忠誠の代償
商人たちとの会合から十数日。
クナド商会の支店長がライラの邸宅へ訪ねてきた。
支店長の手には、一枚の皮紙があった。
皮紙に書かれた内容は、ずいぶんと仰々しいものだった。
「……つまり、ファロウのクナド支店とあの商人さんたちは、私に逆らわない的なことですか」
ライラは呆れ顔を支店長に向ける。
支店長がにかりと笑い、大きく頷いた。
そうして、皮紙に端を指差した。
クナド商会長の印が捺されていた。
「あの会合でランファ様が仰った通りになるよう、我々はランファ様の御意に従います」
「……騎士じゃないのですから、ここまでしなくてもいいのですが。私はただ、危ない橋は渡らないでと言っただけですよ」
「その通りです。その危ない橋の基準はランファ様に決めていただきます」
「その代わり、できる限り協力してほしいわけですね」
「お話が早い。駆け引きをするまでもありませんな」
支店長が片眉を上げ、もう一枚の紙を見せた。
それは先ほどの皮紙とは違い、ただの紙だった。
紙には、幾つかのことが箇条書きで記されていた。
「これは……会合で言っていた、私に協力してほしい項目ですね」
「ランファ様にしかできないことです」
「意外と簡単なことが多いように見えますが……?」
「ランファ様にとっては、そうでしょう。しかし重要なことばかりです」
「……この、『会食』というのは?」
「そちらは、ただの食事です。ただ、私どもが決めた相手と食事をしていただくだけです」
「……えええ、それはちょっとい――」
「いやはや、お引き受けいただきありがとうございます、ランファ様!」
支店長がライラの言葉を遮り、深々と頭を下げた。
ライラはぐっと唇を結び、途中だった言葉を飲み込んだ。
仕方がない。
危ない橋以外は渡ると、約束したのだから。
「……分かりました。諸々決まったら、報せてください」
「承知しました。それでは今夜、お時間を空けておいてください」
「え、え? こ、今夜??」
「左様でございます。今夜、こちらの方との会食となります。宜しいですね」
「……はい……宜しいです」
ライラは心の内でがくりと項垂れた。
その心の内を見透かしてか、支店長が小さく笑った。
会食は、ブラムの同席が許された。
もちろん、従者として後ろに控えているだけだ。
しかしそれだけでも救いだと、ライラは安堵した。
ブラムは最初、同行することを嫌がった。
しかしライラは土下座する勢いで頼みこんだ。
「そこまで頼まなくても行ってやらあ」
ブラムは嫌そうな表情を崩さなかったが、引き受けてくれた。
ライラはほっとして、ブラムの手を取って喜んでみせた。
「助かります、ブラム!」
「別にこんなこたあ初めてでもねえだろ、大袈裟なんだよ」
「私だけの問題では済みませんから、今までとは違うんですう」
「何かありゃあ逃げりゃあいいじゃねえか」
「……私がそんなに吹っ切れやすいと思います?」
「……まあ、そうだな。クソみてえに女々しいもんな」
「クソとか言わないで」
ライラはブラムの腕を抓る。
ブラムが小さく悲鳴をあげた。
夕刻になると、ライラの邸宅前へ一台の馬車が駆けてきた。
支店長が迎えに来たのかと思ったが、違った。
馬車から出てきたのは、どこかで見たことがあるような商人だった。
たぶん、以前の会合の席にいた商人のひとりだ。
「それでは参りましょう、ランファ様」
商人がライラを招くような仕草をした。
ライラは笑顔を貼り付け、招かれるままに馬車へ乗り込んだ。
つづけてブラムも馬車へ入る。
商人の男がほんの少し嫌そうな顔をした。
どうやらブラムが同行することを知らされていなかったらしい。
「彼は私の従者です。今後の会食には必ず彼を連れて行きます」
「……さ、左様でしたか」
「なにか問題が」
「いえ、なにも!」
商人の男が背筋を伸ばし、首を横に振る。
ライラはにこりと笑い、「それでは行きましょう」と商人の男を手招いた。
いそいそと馬車へ乗り込んだ商人の男は、ライラに好意を寄せているようだった。
ライラの顔や指先を何度も見ては、恥じるように視線を泳がせていた。
逆に、ブラムに対しては嫌悪感を抱いているようだった。
邪魔者が現れたとでも思っているのだろう。
威圧感を放つブラムに対して、負けじと睨むような目をしたりしていた。
そんな三人を乗せ、馬車は駆けていく。
会食が行われる館に向かって。
道中。
商人の男が、会食の相手がどのような人物かを教えてくれた。
それだけでなく、今後会うであろうファロウの有力者まで教えてくれた。
「こんなにたくさんの人と会うのですか」
ライラは面倒臭そうな表情を隠せず、唇を尖らせた。
商人の男が、申し訳なさそうに頷く。
「二、三日に一回で構いません。重要な方にだけ会っていただくので」
「ということは、本当ならもっと多くの人に会ったほうが良いということですか」
「そうとも限りません。以前の会合でクナドの支店長が言った通り、ランファ様には民衆にも寄り添っていただかなければならないので」
「……偉い人とばかり会っていたら、民衆が私に近寄ってこないというわけですか」
「そういうことです。ですから本日も、今後も、街の有力者との会食はこっそりと行われます」
「隠すのです?」
「隠すほどまではしません。ただ、華々しくはしません」
「なるほ……ど?」
ライラは首を傾げる。
その様子を見て、ブラムが呆れ顔でため息を吐いた。
これはまた、あとで馬鹿だのなんだのと言われそうだ。
ああ、イライラする。
心の内で苛立っていると、馬車がかたりと揺れた。
どうやら会食が行われる館に着いたらしい。
間を置いて、馬車が止まり、戸が開かれた。
ブラムが早々に降り、次に降りるライラの手を取った。
「ありがとう」
ライラはブラムに礼を言う。
ブラムは無言で、小さく微笑んだ。
ああ。外行きの顔だ。
いつもこうだったらいいのに。
ブラムは美男だし、惚れてしまうかもしれないのに。
ライラは苦笑いすると、察したブラムの口の端が微かに上がった。