いつも通り
なにかに、呼ばれている。
そのなにかが、なにであるか。
分かる時は来ない。
ライラは、自らを呼ぶなにかを見据えていた。
なにかもまた、じっとライラを見据えている気がした。
夢の中だと、分かっていた。
自分を呼ぶなにかも、夢の産物に違いない。
しかし現でも同じかもしれないなと、ライラは思った。
そう思った瞬間、ライラは夢に目を閉じた。
「起きたかよ」
ブラムの声が、ライラの寝惚けた頭を揺さぶった。
視界に、ブラムの姿はない。
寝室の外にいるらしい。
「もう昼だぞ」
「……いつも通りですね」
「いつも通りが許されるわけじゃねえっつってんだろ。とっとと起きやがれ」
「そうは言っても、お昼になるまで起こさないでくれてありがとうございます」
「るせえ。とっとと着替えて飯を食えっての」
ブラムが寝室の扉をコツリと叩き、去っていく。
遠ざかっていく足音を聞きながら、ライラは起きあがった。
ファロウの、ライラの邸宅。
一日のはじまりが、いつも通りになっていた。
目が覚めると、ペノか、ブラムが声をかけてくる。
寝室を出ると、使用人たちに挨拶され、挨拶を返す。
食堂に入ると、アテンがライラの食事の準備をしてくれる。
「アテン、身体はもう大丈夫?」
ライラはアテンの顔色を見ながら、目を細めた。
するとアテンが呆れ顔を見せる。
「ライラ様ったら。もう十日も同じことを言ってますよ」
「だけど」
「見ての通り、元気です。むしろ身体が軽くなりましたよ」
そう答えたアテンが、その場でくるりと回った。
グナイにつづき、ようやく老人病が治ったアテン。
以前のふくよかな体型ではなくなっていた。
すっかり痩せて、別人のようである。
顔にはまだ老人病の頃の皴が残っていた。
その皴を見るたび、ライラは不安に襲われていた。
「もっとたくさん食べて、元気になってください」
「……もしかしてライラ様。私をまた太らせようとしてますね?」
「そんなことないけど」
「本当ですかあ?」
「……でもたくさん食べてるアテンが好きですよ」
「やあっぱり太らせようとしてる」
「もう、違いますったら」
ライラは困り顔を見せ、アテンを突く。
アテンが笑った。
その笑顔を見ただけで、ライラの胸の内が温かくなった。
ほんの少し前まで。
ファロウの街を包んだ老人病という暗い未来に、ライラは滅入っていた。
それだけではない。
グナイとアテン、ブラムまでもがいなくなる未来まで、覚悟しかけていた。
いつも通りが、どれほど貴重なことか。
この街で嫌というほど思い知った。
「イチャついてるところ悪いんだがよ」
ブラムの低い声が、ライラの頬を打った。
「ガンカが訪ねてきてるらしいぜ」
「ガンカが? わざわざここに?」
「お前が仕事に来ねえからじゃねえのか」
「え? 五日前には行きましたよ?」
「……行かなさすぎだろ……お前。どんだけお姫様なんだ」
「えへへ、照れます」
「褒めてねえんだよなあ! さっさと顔出して来い!」
「はあい」
ライラはパンを一口かじり、立ち上がる。
玄関へ向かう間、ブラムの代わりにアテンが付いてきてくれた。
アテンの手には、パンを載せた皿があった。
ライラはアテンからパンをひとつ受け取り、ふたつに千切った。
一方を自らの口へ、もう一方をアテンの口へ。
ふたりは顔を見合わせ、小さく笑い合った。
「お食事中、失礼しますよ」
ふたりでパンを頬張っている最中、玄関の扉が開かれた。
扉の先に、呆れ顔を見せるガンカがいた。
ライラとアテンがパンを飲み込むと、ガンカが深くため息を吐いた。
「ランファ様、本日のご予定をお忘れですか?」
「……なにかありました?」
「本日はクナド商会と、街の商人たちの会合です。必ず出席してくださいとお伝えしていたではないですか」
「そう、だった……?」
「そうです。私など食事をする間もありませんのに」
「そうなの?? じゃあ、アテン。残りのパンは全部ガンカの口へ詰め込んでおいて」
「はあい、分かりました! さあガンカ様、お口を開けて!」
「え、え? いや、ちょっ、グ、ムグ、ググ!」
「ねえ、ブラム。私、出掛けてきますから」
「さっさと行け、馬鹿ライラ」
「馬鹿って言わないでったら!」
ライラは大声をあげ、翻る。
面倒臭そうにしているブラムが、手を振っていた。
ライラは苦笑いして、いつも通りのブラムに手を振り返した。