした笑みを浮かべた。
確かに、辛くはあるだろうが丸一日耐えれば無罪放免となるのだ。先のあからさまに死を賜る刑罰などよりも遥かに軽いものだ。
母より出される助命嘆願は確実に受け入れられるだろうと、元王子は確信していた。だが、名目的には重刑としての労役が架され、一定期間後に死亡扱いとされた上で放免されると思っていたのだ。
それが、たかが一日の苦行で放免されるという。
だが、男爵の告げる刑罰はさらにおかしなものになって行く。
「次に岩塩。そこに用意してある岩塩ひと塊を食す。全て食べ終えれば、それで放免とする」
は?
元王子は目を瞬いた。
いつの間にか、男爵のとなりに置かれたテーブルには、淡い桃色の岩塩が皿に載せられ置かれていた。大きさとしては、片手で握り込めるか込めないかというほどの大きさのものだ。
あれを食べきれば放免?
「次に、1日にミニ小樽(5リットル)ひとつ分の健康飲料を60日間毎日残さず飲用すること。60日後、放免とする。健康飲料の材料となるのは、こちらのブラッド人参とレッカー林檎である」
はぁっ!?
さすがに元王子もあんぐりと口を開いた。
いったいどういうことだ? 先ほどまでの刑と、あまりにも違っている。
いや、これは刑罰と云えるのか? 健康飲料とやらを60日毎日一定量飲むだけで無罪放免? そんな刑罰など聞いたこともない。
先の岩塩の横に、樽にしてはやたらと小さなものと、その前に赤カブのように真っ赤な人参と緑色の林檎が並んでいる。
あの樽の容量は、みたところ酒場の大ジョッキにして7~8杯程度のものだろう。少々多くはあるが、量としても異常な程のものではない。
これは本当に刑罰なのか?
だが、予め聞かされていたのだろう、立会人である叔父をはじめとする者たちは静かなものだ。
即ち、このおかしな刑罰は問題なく了承されているということだ。
男爵の述べる刑罰は続く。
「次に、こちらが用意する水を、この場で全て飲み干すというもの。もちろん、毒などはいってはいない。ただの水だ。これを成すことができれば、即時放免とする」
ガラガラと樽がふたつ、ワゴンに載せられて運ばれてきた。樽のサイズは先ほどの健康飲料のものと同じものだ。
「ただし、あまりにこぼした場合は、こぼした分とほぼ同量を追加することとする」
もはや元王子は唖然とするしかない。
なんだ? なにが起こっている。
いくら側妃たる母の助命嘆願があったとはいえ、この示された刑罰はあまりにもおかしいだろう!?
だが、立会人たちは誰ひとり声ひとつ上げず、この状況を見守っている。
「そして最後に示す刑罰はこれだ」
男爵が合図をすると、複数人の男達が台車を曳いてそれを持ち込んだ。
それは、身の丈3メートルはあろう白い巨熊。北方に生息するポーラベア―。もちろん生きている状態ではない。
「このポーラベア―の肝を丸々食す。もちろん、生ではなくきちんと火は通すし、味付けもしよう。
さぁ、咎人よ。我々が示す刑罰はこれらの16種。この16の中からひとつを選ぶが良い」
男爵は胃痛を振り払うように大仰に手を振りかざした。もはややけっぱちである。
それとは対照的に元王子は、静かに、そして不適にニヤリとした笑みを浮かべていた。
★ ☆ ★
男爵は自身の執務室のソファーで、ぐったりとしていた。目の前のテーブルには、中身を半分ほどにまで減らしたグラス。その中身は先に刑罰の為に用意されていた健康飲料だ。
予想外にも非常に飲みやすく、そして味も林檎のおかげか美味だ。
どれほどぼんやりと天井を見上げていただろうか。騒がしく開けられたドアに、男爵は視線だけをそちらに巡らせた。
「兄貴、お疲れ。上手く事が運んでなによりだったな。あぁ、殿下たちには改めて詳しく説明をしておいたよ。あの盆暗が喰ってる間は暇だったからな。
特に第七王子殿下は、人参ジュースの説明に思うところがあったみたいだったな。なんか、健康食に異常に嵌ってる身内がいるようで、注意喚起をするといっていたよ」
のほほんと話す弟の姿を羨みながら、男爵はのそのそともたれていたソファーから身を起こした。
「元王子殿下はどうなった?」
「ん? 今はぶっ倒れて苦しんでるよ。予想より早く効果が出たな。ま、あのまま死ぬだろ。なに、自分で選んだんだ、問題ない問題ない」
「側妃殿下がどうでるか……」
「あ、それ、切り捨てるみたいだぞ。やっぱり陛下は知らなかったみたいだな。今回の事で露見して、激怒しているらしい。侯爵家のほうも知らなかったらしくてね、側妃と絶縁して保身に走ってる。とはいえ、お咎めは避けられないだろうな。多分、降爵されて領地の一部没収ってとこかな。甥っ子でもあるだろうに、あの盆暗と姉の事を散々罵ってたよ。ってことで、側妃の病気療養が近く発表されるよ。んで、例の健康飲料を毎日飲ませるんだと。もちろん、例の量。王弟殿下がすっごい良い笑顔だったよ」
男爵の口元が引き攣れた。
「お前は、元王子がどれを選ぶと思っていたんだ?」
「ん? どれを選んでも良かったんだよ。どれでも死ぬことは確定だし」
「は? いや、とてもじゃないが死ぬようなものとは思えないものがあったぞ」
「体に必要な物、良い物でも過剰に摂取すれば死ぬんだよ。百薬の長なんていわれる酒だって、飲み過ぎればぶっ倒れて死ぬのは知ってんだろ?
