まだ抗っているのだと
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静かすぎる。
椅子に座って眠っているブラムを見て、ライラは焦っていた。
触っても、揺らしても、叩いても、一向に目を覚まさないからだ。
とにかく、静かに、石のように眠っていた。
「ど、どうしよう、水でもかけようかな」
そう思って持ってきた、木桶いっぱいの水。
静かに眠っているブラムを前にして、ライラはごくりと唾を呑んだ。
「そろそろ目を覚ますよ?」
不意に、ペノの声が聞こえた。
先ほどまでは捜しまわっても見つからなかったのに。
「……これ、眠ってるの?」
「まあね?」
「もしかして、ペノがなにかしました?」
「全然してないよ?」
「……怪しいですね」
「ひどいなあ!」
ペノが両耳を揺らして笑う。
その笑顔を見て、ライラはほっとした。
あまりに力が抜けて、手に持っていた木桶を落とした。
床が広範囲に濡れ、慌てて拭き取っている最中、ブラムが目を覚ました。
「……なんだあ、こりゃあ??」
びしょ濡れの床を見て、ブラムが呆れた声をあげた。
その声を聞いて、ライラはまた、ほっとした。
どうして安堵したのか。
よく分からない。
とにかく、不安で押し潰されそうだった心が、軽くなった。
「……ちょっと、ブラムにかけようとした水をこぼしまして」
「なにい??」
「目が覚めて良かったです」
「たしかに良かったらしいな?? ああ??」
「いちいち喚かないで」
「喚くに決まってんだろ、馬鹿ライラ」
「馬鹿って言わないでったら。もう……ちょっとは心配したのに」
ライラは頬を膨らませる。
その仕草を見て、ブラムがもう一度喚いた。
ほっとした。
喚き声ひとつだけで、心の内がもう一度、少しだけ軽くなった。
それからしばらく。
ブラムがペノを掴まえて、別の部屋へ行った。
どうやらブラムがペノに説教をしているらしい。
時折、隣のライラがいる部屋に、言葉の端々が聞こえてきた。
しかし、いったい何の話をしているのか、ライラにはよく分からなかった。
ブラムの説教が聞こえなくなったのは、陽が傾いてからだった。
暇を持て余して香茶を飲んでいるライラのところへ、ようやくブラムが戻ってきた。
「ずいぶん楽しそうでしたね?」
ライラは片眉を上げ、ペノを見た。
ペノのぐったりとした表情。
どうやらいつものようにノラリクラリとはできなかったらしい。
「まあな。そんでよ、またちょっくら出掛けてくるからよ」
「また外へ行くの? なにか企んでいるんじゃないですよね?」
「なにも企んじゃいねえよ」
「じゃあ、私も行っていいですか?」
「ダメだ。男同士の話があるんだよ」
「誰です? それ?」
「言えねえ」
「やっぱりなにか企んでるんじゃないですか!?」
「るせえ! 俺にも用事ってもんがあるんだよ。ついでにペノも持っていくぞ」
「ペノも行くの??」
「こいつがいたほうが話が早えんだ」
そう言ったブラムが、ペノの両耳を摘まんだ。
ペノが力なく頷いて、「ちょっと出掛けてくるよ」と小さく言った。
見たことがないくらい弱々しいペノ。
ライラはそれ以上口を挟めず、黙って見送った。
「ブラム様がライラ様を蔑ろにすることなんてありませんよ」
夜。ひとりで食事をしているライラに、アテンが言った。
ブラムとペノは、夜になっても帰ってこなかった。
「こういう時期くらい、一緒にいてほしいのですけどね」
ライラは空になった皿をナイフで突きながら、口を尖らせた。
もうすぐ、貴族のソウカンに飼われるような日々がやってくるのだ。
ならば、今だけは平穏に過ごしたい。
家族のような人たちと一緒に過ごしていたいと、ライラは思っていた。
「まだ抗っているのだと思います」
共に食事をしてくれていたアルサファが、慰めるように言った。
「それは分かっています」と、ライラは目を細めた。
「分かってますけど、どうしようもないって、私がもう、決めたんだから」
「そうですね。このアルサファも、ライラ様の決定に従うと決めました」
「……本当はアルサファさんも、ブラムと何かしたいの?」
「分かりません。それがライラ様のためになるか、私には判断できませんでしたので」
「私はアルサファさんが傍にいてくれて嬉しいですよ」
「身に余るお言葉です」
そう答えたアルサファの表情は、少し曇っていた。
本当は、なんとかしたいと思っているのだろう。
(……思うだけなら)
自分もそうしていると、ライラは心の内で苦笑いした。
だがすぐに、無理なのだと、心が悲鳴をあげた。
ブラムも早く諦めてくれないだろうか。
そうすれば、もっと楽になれるのに。
楽になって、今は、なにも感じないようになりたい。
ライラの心は、そうした思いで満ち溢れていた。




