諦める覚悟
晩餐会の二日前、朝。
日が昇ってすぐ、ライラの屋敷を訪ねに来た者がいた。
ライラは使用人に叩き起こされ、かき回されるように身支度を整えた。
「……全身痛いので……もっと、優しく……」
昨日の花を飾る手伝いをした結果。
ライラの全身を筋肉痛が襲っていた。
微かに動くだけで、どこもかしこも痛い。
「クナドの支店長様がいらっしゃっているのです。お断りはできませんよ」
「……こんな朝早くから?」
「それだけ急ぎというわけです。さあさ、ランファ様、お急ぎください」
使用人に急かされ、慌ただしく着替えをする。
いつの間にか寝室にやってきたアルサファも手伝ってくれた。
アルサファは客人のはずなのに、すっかり使用人気取りだ。
他の使用人も、さも当然とばかりに居座るアルサファを慕い、従っていた。
「もう侍女長みたいなものだね」
ペノが笑って言う。
ライラも苦笑いし、アルサファの言う通りに支度した。
応接室で待っていたクナドの支店長は、ひどい顔色だった。
真っ青でもなく、土気色でもない。
邪気にあてられたように、暗かった。
ライラが声をかけても、その顔色はたいして晴れなかった。
「ずいぶんやつれていますね」
ライラが言うと、支店長がくたびれた顔で頷いた。
「私の手の者から、話を聞きました。ランファ様がソウカン様の一族であると」
「……そういう話しになるようですね」
「晩餐会で公開するようですな」
「……そうらしいですね」
「他の貴族たちはまだ知らない様子。どうやら我々にだけ伝わるように仕掛けたようです」
「諦めさせるためでしょうね」
「抗う機会を与えたようなものだと、思われないのですか?」
「わざと機会を与えて、すべて打ち砕くつもりだと思います。そうしたほうが私も支店長も心から屈してしまうでしょう?」
「……たしかに、そうですな」
支店長が肩を落とした。
貴族の強かさを、身をもって知ったのだ。
その落胆ぶりは、ファロウの貴族との戦いに負けたことを示していた。
「支店長でも……クナド商会でも、ソウカン様には勝てませんか?」
「勝てないでしょう。少なくとも、あと一年は欲しかった」
「それは、私がソウカン様とは関係のない貴族となる、という期間ですか」
「その通り。ただの貴族ではない。ファロウを統べ、ウォーレン地方全体に影響を及ぼすほどの大貴族になっていただくつもりでした」
支店長が片眉を上げる。
そうやってお道化てみせても、支店長の顔から暗い色が消えることはなかった。
ライラは支店長の話を聞き、納得した面があった。
クナド商会の野望が大き過ぎたからこそ、ソウカンは強引な方法を取ったのだ。
元より、多数の計画を手にしての野望はあっただろう。
しかしライラを脅すような強引な一手を打ってきたのは、クナドの計画を知って、焦ったからではないか。
(……じゃあ、こんな状況を招いたのは……私のせいでもあるわけですね)
ライラがクナド商会を後押ししなければ、こうはならなかっただろう。
老人病対策をそこそこにして、ファロウを出ておけば良かったのだ。
街の人にチヤホヤされていい気になったのが、運の尽きだった。
「ランファ様という新たな大貴族の名のもとに、新たな大勢力を作る。それを目論んだクナド商会の野望は潰えました」
「他の手段は、本当にもう無いのですか?」
「多少ならあります。それでも勝てはしないでしょう」
「貴族の力とは、それほどのものですか」
「ソウカン様は別格です。牙を隠しておられましたが、他の貴族の何倍も人脈を持ち、財産を持ち、血筋も良かった」
「血筋、ですか」
「クローニルの王家の遠縁でもあるのです」
「遠縁……それなら大したことではないのでは」
「実際大したことはありませんがね。しかし使いようというわけです。ソウカン様はその使い方が非常に上手い」
「……なんだか、もう、私たちに勝てる要素は欠片もありませんね」
「今にして思えば、最初から負け戦だったかもしれません」
支店長がため息を落とした。
どれほど知恵を絞っても、圧倒的な権威や権力の前では弱い。
痛快な逆転劇など、おとぎ話の中にしか存在しないのだ。
「ですが」
支店長がぐっと唇を結び、顔を上げた。
顔色は悪いままだったが、目の内にかすかな光が宿っていた。
「ランファ様が望まれるなら、我々はまだ戦います」
「……勝てないと分かっているのに、ですか?」
「短期では難しいでしょう。しかし計画を練り直します。長い時をかけて、ランファ様のもとに権威と権力を集めてみせます」
支店長が語気を強めた。
自らを奮い立たせているようだった。
しかしライラは、無理だと思った。
どれほど計画を練り直そうと、相手はエルオーランドを統べる野望を抱えた男だ。
時をかければかけるほど、差が開いていくに違いない。
「……もう、ここで終わりにしましょう」
「ですが、ランファ様」
「傷は浅いほうが良いです。それに」
「それに?」
「私はいつでも手を引くと、約束していました。今がその時だと思います」
「この先は危ない橋だと」
「そうです」
「我々クナドにとって、この程度――」
「支店長さん」
ライラは声圧を強めた。
それだけで、支店長は口を閉ざした。
是非もなしと、今度こそ諦めたようだった。
(……可哀そうかな)
支店長たちに対して、そう思わないわけではなかった。
長く支えてきてもらったのだ。
老人病の対策にも、多大な力を振るってもらってきた。
しかし、ライラはもう立ち上がれる気がしなかった。
どれほど背中を押されようと、自らの小心を膨らませられる気がしない。
「……これまでのことで、ある程度の儲けを出す目途はついたと思います」
「それはもちろん。ファロウ内だけでなく、様々な地域への販路も開拓しました」
「今回は、それで手を打ちましょう。下手に抗えば、せっかくの儲けもソウカン様に潰されかねません」
「……はは。確かにそうですな」
支店長が苦笑いした。
その表情を見て、ライラの心の内がストンと、静まった。
落ち着いた、というわけではない。
(……もう、仕方ないよね)
そうだ。
もう、是非もない。
ソウカンに屈し、ソウカンの親族となって生きていこう。
覚悟に似た諦めが、心の内へ落ちた。
同時に、心の内の軋みが、再びひびいた。
ひどく、痛々しい軋みだった。