それに、人間は立って活動する生き物だ。横になるくらいなら問題ないが、それ以外となると大変なことになるのさ」
薬師の言葉に、男爵は怪訝な表情を浮かべた。
「逆さ吊りにすると、頭に血が溜まりすぎて障害を起こして死に至る。2、3時間なら大丈夫かも知れんけど、それが一昼夜ともなるとね。
あと、駿河問いとかいう拷問は、放置すると背骨がぽっきり折れるそうだぞ。そんなことになったら、死ぬしかないしな。教会だって手の施しようがない」
「食物のほうは? 塩については、過分に摂りすぎれば健康を害することは知っていたが」
「他も一緒だよ。水は過剰に飲み過ぎれば水中毒を起こして死ぬし、品種改良して栄養価を高めたあの人参ジュースも、過剰に飲み続ければ肝を壊して死に至る。一日コップ2、3杯なら体に良いけれどね。そして薬として珍重されているポーラベアーの肝も同様だ。しかもどれも毒なんかじゃないから、解毒剤なんてありゃしない。死ぬしかないね。
つーか、そもそも死罪を申しつけるんだ、生き延びる道を示す訳にはいかないだろ。
ま、高価なポーラベアーの肝を選ぶあたり、相も変わらず強欲な男だったな。あれ、薬の材料としては優秀だけど、そのまま焼いて喰うもんじゃないからな。あの盆暗、半端に知識があったこともあって、美味いとでも思ったのかねぇ」
肩をすくめてみせる薬師の姿に、男爵は深く息を吐き出した。
「ひと口食べて、さんざん文句を云っていたがな」
「そら熊の肝なんて苦い代物だからな。味付けどうこう以前に、肝そのものが苦いんだ、どうにもなんねーよ。美味しく調理してやる必要もねーし。ヘタなことをして、過剰摂取させる予定の栄養素が抜けても困るからな」
男爵は顔を顰めつつ弟を見つめた。
「お前はどんだけ知見を深めたんだ?」
「薬用の素材を育てて身に着けた知識だよ。いまじゃ薬師っていうよりは農夫だぞ、俺。ブラッド人参なんて、なんとかしてマンドラゴラの代替品を作れねーかな、ってとこから、普通の人参を品種改良して作り出したんだし」
恐ろしいことを云いだした弟に、男爵は呻き声を上げた。
「でだ、今回のことで、どういうわけだかブラッド人参が注目されたっぽいぞ。王弟殿下が個人で定期購入の申し入れ。第七王子も交易品に加えたいってさ」
「ちょまっ!? おまっ! なんでお前が交渉をしてんだよ!」
「だって兄貴その有様だしなぁ。それにブラッド人参の生産者は俺だけだし。あとで種をもってくるから、新しく畑を開墾したほうがいいと思うぞ。農夫も集めないと。義姉さんに文官の当ても頼んどいたほうがいいんじゃないか? 多分、無茶苦茶忙しくなると思うから。んじゃ、俺はもう帰るよ。じゃーなー」
手をひらひらとさせると、薬師は帰っていった。
かくして、残された男爵はまたしても頭を抱えつつ、腹に手を当てたのである。
どうやら彼が胃痛から解放されるのは、まだまだ先のようだ。
※健康のため、人参ジュースを毎日2リットル以上飲んで亡くなられた方が実在します(サプリメントも併用していたそうですが)。また、白熊の肝臓を丸一頭分食すと、ビタミンEの過剰摂取により、命を落とすそうです。水の過剰摂取は低ナトリウム血症を引き起こしますし、塩分の過剰摂取については、いうまでもないですね。海外のyoutuberが醤油の一気飲みをして病院に担ぎ込まれた話もありますしね。
なにごとも、適量を摂取するのが一番です。