本当の本当は
散歩のあとは、馬車で診療所へ向かった。
ライラが開設した診療所だけではない。
ファロウ中の診療所も見て回っていた。
街中の診療所に対して、ライラが大々的な支援をするようになったからだ。
「もう少し部屋を暖かくしたほうが良いですね」
視察に入った診療所を見て、ライラは懐から魔法道具を取り出した。
浄化の魔法道具と、温石と似た効果をもつ魔法道具だ。
ライラは浄化の魔法道具を診療所の所長に渡し、入院室の隅の方へ向かった。
入院室の隅は、やや肌寒かった。
隅のベッドに横たわっている老人病の患者は、青白い顔になっていた。
ライラは青白い顔の患者に、温石の魔法道具を握らせた。
呻いていた青白い顔の患者が、ホッとした表情を見せた。
魔法道具を握る、しわくちゃの手。
ライラはその手を少し撫で、離れた。
「皆さんの体温が下がらないように、看てあげてください」
「わ、分かりました」
「水は飲めていますか」
「それがなかなか難しく……」
「そう、ですよね。本当なら点滴――」
――ああ。
やはり、そうなのだ。
本当なら点滴をするほうが良い。
しかし点滴の詳しい知識も技術も、ライラは知らなかった。
誤った方法だと、怪我や新たな感染症を引き起こすかもしれない。
最悪、命にもかかわるかもしれない。
結局今も、水を飲ませるしか思い付けないでいた。
自らの無知を、ライラは恨めしく思っていた。
もっと多くのことを知っていれば。
いや、もっと多くの前世の記憶を残していたなら、もっと違っていたのではないか。
「――しかし、亡くなる方はほとんど出ていません。ランファ様のおかげです」
沈むライラを持ち上げるように、所長の声がひびいた。
ライラは顔を上げ、小声で感謝の言葉を返した。
それからライラは、三つの診療所を回った。
いずれも街に古くからある診療所であった。
老人病の患者は何処も多く、入院患者で溢れかえっていた。
本当に流行が収まりつつあるのかと、首を傾げるほどだった。
「まあ、死者が減っただけだからねえ」
帰りの馬車の中。
ペノが両耳を左右に振りながら言った。
「時間がかかるでしょうか」
「かかるんじゃない? 街の不衛生が、根本的な理由だからね!」
「不衛生が招いたこととはいえ、相手は魔物なんですから、魔法でドンと、一発でなんとかなりませんか」
「出来ないことはないけど、街ごと消し飛ぶよ?」
「……現実って甘くないんですね」
ライラは項垂れ、窓の外へ視線を移した。
駆ける馬車の外に、群衆が見えた。
群衆は、馬車の中にライラがいると知っているようだった。
一部の人々が歓声を上げ、ライラが乗る馬車へ手を振っていた。
「……かつてないくらい、人気者になってますね」
「まるで他人事だね?」
「他人事ですよ。私、普通の人ですから」
「まあ、ご立派な人間じゃないよね」
「でしょう? それに……街の人たちは、本当の私のことを……もし知ったら、どうするでしょうね」
「意外と受け入れるんじゃない?」
「……そんなわけないでしょう」
「どうかなあ? まあ、はは。ボクとしてはもう一波乱あったほうが楽しいよ!」
「やめてくださいよ、もう……」
ライラは両手のひらをペノに向けた。
本当に面倒だと、ライラはうんざりしはじめていた。
老人病の流行を止めることが、これほど面倒になると思っていなかった。
たしかに以前は、街の人々を助けたいと思っていた。
今ももちろん、多少はそう思っている。
しかしライラは、善人でもなんでもない。
以前ほどの、なんとかしてあげたい、という思いは無くなりつつあった。
もっと正直言えば、自分に都合のよい範囲で平和ならばいい。
最低でも、アテンとグナイ、ブラムさえ大丈夫なら、それでいい。
(……だけど、そんなこと言えないし)
ライラは肩を落とした。
本当の本当に、面倒なことだ。
お金ですべて解決すればいいのにと、自らの手のひらにため息を吐いた。




